五、説得
飛雄馬は町唯一のショッピングモールを一人で歩いていた。
淡い水色のつなぎの作業着を着て、手には日焼け止めの試供品が入ったロゴ入りの手提げ袋を持っている。
今日は防衛隊のパート隊員として町内に待機中で、出動の指示があればすぐにフサリアに乗って出撃できるように作業着姿で時間つぶしをしているところだった。
(そろそろ返事を考えないとまずいっすよね)
時間つぶしにも飽きてきたことによる気のゆるみもあり、飛雄馬は歩きながらミカから商会員に誘われていることについてぼんやりと考え始める。
ほめられたことではなかったが、混雑とは無縁の客の入りとスリなどの犯罪とも無縁の治安の良さもあって問題にはならなかった。
飛雄馬は次の目的地である仕立屋に向かいながら考える。
正直なところ、ミカの誘いは気が乗らなかった。必要性は理解していたし、移籍したからといってシーダーの仲間たちとのつながりがなくなってしまうとも思っていなかったものの、魅力を感じなかった。
(仕事に押しつぶされるのはもうごめんっす)
飛雄馬は元の世界で過労死した。期待して入社した自動車整備工場は全員が慢性的な過重労働状態で、飛雄馬もすぐに先輩たちと同じ量の仕事を与えられ、先輩や同僚に相談どころか会話も十分できないまま仕事の量と責任に押しつぶされた。
このため、飛雄馬は一人前になりたいと願いつつ、一人前になったら過大な量の仕事や責任を押し付けられるのではないかと強く警戒してもいた。
(ミカを信用してない訳じゃないけど、設立したばかりの小さな商会なんて過重労働で過重責任になるのが目に見えてるっす)
しかも、誘ってきたときのミカの説明だとミカが代表になる感じだった。シーダーのリーダーや整備工場の親方のようなベテランがなるのならともかく、ミカや飛雄馬のような新人には荷が重すぎるように思えてならなかった。
飛雄馬は設立する商会を信用できないことを角が立たないようにうまく伝える言葉を見付けようとして、思い浮かばないことに悩んだ。異種族で文化も異なるミカに察してもらうことは期待しづらかったし、飛雄馬も話すことは好きでも話術は得意ではなかった。
それでも返事をこれ以上先送りできないと頭を悩ませながら歩いていると、飛雄馬は正面から共通通訳機を使って声をかけられた。
「飛雄馬、危ないよ」
「ミカ!? どうしてここに!?」
「休日だもの。ショッピングモールにだって行くってば。
飛雄馬こそ防衛隊の仕事じゃなかったの?」
「今日は出動の指示に備えて町内待機っす」
「そうなんだ」
ミカが飛雄馬の正面から飛雄馬を見回す。
今日のミカは半袖の上着の胸元にスカーフを飾り、シンプルなサロンエプロンのようなスカートを身に着けていて、手には試供品が入っているらしい小ぶりの手提げ袋を持っていた。
まだ断る言葉を見付けてないのにミカと会うのは都合が非常に悪かった。
飛雄馬は内心の動揺をごまかすためにも立ち去ろうとしたが、その前にミカが口を開いた。
「ずいぶん考え込んでるみたいだったけど、悩みごと?」
「そうっすけど、オレちょっと用事があるんで」
「待機中に何の用事?」
「ミカこそオレと話してて良いんすか?」
「大丈夫。一人で来たから」
「予定とかあるんじゃないっすか?」
「それが特にないんだよね。友達とは休みが合わなかったし、買いたいものも特にないし。
だから、ショッピングモールでウィンドウショッピングしてから食事しようと思ってたんだけど、飛雄馬に会えたから予定変更。呼び出しがあるまでで良いから少し話そう?」
ミカが飛雄馬との間の距離を一歩詰めた。表情はまだよく読み取れなかったものの、雰囲気的に断るのは無理な感じがした。
(……覚悟を決めるしかないっす)
飛雄馬はミカの隣を抜けて逃げる経路を探すまでしたところであきらめた。ここで逃げたら余計に不審に思われて、次に会ったときにより面倒なことになるのが確実だった。
覚悟を決めた飛雄馬はミカに連れていかれる前にミカを誘った。
「良いっすよ。ただ、呼び出しで店に迷惑をかけたら悪いから、そこのフードコートで良いっすか?」
「良いよ。待機中の人をバーや酒場には連れてけないしね」
「ありがとうっす。飲み物を買ってくるから、ミカは席を取っといてほしいっす」
「分かった。私にはサボテンジュースのサイズ三をお願い」
「了解っす」
飛雄馬はミカに背を向け、ミカより先に通りすぎたばかりのフードコートに向かった。
ショッピングモールの広場を兼ねているフードコートには丸テーブルとイスが並び、壁際には飲み物や軽食を売る売店が並んでいた。ここも混雑とは無縁の客の入りだったが、埋まっている席もいくつかあった。
知り合いもいないようだったし、うるさすぎず、目立ちすぎずといった感じで、ミカと話をするにはちょうど良さそうだった。
頼まれたサボテンジュースを売る売店は空いていたため、飛雄馬は立ち止まらないで店員が一人いるカウンターの前に進んだ。
「いらっしゃいませ」
「七番のサイズ三を一つと、五番のサイズ三を一つほしいっす」
「かしこまりました。七番のサイズ三をお一つと五番のサイズ三をお一つですね。少々お待ちください」
注文を受けた店員がカウンターから引っ込んで準備を始めた。
七番はサボテンジュースのことで、飛雄馬は自分の分として五番の地球のオレンジジュースに似た酸味のあるジュースを頼んだ。
この世界では宇宙の各地から連れてこられた非常に多くの種族がそれぞれの好みにあったさらに多くの種類の商品を生産、流通させているため、商品の種類が限られる売店で地球と同じ商品を手に入れるのはなかなか難しかった。
店員が準備のできたジュースを一つずつカウンターに置いた。
代金は共通通訳機による個人認証で口座から即時引き落としをして支払い、飛雄馬は二人分のジュースを両手に一つずつ持った。どちらのジュースも羽釜のような形をした軽くて丈夫な樹脂製のグラスに入っていて、同じく樹脂製のストローが差してあった。
こぼさないように気を付けて歩き始めた飛雄馬は、隣の売店の店員がカウンターから身を乗り出して勧める卵のフライを両手がふさがっていることを理由に断って、丸テーブルを一つ確保しているミカのところへ向かった。
ミカが座ったまま手を振って飛雄馬を迎え、飛雄馬はそれぞれの席の前にジュースを置いた。
「ありがとう。お金は振り込んどくね」
「ありがとうっす」
ヘッドマウントディスプレイを兼ねたサングラスの視界に出た表示と骨伝導イヤホンから聞こえた通知音で口座への振り込みを確認し、飛雄馬はミカの向かい側にあるイスに腰を下ろした。ジュースを運ぶ間は手首にかけていたロゴ入りの手提げ袋を空いているイスに置くと、ミカもすでに空いているイスに手提げ袋を置いているのが見えた。
二人ともジュースを一口飲んで、ミカが先に口を開いた。
「単刀直入に言うけど、飛雄馬はどうしたら移籍してくれる?」
「え?」
「シーダーの誰かに移籍してもらうのは無理だけど、指導役もできるベテランには入ってもらうし、親方たちも出資者として監督するから経験不足や力不足で滅茶苦茶になったりはしないよ。
仕事の内容だって、出張修理や車両回収の際の護衛と防衛隊への参加で今と変わらないし、仕事の量や待遇だって今とできるだけ同じにする」
「でも、それだと人が増える分の費用をまかなえないっす」
「それなら大丈夫。部品の修理や整備、販売でまかなうから。商会として独立する以上、安定した売上が得られる仕事も必要だしね。
私たちなら町の外で倒したモンスターから部品を直接回収することもできるし、結構有望だと思うんだ」
ミカは自信がある様子で飛雄馬をまっすぐ見ながら説明する。
飛雄馬が防衛隊の仕事で会っていなかった間に話はかなり進んでいるようだ。
「言い忘れたけど、今言った部品の修理や整備、販売は基本的にほかの人に担当してもらうから、飛雄馬の仕事は増えないからね」
「そうなんすね」
完全に出鼻をくじかれて、飛雄馬は相づちを打つので精一杯だった。ミカの話を否定して誘いを断る言葉はまだ見付からなかったし、中途半端な反論だとたちまち論破されてしまいそうだった。
(困ったっす。設立する商会がうまくいくとは思えないって言える雰囲気じゃないっす)
返事を期待して見詰めてくるミカの視線のために集中して考え続けることができなくなって、飛雄馬は苦しまぎれに思い浮かんだ疑問を口にした。
「ミカはどうしてそんなに前向きになれるんすか?
オレはとてもなれないっす」
「飛雄馬?」
「オレは不安っす。ミカの話はとても具体的ですごいと思うけど、それでも色々起きて大変になって、過重労働で加重責任になるんじゃないかって怖いっす。オレは元の世界で過労死したっすから、この世界でまで同じ思いをしたくないっす」
始めは苦しまぎれだった言葉が、一度形になるとするりと出てきた。ミカを傷付けたくないとか、ミカに情けなく思われたくないとかの加減はもう無理だった。
飛雄馬はジュースの入ったグラスに視線を落として、ミカが聞いているかどうかも気にしないで話し続けた。
「この世界は元の世界と違うし、職場だって違うってのは分かってるけど、シーダーから移籍するのは怖くてとてもできないっす。オレにとって過労死したのはまだ一年前のことっす。はっきりとは思い出せなくても、もしまたあんな職場になったらと思うと心が死んだようになるっす。
だけど、シーダーだったらそんな心配がないっす。この世界に連れてこられたばかりで共通通訳機の使い方さえ分かってなかったオレを助けてくれて、生きていく方法を教えてくれたシーダーは元の世界で出会えなかった理想の職場で、この世界で生きるための命綱っす。
だから、ミカが誘ってくれてるのはうれしいけど、移籍はできないっす」
すべて吐き出すように言い切って、飛雄馬はミカの返事を待った。
顔は上げられなかった。
ひどく長く思えた時間のあと、ミカの声が共通通訳機から聞こえた。
「そういう理由があったんだ。簡単に分かるなんて言えないけど、大変な経験をしてたんだね。
でも、私も飛雄馬の移籍をあきらめたくないから、シーダーと同じくらい信頼されるように努力するよ。
手始めに、商会員予定者全員で顔合わせの親睦会と、外回り予定者全員での部品回収なんてどうかな?」
ミカの言葉に飛雄馬は驚いて顔を上げた。
「何言ってるんすか?」
「飛雄馬に私たちをシーダーと同じくらい信頼してもらうための提案だよ。飛雄馬は私たちをシーダーと同じくらいには信頼できないから、うまくいかないんじゃないかと不安になって、シーダーから離れるのが怖いんでしょ?」
「そうっすか?」
「私にはそう聞こえたよ。
だから、私たちが飛雄馬からシーダーと同じくらい信頼してもらえるようになれば、飛雄馬も安心して移籍できると思うんだ。
私としては半年間パーティーを組んでそれなりに信頼してもらえてると思ってたんだけど、考えてみたら護衛や戦闘は飛雄馬に頼りっきりだったもんね。戦車だし、危険は少ないからと軽く考えて、飛雄馬の精神的な負担を考えてなくてごめんね」
ミカが上を向いてのどを見せた。
急所であるのどを相手にさらすミカの種族の謝罪の仕草だった。
でも、割と目立つ仕草であるため、飛雄馬はすぐに謝罪を止めるようにミカに頼んだ。
「のどを見せるのを止めるっす。オレも言わなかったんだからミカは悪くないっす」
「本当にごめんね」
顔を下げたミカと飛雄馬が丸テーブルを挟んで向かい合う。
まさか謝られるとは思ってもなかった。
上目づかいで飛雄馬を見ているミカを見て、飛雄馬は肩の力が抜けるのを感じた。
「もう良いっす。
それより、ミカはどうしてそんなに前向きになれるんすか?」
「前向きにしてるからじゃない。前向きになるのを待つんじゃなくて、自分の意志で前向きにするの。
せっかくの二度目の人生なのに、後ろ向きになってたらもったいないじゃない」
「ミカは強いっすね」
「強いんじゃなくて強くするの。
言っておくけど、気力とか、根性とか、精神論じゃないからね。よく食べ、よく寝て、よく遊んでっていう基本的な話。飛雄馬だって、しっかり食べたらまたがんばろうっていう気持ちになるし、ぐっすり寝たら一日なんとか乗り切れそうだって思うでしょ。
それと同じように、条件を整えたり、対策を立てたりして前向きにするの。
自分ではどうしようもなくて専門家のケアが必要になることもあるけど、結構効果あるよ」
「すごいっすね」
「飛雄馬もやってみない? 健康にも良いし、仕事のミスも減るよ?」
丸テーブルに身を乗り出したミカに正面から見詰められて、飛雄馬はのけぞりながら目をそらせた。
ミカからの圧が強すぎる。本当にミカが言う方法だけでここまで前向きになるものだろうか。
真似できるとはとても思えなかったが、圧倒されてしまって断れなかった。
「……考えとくっす」
「ぜひやってみて。飛雄馬が前向きになって移籍してくれるのを待ってるからね」
ミカは飛雄馬から前向きな返事を引き出して満足した様子で座り直し、ストローを使ってサボテンジュースを飲んだ。
姿勢を正した飛雄馬もミカから目をそらせたままオレンジジュースに似たジュースを一口飲む。酸味のある甘みがとてもありがたかった。
二人とも黙ってジュースを飲んで、先にサボテンジュースを飲み終えたミカが立ち上がった。
「話に付き合ってくれてありがとう。思ってたより引き止めちゃってごめんね」
「もうそんな時間っすか。こっちこそ話を聞いてくれてありがとうっす」
飛雄馬も残っていたジュースを飲み干して立ち上がった。その途中でヘッドマウントディスプレイを兼ねたサングラスに表示されている時計を確認すると、フードコートに来てから共通時間で三〇分ほど経ってしまっていた。
「私はウィンドウショッピングに戻るね。親睦会と部品回収については日程が決まったら連絡するけど、飛雄馬の都合はどう?」
「それ本気なんすね。オレは仕事がない日なら基本的にいつでも大丈夫っす」
「分かった。できるだけ早く連絡するね」
ミカは空になった自分の分のグラスとストローを持って売店に向かい、飛雄馬も丸テーブルを拭くための布巾を取りにフードコートの一角に向かった。
(結局断れなかったっす)
飛雄馬は取ってきた布巾で丸テーブルを拭きながら反省した。
ミカが親睦会と部品回収を提案してくるとはまったく予想外で、いまだに信じられなかった。
(前向きにも限度があるっす。あんなの絶対まねできないっす)
丸テーブルを拭く手に力がこもったが、飛雄馬は構わなかった。
ミカは本当に親睦会と部品回収を行うつもりのようだった。設立する商会について説明していたときにミカは部品の修理や整備、販売も行うと言っていたから、参加者は出張修理や車両回収を行っていたときの四人に複数人を加えた六人くらいになるのかもしれなかった。
飛雄馬は丸テーブルを拭き終えて一瞬だけ動きを止めた。そして、すぐに拭き終わった布巾と自分の分のグラスとストローを持って歩き始めた。その歩き方がいくらか弾んだものになっていることに飛雄馬は気が付いてなかった。
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