第27話 お疲れ様です、シルヴィア様
白くて美しかった手が、見る影もなく変化してしまったのに目を取られてしまった瞬間
「ぐっ……!」
「あらあら。油断しすぎじゃありません?」
ひゅっ、と、何かがしなるような音がしたかと思ったら、例の青黒い手に喉元を捕らえられていた。
シルヴィア様が、どうやって移動したのかわからなかった。
いや、もしかしたら、移動さえしていなかったのかもしれない。
あの細腕に、どうしてこんな力があるのだろう。
わたしの首を掴んだ腕は、そのまま角度を上昇させ、軽々とわたしを持ち上げていく。
「ぐっ、あ……」
「早くなんとかしませんと。窒息死してしまいますわよ? エステル様」
まあ、殺してしまったらわたくしがあの魔獣から罰を受けてしまうのですけれどね――と、コロコロと人ごとのように笑う。
なんとか、シルヴィア様の腕を外そうともがくがびくともしない。
それどころか、そろそろつま先も地面につかなくなってきた。
隷属の剣も、シルヴィア様に首をつかまれた時に、衝撃で落としてしまった。
――一難去って――また絶体絶命……!
「エステル!」
ざしゅっ!
わたしの名前を呼ぶ声と同時に、シルヴィア様の左腕――肘から先が切断された。
それと同時に、解放されたわたしの体がどさりと床に崩れ落ちた。
「エステル!!」
聞き覚えのある、涙が出そうなほど安心できる声の主が、わたしに向かって近づいてくる。
「あ、アスラン様……」
「エステル……! よかった! 無事? 怪我はない?」
「アスラン様……!」
皇太子が、こんな危険なところに先陣切って出張ってこないでください、とか。
死ぬかと思ってめちゃくちゃ怖かったです、とか。
思ったことや言いたいことはいろいろあったが、とにかく、駆け寄ってきてくれたアスラン様にホッとしすぎて、思わずぎゅっと抱きついてしまった。
「エステル……」
人目も憚らず抱きついたわたしに、アスラン様もそれ以上は何も言わず、黙って抱きしめ返してくれた。
「……茶番は、それまでにしていただけません?」
空間に、シルヴィア様の声が響く。
声の主を追って目線をやると、シルヴィア様は、いつのまにか現れていた帝国の兵士たちにすっかり取り囲まれていた。
「……あなたが、シルヴィア・ロズリー伯爵令嬢だね」
「ええ。帝国の新しき太陽、皇太子殿下には、初にお目にかかります」
そう言うとシルヴィア様は、もはや片腕しかない姿にも関わらず、この上なく優雅にアスラン様に向かって礼をした。
「せめてもの慈悲として、最後に一言言い残すことを許そう。何か言いたいことはあるか?」
「……わたくしを、殺すとおっしゃるの?」
「……」
アスラン様の無言を、肯定と受け取ったシルヴィア様が、ぐっと顔を歪ませて、それから、何がおかしいのか高らかに笑い出した。
「うふっ、あははははは……っ!」
「……何が可笑しい」
「残念ながら。わたくしはもう、死ぬことも叶わないのです」
にっこりと。
優美に微笑みながら。
シルヴィア様は語り出した。
「わたくしは既にもう……、聖痕を偽造した神罰を受けた後、気が狂ってしまった中で、自らの命を絶ってしまっております。今こうして姿を保っておりますのは、あの時、死に際に魔獣の甘言に耳を傾け、誘いに乗ってしまったからですわ。わたくしは、魔獣の眷属となってしまったため、もはや死ぬことも叶いませんの」
そうやって、わたしたちに語りかけてくるシルヴィア様は。
むしろ、人として生きていた時よりも清々しくあるように見えた。
「エステル様」
「……はい」
「わたくしを、浄化してくださいませんでしょうか」
「……」
「身勝手なお願いで、申し訳ないとは思ってはいるのですよ? でも、このままだとわたくしも……輪廻に乗れず、ただ怨嗟に塗れて漂うばかり……」
自業自得だとおっしゃるのなら仕方がありませんが、もし叶えていただけるのならば――。
わたしに、自らを消してほしいと。
憂いなく、にこやかにわたしに懇願してくるシルヴィア様は、今まで見た彼女のどの姿より、美しく見えた。
「……わかりました」
「エステル……」
心配して、わたしを抱きしめてくれていたアスラン様に、心配しなくて大丈夫だと目配せをして、わたしは自力で、ゆっくりと立ち上がる。
「シルヴィア様……」
名前を呼びかけながら、浄化の力を発動させる。
次第に、キラキラとシルヴィア様の体が、黄金の光に包まれ始めた。
「ああ……」
「シルヴィア様……。お疲れ様でした。あなたの魂が、来世への道のりが、少しでも安らかでありますよう、こころから、お祈り申し上げます……」
多分きっと、今まで、ひどいことをたくさんされてきた。
彼女を許せないと怒ってしまっても、誰も文句は言わないのかもしれない。
救ってやる必要なんかないって、言う人もいるかもしれない。
それでも。
救ってほしいって叫ぶ魂を、救わずに見捨ててしまうのは、わたしには出来なかったのだ。
別に、善人ぶりたいわけじゃない。
ただの自己満足で。
寝覚が悪いだけで。
キラキラとした光に包まれたシルヴィア様は、そのまま、遺骸を残すこともなく、光と共に霧散して世界に溶けていった。
「アスラン様……。わたし、偽善、ですかね」
そうやって救いを求めてしまうわたしも、結局は弱い人間なんだと思うけれども。
「……僕は、そんなエステルのことが大好きだよ」
涙は流さない。
その涙は、彼女のための涙ではなく、わたしのための涙だからだ。
わたしが、自己満足のために流す涙は、流したくないのだ。
「アスラン様。わがままを言ってもいいですか」
「……なに?」
「レイヴンを、助けに行きたいんです」
刹那――。
どん――!と、雷鳴が、窓の外に轟いた。
魔獣が復活したのだ。
肉体を手に入れた魂が。
どこからか、わたしを呼び求める声が聞こえた。
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