12. 図書室に流れる嫌な空気

 話しかけられるまで全く彼女の存在に気が付かなかった。

 本を読んでいたとはいえ、今はそこまで集中して読書していたわけではない。


「んふふ〜」


 してやったりな顔でニヤける桜ヶ丘さんに、恥ずかしさで顔を見せられないでいた。


「そこまで驚くことないじゃん」


「あんなの、誰だって驚くだろ!」


 確かに奇妙な声を発しながらウサギのように飛び跳ねるのは過剰な反応と捉えられても仕方がないが、本人は全くの無意識であってわざとやった訳では決してない。


「じゃあ、これでさっきの事は許してあげる」


 何が「じゃあ」なのかさっぱり分からないが、やはりあのスタンプは本当に怒っていたのか。


「ご、ごめん。僕が原因だからすぐに行った方が良かったのはわかってたけど」


「──いいよ、別に本当に怒ってるわけじゃないから。これは私の勝手な気持ち。それに、伊上に何を言っても多分無駄よ」


 あんな奴無視しとけばいいのよ、と手でゴミを振り払う素振りを見せながらそう言った。


 僕はまだ伊上慎也という人物をそこまでは知らない。

 彼の良くない噂が時折校内を回っているが、それが真実なのかは実の所みんな知らないという。噂の出どころ自体謎なようで、何故そんな噂を広めたがるのか分からない。


 ただやはりあの見た目に加えて、常日頃の態度や軽率と思わせる発言からも、良い印象を持たれないのは当たり前と言えばそれまでである。


「あのさ」


「ん〜?」


 水の入ったペットボトルを口につけようとしていた桜ヶ丘さんは目線だけを僕に向けた。

 僅かに開いた麗しい唇へとつい目がいってしまう。


「あぁえっと、桜ヶ丘さんって伊上と知り合いなのかなって」


「──ブフッ」


「!?」


 突然飲んでいた水を吹き出して咳き込み始めた。


「私と、伊上が、知り合い……?」


「教室で伊上に話しかけられていたから、てっきり知り合いなのかなと思ったんだけど……」


 何故こんなことを聞いているのか自分でもよく分かっていないが、ふいに知りたくなった。


「……6月くらいにあいつに告白されてから変に突っかかってくるだけよ。あんな奴に気に入られるなんて最悪だけど」


「その告白は」


「──当然断ったわよ!」


 有無を言わせぬ速度で返してきた彼女の顔からは必死さが伺える。


 しかし、なるほど。

 告白を断られた腹いせに付きまとっているわけか。


 イケメン佐藤くんといい伊上といい、告白する者は皆執念深いな。

 他にも両手で数え切れないほどの男子から告白されているであろう桜ヶ丘さんだが、こうして多数人から想いを向けられるのも気持ちのいいものでは無いのだろう。


「凪くんは告白されたこと、ないの?」


「ないけど」


 なんだ告白された回数でマウントでも取ってくるのか。

 ゼロ回数と数多の両者が同じ土俵で競ったところで、スタートを切る前に場外に振り落とされるに決まっている。


 いや、よくある子ども同士の些細な約束間では一度だけ告白を飛ばしてプロポーズされたことはあったっけ──


「顔……もっと見せたらモテちゃうかもね」


 気づいたら至近距離にいる桜ヶ丘さんは僕の前髪に触れて軽く持ち上げて見せた。

 普段前髪で隠している顔が露わになったことで、妙な開放感を味わった。


「……それは嫌だ」


 顔を逸らすとまた前髪が目にかかりいつもの安心感を取り戻した。


「なんで?」


「…嫌だから」


「なんで嫌なの?」


「…………顔を見せることが、恥ずかしいから」


「本当にそれだけ?」


「それだけだから」


 執拗な問い詰めをしてきた桜ヶ丘さんがどんな顔をしているのかは今の僕には分からない。

 苛立ちから多少口調がキツくなったのは、彼女に対してではなくぶり返してきた過去の自分に腹が立ったからだ。


 くだらない劣等感から髪を伸ばすようになった過去は、今思えばさらに負の感情を強くする手助けをしてしまっていた。


 ──ガラッ


 突然、図書室の扉の開く音がした。

 当然ながら、僕たち以外に放課後の図書室に赴く生徒がいたところで特別おかしなことは何一つない。


 のだが、


「……なんで隠れるんだよ!(ボソ)」


「ご、ごめん…!(ボソ)」


 扉の開く音がするなり腕を捕まれ本棚の奥へと身を潜める事態になったのは何故だ。


 入室した生徒は目当ての本を手に取るとその場で立ち読みを始めた。

 その間、僕たちはじっとその人が帰るのを待つしかない。


 しかしそれがお目当ての物ではないらしく、他の場所を見て回り始めた。本棚の隙間からその様子を覗いてみると、近くまでやって来たその人は思わぬ人物だった。


「か、海斗……?(ボソ)」


「……!」


 桜ヶ丘さんとは別れているとはいっても、この状況を海斗に見られるのは流石にまずい気がする。


「え、ちょっと、凪くん……?(ボソ)」


 桜ヶ丘さんをこの場に残し、もうすぐそこまで来ていた海斗の元へと歩み寄った。

 たまたま出会ったかのように、偶然を装って。


 近寄ってくる僕の姿をすぐさま認識した海斗は、本を読むのを中断して視線を向けてきた。


「あれ、海斗も図書室に来るんだ」


「…………凪」


 ただボソッと僕の名前を言ったのだけは聞き取れた。

 僕が図書館にいることに驚いているというよりは、話しかけてきたことに驚いているように見えた。


 何も喋ることなく手に持っていた本を元の場所に戻し、僕を一瞥してからこの場を去った。数秒後には図書室の扉が開閉する音が聞こえた。


 他の生徒には見せることのない無言で冷たい態度。近寄るなと言われている気がした。


「海斗のあんな顔、初めて見た……」


 後ろから姿を見せた桜ヶ丘さんがそう言った。


「互いに喋らなくなってからはこんな状態だよ」


「幼馴染、なんだよね」


「あ、うん聞いてたのか。……中学の頃から最初に距離を置いたのは僕の方なんだけどね」


 おそらく、海斗があのような態度をとるのは僕に対する仕返しのようなものだろうと勝手に思っている。

 ある日突然、昔からの幼馴染が自分から距離を置き始めたら不快な気持ちにもなる。

 今のこの関係は、僕から始めたことだ。


 嫌な雰囲気へと変わる図書室に居続けるわけでもなく、僕たちはすぐに解散した。

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