9. 不穏な雲行き
「じゃあ、俺こっちだから」
「分かった。じゃ」
山田以外は全員、カストからの帰路が同じ方向のため、三人並んで帰ることになった。
ふと我に返ると、この二人の横に並んで歩いていいのだろうかと根底そのものが不安になってくる。
「ん、どうしたの?」
「い、いやなんでもない……」
桜ヶ丘さんを挟むようにして僕と大田さんが両サイドを歩く。とてもじゃないが、大田さんと隣を歩くのは僕にはできない。
「凪くんは集中できた?」
「え?あ、うん。人に教えることでいい復習になったよ」
質問をされる度に自分が曖昧な理解度だったと思い知らされることばかりで、思った以上に充実した勉強会だった。
「よかった。やるって決めた時、凪くん少し乗り気じゃなかったように見えたから」
僕と身長がほぼ同じ桜ヶ丘さんは、僕の顔を横から覗いてきた。
自然と上目遣いに近い状態で彼女のあざとさを感じる微笑みに、胸の奥がギュッと握りしめられる感覚に陥る。
「えっ、そんな表情してた?」
あからさまな態度で示した覚えは全くないが、彼女のその言葉に否定はできなかった。
「ちょっとね。でも他の人がみても気づかないかも」
意味ありげにそう言った桜ヶ丘さんは姿勢を戻して僕から視線を外した。
「紅音は家でもっと勉強しなよー?そのままじゃ赤点まっしぐらなんだから」
「わ、分かってるって!しょうがないじゃん、なんで分からないのかが分からないんだから」
「全然しょうがなくないでしょ……」
中間試験は二日後の火曜日。
家に帰ったらもう一度心配な箇所の復習をしよう。
────────────────────
試験というのは不思議なもので、どんなに直前まで頭に叩き込んだところで、試験当日には確かな自身もなく必ず不安に駆られる。
試験が終わった時には、「もっと勉強しておけばよかった」と後悔することになる。
100%の全力を出し切ることなんて不可能なのだ。
気合いが最後まで燃えつきることなく、不完全燃焼で終わってしまう。
試験後の騒がしい教室を出て、水を買いに自販機まで行く。
「どうだった?」
階段に差し掛かった時に後ろから桜ヶ丘さんが声をかけてきた。
「まぁまぁだった」
「まぁまぁって言う人は、だいたい点数を取れてるよね」
「……でも今回はどうなるか分からない」
自販機にまでついてきて、僕が水を買っている間も後ろで待機している。
「何か用があって来たんじゃないのか?」
取り出し口に落ちてきたミネラルウォーターを手に取り、僕を見つめる桜ヶ丘さんを見つめ返す。
「いや?ただ教室を出る凪くんを見かけたから付いてきたの」
「なんで付いてきたの?」
至って素朴な疑問を投げかけた。
「ダメだった?」
教室に戻ろうとした桜ヶ丘さんは身体をこちらに向き直してそう言った。
「いや、別にダメじゃないけど……」
妙に解消しないまま、それ以上聞くのをやめた。
「凪くん、今日この後用事とかある?」
「……ない」
たしか試験の後は授業があるわけでもなく解散できるはずだ。
通常よりも早い下校だとしても用事らしい用事は入れていない。
「じゃあさ、今日一緒に帰らない?」
「……!」
思わぬ提案に身体がドキッと反応してしまった。
それはどういう意味なのだろうか。
何か特別なことでもあるのかと変な妄想を抱かずにはいられない。
「ねぇ、どうなの?やっぱり何か用事ある?」
「あ、な、ないよ!?」
動揺しすぎてつい変な声を出してしまった。
よからぬ期待を必死に脳内から追い出そうとする。
教室に戻るまでにどうにかして心臓の爆音を静めなければならない。
「なんかさ、小さい頃の自分って今考えると自由だったなーって思わない?」
「え、どういうこと?」
「周りの空気とか、こうでなきゃいけないとか、そういうことは全く考えずに自由な自分を出してたって言うか」
たしかに、今の僕たちがそんな自由奔放にしていたら当然周りの大人から怒られるし、そうでなくともやろうとはしない。
それは、やってはいけないと学んできたからだ。
「でも、ある意味では子どもの頃が一番自分らしさを出せたと思うんだよね」
唐突に話し始めた桜ヶ丘さんは何か関連する過去でもあったのか、少し寂しげな表情でいる。
「凪くんの小さい頃はどうだった?」
「そうだな……確かに自由だったかもしれない。周りの目なんて全く気にしてなかった」
何をやるにも、自分のやりたいように好き勝手やっていた。
「子どもなんてのは、そういうものなんじゃないのか?周りを気にしながら行動してたら、それは子どもとは言わない」
「……確かにそうだね」
「……?」
住宅街の道を歩く二人の間にしばらくの沈黙が流れた。
結局彼女は何を言いたかったのか、僕には分からない。
二度目となる、僕と彼女の家へと分かれるT字路に差し掛かった。
「じゃあ、僕こっちだから」
「うん。また学校で」
それぞれ反対の方向へと向かった。
気まずい空気のまま解散したことで、煮え切らない気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
何となしに、後ろを振り返った。
「あ……」
「えっ……?」
桜ヶ丘さんが腕を伸ばして僕を見ていた。
頬を赤らめて、額にはわずかに汗がにじみ出ている。
彼女の伸びた手は、僕の手を掴もうとしているように見える。
「さくらが──……」
「あ、えっと、あ……の……、私の家、今日誰もいなくて……。だからその、うち来ない?」
「え………──」
見慣れない道を、彼女の後ろを追って歩いていく。
雲行きの怪しい空を見つめては、目の前を歩く桜ヶ丘さんの背中を見る。
小さい背中が今は更に弱々しく見える。
いつの頃だったか、こんな背中を見たことがある。
どういう経緯でこうなったのかは、むしろ僕が聞きたい。
いや、それこそ経緯すらどうでもいい。
何を思って桜ヶ丘さんは僕を引き留めようとしたのかが気になってしょうがない。
「あの、やっぱ僕帰るよ」
「え…….?」
「あ、そういえばこの後用事あるのを思い出して。ごめん」
見え透いた嘘で桜ヶ丘さんが傷ついてしまうのではということを考えもせずに、それ以上にこの場から逃げ出したい思いが強く現れた。
このまま桜ヶ丘さんと一緒にいたらどうなってしまうのかと考えたら、無性に怖くなった。
知らない自分が出てきてしまうような恐怖に捕われる。
「あ……そ、そうだよね。ごめん、私突然変なこと言い出しちゃって」
「………」
弱々しい笑みを見せる桜ヶ丘さんは俯いてそれ以上何も言わない。
──ポツンポツン──……
「雨……」
鼻先に当たった雨粒を合図に、次第に強くなっていった。
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