それはかつて、俊敏な狩人だった。
獣だろうと死人だろうと、その動きをまるで手順書に落とし込むように読み取って、敵を討ち取った。
それはかつて、聡明な研究者だった。
父を超え、祖先を超えるためにあらゆる土地から書物を掻き集め、知識を飲み込もうとした。
それはかつて、誠実な領主だった。
民をより善きに導くため、出来る限りの技を集め、発展に手を尽くそうとした。
それはかつて、勤厳な父親であろうとした。
自身が受け継いだ業を自身の子供達へ注ぎつつ、いつかそれが彼らの運命を切り拓く力になると信じていた。
今、それは一体何者になったのだろうか。それ自身にも分からない。
獣達との戦いに不覚を取って倒れ、体が裂けそうな苦痛の果てに気がつけば、あの家へ帰る道に居た。全てを終わらせなければ。その衝動だけが身体を突き動かした。
そして欲望のままに、目の前で悲鳴をあげる女を一息に刺し貫く。柔らかな温もりが腕を伝った。
いつものように扉を開けて、階段を登る。半生を共にした伴侶を最期に一目、見たかった。
無理矢理にこの辺境に送られて、己のような男に従わされて余生を過ごす。そんな女に少しでも礼と、償いがしたかった。
ベッドに横たわる愛しいその顔を掴みあげて口付けをする。唇を離した時、悲鳴を上げる舌や喉も失った彼女はただ押し黙るだけだった。
息子が居た。それと同じように知識を蓄えて育ち、瞬く間に背丈を越えられてしまった、己の分身だ。
叫び、撃たれる。見覚えのある銃だ。この速さで動く物体に当てるとは、頼もしくなった。もう、導く者が居なくとも大丈夫だろう。
そう思いながら、彼の首元を掻き切った。
良く知った従者を見つけた。卒無く仕事をこなしてはくれるが、細かい失態や悪戯の度に、頭を小突いてやったのを覚えている。
娘を交え、遊んでやった事もある。そうだ、まだあの子がいる。今は恥ずかしがって顔を出さないが、二人で遊んでいれば、いずれ混ざりに来るだろう。
何度も、愛娘の名を呼んでやる。何処に行ったのだろうか。
従者の指差す先に、その子が居た。
ゆっくりと歩いてゆく。そこは客を迎えるための部屋だ。悪さをして汚してはいけない。
居合わせたもう一人の少女と共に娘がじゃれついてくる。優しく、名を呼んでやる。
声が聞こえる。お父様じゃない、と。
苦痛がまた巡る。終わりが近い。彼は、善き父である事が出来たのだろうか。
正しくあろうとした。己の手が届く者全てを、助けたいと願った。
人々を導かなければ。家族を救わなければ。そんな希望は、表出させられない行いとは噛み合わずに緩やかに軋み、歪み、押し潰れた。
再び己の意識を取り戻した時、彼はあの地下墓地の中心に居た。数匹の、彼に従う獣達が頭を垂れる。かつて彼が戦い、傷を負わされた者たちも居る。
彼の新しい領土、新しい家族がそこにはあった。
獣達が吠える。それに応え、彼も喉を裂きながら声を上げた。
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