十四
屋敷を出て城址へ向かうライカは、いかにもな木陰に動物の糞を見つけた。恐らく狼のものだ。
「少し古いか?」
落ちていた木の枝で弄ってみる。人の毛髪や衣服の類は見つからない。悪臭も薄れており真新しい訳では無いが、ここ二、三日で排泄されたものだ。
辺りの鳥の声に異常は無い。群れは狩場を移ったのか。
ひとまず安心するが、この辺りの狼は聡い。嫌な想定がいくつか浮かび上がる。
すぐ近くから、人の声がした。
「なんでこんな辛気臭い所を歩かにゃならん。貧乏くじも良い所だ」
「こうしてのんびり散歩してるだけで金がもらえるんだ。俺からすれば、むしろ大当たりだな」
「またあの怪物が出るかも知れん森だぞ。こんなライフル一本でどうしろってんだ」
双眼鏡を引っ張り出すまでもない。詰所の兵士達だ。男が二人。アイラとハリー、一昨日に怪物を見たという奴らだ。
彼らの話を聞いておくのもいいだろう。歩幅を観察し、それに合わせてライカも動く。彼ら自身の足音と話し声でこちらの気配を掻き消しながら、ゆっくりと近付く。
「ああ、クソガキ共が。見つけたらぶん殴ってやりてえ」
大きな声でよく喋る。子供達にとっては見つけやすい良い手掛かりになるかも知れないが、狼や例の怪物の方が気付いて先手を打ってくる可能性も高い。
「こういう汚れ仕事はあの娘に全部任せてしまえばいいんだ」
「あいつ、俺らよりもたんまり金を稼いでる。やってられんよなあ」
「あの家の不始末を俺らが面倒見てやってるんだ。むしろこっちが金を貰っても良いよな」
自分についての話題になっている事に気付く。この二人の家なら金に困る事など無いだろうに、浅ましい会話だ。
「フィードも、なんであんな娘に入れ込んでるんだか。都会出のボンボンの趣味は分からんね」
「本当。あんな貧相な身体で、どうやってあの堅物をたらし込んだんだろうな」
「顔は良いが、性格が悪いし、胸もケツも小さい。とにかく、性格が悪い」
「違いない」
下卑た笑い声がする。性格が悪いなどと、二度も言わなくていいだろうに。本人が聞いていたらどうするつもりなのだろう、と、ライカはぼんやり考える。
「俺ぁ、抱くんなら都会の色々とデカい女がいい」
彼らはフィード達とは違ってこの地で生まれ、志願した比較的大きな農家の倅だ。歳は両方とも三十と少し。父の代のこの町についてもある程度は知っている。
そのため、いつか都会に出たいという欲望が、尊大な態度の間から滲み出ている。
良い歳をした大人の言動ではない。一体、何をやっているんだか。
もう手を伸ばせば二人に届く距離までライカは近付いた。ここまで気付かれないとなると、奇妙な達成感すら覚える。
「何か手掛かりはあった?」
声を掛けてやる。眼前の二人が一瞬硬直し、こちらを向いて脱力する。
二人は必死に取り直し、その片方のハリーが口を開く。
「何も無い」
随分とぶっきらぼうな言い草だ。馬鹿にされた事への当てつけらしい。もう片割れはライカと目も合わせない。
「いつからこの辺りに居たの?」
「一時間ぐらいだ」
そこまで探して何も見つからないなら、とっとと場所を変えればいい。つくづく、使い物にならない連中だ。
「フィードは何処にいる?」
「知らん。部外者に話すかよ」
ここまで来ておいて部外者呼ばわりとなると、呆れたり落胆するのも面倒だ。
ここから追い払ってしまおう。ふと、ライカは思いついた。
「向こうに狼の糞が落ちてた。ここは群れの縄張りかもね」
聞くなり、二人の顔色が変わる。互いに顔を見合わせた。他人の行動を変えるには、危険や不利益をちらつかせるのが一番早い。
「あれに気付かないようじゃ、貴方達は帰った方がいい」
そうでなくとも、ここまで容易に背後を取れる味方など居ない方が有難い。
「それで? フィードは何処?」
再度聞いてやると、渋々、といった体でアイラが答えた。
「今は詰所だ。溜まった書類を片付けてからこっちに来る」
ふうん、と、ライカは自分から聞いておきながら素っ気ない返事を返す。
「そうやって尻尾振ってりゃいいんだから、女ってのは楽なもんだな」
アイラによる、明確な敵意の籠った言葉の刃。そんなものを剥き身で人に向ける者と取り合えるような手を、彼女は持ち合わせていない。
「貴方達の中じゃ、彼ぐらいしかまともな対話が出来る人が居ないだけ」
立ち止まる二人の間を通り、ライカは先へ進む。
「悔しかったら貴方達もあいつらを殺すための研究でもしてみなさい。簡単だから」
彼らは一歩も前に出ない。それでも、口だけは良く動く。
「出来ないと分かってて言いやがる」
「だったら大人しく死ねばいい。私が弔ってあげる」
「本当に俺たちが死んだらどうする。お前にだって信用があるだろ」
「貴方達がここでひっそり死ねば問題無い。私の稼ぎが増えるだけ。動こうが動くまいが、死体の管理は私の仕事だから」
二人の兵士は歩いてゆくライカを見送る。そのまま町まで引き返してくれる事を彼女は願う。
他人など、怖がらせるだけ怖がらせればいい。そうやって、誰も自分に近寄らなければそれでいい。いたずらに向けられる敵意も、好意も、彼女にとって必要無いものだ。
二人を放って先へ行く。更に歩いてから振り向くと、彼らは居なくなっていた。
それから、随分と歩いた。
視界の先の山はまだ雪を被っている。六月中頃までは雪解け水が湖や湿地に流れ込み、飽和した土を更に潤すだろう。
そして、森の中でうず高く積まれた石が見えた。遠くでは土の起伏がうねっている。
人の手によって形を変えられた丘だ。フラントの言っていた城址へとようやく辿り着いたらしい。
城跡は築かれた城郭そのものを失っても、その土地での戦い方、その時代での戦い方を雄弁に語る。
旧帝国時代、銃も火薬も無い原始的な歩兵や騎兵による槍と弓矢の応酬が、堀と塀を隔てて繰り返されていたのだろう。
そんな場所に、ライカは生物の気配を感じた。子供達では無い。獲物を待って息を潜める『狩猟者』の存在を感じる。それでもやるべき事は変わらない。ライフルを握り、坂を登る。
そしてライカの到着を見計ったかのように、丘の上に一匹の狼が立った。堂々と前から現れたとなると、後ろはもう固められているかも知れない。
「誘い込まれたか」
随分と賢しい獣達だ。裏にそれを束ねる何者かがいるかも知れないという馬鹿げた妄想が頭を掠める。
狼はまだ動きを見せる訳でも無い。じわじわと、追い詰めるような息遣いがいくつか背後から聞こえはじめた。
いよいよ我慢が効かなくなったらしい一匹が、ライカへ一直線に走る。それへ向け、ライフルを向ける。
すると、丘の上の狼が自らを示威するように吠えた。
走ってきた方の狼が怯え、下がる。それを確認したのち、群れの頭らしき個体は段差の向こうへ消えていった。
正確な数の分からない多数に包囲され、入り組んだ高所を取られたこの状況で、圧倒的不利を抱えているのはライカの方だ。一斉に襲い掛かられればそれなりにまずい状況に陥るだろう。しかし、彼らはそれをしない。
来いと言う事だろうか。
「上等」
ライカは呟く。少しの失敗で死にかねない局面に立ちながら、彼女は笑っていた。
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