第28話 レイヴンを、助けたいんです

「来たね! エリシエル!」


 レイヴンの――、少年の姿をした魔獣フレースヴェルグが、聖殿の――聖王が一般謁見を行う時に使う広場の――テラスの真ん中で、わたしたちを待ち構えていた。


「わたしはエリシエルじゃない! エステルです!」


 広場中を、魔獣の怨嗟が吹き荒れていた。

 アスラン様と、着いてきてくれた数人の帝国兵達を、わたしは同時に浄化のバリアで守りながら、魔獣と対峙する。


「細かいことはどうでもいい。大事なのは、君がそばにいてくれることだ」


 レイヴンの姿で――、レイヴンの姿なのに、発する言葉は明らかにレイヴンのものではなかった。


「ねえ……、レイヴン!! わたしは、レイヴンのそばにいるよ? 今までみたいに。だから、もう怨嗟を吹き荒らすのはやめて、一緒に帰ろう!」

「それじゃダメだ! それだと、エリシエルは僕の他に大事なものを作るだろ? それじゃ……、ダメなんだ!」


 魔獣の叫びと共に、ごう、と一層より強く怨嗟が吹き荒れる。

 それを受けて、何人か、バリアで守りきれなかった兵隊達が、怨嗟に飲み込まれてばたばたと倒れていく。


「……!」

「エリシエルが、ひとりで僕のところに来てくれるなら。嵐を少し収めて、そいつらを街から逃す時間を作ってあげてもいいよ。なんなら、そいつらだけじゃない」


 いっそ、この街の住民、全員を人質にしたっていい――。


 その言葉に、わたしは一瞬で血の気がひいた。

 怨嗟の対象になっていたのは、もともとは聖王の血脈の者だけだったはず。

 しかし、肉体が浄化されて復活し、怨嗟に塗れた魂が自我を持った今、その対象は他の一般市民にも向けることができると言うことなのだろうか。


「エリシエルが好意を向ける可能性があるものは、一人だって許しておかない……! ねえ……、僕が神罰を受けて、本当にどうしようもなくなるまで、ずっと僕だけと一緒にいてよ? そうしたら、他の奴らのことは構わず、君のためだけに大人しくしているから」


 そう言う魔獣は、どこか刹那せつなげに顔をひそめていた。

 その間も、怨嗟の嵐が広場を激しく巻き上げていく。

 ふと見ると、アスラン様も苦しそうな表情を必死で押し隠そうとしていた。


 ……それはそうだ。

 アスラン様はそもそも、聖王の直系の血族なんだもの……。


 早く、なんとかしないとーー。

 そうやって気持ちは焦れども、わたしの浄化の力を最大限にしても、全くもって魔獣を収めるに及ばない。

 一体どうやって、勇者とエリシエルは、魔獣を倒すことができたのだろう――?


 そう思った瞬間、わたしの脳裏でふと閃いたものがあった。

 

 覚悟を決めて、わたしは、アスラン様に向かってくるりと振り向く。


「アスラン様、……わたし、行ってきます」

「な……っ」

「大丈夫です。心配しないでください。わたし、約束は守る女ですから」


 そう言って、アスラン様ににこりと笑いかけると、魔獣に向かって声を張り上げる。


「いまから! わたしひとりでそっちにいくから。他の人には危害を加えないで」

「エステル! だめだエステル!」


 アスラン様が、わたしの言葉を遮るように呼びかけてくる。

 そうして、わたしを引き止めるように手を伸ばしてくる――が、見えない圧がアスラン様を押し潰すように、地面に崩れ落ちていくのを、魔獣に向かって振り向く目の端に捉えた。


「エステル……!」

「あ、アスラン様……」


 今すぐに、アスラン様に駆け寄って助け起こしたい――、後ろ髪引かれる思いを振り切りながら、真っ直ぐに、魔獣に向かって走り出す。


 急がないと。

 みんなが、どれくらい怨嗟に耐えていられるのかわからない。

 長引かせれば長引かせるほど、みんなに負担をかけることになる。

 責任の重さに、心が押しつぶされそうになる。


「エリシエル……」


 そうして――、レイヴンの姿で、嬉しそうに破顔する魔獣の目の前まで、たどり着いた。


「ああ、エリシエル……」

「……うん」


 両手を広げ、わたしではない別の誰かの名前を呼ぶ魔獣を、わたしはにっこりと笑って、ふわりと抱きしめる。


「つらかったね。ひとりで。怨嗟に溺れ続けるのは」


 つらかったよね――。

 わたしの腕の中に身を委ねる魔獣の、その耳元に囁く。

 

「もう、ゆっくり休もう……? 帰ってきて――!」


 そう言うと、わたしは、ずっと背中に隠し持っていた隷属の剣を、魔獣の背中に突き立てた。


『―― ―― ――!!』


 腕の中の魔獣が、声にならない叫び声をあげて、わたしのなかで暴れ出す。

 短剣を引き抜こうと足掻く魔獣を、押さえつけるだけでわたしは必死だった。


「レイヴン! レイヴン! お願い! 帰ってきて!!」


 ――え、なにこれ! 突き立てたら、すぐに隷属するものなんじゃないの――!?


 わたしの時はあっさり自由を奪われたのに!

 なんでこんなに抵抗できるの!?


 これで、わたしが押し負けて、短剣を抜かれちゃったらどうなるんだろう。

 またわたしが短剣を刺されて、いいなりになっちゃうんだろうか――!?


 そう、思った時だった。


 背中が、なにか暖かいものに包まれたと思ったら、わたしの掌ごと短剣を掴んできたものがいたのだ。


「あ、アスラン様……?」

「エステルの悪い癖……、なんでもかんでも、ひとりで頑張らないでよ……」


 アスラン様が、わたしを背中から抱き込みながら、短剣を押さえつけるのを手伝ってくれたのだ。


『―― ―― ――!! ……』


 ようやくして、魔獣も限界を迎えたのか、暴れるのをやめて、パタリと力尽きて倒れ伏してしまった。


 あ、あれ……?

 レイヴンの意識の片鱗も見えないまま倒れちゃったけど、大丈夫かな……?


「はぁ……」

「あ、アスラン様?」

「エステル……、無茶ばっかりしないでよ……」


 そう言うと、そもそも背中から抱きしめたままだったアスラン様だが、さらにぎゅっとわたしのことを抱きしめてきた。


「あ……、ご、ごめんなさい……」

「本当に、寿命が縮むかと思った……」


 がっくりと、アスラン様がわたしの顔に頬を寄せてくる。

 あれ、そんなに無茶したかな……? って思ったのだけど、それをいうとまたアスラン様がガックリしそうだと思ったので、心の中に留めておいた。


「う……ん……」

「あっ、レイヴン!」


 もぞりと、足元の少年が動く気配を感じて、思わずそちらに向き直る。


「レイヴン、大丈夫!?」


 意識を取り戻したらしいレイヴンの無事を確認する。

 が、当のレイヴンはと言うと、特に言葉を発することもなく、目線だけでわたしに向かってなにやら訴えかけてきた。


「……」

「あ、そうか。これが刺さってるとしゃべれないのか」


 そういえば、隷属の剣を刺したままだった。

 それはしゃべれないよね、と短剣を抜こうとして、ふと一瞬不安になって動きを止める。


「え、抜いて大丈夫だよね? 抜いたらまた、魔獣が暴れ出すとか、ないよね……?」


 わたしが思わず問い出すと、レイヴンが目線で「ふんふん!」と言いたげに訴えてくる。


「わ……、わかったよ。抜くよ」

「抜くなら、一緒に抜くよ。一緒に抜けば、何かあっても責任は半分こだからね」


 そう言って、短剣を抜こうとするわたしの手に、アスラン様が自らの手を重ねてくる。


「よい、しょっと……」

「……あ〜、マジほんと、最悪だった……」


 短剣を抜いた後のレイヴンのひとことが。

 いつものレイヴンらしい、こころからゲンナリとしたひとことで。


 わたしは、やっと帰ってきたいつものレイヴンの姿に、ようやく、くすりと笑うことができたのだった。

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