フィードを家から追い出してから数時間後。日が沈み始め、人々が家に帰る時間。町は普段よりやけに騒がしい。そんな中、ライカはいつもと同じ黒い服を纏ってとある民家を訪れた。

 長年敷かれて食べこぼしやタバコのヤニが染み付いたテーブルクロスの上に肘を置き、対面に座る女性の話を聞く。

「では、息子さんが向かったのは北の森で間違い無さそうですか」

 フィードから聞いた情報の通り、怪物を見たというフロエの息子、ドーラに話を聞きに来た。

 しかし聞けば彼は昨日の夜から弟や他の家の子供を伴って出て、そのまま帰っていないらしい。

 そのために単なる情報収集のつもりが、余計な相談を受ける羽目になっていた。

 毎度毎度、あの詰所は情報が遅い。手続主義的と言うか何と言うか。フィードのみの責任では無いだろうが、役人気取りの兵士達は頼りにならない。

 女性はフロエの妻、ドーラの母である。白髪混じりの三十代半ばで、一年ほど前の少しの期間に腹の不調を診てやった事がある。

「ええ。どこかで遊んで夜遅くに帰る事は今までもあったのですが、夜を跨いで帰ってこないのは初めてで」

 薄暗がりの中で眉を落とし、こちらに縋るような視線を向けている。

「普段は何処で遊んでいるのかとか、分かりませんか?」

「あまり親と喋ってくれない子達で、よく分からないんです。北の森と言うのも、よその家のお母さんから伝え聞いただけで」

「他の子供は誰が帰っていないか分かりますか?」

「私が聞いたのはモーレスさんとこの子と、デンさんの子。ナギ婆さんの孫もです」

 この家の子供を合わせて五人が行方不明。皆十三から十五歳程の同世代の少年で、狭い町で暇と好奇心を持て余していただろう。

 そしてこれだけの数の子供が急に居なくなれば当然、小さい町は大騒ぎになっていた。

「やはり、また『怪物』を探しに行ったのでしょうかね」

「そうだと思います。夫が今朝気付いたのですが、作業用の鉈が一本無くなっていて」

「ああ、退治に向かったと」

「かも知れません。あの子達は少し、はしゃぎ過ぎるきらいがあるので……」

 母親は顔を押さえて涙を拭う。いい加減その大仰な振る舞いに嫌気が差してきた。

 近隣ではいたずらや盗みなどの行為で有名な子供達だ。はしゃぐと言うよりはもはや悪童と言っていい。

 ここで、後ろのソファに腰掛けて暖炉に当たっていたフロエが口を開く。

「北の森っていうと、どうせメーアバウムの屋敷だろ。あんた、あれからずっとほったらかしてるらしいじゃないか」

 それまでは無言で網などの漁具を補修していたが、何やら口を挟みたくなったらしい。

 ぼやきながら彼は、紙に巻いたタバコを燻らせる。窓を閉めた室内で遠慮なく吸われると、臭気と煙が鬱陶しくて仕方がない。

「あんなのがあるから、子供の遊び場になっているんじゃないのか」

 敵意や悪意を隠さない、不遜な態度でライカを詰める。

「私一人であの家を管理するのは無理ですよ。なにより、あの家の立地は不便過ぎる」

 何を思ってあの場所に建てられたのかは分からないが、町の中心部からだと今のライカの足でも四十分は掛かる。

「雪で屋根なんか抜けて柱は腐ってるだろうに。あそこで子供が怪我したらどうするつもりなんだ?」

「知りませんよ。入り口もちゃんと閉めてますし」

「あんたの家だぞ」

「父の家です。私のじゃない」

 感情無くライカは反論する。町の責任者でも何でも無い彼女にとって、あの家は過ぎたものだ。

「あんたがそうやってお医者さんごっこだの探偵さんごっこばっかりでふらふらしているとね、困るんですよ。中央から来た衛兵なんかも役に立たんし」

 徐々にフロエの言葉に熱が入ってくる。黄色く不揃いな彼の歯を見ながら、彼も遠からず病に倒れるなと、ライカはぼんやり考える。

 どうやら彼は、急に無くなったメーアバウムの家や、使えない衛兵連中へ溜まった鬱憤をこの場にいるライカに向けようとしているらしい。

「今の私に出来るのは死者の埋葬と処理だけ。それ以上は求めないで下さい」

 こちらの知りたい事を無視して、関係の無い話を捲し立てて来る。彼の話し方もまた、『嫌な大人』のそれだ。

「死体の処分ったって、ちゃんと出来ているんです? カール様の頃は病人なんて居なかったぞ」

 実際、父が死者の鎮魂を務めていた頃に癌で死ぬ者は殆ど無かった。先日のエレオの件も含め、町に病人が増えたのはライカの力不足もあるかも知れない。

「私がやってなかった頃は、もっと多かった」

 それでも父が居なくなってからの空白の二年間、町の至る所で床に臥す者があった頃よりかはずっとマシだ。

 流石にフロエもそれは承知しているからか、それ以上は言及しなかった。

「ああ言えばこう言う」

 代わりに、捨て台詞を一つ吐く。

「お父さん、やめて下さい。折角ドーラやレージィを探してもらえるんだから」

 妻がそれを諫める。頼りない目元には不安と、彼への怯えが滲んでいる。

「あれらだってもういい歳だぞ。明日にでもなれば帰ってくる。お前はいちいち喧しいんだよ」

 フロエはライカに向けての小言が煮え切らなかったせいか、代わりに妻に強い口調で当たる。そして、来客の前でつまらない言い合いが始まる。

 よその家族関係ほど見ていてつまらないものはそうそうない。こういった場は、さっさと去るに限る。

「事情は分かりました。後はこちらで探ります」

 ライカは女性に軽く頭を下げる。

 ここでフロエと意見をぶつけ合って、意思疎通を図るつもりなど毛頭ない。ああいう大人が萎縮して謙虚に話を聞くようになるのは、自分が病気になった時か、近しい誰かが死んだ時だけなのを彼女は知っているからだ。

 席を立って玄関に向かっていると、ノックと共に聞き覚えのある野太い声がした。

「すいません、衛兵のフィードです。息子さん達について話を伺いに来ました」

 あ、とライカの口から声が出る。なんて間の悪い。

 フロエの妻がこちらへ駆けてくる。それを確認してライカが扉を開けるとやはり、犬耳の大男が立っていた。

「久しぶり。よく眠れた?」

 ライカは優しく、皮肉を込めて話しかける。

 突然の遭遇にフィードは多少驚いたようだが、すぐに気を取り直して返答する。

「お陰さんでな。その上、起きたらこの騒ぎと来た」

 とはいえ声にはいつもの張りがない。おそらく寝起き直後だろう。

 もう二、三時間は寝ていても良い量の薬草を使ったと思うが、彼にはそれ程は効かなかったらしい。

 起きてすぐこんな仕事に駆り出される様子には同情する。あの兵隊の中でまともに働くのが彼だけとなると、ライカと遭遇する頻度も上がるのだろう。つくづく妙な縁を感じてしまう。

「上にはもう通してある。詰所に行ってみると良い。捜索に協力するとでも言えば応対してくれると思う」

「私の仕事はあくまで死者とか怪物の駆除。迷子探しなんて出来ないよ」

 フロエの妻が来るまでの僅かな時間、二人は少し話す。

「そう言うな。どうせ目的地は変わらないだろう」

 フィードは、言い淀むライカの頭を撫でつける。大きく、無骨な腕が視界を覆う。何故だか、その手を払う気にはなれなかった。


 家主に迎え入れられたフィードを見送り、入れ替わりに外へ出る。兵隊の中では珍しく働き者の彼は、住人からの信頼もそれなりに厚い。フロエまでもが先程までの態度を一変させて玄関まで来ていた。

「さて」

 一人になり、ため息をついて今後の方針を組み立てる。詰所で年寄り達と話をした後、銃弾を作って夜を避けて明朝に北の森を捜索する。

 今朝の葬儀も含め、珍しく忙しい日になりそうだ。

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