十一

 墓地の先、ライカの家から更に奥の森の中に拓かれた小さな場所。昼間は日がよく当たり、夜は月が映る湖が見える。

 そこにも、いくつかの墓石が立っている。銘は全て、メーアバウムの縁者とその家従の者。

 ある程度大きな家が個人所有の広い墓地を持つことは珍しくも無い。しかし、ここに眠るのはライカの祖先がこの地に居を構えてから百年間に生きて、死んだ者達だけであるため他所の歴史ある名家ほど大規模なものではない。

 小さく、静かな楽園。そして今やここに故人を偲びに来るのは、この世に二人だけとなった。ライカと、もう一人。

 月明かりの下で、ライカはその者の影を探す。

「……居た」

 墓守の老人、フラントだ。この時間はいつもそこで酒を飲んでいる。

 メーアバウムに仕えて共にこの地を訪れ、墓や死体の管理を命じられた彼の血族はもうただ一人。

 彼が座って背を預けているのはあの家の使用人であり、またその孫娘でもあったミオが葬られた墓石だ。

 彼がこちらに気付いた。

「今日は町が騒がしかったな」

 深く、肺腑を揺するような低い声に、ライカは静かに答える。

「色々あった」

「そうか」

 今は町に住んでいる彼も、騒動について少しは聞き及んでいるらしい。

「飲むか?」

 フラントが酒瓶を差し出す。瓶に半分程残った液体が音を立てる。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 少し躊躇したが、ライカは酒瓶を受け取る。今日は控えた方がいいと思ったが、こうして目の前でちらつかせられると、むしろ飲まない方が不健康に思えてくる。

 座って、レイオの墓石の方に体を寄せる。石は冷え切っていて、触れた瞬間に体温が奪われる。

 酒を少しだけ体内に流し込む。舌と喉を焼く感覚のおかげで、眠気が少し抜けた。

「良い夜だね」

 無数の星が瞬く空を見上げながら、老人と土の下に眠る少女達に語りかける。

 春や夏の夜はよく二人と共に屋敷を抜け出して遊んでいた。あの頃と変わらない匂いが空を覆っている。

「この子達の親から、連絡は来てる?」

 この土地から出て行った者について、フラントに消息を尋ねてみる。

「来ないさ。あれらはもうここを捨てたんだ」

 感情の薄い声。彼にとって、息子とその嫁は最早どうでもいい存在になったらしい。

「そう」

 それ以上は聞かない。ライカにもまた悲しみも何も無い。所詮はあの子達の死から逃げただけの人達だ。

 ここに来たのは、そんなくだらない話をするためでは無い。もっと重要な話だ。

「聞かないといけない事がある」

「何だ」

「あの『研究室』の入り口を教えて」

 これ以上の前置きなど必要無い。正面から、フラントが握る秘密へと掴み掛かる。

 五百年ほど前の旧帝国時代の遺構である鉄鉱石を掘り出した坑道と、掘り尽くした跡地に建てられた地下墓地について。

 聞いた瞬間、彼は目を見開いた。

「何があった」

 彼の声色が変わった。何かを恐れるような、怯えるような声と目だ。

「あの怪物が出た。前の家の向こう」

 聞くなり、フラントは片手で頭を抱えた。やはり彼は何かを知っている。

 彼は父の助手であり、あの事件の日はミラ先生にロバを届けてから町に居たために難を逃れた『生存者』だ。

 そして、逆に彼は問うてくる。

「嬢、貴女が行く必要があるのか」

「私が終わらせないと」

 即答する。役立たずの兵隊達には任せない。子供達が生きていようが死んでいようが構いはしないが、これは家族を壊されて尚生き残った彼女が成すべき責務だ。

「殺すのか、あの方を」

 頷く。それ以外の選択肢は無い。

「出来るのか」

「やらなきゃ、私はどうする事も出来ない。何も始まらない。だから知ってる事、全部話して」

 今まで何度も尋ね、その度に跳ね除けられていた父の事、研究の事を、父の手足として動いていた彼に改めて聞かなければならない。

「私、お父様と貴方達が何をやっていたのか全部は知らない。多分あそこに残りの資料がある」

 ライカが生まれる前から、墓守としてだけでなく死体に関する一切を手伝っていた、父に従ったヴィクセンの他のもう一人の助手。それが彼だ。

「知ってどうする」

 彼は眉を潜め、苦い顔で問いかけてくる。

「そんなこと、知ってからじゃないと分からない」

 ライカも、苛立ちを隠し切れていない。

 考える材料が足りないのに、そこから先なんて、分かる訳が無い。

「そうだよ。知らないんだよ、何も」

 あの日、何が起こったのか。あの家が何だったのか。ライカは何も知らない。残された資料と自分の頭で、何年も必死に考えた。思い出す度に擦り切れて捻じ曲がりそうな過去が何度も夢に出た。

「お父様は、何を求めていたのか。私と兄様の血に何をしていたのか」

 思いが堰を切って口からなだれ出る。

「お父様は、祖父様は、その前の人達は、この町で何をしていたの? この町は何だったの?」

 徐々に言葉が止まらなくなってくる。大人だけが全部知っていて、勿体付けられるのはもううんざりだ。

 感情の濁流を受け、フラントはゆっくりと目を閉じる。彼もまた、何かを決意しようとしているようだ。

「それを知れば、もう戻れないぞ」

 父や祖先が何をしていたのか。断片的に掴んだ悍ましい所業の端を、眼前の老人は握ったままだ。

「進むも戻るも出来ないなら、私は進む可能性の方に賭ける」

 どうしようもないなら、せめてやれる事をやる。その後の事などどうでもいい。

 フラントは静かに考え込んでいる。それを見ながら、ライカは酒を口に含む。

「昔話からしよう」

 そして結論を出したかのように、フラントは顔を上げた。


 フラントが頭の中で散らばった情報を集めてから言葉にする。ライカは、空を眺めながらそれを聞く。

 心はもう、いつものように凪いでいる。

「百年前。戦争が連続して起こっていた頃に、研究者として名のあった当時のメーアバウムの当主がこの土地の調査と開拓を命じられた」

 自分の家の家史の始まりと言っていい。知らない訳が無い。

「その移住よりも遥か前、帝国時代の大昔。この土地は栄えていたようだが『大崩壊』直後の戦乱によって魔法汚染を受けて荒廃、人が住まなくなった」

 魔法汚染。今でも各地の古戦場に少なからず残り、住民に様々な形で被害を及ぼすものだ。

「それが『死者の病』の始まり、でしょ。簡単な事は聞かなくていいよ」

 酒を飲み、ライカは次の話を催促する。誰でも知っている伝承など、今は求めていない。

 そんな彼女を、まあ聞きなさいとフラントは窘める。

「移住当時、この国はメイディオスの山向こう、シラクスとの戦線の膠着状態を打開したがっていたし、南方諸国との交易にも優位性が欲しかった。そのために、国内外の有用そうな魔法や伝承を片っ端から漁っていたそうだ」

 知っている。いつか、その膨大な量の調査から大衆の目を惹きそうなものばかりを抜き出した低俗な本を読んだ事がある。大仰に誇張された見出しがいくつも並び、わざと尾鰭を付けた与太話がそれに続く。

 どれも荒唐無稽ではあったが、他所の土地の人間からすれば『死者が起きる病』だって充分にその与太話のうちに入るものだろう。

「そんな中央政府が掘り起こしたもののうち一つが、この地の魔法汚染を受けた人々の変容を記した文書だった。死体が蘇る土地でのみ発生する、知性と引き換えに身体が増強される奇怪な病。そんなものに彼らは兵器的価値を見出した」

 戦争が生む狂気だ。藁にもすがる思いで伝承を漁った軍人や科学者達の苦悩は、想像するに余り有る。

「その頃の医学は今よりもずっと原始的だ。研究のために必要なのは、技術や機材よりも症例、検体の方だった」

 医学のみならず、蒸気機関に端を発する機械化と、それに伴う技術革新はこの百年間で凄まじいものになった。それ故に当然、植民当時の医療技術など今の医学者達からすればまるで子供騙しのようなものだ。

「だから、ここに人を集めたんだね。実験体として。それがこの町の本当の始まりだったんだ」

 ライカがそれを口にすると、フラントは黙って頷いた。

 科学として体系立った知識としてではなく、ただ積み重ねた経験としての医学。人体での反応を何度も試し、その結果を集積した産物だ。それは今のライカが扱う薬草学にも通ずる。

「無論、その事は公にしない。あくまで民衆は開拓のためにこの地を訪れ、医療と称して知らず知らず、実験を受けていた」

 フラントは無感動に話す。もっと早く伝えるべきだった二人の祖先の業を。

 ようやく、腑に落ちた。不正や嘘を何よりも嫌った父が、『死体』に関する殆ど全てを隠した理由が。こんなもの、公開出来る訳が無い。

「それを変えるため、カール様は若い頃からあれこれと試していた。メイディオスへ最新の医療や技術を学びに行き、ポーレではそれの導入のための資金集めに奔走する。晩年、あの方は私に言ったよ。『父よりも遥かに研究は進んだ。後は子供達がそれを受け入れてくれるかだ』と」

「今更、受け入れるも何も無いのに」

 そんな事、言われるまでも無い。ライカの身体はとっくに、父の手によって運命を受け入れさせられていた。脈打つ血が、その証左であると主張する。

「覚えてるよ。お父様が私に打ってた注射の事。何度もあそこに連れて行かれた。本当に、嫌だった」

 家の近くに隠された坑道跡に入って暗い道を進み、その先の壮麗な地下墓地の中に、父と兄が使う研究室があった。

 幼い頃、定期的にそこに連れて行かれる日が訪れた。今のライカにとっては、『あの日』の次に思い出したくない痛みの記憶。

「私達の祖先が実験の果てに得た分量で薄め、弱毒化させた『穢れた獣』や『死体』の血液だ。あれを何度も繰り返す事で、不可視の病に打ち勝つ力が得られる」

「それが、私の血なんだ」

 一度罹った病に二度は罹らない事がある。一般に『獲得免疫』と表される概念。それを利用した実験過程は概ね把握していた。それ故に、自分の汚れた身体の事を他人に教える事は決して無かった。

 ライカは黒く長い袖に隠れた右腕を見つめる。何度も痛みに泣いた。何度も不調に苦しんだ。その果てに得たのが、彼女の武器。あの家が残した最後の遺産。

「研究を続ける上で、彼はもう一つ大きな秘密を隠していた」

 昔話に区切りを付け、フラントはまた別の話を切り出した。

「未知の病原体。主に野生動物や死体に住み着き、増殖しているであろうそれらは、その死体を埋葬したとて消える訳では無い。それらは土壌の中である程度生き残って草木に吸われ、川に流れ、人々の体にたどり着く」

「知ってる。それでも私達は、今までと変わらない埋葬を続けた」

 これは、自分の研究でも最近分かった事だ。ライカが教えられて行っていた埋葬は、病の抑制には繋がっても根絶には繋がらない。

「この地に蔓延する風土病のようなものである多種多様な癌は、それらによる弊害なのだと言う事も、我々は突き止めた」

「それを抑えるには、火葬が最も都合が良いはず。でも、お父様はそれをやらなかった」

 炎に打ち勝てる生物など居ない。それは、おおよそどの病原体についても同じだ。それをやらない手は無い筈なのに、何故そうしなかったのか。

「調査対象が減ってしまう。研究が滞ってしまうからだ。無論、症状の進行した本当にまずい遺体は秘密裏に焼却していたが」

 疑問を口に出すより先に、フラントは答える。次に何を聞くのか、覗き見られているかのようだ。

「この環境を失えば、ヴィクセン様と、貴女と、その後の世代が謎を解く手立てを失ってしまうからだと」

 致命的な損害を出す事無く病を制御下に置く。ヴィクセンも含めた彼ら三人の研究者は領民の命より、血族の使命、子供達が得るべき栄誉と利益を選んだのだ。少しずつ、フラントの口を借りながら頭の中の仮説が形になる。

 父にとっての『正しさ』とは何だったのだろうか。今のライカには分からない。


「それから、これが最後になる。あの家が襲われる前、貴女が生まれる前からある事を言いつけられていた」

「何?」

 残りの聞くべきは、地下研究室への入り口だ。それ以外の情報があるのだろうか。

「もしも後継者が育つ前に彼が死ぬか、あるいは帰らない事があれば、あの研究室への入り口は全て塞がなければならない、と」

 なるほど、流石は自慢の父だ。後始末まで抜かりがない。

「道理で。あの後私が探しても見つからなかったんだ」

 あの家付近の森一帯は二、三年前に独自に調査をした事がある。記憶がさほど薄れていない頃であるにも関わらず入り口が発見出来なかったのはそう言う事か。

「あの事件の直後、私は言われた通りにした。普段使っていた出入り口は爆破して埋めた。その時に長い獣のような毛を見つけ、私は悟ったよ。あの方はあそこで実験を続けるつもりなのだと」

 ライカが予想していた通り、父はあの地下墓地の研究室を住処として選んでいたようだ。

「まだ、別の入り口は残ってるって前に言ってたよね?」

「ええ」

「教えて」

「それを教えて貴女が死んでしまえば、私はここに眠る孫達に顔向け出来ない」

 ここまで話しておいて、今更尻込みするような事でも無い。

「あれは、家族の仇だ。あの子達の仇だ。あれを殺さないと、今の私の気が済まない」

「だが、カール様なのだろう?」

 変わってしまった主を、ただそっとしておきたいというフラントの意思が見える。そうであるがために、誰にも言わずに彼を封印したのだ。

「もうあれは父様じゃない。あの人の名誉を穢す化け物だ。絶対に殺してやる」

 言葉を被せるように、ライカは強く言い放つ。そうだ。そうしなければ彼女の心は晴れない。気が済まない。ようやく見えた尻尾を見失う訳には行かない。

「それに、なんらかの理由で封印が破られている以上はもう、悠長な事を言っていられない」

 果たすべきを果たさねばならない。何を犠牲にしてでも。

 フラントが目を合わせてくる。人生に疲れ切った老人の目が、酷く哀れに見えた。

「森の中に、城址がある。そこから通じる穴だ。あそこだけは入り口に錠を掛け、上から石と土を被せて見えなくした」

 観念し、とうとうその情報を吐いてくれた。その途端、ライカは頭の中で地図を描き起こす。

 ここから北東に二、三時間歩いた所にある城砦跡。湖の北端に流れ込む川と面する辺りだ。そこまで広がる坑道となると、単に採掘だけでなく軍事的価値も高かったのだろう。

「封印はしたとしても、中に入る手段は確保しておきたかった?」

「そうだ。その結果が今回の騒ぎならば、まずい事をした」

「別に良いんじゃないかな。お陰で、私だけが禍根を断ちに行ける」

 それで死人が出ようが、知った事ではない。仮に死ぬのがライカ自身だとしても。


「貴女が知るべきは全て話した。後は、貴女があの研究をどうするのか。好きにしなさい。望むなら、残り少ない人生だが私も手伝おう」

 そう言うと、彼は強く咳き込んだ。慌てて近寄ろうとするライカを右手で静止する。

「少し、話をし過ぎた。あまり使わん喉が痛む」

 ライカはそっと酒瓶を返す。中身はもう一口程しか残っていない。フラントはそれを一気に飲み込んだ。

 そして、ライカは立ち上がる。想定はしていたが長話になった。早く着替えて眠りたい。

 別れ際、何かを思い出したようにフラントは声を上げた。

「そうだ、持たせておきたい物がある」

 ライカは振り返り、まだ墓に身を預けている彼を見る。

「墓地の倉庫、奥の棚二段目の箱に、カール様があの場所を埋めるために用意してくれていた爆薬の残りがある」

 墓の手入れのための道具が置かれた倉庫。そこにある潰れそうな木箱には覚えがある。危険物をそんな場所に置くなと、ライカは心の内でぼやく。

「あの箱か。湿気ってたりしない?」

「分からん、七年前は使えた。中身が固まっていたらほぐしてやればいい」

 杜撰な管理と、曖昧な答えにライカは力無く笑う。

「朝起きて、覚えてたら持っていくよ」

 そう言って手を振った。

「またそこで寝ないでね。次、それをやったら本当に死んじゃうかも知れないから」

 今の彼の歳になって野外で寝れば、最悪凍死、良くて肺をやってしまう。

 歩いてゆく彼女に、フラントもまた手を振り返した。

「死ぬんじゃないぞ。死んだら、それで終いなんだから」

 背後から聞こえた言葉を、ライカは無言で受け止めた。

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