七、ポイント・オブ・ノーリターン

 町の上空に侵入しようとした所属不明の固定翼無人機を町が撃墜した。


 残骸を調査した町は、これを襲撃を前提としたモンスターによる情報収集活動の一つと判断して警戒を強めた。


 固定翼無人機が飛んできた方向を中心に複数の無人機による偵察が開始され、町の防衛隊員には非番であっても町から遠く離れないように指示が出された。


 この指示によって飛雄馬は町に帰らなければならなくなったが、シーダーも万一の際には新拠点に立てこもれるように資機材の搬入を急ぐことを決めたため、飛雄馬たちは予定を切り上げて全員で町に戻った。


 新拠点に行けない飛雄馬は車両の整備と資機材の積み込みを数日間頑張って、資機材を満載して新拠点に戻るシーダーの車列を見送った。


 そして、拠点に戻った飛雄馬がミカに移籍すると決めたことをメッセージで伝えると、すぐにミカが拠点にやってきた。


 自動運転のワゴンタクシーで拠点の敷地に入ってきたミカを飛雄馬はガレージの入り口に立って出迎える。


「早かったっすね」

「『やっぱりシーダーに残る』なんて言い出されたら困るもの。乗って」

「書類に署名するだけだったらここで良くないっすか?」


 停車したワゴンタクシーに近付きながら、飛雄馬は横に開いたドアから乗るように促すミカに戸惑った。移籍して商会員になるにあたって署名以外のことが必要になるとは聞いた覚えがなかった。


 でも、ミカは飛雄馬の戸惑いを無視して早く乗るように繰り返した。


「商会の設立に直接関わる書類だから証人がいるの。親方たちを連れてくるより飛雄馬を連れていく方が早いでしょ。待たせてるんだから早く乗って」

「腕をつかまなくてもちゃんと乗るっす」


 飛雄馬はワゴンタクシーから身を乗り出したミカに腕をつかまれて、引きずり込まれるようにワゴンタクシーに乗り込んだ。


 地球の七人乗りワンボックスカーと同じくらいの広さの車内には二つの長イスが向かい合うように設置されていて、ミカは後方の席の奥側に戻っていた。


「早く座って」

「分かってるっす」


 腕を放された飛雄馬がミカのはす向かいに腰を下ろすと、ワゴンタクシーのドアが閉まって発車した。


 ミカは仕事中だったらしく、つなぎの作業服を着ていた。共通通訳機とヘッドマウントディスプレイを兼ねたサングラス以外には特に荷物を持っていなかったから、本当に急いで来たようだ。


 飛雄馬はそこまで信用されていないことに納得がいかなかったものの、シーダーを辞めたくないと粘っていたことは事実だったから、口には出さないで車窓の景色を眺めた。


 走行中の車内は静かで、ミカはヘッドマウントディスプレイを兼ねたサングラスに書類を表示して確認しているようだった。


 飛雄馬もしばらくは車窓の景色を眺めていたが、次第に黙っていることに我慢できなくなった。


「ミカ、証人って親方以外にも誰かいるんすか?」

「私とタケルと仕事で来てた取引先の商会長が一人の三人ね。

 設立時の商会員は幹部になることが多くて町やほかの商会への影響が大きいから、商会員予定者以外にも出資者や第三者の商会長が証人に必要なんだって。

 私も聞かされるまで役所で登記すれば良いくらいに思ってたんだけど、考えてみたらこの町に役所なんてないんだよね」

「言われてみればそうっすね。町長とかもいなかったすよね」

「商工会の議長が近いんじゃない?」

「そんな人いたっすね。縁がないから思い付かなかったっす」

「式典とかであいさつを聞くときくらいしか縁のない人の方が多いからね」


 ミカが飛雄馬の言葉に苦笑した。


 ほかの町では違う制度を採用しているところもあるらしかったが、この町では商工会が町の政府として機能し、各商会が住民や滞在者にサービスを提供していた。


 書類から意識がそれたことで思い出したのか、表情が柔らかくなった気がするミカが話題を変えた。


「それより、署名したあと時間空いてる?」

「夕食までは空いてるけど、どうかしたっすか?」

「今度行く部品回収の護衛についてタケルを含めた三人で打ち合わせしておきたくって」

「構わないけど、打ち合わせが必要なことなんてあったっすか? 町から遠くへ行けなくなって近場の日帰りになったから、ほとんど必要なくなったと思ってたっすけど」

「部品回収は互いに仕事ぶりを見て知り合うことが目的だから、護衛の二人に出番がなかったら目的達成には不十分でしょ。だから、代わりに訓練を入れたいの」

「そういうことなら了解っす。

 オレもどうするのか少し気になってたっす」

「決まりね。

 署名は証人になってくれる取引先の商会長へのあいさつを含めてもそんなにかからないはずだから、打ち合わせが終わるのもそんなに遅くならないと思うけど、もし予想より遅くなることがあったら整備工場で食べてって」

「ありがとうっす。そのときは遠慮しないでいただくっす」


 飛雄馬がミカの申し出に感謝したところで、車窓の整備工場の看板が目に入った。


 ミカに視線を戻すと、ミカも親方たちが待つ整備工場に到着したことに気付いたようだ。


「着いたっすね」

「運賃の精算は私がするから、飛雄馬は先に応接室に行ってて。親方たちはみんないるはずだから」

「了解っす」


 ワゴンタクシーが整備工場の敷地に減速しながら入って止まった。


 両側のドアが同時に開いて飛雄馬が先に降りると、目の前のガレージにいつでも出撃できるように準備を完了したフサリアと、その隣でフサリアよりいくらか背が高くて幅の狭い八輪装甲車が見えた。


 見覚えのない八輪装甲車はシーダーで先生が任されていた八輪装甲車と同じように迫撃砲や各種ドローンを主な装備とした間接火力支援型のようだったが、元になった車両を設計した種族が違うらしくより小型で取り回しが良さそうだった。


 飛雄馬は八輪装甲車のサスペンションや駆動方式が気になって足を止めてしまい、清算を終えてから降りたミカに追いつかれてしまった。


「先に行ってって言ったのに」

「これがタケル、の装甲車っすか?」

「そう。先日届いて整備を終えたばかり」

「間接火力支援型にしたんすね」

「そうだけど、詳しいことはあとでタケル本人に直接聞いて。

 早く行くよ」


 ミカに背中を強めに押されて、飛雄馬はそれ以上八輪装甲車を眺めることをあきらめた。


「タケル」は商会員予定者の一人で、指導役もできるベテランの元傭兵に付けたあだ名だった。元々武器を持って戦う職業の一族だったらしく、名前も武勇に優れた先祖の名前にちなんでいるとのことだったから、ミカが主張するあだ名の付け方に従い、武勇と日本神話の登場人物にあやかったあだ名にした。


 人の名前にもなるあだ名にしたせいで呼び捨てすることに抵抗を感じてしまう難点があったものの、理知的で冷静、責任から逃げないタケルに飛雄馬はすでに信頼を寄せるようになっていた。


 飛雄馬はタケルの装甲車に未練を残しながらミカに急かされて上の階につながるスロープを登り、応接室に到着した。


 ミカが先に扉の前に立ち、共通通訳機を使って中にいる親方に報告する。


「親方、ミカです。飛雄馬を連れてきました」

「入れ」


 親方の返事を受けて妖精が応接室の扉を開けて、飛雄馬はミカに続いて中に入った。


 広い会議室の中央に置かれたテーブルを囲むように、親方、取引先の商会長、タケルが座っている。シーダーのリーダーのように体の大きな種族はいなくても、上司や目上に当たる人たち全員が堅い雰囲気をまとっている様子に飛雄馬は気圧されて緊張した。


「何かありましたか?」

「あとで話す。

 先に飛雄馬の契約をすませてしまおう。二人とも空いている席に座れ」

「分かりました」

「了解っす」


 親方はミカの質問に答えないで座るように促し、飛雄馬は親方の正面、ミカはタケルの隣に座った。


「書類を表示します」


 妖精の声と同時に、日本語に翻訳された、飛雄馬が設立される商会の商会員になる契約書と飛雄馬を設立時の商会員として商会の設立を登記する書類が飛雄馬の目の前のテーブルの上に表示された。


 正面などからわずかにイスがきしむ音が聞こえて、ミカや親方たちの前にも同じようにそれぞれの言語に翻訳された書類が表示されているようだった。


 飛雄馬が書類を確認して顔を上げると、ミカが代表して飛雄馬に説明した。


「最後にもう一度だけ確認するけど、飛雄馬が私たちの設立する商会に設立時の商会員として移籍してくれる意志に変わりはないよね?」

「ないっす」

「それなら目の前の書類の両方に署名して。飛雄馬が署名したら私たちも署名するから」

「了解っす」


 胸ポケットからタッチペンを取り出し、飛雄馬は書類の点滅する枠で強調されている部分に署名した。署名は書いているときからほかの人たちの書類にも表示されるため、この場に直接読める人はいないと思いつつも、緊張していつもよりきれいに書くのに努力が必要だった。


「書けたっす」

「ありがとう。少し待ってて」


 飛雄馬に続いてミカと親方たちが署名した。飛雄馬の目の前の書類に見慣れない文字が一斉に書き込まれていく様子は見ていてとても不思議な気がした。


 全員の署名が終わったことを確認して、親方が契約が成立したことを宣言した。


「終わったな。

 これで飛雄馬が新たに設立される商会に設立時から商会員として移籍する契約が成立した。商会の設立を登記する書類も飛雄馬の署名で全員分そろったから、商会の設立手続きも完了だ。

 ミカは商会長としてがんばれ。飛雄馬は商会員としてミカを支えろ。タケルは二人とほかの商会員たちを頼む。

 本来ならここで飲み物や軽食を振る舞うところだが、今日のところはこれで勘弁してくれ。お披露目では派手に祝わせてもらう」

「おめでとうございます。

 私もお披露目で改めてお祝いさせていただきますが、ミカ商会長を始めとする皆さんとも良い取引ができることを願っています」


 取引先の商会長も飛雄馬とミカたちを略式で祝った。


 ミカが二人からの祝いの言葉を受け、新商会を代表して立ち上がった。


「ありがとうございます。信頼に応えられるよう精一杯がんばります」

「オレもがんばるっす」


 飛雄馬も証人になるために待っていてくれたことを感謝して、飛雄馬とミカたち全員で妖精の案内で退席する取引先の商会長を見送った。


 応接室の扉が閉まって、親方が飛雄馬とミカに向き直った。


「座ってくれ。

 今から話すことはまだ防衛隊でも一部しか知らない情報だ。公表されるまでは秘密で頼む」

「分かりました」

「了解っす」

「二人がここに到着する少し前に、モンスターの偵察をしていたパーティーからモンスターの群れを発見したとの連絡が入った。戦車と自走多連装ロケットを含む三十両以上の群れだ」

「三十両以上!」

「戦車だけじゃなく自走多連装ロケットまで!」


 飛雄馬とミカはそろって目を見開いて大きな声を上げた。


 三十両以上となれば町の防衛隊に参加する車両の総数に匹敵したし、多連装ロケットは一両でも町に大きな被害を与えることが可能だった。


 親方が長い触手の先端でテーブルを叩いて二人に落ち着くように合図をし、妖精に共通通訳機を使って指示を出してテーブルの上に三次元地図を表示させた。


「場所はここだ。

 今のところまだ動き出してはいないが、群れの規模と内容からこの町を襲うことはほぼ確実と思われる」

「距離だけならシーダーが建設中の新拠点の方が近いですが、群れが必要とする物資をまかなえないと判断されて迂回される可能性が高いです」

「一部の車両だけで襲う可能性はないんすか?」

「確かに、一部の車両の分ならまかなえるでしょう。ですが、そのまかなえる分の車両で襲撃が成功するかは話が別です。新拠点の防御施設はかなりできあがっているそうですから、損にしかならないと判断されるはずです」

「それでも、もし襲ったらどうするんすか?」

「無人機で偵察したそうですから、その可能性はまずないと思いますが、もし群れが新拠点を襲ったとしたら、町の防衛隊と挟み撃ちすれば良いでしょう。群れの一部だけで襲ったとすれば、群れの残りと先に戦うことになったとしても各個撃破できます」

「シーダーは大丈夫なんですか? オレが抜けたから五人しかいないんすよ?」

「大丈夫でしょう。シーダーのリーダーは経験豊富ですから心配ありません。万が一何かあったとしても、地下施設に立てこもれば五人でも町の防衛隊が駆けつけるまで問題ないはずです」

「多連装ロケットを撃たれたら避難が間に合わないかもしれないっす」

「その可能性はゼロではありませんが、一番補給が難しいロケット弾を新拠点に撃ち込むとは思えません。

 もしロケット弾が豊富にあるなら、事前に無人機の偵察で分かるはずですから、最初から地下施設に立てこもって戦えば問題ありません」

「それより問題なのは飛雄馬だ」


 親方がタケルと飛雄馬のやりとりに割って入った。


 シーダーの仲間たちのことが心配でタケルに食い下がっていた飛雄馬は気付いていなかったが、親方は二人のやりとりの間ずっと円筒形の胴体の上側の縁に並ぶ短い触手を逆立て、小刻みに胴体を揺らしていた。


「飛雄馬は町よりシーダーが気になるか?」

「そ、それは……」

「怒っているわけでも責めているわけでもない。

 ついさっきまで所属していたパーティーの仲間な訳だし、少人数なことも確かな訳だから、気になって心配するのは当然だ。気にもしない薄情者の方が困る。

 ただ、飛雄馬が持っているフサリアは町の防衛隊で唯一の戦車だ。飛雄馬が町を守るために戦えるのかどうかで戦い方がまったく変わってくる。公表されていない情報を先に話したのもそこのところを確認したかったからだ。

 飛雄馬は割り切って町を守るために戦えるか? 激戦が予想されるから、迷いがあると死ぬぞ?」


 親方は長い触手で飛雄馬を指差した。


 厳しい言葉だった。


 飛雄馬は親方の触手の先端を見たまますぐに答えることができない。


 心の中で何度も自問自答する。


 移籍を決めたときに割り切ったつもりだったが、仲間についても割り切らなければならないとは思ってなかった。


「大丈夫です。飛雄馬はちゃんと戦えます」


 突然ミカが割って入った。


「何言ってるんすか!?」

「親方、飛雄馬はシーダーが間違いなく切り抜けられると理解しています。それに、シーダーを信じきれなくて町の防衛戦に参加しなかったら、シーダーに顔向けできないことも分かっています。

 だから、飛雄馬は大丈夫です。もし迷うようなら私たちが支えます」

「ミカ、何言ってるんすか! オレはそんなこと一言も言ってないっす!」


 飛雄馬は立ち上がって、勝手に飛雄馬の代弁をするミカに抗議した。


 でも、ミカは座ったまま飛雄馬に向き直ってにらみつけた。


「シーダーを信じてないの?」

「そんなことないっす」

「だったら良いじゃない。信じてるんだったら安心して戦えるでしょ?」


 飛雄馬をにらんでいたミカの視線が柔らかくなった。


 ミカは決断をためらってしまっていた飛雄馬を強引にうながしてくれたようだ。


 気付かないで立ち上がることまでしてしまったことを飛雄馬は反省した。


「……ありがとうっす。

 でも、勝手に代弁するのはもう止めてほしいっす」

「ごめんね。黙っちゃった飛雄馬を見ていられなくて」

「それで、飛雄馬は割り切って町を守るために戦えるのか?」


 二人のやりとりが終わるのを待っていた親方が長い触手で飛雄馬を再び指差した。


 飛雄馬も今度は長い触手の先端を見ないで即答した。


「戦うっす。シーダーのみんなに胸を張って会えるようにがんばるっす」

「分かった。商工会と防衛隊にはそのように伝えておこう。

 頼むぞ」

「了解っす」


 親方に向き直っていた飛雄馬は勢いよく右手を頭の横に当てて答えた。


 町の防衛隊に敬礼は特に定められていなかったが、飛雄馬なりの決意表明だった。

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