第11話 わたしの皇太子妃教育って、完璧なんですか?
「必要ありませんね」
あれから、ほんの数日後のこと。
皇宮のとある一室にて。
わたしは、アスラン様とクラウス様が作成した皇太子妃教育・現状テストを、丸一日かけて受けたのだった。
実際にチェックをしたのは、いかにも『わたくし、淑女教育のエキスパートですが何か?』と言わんばかりの、メガネをかけた熟年の女性だったけど。
その熟年女性が、現状テストの結果を最終チェックした後に発したのが「必要ありませんね」の一言で。
「……ん?」
どういうことかと、アスラン様が笑顔で熟年女性に問い返す。
「これ以上の教育は、特に必要ないかと存じます。どの項目も、基準のラインに到達しております」
アスラン様の問いに、お局然としたその女性は、厳然とした態度でぴしゃりと返した。
「筆記試験、マナーチェック、所作・振る舞い、質疑応答。多少、もう少し帝国式に落とし込んでも良いかと思う箇所もありましたが、基本的なところはまったく問題ありません」
「……」
きょとんとした顔になったアスラン様は、熟年女性をまじまじと見やり、それから、ゆっくりとわたしの方に目線をうつした。
「あの、勉強は好きだったので……」
アスラン様に凝視され、わたしは何だか急に
思わずアスラン様から目を逸らして、赤くなった顔を隠すよう、うつむきながら言った。
そう、勉強は好きだったのだ。
孤児院にいた時はしたいと思ってもできなかった。でも聖女になった途端、お金を払わずともいろいろと学ばせてもらえるようになって、それが楽しくて。
「……結果を、見せてもらってもよいだろうか」
アスラン様がそう言うと、「ええ、どうぞ」と熟年女性から渡された成績表を、クラウス様とふたり、まじまじと見つめだす。
「これは……」
「素晴らしいですね」
それから、ふたりともが口をそろえて、感心したようにつぶやいた。
「あの……」
わたしは、このままだと「これなら追加教育の必要なしですね」の一言で終わってしまうのではと心配になり、ためらいながらも勇気を出して声をかけた。
「できればその、先生が仰るように帝国式の不足部分が補えるように、授業は設けていただけると嬉しいのですが……」
許されるならば、その、熟年女性に不足していると指摘された部分は、完璧に補えるようになりたい――。
と、いうのも。
人っていうのは、どうしたって異分子には冷たくなりがちなので。
特に、貴賤意識の高い人はそうなりがちな傾向があることを、わたしはこの数年で学んでいた。
できれば、アスラン様がわたしのことを公に公表する前に、帝国式というものをマスターし、はずれ者にされる不安要素は少しでもなくしておきたいと思ったのだ。
「……エステル」
わたしを呼ぶアスラン様は、なぜか痛々しげな瞳でわたしのことを見つめてきて。
そうして――今度は予告なしに、わたしのことをふわりと抱きしめてきた。
「あ、アスラン様?」
「エステルばかり、そうひとりで頑張らなくてもいいんだよ?」
……まあ、それを強いているのは結果として僕でもあるんだけど……、とアスラン様が私の耳元で苦々しげにひとりごちる。
抱きしめられているせいでアスラン様の表情までは見えないが、その声には、明らかにわたしに対する気遣いが強く感じられて。
「きみに、無理をさせたくて連れてきたわけじゃないのに……」
「アスラン様……」
ぐっ、と。
わたしを抱きしめるアスラン様の腕に力がこもる。
その力強さのせいだったのか。
それとも、耳元で掠れて響いた声があまりにも切実で、わたしの心を強く打ったためだったのだろうか。
わたしは、衝動的に込み上げた涙をぐっと飲み込んでから、アスラン様に言葉を返した。
「……大丈夫ですよ、アスラン様。言ったじゃないですか、わたし、勉強が好きだって」
そう言いながら、わたしを抱きしめてくるアスラン様をきゅっと抱きしめ返してから、軽く体を離して、アスラン様の顔がちゃんと見えるよう、下から覗き込む。
「アスラン様が、わたしのために頑張るって仰ってくださったように。わたしにも、アスラン様のために頑張らせてください」
「エステル……」
アスラン様が、わたしのことをうるうるとうるんだ瞳で見つめてくる。
「…………あ」
と、その時になってようやく。
わたしは、ここがまだ衆目に晒されている場所なのだということを思い出した。
「あの、アスラン様。みなさま、見てらっしゃいますから……」
「やだ。エステル。もういっかいぎゅってする」
そういうと、アスラン様は再びわたしのことを強くぎゅうっと抱きしめてきた。
あああああ……!
明らかに今わたし、人前で『ふたりだけの空間』を作ってしまった気がする……!
完全に周りに人がいることを忘れて、アスラン様と話していた。
自分でも顔が真っ赤になっているのを自覚しながらあわあわとアスラン様から離れたが、ちらりと盗み見たアスラン様は、なんだかちょっと残念そうにしているようにも見えた。
*
「それにしてもなあ……」
あらためて、アスラン様がわたしの成績表を見つめ、しみじみとつぶやく。
話もひと段落したので、お局熟年先生はお帰りになり、今日1日頑張った労いとばかりに、テーブルの上に美味しそうなお茶やお菓子が並べられる。
「……あの、アスラン様がお嫌じゃなければ、書類決裁のお手伝いもさせてもらえませんか?」
「え?」
まじまじとわたしの成績表を見つめているアスラン様に、出過ぎた真似だと言われないか心配な気持ちも抱きつつ、おずおずと申し出る。
「聖王国にいた時に、フ――、
「手伝いって、例えばどんなことを?」
「ええと、書類に問題がないかチェックして、不備があるものは戻して……。決裁に回す書類も、急ぎのものとそうでないものを選り分けて渡していました」
「……彼が、エステルにそれをやらせたの?」
「いえ。書記官の方が、いつも決裁が遅くて回らないと困っていたので、わたしの方で内密にやっていました。……あの方は、わたしが執務室に立ち入るのを良く思っていませんでしたので……」
出過ぎたことをやっているのでは……と思いながらも、毎朝、聖女の公務が始まる前にフレドリック様の決裁書類を回収し、その作業をやっていたのだ。
今日のテストの、筆記や質疑応答で高得点をとれたのも、その経験が大きかったのではないかと思う。
わたしがそう説明すると、アスラン様はみるみる眉間に皺を寄せて、
「……本当に
と、呆れ果てた様子でため息をついたのだった。
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