第26話 一難去って、みたいです…
「あ〜〜〜〜。――最悪。マジで最悪なんだけど」
――レイヴンだ。
目線だけで、フレドリック様を蹴り上げた人物を追うと、そこには少年の姿になったレイヴンがいた。
「俺の魂が変態すぎて、マジで最悪……」
そう言って、ショックを受けたように両手で顔を覆いながらも、わたしを助けるために抱き起こしてくれる。
「――僕を置いて自分だけ先に逃げ出した肉体に、文句を言われる筋合いはない」
いつのまにか身を起こしていたフレドリック様が、こちらを憎らしげに睨みつけていた。
「なんだって?」
「お前だって、エリシエルの近くに居たいから
「それについては、意見は一致していたはずだけど。肉体の浄化が先に終わったから、聖女を守るために分離して実体化させようって。まあ、浄化が止まっちゃって、怨嗟が歪になっちゃったせいで記憶が曖昧になってるのかもしれないけど」
レイヴンは、魔獣の魂と対峙しながら、「それに」と言って背中の柄に手を掛ける。
「この人はエリシエルじゃない。エステルだ」
そう言うと、レイヴンは一息に、わたしの背中に刺さった短剣を抜き放った。
「な……」
「よかった……。一応、同一人物だって認識はされたんだな」
一か八かだったけど、とレイヴン。
「行って、エステル。俺はあれとケリをつけなきゃ」
「でも……」
「もうすぐ、
レイヴンの言う”あいつ”が、聞かなくても誰なのかがわかった。
ぐい、とわたしの手の中に、隷属の剣を押し付けてくる。
「行って。必ず、俺も追いかけるから」
「……わかった」
レイヴンの言葉に、わたしはまだ力の入らない自分の足を叱咤して、なんとかよろよろと膝をつく。
「……待て!」
「お前は、行かせないよ」
わたしを行かせまいと手を伸ばしてくる魔獣の行手を阻み、レイヴンが立ち塞がる。
一瞬、レイヴンと視線が交差した。
そのままわたしは、レイヴンに庇われるようにしながら、部屋の外へと通じるドアに向かって、足を蹴り出した。
*
「……無駄なことを。転移する力すらロクに残ってない絞りカスが、僕と張り合えると思ってるの?」
離れていくエステルの足音を耳にしながら、嘲笑する片割れに対峙する。
「おまえと張り合うのは俺じゃない。考えてみなよ? エリシエルが転生してるんだよ」
もう一人の方が転生していないか、考えない方が浅慮じゃないのか?
「なん、だと……?」
「いずれにしても俺らは、神との約束を違えた時点で粛清対象なんだ。俺としては、完全に粛清対象になる前に軌道を正したい」
魂を見つめながら言い放つ。
……
エステルの近くにいるのは心地いいのだ。
それを独り占めしたいって思う気持ちも。
でもそれはもう――400年前にカタがついてることだ。
今度は、間違えずにそばにいられる方法を選びたい。
「神との約束は、浄化されるのを大人しく待って、輪廻に乗せてもらうことだった。再び聖獣に戻してもらうために」
「それじゃあ、エリシエルは手に入らない……!」
ああ。
我ながら呆れる。
肉体より魂の方が欲にあらがえないなんて。
「来いよ。どっちみち、お前は俺を無視することはできないんだ。どっちが正しいか根比べしよう」
魂と肉体、自らの、主導権を握るのはどっちか――。
向こうにとっても、悪くない条件のはずだった。
いずれにせよ、アイツは俺を、いつかは取り戻さなければいけないのだから。
*
ぺたぺたと、聖王国の聖殿の廊下を駆けていく。
っていうか、わたしいつの間に着替えさせられてた?
これ、寝巻きなんですけど……。
どれくらい寝てたんだろ、てか、着替えさせたの誰!?
まさか、フレドリック様じゃないよね、まさか……と思いながら、廊下をペタペタと駆けていく。
さっきの部屋は、フレドリック様の寝室だった。
とすると、大体の聖殿の配置は覚えているので、出口の場所もほぼ正確にわかる。
ただ、出ていったところで、どうやって帝国に戻ればいいのか。
アスラン様も来てくれてるはずってレイヴンは言ってたけど、どうやって合流すればいいのか!
そんなことを考えながら走っていたら。
「どちらへ行かれるのです? エステル様」
進行方向前方で、行手を遮るように立ちはだかる、女の声が聞こえた。
「シルヴィア……様」
にっこりと、こちらに向かって微笑みかけてくる、シルヴィア様。
ふと目をやると、聖痕があったはずの左手には、黒い手袋をはめていた。
「ああ……、これ。気になります?」
わたしの目線に気づいたのか、シルヴィア様が手袋をした方の手をゆるりと持ち上げる。
「神罰――というものが下ってしまったらしいですわ。もともとのわたくしのものは、腐り落ちて使い物にならなくなってしまいましたの」
シルヴィア様が、わたしに見せつけるように、するりと手袋を外していく。
「今はわたくし……、魔獣の力を借りて、こうしておめおめと生き恥を晒しておりますのよ」
目の前に晒されたその細い手首の先は――、まるで手首から先だけ付け足されたように、青黒く変色していた――。
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