11. 軽い修羅場
秋というのは案外過ぎるのが早いと思われがちだが、実を言うとそうでもなく明確な実感がないだけなのではないかと思う。
夏が終われば段々と気温は下がり、寒いと感じれば「冬が来た」と思い始める。
暑さから寒さへと移り変わる期間が秋の季節であり、そして寒さから暑さに変わって行くのが春の季節だとすれば、そんな曖昧な期間を認知している人は少ないのではないだろうか。
いつも通りの予鈴5分前に教室へ入り教卓の前を通って窓際まで来ると、そこから最前列二番目の自席へと向かっていく。
なにやらクラスメイトからの視線を幾つか感じる。
「おはよう」
「………」
机に顔を伏せて寝ていた山田はむっくりと身体を起き上がらせて一度僕の顔を確認した後、また夢の中に戻って行った。
「なぁ、渡貫」
「……?」
クラスメイトの一人、野球部の
「ただの噂なんだけどよ、日曜にカストで大田と桜ヶ丘を見たって言うやつがいるんだ。その中に、今そこで寝てる山田とお前も居たらしいんだが、本当なのか?」
「あぁ、勉強会のこと?居たけど?」
「「……!?」」
肯定した途端、クラス中がざわざわと騒ぎ出した。
目の前の八瀬は手に力強い拳を握り締めて身体を小刻みに震わせている。
「それがどうし──」
そう言いかけた時だった。
前の席で寝ていたはずの山田がいつの間に起きていたのかと思うと同時に、手首を引っ張られてそのまま教室の外へと連れ出された。
「お、おいっ」
「いいから」
有無を言わせず手を引かれていく。
階段を上り、そして上って屋上に繋がる階段で足を止めた。
この学校は屋上への立ち入りが禁止されているため、ドアノブには厳重に鍵がかけられている。
「何だよいきなり連れ出して、ビックリしたじゃん」
「……凪、お前状況理解してなさすぎ」
「え?」
「学校で人気の美女二人が特定の男たちと休日に会ってたことを他の奴らが放っておくはずないだろ」
別に彼女たちが誰と会ってようが他の人が気にすることでもないと思うのだが……
「あの場で八瀬に聞かれてそのまま答えるバカがどこにいんだよ」
「ここにいる」
「──バカが。あの瞬間に噂がほぼ真実になったぞ」
「そうか……」
この噂は多分桜ヶ丘さんたちに損がある。そう山田は言いたいのかもしれない。噂はあらぬ方向へと飛んでいっては、また新しい噂を呼びつけてくる。
実は付き合っているなどと噂されてしまう可能性もあるということか。
「──!?ど、どどどどうすればいいんだ山田!!!?」
「は?!気づくの遅せぇよお前」
桜ヶ丘さんによからぬ噂が立ってしまえば、僕の学校生活は罪悪感に苛まれた日常へと変わっていってしまう。
何より桜ヶ丘さんと僕が付き合っているという噂が流れれば、僕は……僕は…………
「多分まだ大丈夫だ。まだ策はある…と思う」
「ほ、本当に?」
若干自信なさげに頷く山田だが、僕にはもう山田以外に頼れる人物がいない。
友達を信じよう。
「それで、他に変な噂流されてなかったか?」
「ん?いや、日曜のことだけだったと思うけど……」
「ならいいわ。とりあえず教室戻ろうぜ、噂を訂正しないとな」
廊下を歩く途中にチャイムが鳴り響いた。小走りで教室に入り席につく。
担任による朝のホームルームが終わり、一時間目の授業が始まるまでの5分間でどうにかして噂を消せないものだろうか。
こういうのは早めに対処するに限る。
「なァ〜結衣ちゃんがどっかの知らねぇ男と会ってたってホントなの〜?」
他クラスからやって来た一人の男がこの教室に入るなり桜ヶ丘さんの席まで向かいそう言った。
一年一組の
入学初日から同学年とは思えない異彩を放っていた生徒だ。
山田のように見た目がチャラいわけではないが、人間をゴミのように見る目つきだったり常にニヤついている表情が周りの人を寄せ付けないでいた。
「宮下と別れたと思ったら次はその男か?イメージとは裏腹に男好きだったのか」
「おい伊上、てめぇ勝手に入ってきてんじゃねーよ」
桜ヶ丘さんに近づく伊上の前に立ち塞がったのは、先程僕の元へ来て問いかけてきた八瀬だった。
野球部エースの八瀬と伊上の大きさはほぼ同格で、あの伊上に臆することなく睨んでいる。
「チッ……なんだよクソ坊主。お前に用はねぇんだよ、邪魔だ。どけ」
伊上の威圧的な態度に、この状況を静観していたクラスメイトは怯え始める。
修羅場の間近にいる桜ヶ丘さんを心配する女子と、自分らには及ばない喧嘩が始まろうとビクつき始める男子。
今この場で八瀬に加勢しようと考える男は誰一人としていない。
段々とこの教室内の空気は最悪なものになっていく。
「邪魔はお前なんだよ、伊上」
対する八瀬は全く動じることなく、むしろ余計に反抗的な態度を見せる。
自分の思い通りに事が運ばないこの状況に、伊上の表情からもイラつきが見える。
クラスメイトの全員が全員、一刻も早く一時間目の数学の町田先生が来ることを願っていた。
しかし生憎と、時間をあまり守らないことで知られているダメ教師町田の到着は期待出来そうにない。
「…!おい凪、どこに──」
机に手をつき、椅子から立ち上がろうとした。
「もうすぐ授業が始まる。早く自分の教室に帰った方がいいんじゃないか、伊上?」
ハンカチで手を拭きながら教室に戻ってきた海斗が、今にも殴りかかろうとする伊上と八瀬の間に割って入った。
「………自分の女だったヤツが他の男に取られた気分はどうだ。……宮下?」
気色の悪い目で桜ヶ丘さんを舐め回すよう見てから海斗へ視線を変えた伊上。
「…………」
「……はっ、相変わらずつまらねぇ野郎だ」
無言で伊上を見つめる海斗には興味をなくし、授業開始のチャイムが鳴ったと同時にこの教室から出ていった。
自分のクラスとは真逆の方向へと歩いていったあたり、授業を受ける気などさらさら無いのだろう。
伊上が去ったことで緊張感から開放されたクラスメイトは、口々に友人と言い合いながら自席についた。
終始、特に表情を変えることなく見ていた桜ヶ丘さんだったが、クラスの女子数人が駆け寄って大丈夫だったかと心配そうに問いかけている。
「……!」
囲まれて心配されている桜ヶ丘さんから怒りスタンプが送られてきた。
「凪、お前さっき行こうとしてただろ」
「元はと言えばあれは僕が原因で起きたことなわけだし、他人事じゃない以上いつまでも静観してるわけにいかないだろ」
「それでも伊上に関わるのはやめた方がいいって。お前のためを思って言うが、あいつのすることは人間以下の
伊上の出ていったドアの先を眺めながらそう言う山田。
どうにも伊上と何らかの関係がありそうな、そんな言い方と表情をしていた。
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中間試験が終わって一時的に勉強から開放された今、読み途中の小説を読むのが僕の楽しみだ。
ふと、いつから僕は小説が好きになったのかと思い始めたがその具体的な時期は思い出せない。
そもそも本を読むことが苦手ではなかったと思う。
趣味もやりたい事もないから図書室にある本を読んでいる。
おそらくはそんな感覚だ。
ミリスタリー・ジェファーソンの3作目『指先の薔薇』
ヒロインの死から始まるこの小説は、その彼氏であった少年が復讐を企てていく中で事件を追い続ける刑事と対決していくというストーリーだ。
少年の生きる理由が彼女の存在から復讐へと変化していく回想シーンが特にお気に入りだ。
最愛の人を殺された瞬間に生まれた憎悪の感情は、それを知らずに生きる者にとっては計り知れない感情である。
いつの日か、僕にも大切な存在ができるのか
「なーぎくん」
「うおぁ!?」
耳元で名前を囁かれ反射的に飛び跳ねた。
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