第8話 処断される親友




 勉強会をできる限り行って、いよいよテスト期間になった。

 期間中の予定は2、3限で開放でこれが月から木まで続く。

 それから金曜は来週の月曜に結果を公開するため先生が採点作業を行う都合で、原則休みとなり、来週の月曜からまた平常授業が始まる。


 国語だけがネックだが、できるだけ頑張るだけしかない。


 ーーー


 テストが明けて、今日は結果発表の月曜日になった。

 国語については残念ながらこれと言ってできたということもないくらいで、いささか不安が残るような感じだったが、もう今日は公開する日なのでしょうがない。


「少し、眠いわね」


「休日、用があるとは聞いてたけど、異様に疲労が溜まってるね、陽菜」


「調べ物が多くてね。流石に10年ものとなると膨大ね」


「聞くだけでも凄まじいのが伝わってくるよ」


 なんのデータかは知らないけど、10年ーー3650日分の情報を見るのを休みの三日間で成し遂げるとなると睡眠時間を減らしても俺では無理な気がするが、それを成し遂げる麻黒さんが凄まじい。


「テストを秋也との勉強会のおかげでノンストレスで終わらせられたから、その分頑張っちゃたわ」


「やらなきゃいけないことだからしょうがないけど。陽菜はもっと体を大切にした方がいいよ」


 若干ワーカーホリックの気がある麻黒さんにツッコミを入れると、玄関の壁にでかでかと1年から3年までのテスト結果が張り出されているのが見えた。

 あいからわず、びっくりするくらい大きな紙だ。

 どうやったらあんな大きな紙を印刷できるのか、不思議でたまらない。


「あちらもちょうど来たみたいね」


 意識を試験結果から二人に移すと、冬夜が自信満々な一方で対照的に摩耶の顔色が凄まじく悪いのが確認できた。

 二人ともでかなり対照的だ。


 理由としてはなんとなく察することができた。

 おそらく摩耶は冬夜に対して、勉強が苦手だということをことを言えておらず、今まさに結果開示で真実が白日の元に晒されるのを恐れているのだろう。

 そして一方そのことを知らない冬夜は学年1位がいることで罷り間違っても負けることはないと思っているというところだろう。


「なんだこれは!?」


 張り出された結果を見ると、冬夜は凍りついた声が聞こえた。

 全体を見るだけでしっかりと確認できていなかった二年生の順位表を見ると、1位に俺の名前と2位に麻黒さんの名前があった。


「嘘だろ……。国語で足を引っ張るからないと思ってたのに」

 

 国語0点常連の俺が1位であったことに流石に信じられない。

 こんなの国語でも高得点を取らない限りは不可能なはずだ。


「冬夜が前の教師と連んであなたの答案の点数を操作してたのよ」


 国語教師が交代している時に焦ってたのを見ていたからなにかしらあるとは思ってたが。

 点数操作なんて大それたことをやっていたのか。


「冬夜は本当にそんな馬鹿げたことを?」


「本当よ。事前に調べて裏も取れているわ」


 麻黒さんがここまでいうと言うことは本当に本当なのだろう。

 これまでにもそれとなしに怪しいムーブを何度も見てきたが、どうしても元友人ということで色眼鏡で見ていたようだ。


「もしかして、陽菜。国語教師交代に一枚噛んでた?」


 流石にここまでいくと、テスト直前に交代した国語教師交代のタイミングが良すぎることに気づいて、麻黒さんの介入があったのではないかと思い至り、彼女にそう尋ねる。


「そうね。介入していたわ。一つだけ言い訳をさせてもらえるかしら」


 実際のところ助かってるので責めるような気持ちはなかったというか、むしろ感謝してるくらいなのだが、麻黒さんは勝手に教師交代を行ったことを攻めてるように聞こえてしまったようだ。

 少し断りを入れようと思ったが、目があった瞬間に麻黒さんは、自信が悪いと思っているのか、先んじて口を開けた。


「あなたのことだから国語も素の実力は高いだろうと思ってたけど、テストの点数は改竄されて確証がなかったから。早めに明らかにして変に安心してもらうわけにもいかなかったの」


 確かに国語の実力未知数の状態で、もし俺が『不正のせいだったし勉強しなくていいかな』などとなって思って、それで国語がダメダメだった場合も目も当てられない。

 俺であっても麻黒さんと同じ状況であったら、黙っておくだろう。

 よもや麻黒さんは周りからの期待もあり、失敗もできないのだ。

 まかり間違っても、無闇に失敗の確率を上げる選択肢は取れなかったはずだ。


「俺も人に教えることが多いから、ダメになっちゃう可能性とかを考えて天秤にかけることもあるし、陽菜を責めることができないよ」


「それでも不義理なものは不義理だから。それにあの時はデートに行く前であなたのことをしっかりとわかってなかったし」


「今信じてくれたなら十分だよ。それに知らなかったのもお互い様じゃないか」


「そう言ってくれるなら私も自分を許させる気がするわ。……愚問だと思うのだけれど聞いてもいいかしら?」


「何かな?」


「今の言葉って、私のことについて過去も含めて知ったってことでいいのよね?」


 過去を含めて、て言われても今のところわかっているのは祭りのことくらいだし、しかもそれもはっきり言って全貌はわかっていない。

 それを踏まえると知ったと言うには、言い過ぎのような気もしなくもないが。

 だが麻黒さんの期待した目からここで違いますと言うのもかなり心苦しい。


「そうだね……」


「こんなの不正だろうが!! 教師どもを呼んでこい!!!」


 麻黒さんの言葉に答えようと思うと、冬夜の怒声が響き渡った。

 見ると俯いた摩耶を尻目に、取り巻きたちに命令していた。

 命令された取り巻きたちは冬夜のあまりの様子に、蜘蛛の子を散らすように学校の玄関に向けて走っていく。


「お前らよくもこんなことをしてくれたな! 見ろよ!! このメチャクチャなテスト結果を!!!」


 取り巻きから俺たちの方に向き直した冬夜は、鼻息荒くテスト結果の貼り紙を指差す。

 身振りからいして、あからさまに逆上しているのが手に取るようにわかる。

 前で聞いた不機嫌になると黙ると聞いていたが、それに当てはまらないことを見ると、今の取り乱している状態はそれを越したさらに先、不機嫌の向こう側ーー憤怒の領域と言うことだろう。


「はあ……。よくももなにも、正当なテストの結果でしょ」


「黙れ。じゃあ、どうして前回学年1位の摩耶が134位で、10位圏内でしかなかったお前らが1位、2位なんだ」


「摩耶のことはお前が摩耶が勉強が苦手だということを把握してなかったからだろうが」


「馬鹿なことを言うな! お前が器用なのは知ってるが、いくらなんでも馬鹿を天才の最上位まで引き上げられるわけがないだろうが!!」


「バ、ばか!? くっ! そ、そうよ!! そんな馬鹿なことが起こるわけないじゃない。こんなのただの不正よ」


 冬夜が不正だと言った件に反論していると、摩耶がダメージを受けつつも馬鹿であることを肯定しながら自分の罪を隠すために不正の件に便乗し始めた。


「相変わらず、このゴミは……」


 麻黒さんが二人、特に摩耶に向けて凍りつきそうな視線を注いでいく。

 その視線を見た冬夜と摩耶が「ヒッ!」と言って、若干怯んだような顔をした。


「そ、そうだ……。教師を買収したに決まってる! それで摩耶の点数を著しく落とす工作をしたんだ!」


「よくもいけしゃあしゃあと言えるな」


 怯んだことを誤魔化すように、冬夜は声を張り上げて自分の罪状を俺たちに向けて押し付けてくる。

 とんでもないやつだ。


「なんの騒ぎです」


 普段あまり見ない長身のスーツの女性ーーおそらくあまり見た覚えがあまりないので、事務か、何かの職員だろうその人がその場にいる人間に尋ねる。


「やっと来たのか……。はぁ、遅いぞ全く。よく聞いておけ! 今現在公然と不正が行われて、その工作結果が大体的に発表されて俺は極めて不快な思いをしている!!」


「不正? もはやそんなことは起こるはずがないと思いますが」


「うるさい、1職員の分際で俺に意見するな! 今、不正が起こっているんだ!! 火急的速やかにこの貼り紙を剥がして、テストのやり直しを要求する!!!」


「残念ながらその言葉にお応えできかねます。前回まで国語教師と共謀して不正をしていた人間のことは信頼できませんから」


「な!? お前、何を言ってるんだ!!?」


 冬夜が想像だにしていなかったのか、女性職員の言葉に狼狽えて叫び声を上げた。

 仮にも日本一のお金持ちと名高い金山家の人間に対して、真正面から文句を言うなどあの職員は一体何者だと言うのだろうか。


「ははあ! さてはお前、新人だろ! じゃなければ俺に対してそんな不躾な態度は取れないからな! 俺は金山家の人間だ!! 先の言葉を謝罪して、土下座しろ!!!」


「金山家のお坊ちゃんでしたか。お父様とはよく懇意にさせてもらってます。そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はこの学校の理事をさせていただいている天弦綺羅と申します」


「て、天弦だと! なんでクソ忙しなくしている化石貴族が対した用もないこんな日にいるんだ!!」


 天弦家の人で尚且つ理事長だとは想像もしていなかった。

 基本は校長が表立った挨拶やら、行事を取り仕切っている上、平安時代が連綿と貴族の家として名を馳せてきた天弦家は基本歴史のある行事を取り仕切る際に仕事をすることが多く、年中忙しく学園を訪れることは著しく少ない。

 しかもその上、天弦家は露骨に金山家と麻黒家を毛嫌いされているということが実しやかに語られている。

 校長の口を通してではあるが、入学式で露骨なほどに金山家と麻黒家の人間をよく思っていないという旨の発言を俺も聞いてるので、俺も信じており、金山家と麻黒家の人間が一堂に会しているこの場所には現れないと思っていた。

 まさに晴天の霹靂としか、言うことができない。


「それは先ほど言った通りのことですよ。私の学校の職員に対してちょっかいをかけた上に、外部の人間からそのことをせっつかれましたからね。しかもそれが日頃から憎憎しく思っている相手からとなれば、腑が煮えくり帰っていることが想像できないんですか?」


 静かな声音だったが、言葉の節々から激情がダダ漏れになっている。

 相当に怒っていることは間違いないだろう。

 自分が嫌っている相手からの介入で被害を被った挙句、それをまた嫌いな相手からせっつかれれば、苛立つのもわからないでもない。

 冬夜も今自分が追い詰められていることに気付いたのか、慌て始めている。


「もしかして俺にこんな当てつけをいうためにわざわざ来たっていうのか……」


「半分ほどはそれが目的ですね。あなたたちは愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶという言葉の典型ですからね。一度酷い目に合わないと学習しない。ただ勢いのあるだけの調子に乗った成金たちが天弦家にちょっかいをかけて、どうなったか、知らないわけではないというのに。どうしてこんな馬鹿げたことをするのか、私には理解不能です」


「だ、だからどうしてっていうんだよ! 俺の家よりも資産が低いのに、古いだけの家が本当にそんな力があるわけないだろ!! 噂は噂だ!!!」


「それが本当かどうか、これからわかるので期待しといてください」


「な!? 俺の家と戦争しようていうのか!!?」


 真正面から宣戦布告を受けて、言葉とは裏腹に冬夜が震え上がる。

 噂や天弦理事長本人の言葉からして天弦家がかなりの力を持った人間であることはわかっていたが、激怒した冬夜を恐怖させるレベルだとは思っても見なかった。

 今話で出てきた天弦家の歴史が、連綿と成金を葬ってきたものであるのかもしれない。


「馬鹿をいうのはやめてください。楯突いたのはそっちですよ」


「なんでだよ!! 今までテストで不正してもよかったじゃーー」


「黙りなさい。あなたに対する用は済みました」


「っ!」


 天弦理事長は冬夜を黙らせるとなぜか、こちらに顔を向けた。

 嫌な予感がする。


「さて、麻黒令嬢。私はあなたにも腹を立てています。私に不貞の輩がいることを報告してくれたのはいいですが、今のこの馬鹿げた状態はどういうことですか?」


 天弦理事長は当然と言ったばかりに、麻黒さんに対して粉をかけ始めた。

 規定路線らしく、迷いがない。

 一方で麻黒さんの方は少しだけ動揺しているように見える。

 麻黒家と金山家を同時に相手をすることをよしとするということは、御三家の2家同時に相手をするだけの力を持っていると言っているようなものなのだ。

 天弦家がすごいという伝説があったとしても流石に経済界のトップ2を相手にできるなど、流石の麻黒さんでも想像できなかったのだろう。


「馬鹿げた状態というと……。ここで言い争いをしていたことですか」


「そうです。その行動はこの学園のイメージを損なう行動です。今の行動は天弦の家に敵対行……」


 そこまで言うと不意に天弦理事長の言葉が止まり、俺の方を確かに凝視した。


「敵対行為です。次からは気をつけなさい」


「え?」


 完全に敵対行為をすると言おうとしているかと思った直前で軌道修正した?

 流石に訳がわからなかったが、それは麻黒さんも同じようで驚いた顔をしている。


「以上です。生徒たちはささっと解散しなさい」


 理事長はそれだけ言うと、ささくさと学校の方に退散していく。


「さすが悪役令嬢、ガンを飛ばしただけで理事長が」「獲物を取られてブチギレてたのか」「どちらかというと佐藤の方見てたような」「見る訳ねえだろ。あいつはただの庶民のモブだぞ」


 生徒たちはどよめきつつも、理事長のいうことに従い学舎の中に入っていく。

 普通の教師が言っても散るのに時間がかかるのに比べて、テキパキとしているところを見るに、言うだけの影響力は確かなようだ。

 いきなり気がわりして去った理由がわからないが、おそらく俺が懇意にしているお客さんが関係しているような気がする。


「秋也を見た瞬間に尻尾を巻いた。このことから考えるにあの傲慢というまでの自信の源と、あなたに何かしら関係があるのは間違いなさそうね。何か心当たりはある?」


「なんとなくだけど、多分お客さん関連かな」


「お客さんか……。確かに一理あるかもね。あなたと敵対すると芋づる式にその人も敵になるのだったら。もしくはそのお客さんが理事長と協力関係にあって、あなたと敵対した場合には協力を解除されるか」


「敵対することをよしとするとしたってことは麻黒さんと敵対する気がある可能性もあるってこと?」


「少なくとも協力する方向で進んでいたようだし、何かしらの負の感情もしくはどうでもいいと思っているのかどちらね」


「麻黒家クラスのお金持ちをどうでもいい……」


「少数ではあるけどそう思っている人間もいるわ。お金持ちの世界で財力だけが絶対ではないしね。さっきの理事長みたく、歴史を絶対だと思っている人もいるし、発信力だったり、裏社会への影響力とか言うのもいるわ」


「お金持ちの世界も色々あるんだね。最後のは前聞いた花園家だね」


「今回の天弦家と組んでいる家の最有力候補は花園家だけど、あなたと関係がないと言うのは前に聞いたし、ないわよね。他の家はすぐには思い浮かばないわね」



 ーーー


「打ち上げみたいなものしてみたかったの」


 放課後になると麻黒さんが打ち上げをしてみたいと言うことで、近くのコンビニでお菓子を買い込んでくると俺の家で打ち上げ会を始めた。

 実のところ俺もテスト後の打ち上げ会は初めてする。

 摩耶はテスト後は大概何かしらのブランドものを買ってもらいたがったし、冬夜について言えば、テスト結果についての自慢話を帰り道でしてそれで満足していたし、テストで何をしなくとも高得点を取るのは当たり前でこんなもので頑張るなどということはないと言った感じで、打ち上げに誘ってくることはなかった。

 文化祭の打ち上げとかはやっているが、二人きりでというのは新鮮な感じだ。


 お菓子を広げて、早速飲み食いしようかと思うと携帯が震えた。

 今日はバイトは入ってないはずだし、なんだろうと思うと、杜野崎先輩や、他にもいるお客さんから誘いのメッセージが届いていた。


「いきなり、どうしたんだ。みんな」


 いきなりこのタイミングで誘いがあるとは思ってもみなかった。

 みんな手持ち無沙汰になって暇になったのだろうか。

 誘ってくれたところを申し訳ないが、麻黒さんと打ち上げがあるので、全部断りを入れなければならない。


「今朝の理事長との一悶着であなたにどれだけの価値を持っているのか一部の人間はめざとく理解したみたいね」


 断りの定型文を送っていると、いつの間にか麻黒さんが背後に周りこんで、今の状況について分析していた。


「今朝できた俺の価値か。 理事長から絡みをスルーできることかな」


「そう。天弦家は財力が高くなってくると絡んでくるから。今、成長著しい企業は喉から手が出るほどあなたがほしいはずよ。特に杜野崎先輩の家は今そう言った状況にあるし」


「面倒なことになったね」


 普通に政略に関わることのない人生を送ると思っていたため、まさかこんな事態になるとは予想もしていなかった。

 これからこんな感じで、学校にいるお嬢様たちもしくは御曹司たちから接近されると思うと気が重い。


「大丈夫よ。他の人間があなたに近づけないように私がしっかりとセーブをかけるから」


 俺の心配を聞いてか、麻黒さんがひんやりとした笑顔を浮かべて確約してくれた。

 責任を感じて気負っているのか、彼女の背後には鬼気のようなものが湧き上がって見えないこともない。

 まるで宿敵との戦闘に覚悟を決めた歴戦の戦士のようだ。


「頼もしいけど。無理しないようにね」


 やる気になってるところにブレーキをかけるのも悪いので、ほどほどでということにしておく。

 それにこうして彼女が気負っているおかげで、プラスの影響を受けているのは確かなことだ。

 気負わずに、何かしらの致命的な問題が生じるよりも幾分マシだ。


「そうね。今回のことでは理事長の件で返ってあなたの足を引っ張った上に、フォローまでしてもらったのだから」


「そ、そんな俺の問題を解決するために、動いた結果なんだから気にしなくていいよ」


「でも私が余計なことをしなくても、いづれあなたについているお客さんが手を回して解決してくれただろうことは想像に難くないわ。今回の私の評価はから回りしただけというのが妥当でしょう」


「それはわからないよ。お客さんの実態もわかってないし、何か別に目的を持っていて、俺のことを利用するために手厚くしている可能性もあるし」


「そうだとしても、現状であなたを危険を晒したという事実に変わりはないわ」


 麻黒さんの中でこのことで足を引っ張ったというのは動かせないほど決定的なことらしい。

 思い詰めすぎなかんもないわけではないが、とやかく言っても彼女を楽にすることはできないので、良い方向に流れることに祈ることしかできない。


「これからはできるだけ気をつけて行動しないと」


 麻黒さんは決意を新たにしたようで、グッと拳を握ってやる気をためる。

 彼女の精神衛生上の観念からもこれ以上何もないことを祈るばかりだ。

 これだけ人徳のある人間がそう、何度も酷い目に遭うとしたらこの世界には決定的なバグがある。


「そういえば、婚約復活の件で協力してくれたお礼をしてなかったわね」


 俺が世の理に対して反骨心を抱いていると、麻黒さんがいきなりの申し出をしてきた。

 こうしてお礼をするということは、どうやら彼女は今回の冬夜の態度を見て婚約復活させることは諦めたようだ。

 あの場で事実を言う麻黒さんの言葉を突っぱねた上に、あの状態でも摩耶の方を頑なに擁護したのだ。

 寂しくはあるが、その決定をしてもしょうがないだろう。

 それにその決定が今の麻黒さんにとって一番幸せな選択肢だ。


「お礼なんていいよ。命の恩人だし、実際のところデートに付き合ってもらっただけだし、むしろ俺が払うよ」


「命を救ったのは成り行きだし、デートはこっちから頼んーー」


 麻黒さんは否定を入れると思うと、途中で止めた。

 何かに気づいてしまったような。

 何かの糸口を掴んだようなそんな顔をしている。


「じゃあお願いしようかしら」


 途中まで断る文言を唱えていたこともあり、突如回答が180°変わったことに驚いたが、こちらとしてはそちらの方がスッキリするので続きを促すことにする。


「ああ、じゃあどれくらい欲しいかな? 額によっては少し時間かかちゃうかもしれないけど」


「お金はいいわ。あなたしかできないことを頼みたいから」


「俺にしかできないこと?」


 俺にできることと言えば、何某かの教えごとをするくらいだが、すでに完璧超人と言っても過言ではない麻黒さんにそんなもの必要だろうか。

 今必要な能力が不足しているところなど、見当たらないが。


「そう、あなたしかできないことーー私が告白できるまで仮の彼氏として付き合って欲しいの」


 ああ、なるほど。

 前に誰かと恋愛したいとは聞いていたので、その誰かに告白のタイミングが見つかるまで俺で予行演習したいってことか。

 自由恋愛したことがある上、何かしらの柵を持っていないという点を考えれば、確かに身近にいる人間では俺にしかお願いできないことである。


「いいよ。考えると確かに俺にしかできないことだしね」


 麻黒さんは性格も容姿もいいので、普通に俺が惚れる可能性が高いが、その場合受けるダメージはお嬢様と仮とは言え付き合えること自体が望外のことなのでその代償と思っておこう。

 リスクを意識して若干喉が渇いたので、ジュースを飲んで口を潤す。


「じゃあ。いきなりだけどキスしていいかしら」


「ブー!」


 いきなりの予想外に大きい要求に口の中のジュースを明後日の方向に思い切り吹き出した。

 すんでのところで横を向いたので人的被害は奇跡的に起こらずに済んだが、危なかった。


「陽菜。いきなり大きくないかな。一歩目からクライマックスになってるよ」


「でもデートもしたし、大事なことがおわった節目だし、そろそろいいんじゃないかしら。むしろここででしなかったらするいつするかわからないわ」


 確かに仮の期間としては半月前からだし、タイミングとしてもちょうどいいかも知れないが。

 今日で終わりだと思ってたために気持ちの準備が出来ていない。

 だがもうすでに麻黒さんは目を閉じて待ちの姿勢になっている。

 本人は覚悟完了しているが、本当にこのまま行ってもいいのだろうか。

 普通に本命に申し訳なさすぎる。

 セルフ寝取られと言っても過言ではない。


「ん」


 俺が悶々としていると焦れたのか、麻黒さんが目を閉じたまま制服の裾を引っ張っていた。

 か、可愛い……。

 俺の中でぎりぎりで踏みとどまっていた理性が吹き飛んだ。

 これはもう行くべきなのだ。

 ここまでされて、引き下がったらただのクズである。


「ええいままよ!」


 心の勢いのままに、唇に唇を重ねる。

 あまりにも柔らかい唇の感触で、意識が溶けそうになるが、本人の所望の所までは勝手に満足し引き下がる訳にはいかないので持ち直す。

 キスの本番は舌と舌の駆け引きからだ。

 それまでの唇と唇と合わせるだけでは、慣れも予行練習も何もない。

 麻黒さんの口が開くのを待つが中々開かないというよりもこ揺るぎもしない。

 これはこちらから口を開けてほしいとかいうサインか何かだろうか。

 口を開けようと思うと、唇の感覚が遠ざかっていく。


 どうしたのかと思い、目を開けると顔を真っ赤にしている麻黒さんの顔が見えた。


「これがキスね。思ったより刺激的ね」


 麻黒さん、めちゃくちゃピュアだ。

 確信している上に、いっぱいいっぱいになってるところを見るととてもではないがこのさきがあるとは言えたものではない。


 それに伏せておいた方が俺の精神衛生上いいだろう。

 流石に本命差し置いて、ゆきづりの俺がというのは罪悪感が半端ないし。


 唇の感触だけで至上に近いのものだったからな、本命がひたすらに羨ましい。

 告白されたとしたら、そのまま本当のキスをできるのだから。

 おそらく天にも至るような心地になれるのはまず間違いない。


「本命は幸せ者だね」


「ええ、必ず幸せにしてみせるわ。ダーリン」


 本命はキスも将来の幸せも約束されているようだ。

 羨ましさが募るばかりだ。











 




  
















 



 






 


 

 

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