五
二人は墓地の敷地内にある、ライカの住居を兼ねた工房へと場所を移す。
平家建ての屋内に入ると、暖炉や手洗い場などを除いた部分の壁は残らず本棚で埋まり、床には鉢に植ったハーブが無造作に置かれ、工作道具が木屑に埋もれている。
食卓であったはずのテーブルは作業机の体を成しており、上にはインクだの火薬だの飲み薬だのといった小瓶が散乱している。そして塗装の剥げた顕微鏡や弾丸を作るためのリローダーの隙間を縫うように、医学書とノートが層を作っていた。
相変わらずの彼女の『工房』の光景に、フィードの口からは気の抜けるような笑いが漏れた。
「前にここへ来たの、いつだったろうな」
「冬が二回過ぎたのは覚えてる」
彼が尋ねると、ライカが投げやりに答えた。
あの頃のライカは、まだ今よりもう少しばかり可愛げがあったとフィードは記憶している。というよりは、知らない何かに怯えて息を潜める小動物のようだったという印象だ。
そんな彼女の今はというと、おもむろに炊事場の蛇口を開けてビーカーに水を汲み、実験用のランプに火を灯してかけていた。
その後、机の上の小袋から乾燥させた葉をつまみ上げてビーカーの中に放り込む。そして、フィードには机の上に転がっていたコップを手渡した。
「沸騰したら火消して飲んでいいよ」
そう言うと、ライカは机を離れようとする。
「客を置いてどこかに行くのかよ」
「お風呂入ってくる。死体を触った後は汚いから」
言い残し、彼女はあくびをしながら玄関とは別の扉へと消えていく。
寝室と作業場の他に炊事場や風呂、便所といった水場も揃ったこの家は、一人で住むには十分な楽園なのだろう。
使える水が多い一方で衛生面でも気を抜けないこの土地では、他の最新技術の何よりも先に揚水ポンプと鉄製パイプを使った上下水道が整えられた。また、泥炭地であるために燃料にもさして困らない。
これらは学問の都メイディオスで学んだ彼女の父が、この土地へ持ち込んだものである。
一人残されたフィードは、鼻につくハーブの強い香りに若干口元を引き攣らせて机の上を眺める。
無秩序、といった言葉を当てはめてやりたくなる。針の付いた注射器なんかが転がっていてもおかしくない状態だ。
ふと視界に映った研究用ノートの束をおっかなびっくり引っぱり上げる。その際に食卓の端に無理矢理取り付けられた万力を見つけ、そのあまりの不恰好さに苦々しく首を振る。
拾い上げたノートの上では、のたくるミミズのように乱雑な数字と記号が踊る。法律と統治の分野の出身である彼には、異郷の言語のような数式と化学式の群れは全く頭に入ってこなかった。
程なくして水は沸騰した。手持ち無沙汰なフィードはひとまずコップへハーブティーを注ぎ、近くの本棚から適当な本を取り出した。タイトルは、『大崩壊以降の人の分化』。
椅子に座ってコップを傾け、一口含む。何処かで嗅いだ匂いがする。いつもの彼女が纏う、甘い香りだ。
半刻程経っただろうか。フィードが本を読み進めていると、純白の部屋着に着替えたライカが身体から湯気を発しながら戻ってくる。長い黒髪は薄い胸の前で一房に括られ、普段の黒装束とはまた違う空気を漂わせている。
そんなライカを一目見て、フィードの目が険しくなる。
「お前、家に男を迎え入れておいてその格好は駄目だろう」
そう言うとフィードは本に目を戻し、彼女を見ようとしなくなる。
「ごめん。そういうの、興味無くて」
ライカもまたフィードに視線を向けない。淡々と、棚から瓶を掴んでコルクを抜き、机の上にあったグラスに注ぐ。
音を立てて落ちる液体。フィードの鋭敏な鼻がアルコールの匂いを捉え、思わず小言が出る。
「客を迎え入れておいて、酒を飲むんじゃない」
蒸留酒の香りは、昼間から嗅ぐにはいささか刺激が強い。ポーレに居た頃に歩いた、労働者のための飲み屋街を思い起こす。
少しの間が空く。そして、グラスの底が鳴る小気味良い音と共に、ライカが小さく息をつく音がした。
「消毒って事にしておいて」
彼女の締まりのない声が聞こえたと思うと、また一杯分の液体を注ぐ音が聞こえた。強い酒のようだが、彼女はそれを一息で飲み干したようだ。
こんな彼女の気儘な行動にいちいち目くじらを立てていては、話は進まない。それに酔いで口を滑らせてくれる方が、秘密を探りに来たフィードにとっては有難い。
これ以上糾弾はせず、フィードは本を閉じて彼女に向き直る。
「いつもと雰囲気が変わるな」
ライカの着る白のゆったりとしたチュニックは、いつもの黒コートと似たような緩く広がるシルエットを形作っている。
しかし所々に女性らしい線を浮かばせる白い布地を直視出来ず、フィードは目を泳がせる。彼の白い尻尾が忙しなく揺れる。
逃げ込むように、ぬるくなったハーブティーを啜る。熱いものが得意でない彼の舌は、その柔らかな味わいを受け入れた。
「ほんとは白が好きなんだ」
ぽつりと、ライカが呟いた。
「白はね。白いままの時は病気を寄せ付けないんだ。病気を呼ぶのは人の死そのものじゃなくて、死から生まれる物理的な汚れだから」
なんとはなしに、フィードは学校で学んだ事柄を思い出す。土着の俗信などには、人々が経験則的に学んだ汚れの忌避が盛り込まれていたりもする。世界に広く存在する死体を避ける文化的風習も、こうした流れから来ているという。
「えらく即物的な理由だな。俺はその色、似合ってると思うが」
「そう、ありがと」
普通の女なら少しぐらいは靡く言葉だと思ったが、彼女にはてんで通用しない。
その証拠に、何の感慨もなくライカは早速本題について切り出す。
「死体が起き上がる事について、どこまで知ってる?」
知識の共有に当たって最初に必要な、その知識に対する理解度のすり合わせだ。
「ほぼ知らないと言っていい。この街に来る前から俺自身で調査はしていたが中央は勿論、こっちですらまともな情報は無かった」
百数十年前に入植した人々の子孫である町民らも、彼らの生活を脅かす存在については何も知らない。
もちろん、彼はメーアバウムの空き家に残った書物もくまなく調べさせた。しかし、残っていたものは殆ど一般的な医学研究の範疇だったという。重要な資料などは別のどこかに隠されている可能性があると、詰所のアイゼン医師は憤慨していた。
「分かったのは、あいつらを放っておくと良くない事になるということくらいか」
「そう。沼地に死体が増えると、町には病人が増える。それがまた動く死体に成り代わる事もある」
戦争や災害など大量の人が死んだ土地では、天候の不安定化や生物の凶暴化、果ては時間が歪むなどの魔法汚染が発生しやすい。大きな古戦場跡でもあるこの土地は、まさにその条件に当てはまる。
「まず今までのこの土地でされてきた理解を模式的に、ざっくり説明するね」
ライカがもう一つある椅子に目を付け、上に積まれた本を机に移す。そしてそれを引きずってフィードに寄せ、机上をまさぐって白紙の紙と鉛筆を手に取る。
無遠慮に隣へと座った彼女からはハーブではなく、石鹸の香りがする。
「全ての動物には魂がある。死ぬとこれが体から離れ、意識が失われる」
彼女が紙の上で鉛筆を走らせると、気の抜けそうな四つ足の獣が描き出される。そして、その上から大きくバツの印。
「ちゃんと土に還れなかった魂は余計な魂と混ざり合いながら漂い、どうにかして身体に戻ろうとする。こうして歪に甦ったり、魂が混濁してしまった生物が、歩く死体や汚染動物になる。で、水場にそういうものが溜まると、町の人の健康状態にも影響が出て来るって考えられていた」
これが、動く死者を放っておけない理由。七年前の彼女の父の失踪、その直後のメーアバウム邸での虐殺からライカが死者狩りを再開させるまでの二年ほどの間に町では癌患者が増加した。記録によれば八人が逝き、発症から後年まで耐えた四人がその後を追った。
「そこから、死体は人を羨み、身体を乗っ取っては入れ物を増やそうとまた人を襲う。ここまでが、私の家族が導いてきた一応の仮定」
生者を妬み、仲間を増やす。なるほどやはり本質的には、俗に言う幽霊と似たようなものだったか。
仲間を増やすと言えばもう一つ重要なことがある。それもフィードは提示してみる。
「後は、あいつらに傷をつけられると、そこから腐ってあいつらの仲間入りをすることだな」
歩く死体の重要な特徴。それは、彼らにかすり傷一つ負わされただけで死に至り、その者自身がまた『起き上がる』という事。
「そう、多分この辺りの兵隊ならみんな知ってるよね」
「ああ。あの事件当時、お前の家に向かった兵士が負傷を隠して帰還、そのあと詰所内で『変異』したそうだな」
歩く死体の脅威と恐怖。フィードは七年前の詰所での出来事を実際に体験した訳ではない。だが、古株の兵士たちは酒に酔うと時折、大仰な身振り手振りで語ってくれる。
「あの事件があったからこそ、上は歩く死体の駆除に人を出したがらないし、下も怖くて出たがらない」
ライカが一人で死体の駆除に向かう羽目になる要因の半分だ。
「だからって、子供だった私にあの仕事を押し付けだしたやつはどうしようもない無能だと思うけど」
「言うな。ここだけの話、うちのあの爺さんも色々あって、出世街道から外れた可哀想な人なんだ」
話をひとつ区切り、今度はフィードの方から尋ねてみる。
「さっき、『一応の仮定』と言ったな。今はどうだ。何か分かったのか」
そうだね、と彼女は考え込む。そして、一つの例が出てくる。
「歩く死体の肉を浸けた水を与えたネズミは変異する。その水は顕微鏡で見ても、これと言った病原体は見つからなかった。なのに、紙で濾し取ってまた別のネズミに与えても変異した」
また、やる気のない絵がさらさらと描き出される。尾の長いネズミだ。
「この水自体に何か私の知らない術理から来る異常があるのか。それとも、この水の中にある顕微鏡ですら見えない小さな世界に病原体がいるのか。私は後者だと思う」
これまでの話の内容から、ここからが情報の核心と思われるが、ライカは全く抑揚のない声のまま語り続ける。
彼女は研究者としては既に一流でも、講師としては今ひとつなようだ。
「濾過性病原体。綿や紙なんかのフィルターすら通り抜ける、細菌なんかよりももっと小さい病原体の可能性がメイディオスの科学者から示され始めた。これが、生物の身体に入り込んで悪さをしている可能性がある」
ここに来て、耳慣れない言葉が出た。そして、フィードにとある疑問が浮かぶ。
「どこでそんな新しい情報を仕入れているんだ」
「向こうに伝手があってね。今でも時々、荷物に混ぜて色んな本を送って貰ってる」
独自に最新知識へ至る手段の確保も行なっていたライカの行動力に舌を巻く。同時に、メイディオスからこの町への運輸にかかる税金を無視されていた事をさらりと暴露され、役所根性が頭をもたげかける。
「私は、この微かな世界のどこかに、『魂』の秘密があるんだと思ってる」
「魂、か」
一旦、税金の話を頭の奥へ引っ込める。なるほど、と、フィードは相槌を打つ。より専門的な話を引き出す事なら、今日は諦めている。理解できる範疇のものを覚えて、噛み砕いてから帰りたい。
「じゃあやっぱりお前も『歩く死体』の事は、なんらかの病気の感染者だと位置付けているんだな」
「そういうこと。これを実際に目で見て細かく調べるには、顕微鏡の進化を待つしかないかも知れないけど」
そして、ライカはフィードの反応を見る事無く思いついた事柄をぽつりぽつりと話し続ける。
「あとはこれも。ごく稀に、動く死体は更に変異する。生存のため、より良い獣の形にね」
彼女の仇敵、二足歩行の獣を想起する。過去に目撃情報は上がっているが、その恐ろしいまでの膂力以外の詳しい事は何も分かっていない、歩く死者ともまた異なる存在だ。
「死体が起き上がって、生存競争のために成長して変化するか。でたらめもいいところだな」
純粋な原種の生物が、より強い生物の形質を真似て変質する。この現象に関しては大崩壊の最中に現れたという、フィードのような『混じった』人間も同様だ。
「そう。そういうでたらめなルールが『魔法』ってやつなんだ」
手元に置いた本、『大崩壊以降の人の分化』に目を落とす。
歴史上突然現れた、一見無秩序に見える秩序ある事象の群れ。それこそが、今一般に言われる魔法の正体。その恩恵も弊害も受けて人々の容姿は変容し、社会は再構築されてきた。
「異物と混じり合うのは肉体としての存在が先か、魂としての存在が先か、ねえ」
気が遠くなりそうだ。純粋な人間ではなくなった家系に生まれたフィードにとっては、まさしく自分のルーツにすら迫るような壮大な物語になる。
手元の本の内容を思い返してみる。
『変容と停滞を恐れよ、然してその二つを受け入れよ』
曖昧な記憶を頼りにその記述のあった場所を探してみる。まだあまり読み進めていない分、労せずそのページが見つかった。
「この本、借りて行っていいか」
「いいよ。返してくれるなら」
二つ返事で承諾される。と言う事は、この本は死者の研究にはあまり寄与し得ないという事だろう。それでも構わない。
少し、時間が経つ。話すべき事以外は話さないライカと、得た知識を自分なりに分類、分析してメモを作るフィードがそこにいる。
書類仕事は得意な方であるが、慣れない分野の話であるためか少し手間取った。それがようやく終わり、フィードはペンを置いて椅子にもたれかかり伸びをする。そして、天井を見上げて呟く。
「綺麗なものは、綺麗なままではいられない。俺もお前も、いつの間にか泥まみれの大人だな」
気がつけば、ライカの酒瓶も、フィードのハーブティーも空だ。葉から滲み出た甘みが、知恵熱でほてった頭を心地良く揺らしている。
互いの無言を破ったフィードは話を続ける。
「俺がこっちに来たのがもう三年前。その頃、お前は止まっていた狩人稼業を再開させていた。仕事に行って詰所に戻ってくる度に、いつも泣いていたな」
何やら思考がぼやけている。そこまで難しい話はしていなかった筈だが、どうにも考えがまとまらなくなってきた。自分でも出てくる言葉が制御できていない。
「もう、あの頃の私は何処にも居ないよ」
「ああ、今のお前は強くなった」
この短時間で酒瓶一つ飲み干した筈のライカの顔は、いつもと変わらない無表情。だが予測していなかった話の流れに、眠たげだった目が少し丸くなる。
「俺はな。お前と一緒になら、ポーレへ帰っても良いと思ってる」
「急に何」
怪訝な顔で聞き返してくる。フィード自身にもよく分からないまま、言葉が溢れてくる。
「実家から手紙が来てな。俺も今年で二十三だ。いい加減に嫁を見つけて戻って来い。でなきゃこっちで見繕う、と」
「へえ」
ライカはあまり興味なさそうだ。それでも、フィードは続ける。
「都会の良いとこに生まれて花よ蝶よと育った女には、興味が湧かなかった」
学生時分、ポーレに住む良家の息女は飽きるほど見てきた。だがそのどれもが彼にとってしっくりくる人間では無かった。
「だがここに来て、お前と出会った。お前のようなちゃんと自立した奴となら、一緒にやっていけると思ったんだ」
「自立って、これが?」
資料と器具に埋もれた机と本棚、酒や薬の空き瓶に囲まれた部屋を見回したライカが、自虐的に鼻で笑う。
「生活面じゃない。もっとこう、他人に流されない個というか、我があるというか」
苦笑しつつ、フィードは付け加える。
出会った頃は見る度にいつも泣いていて、側から見れば吹けば飛ぶような儚さを持っていた令嬢が、今や一人の大人としてそこにいる。
やれる事は一人でやってしまう、そんな矜持を持ったライカが、フィードにとっては愛おしくなっていた。その危うさを支えてやる者、変えてやる者が必要だと感じた。
「俺は、お前と共に生きたい。どうだろうか」
まだ若い彼の、精一杯の告白。顔はもちろん、薄い犬耳までもが熱を持ち、妙な気分になる。
ライカは少し考えて、口を開く。
「そんなに立派な人間じゃないよ、私」
今ひとつ手応えの無い反応。しくじってしまったか。
揺れる脳内には冷静な自分がいて、必死に状況を整理しようとしている。そしてライカの言葉を待つ。
「うん。気乗りはしないけど、一応考えておく。でも、勝手に近寄って来ておいて、勝手に失望したりしないでね」
彼女の矜持。一歩間違えば強迫観念とも取れるその誇りを、踏みにじるような真似をされて欲しくないのだろう。
「そんな事をするなら、私は貴方が死んでも許さない」
淡白に言うライカだが、その目に嘘偽りを許すような寛容さはない。彼女のねじ曲がった性根が、執着と化してこちらに向けられる様は想像したくない。まずい事を喋ったかもしれないと、フィードは少し後悔した。
また、時間が経った。意識が飛んだかのような気分だ。フィードは先程から感じていた体の違和感、その原因を探し、ようやく一つの結論を導き出した。
「ところで、さっきからやけに眠いんだが。このハーブティー、さてはお前、何か仕込んだな?」
目頭を押さえ、瞬きを数回する。それでも眠気は取れず、全身はのぼせたように温かく、瞼は重くのしかかる。
「あの葉は血行を整えてくれるんだ。薄めに入れると興奮を治めたり落ち着かせたり出来る。それを濃くすると、睡眠導入に凄く便利。私が普段寝るのは明るい昼間だからね。それ飲んで無理矢理寝るんだ」
「馬鹿野郎」
真相を聞いたフィードが力無く怒る。
「いつも寝る間も惜しんで役所仕事してるでしょ。私からのささやかな労いだよ」
「仕事はまあ、そうなんだがな。お前な」
確かに。人手も士気も無い職場の中では唯一と言ってもいい働き者であるフィードだが、この眠気で今聞いた話を忘れてしまっては元も子もない。頭の中で、今日得た言葉を手放すまいと必死に繋ぎ止めようとする。
「それに眠くなったら、堅物の貴方でも色々口を滑らせてくれると思って」
油断も隙もない。当初の目論みとは裏腹に、手玉に取られていたのは彼の方だったらしい。
「まあ、滑った結果があの求婚だった訳だけど」
溶けゆく意識の中、フィードには赤面してみせる余裕もない。いよいよ座ったまま、舟を漕ぎ始める。
「ベッドは貸さないよ。今から私が寝るから」
そんな彼の様子を見てからかうライカ。心なしか、その声ははずんでいる。
「大丈夫だ。今日はもう帰る」
そう言うと、フィードは気力を振り絞り、本を握って席を立つ。
「怪物の居場所だけ、教えてもらっていい?」
疲労困憊の彼に、無慈悲な言葉がいくつも畳みかけられる。そう言えばそうだった。そもそも今日の目的であった情報。ライカはしれっと、当然の権利のように要求してくる。
「湖の東、お前の昔の家より少し行った所にある森だ。詳しい場所は通報しに来たフロエさんとこの子供らと、うちのアイラとハリーが知ってる」
どうにか言葉を絞り出す。立って体を動かせばどうとでもなると思ってはいたが上手くいかない。その道の専門家が出す薬の恐ろしさが身に染みる。
玄関の扉を押し開ける。すると、声がした。
「おやすみ。いい夢見てね」
振り返ると、ぼやける視界の先に珍しい、ライカの笑顔が見えた。悪い冗談か何かだろうか。
他にも聞きたい事は山ほどあったのだが仕方ない。詰所には仕事を残してある。帰るまでに眠気を醒せるのだろうか。こういう時の頼みの綱だった美味くないコーヒーはもう飲めない。
フィードはもつれる両足で、湿気の漂う墓地からどうにか抜け出した。
家からフィードを追い出したライカは、暖炉の横の棚に平積みされた箱付きの本を手に取る。題は、『煮込み料理 一巻』。
埃を払い、箱から中身を引っ張り出す。出てきた紙束に描かれているのは、変形した人間の臓器、腐敗した表皮のスケッチ、使用した薬品の名前、配分などが連なった研究ノート。その制作者は、彼女の父。
偽装が功を奏したか、重要な資料に手をつけられた形跡はない。
本をまた、元の位置に戻す。そして、一人微笑む。
「共に生きたい、だって」
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