第2話 もう1人の幼なじみ


 夕焼けが街々を染める光景を『悪役令嬢』ーー麻黒陽菜は珍しくぼんやりと眺めていた。

 それというのも許嫁の金山冬夜が起こすトラブルの対処をする義務から解放されたため、移動中に頭をひねる必要がなくなったからだ。

 いつもなら腕組みしながらあーでもない、こーでもないと時間に急き立てられながら考えていることを考慮すれば、かなり贅沢な時間を過ごしていると言っても過言ではない。

 

「お嬢様、ご機嫌よろしいようで」


 主人の滅多に見ない安らいでいる様子を見て、執事の黒桐洋二も朗らかな気持ちになり、笑顔でそう語りかける。


「うん? そうかしら」


 陽菜は言われて、初めて自分の頬がわずかだが持ち上がっていることに気づいた。

 本人にも自覚がないゆえに、陽菜自体もこのことには少し驚きを隠せないでいた。


「お嬢様の険のない表情をしていらっしゃるのは久しぶりですから」


「私いつもむっつりした顔をしていたのね。顔に出ているとは思いもしてなかったわ」


「あの家柄だけの愚劣な男は関係を結んでいるだけでも心労を与えるようなものですからな。しょうがありません。不貞ばかりではなく、あのような女狐の傀儡に成り下がるのですから。旦那様が了承が得られるのならば私から婚約破棄を申し付けたいくらいです」


「黒桐、これからも接さなければいけない人をあまり悪くいうものじゃないわ」


 主人のためを思って幾度も金山冬夜との婚約破棄を訴えていた黒桐にとっては主人の意志とはいえ、即座には答えられはしなかった。

 主人が健在であってそんなことはないはずだが、万が一にも金山を迎え入れるようなことになれば破滅することは避けられないからだ。

 どちらとも取れぬ沈黙で答えるか、と一瞬過ったが先ほどの少年ーー初めて主人に応えてくれた佐藤少年を思い出し、素直に答えることに決めた。

 それというのも黒桐の中であの少年には不思議と主人をそばで支えてくれるような期待が芽生えていたからだ。


「お嬢様がそういうのならば控えましょう。それにあの者には珍しくお嬢様に良縁をもたらしたのですから。家柄はないですが、あの気風のいい少年ならばお嬢様の支えになってくれることを私は確信しております」


「そうね。唯一打算なしに同じ目標を見据えている人だからそうであってくれることを私も祈っているわ。少しだけだけどちょっと昔にあったあの子に似た感じはするし」


 陽菜は確かに期待している気持ちはあったが、許嫁の冬夜のこともあり、初見で信じられるほどものには至らなかった。

 それに陽菜には幼少期に親切にしてくれた初恋の少年の存在が大きかったために、どうしても初見の相手の期待をあれ以上はないと自分から制限してしまう癖があった。

 黒桐はそのことについて感知していないため、許嫁の冬夜のことで人のことが信じれなったのだろうと想像し、表情を暗くしてしまった。


「お嬢様……。もっと周囲の者どもがまともな者であったならば」


 黒桐が深刻そうな顔をしている黒桐をミラー越しに確認した陽菜は失言だったことを悟り、話題を変えるために口を動かした。


「そういえば、黒桐。お父様に今回の件を報告すると言っていたけど、もう返事は来たかしら」


「はい。旦那様からは金山冬夜と佐藤様との関係維持とのことです」


 陽菜にとってその言葉は意外な言葉だった。

 親が大家である金山と庶民である秋也を同列に扱う理由が想像できないからだ。


「佐藤君を名指しで…… 。爺、お父様は他にこのことは何か」


「いえ、それ以上は。ですが、佐藤様には旦那様の欲する何かしらの縁もしくは能力お持ちなのかも知れません。あるいは旦那様と直接の面識があるのやも」


 黒桐は過去の経験からか、そう陽菜に語りかけた。

 バックボーンのない人間が経済のトップにほど近い父親に接触することに関して想像し、かなり人並み外れた経歴を持っているのではないかということに陽菜も思い至った。


「とんでもない掘り出しものだったのかもしれないわね。大概のことは歯牙にかけない人間をここまで動かさせるなんて」


 人格面だけでなく、これから起こるだろう問題を解決する能力も浮上してきたことに陽菜は困惑を隠せない。

 今まで悪いこと続きだったというのに、突然の大きすぎる幸運の訪れが俄かに陽菜には信じられなかった。



 ー|ー|ー


「陽菜さん、気のせいかな。昔、祭りの時に迷子になってた女の子と似てた気がするけど。いや、お嬢様が一人で迷子になるわけないか」


 秋也は過去の記憶から答えを導き出しかけたが、勘違いという結論を出した。

 陽菜と過去に会ったことがある少年は秋也であるが、二人とも気づいていない。

 そして陽菜が恋心を幼い自分に抱いていたことを秋也は過去も現在も全く持って想像もしていなかった。


「もう突発で入ったバイトの時間も近いし、家出るか」


 秋也は過去の記憶に蓋をしてしまうと、学費を稼ぐためにしているバイトに向かった。







 

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