5. 体育はやっぱり憂鬱だ

 やりたくないと思いながら体育着に着替えて体育館へと向かう。


「今日の体育、バスケやるってよ」


「……別にどうでもいいよ」


 体育の授業の度に喜べるやつはなんと言おうと陽キャなのだ。


 このクラスはそんな陽キャが多すぎる。運動部に所属しているやつが大半だし、それ以外は僕と………山田だけだ!


 え、ウソまじ……?


「山田ってスポーツとかできるの?」


 山田について知っているのはバイトをやっているという事くらいで、それ以外はほとんど山田の素性を知らない。


「できるかは分からないけど、好きだぜスポーツ」


 あ、これはできるやつだ。


 授業の始めに、準備運動として体育館の中で軽い持久走をする。


「はぁ…、はぁ…」


 最近は特に自主トレとかをしていなかったので、中学の頃までと比べると圧倒的に体力が落ちている。


 ノルマの5周をなんとかクリアし、床に寝転がる。


 今もまだ死にそうな顔で走り続けている陸上部の林は、部活をサボりすぎた罰がここで目に見えている。


「林ィーー!!女子が見てるぞ、ガンバー!」


「うぉ、ぉおーー……」


 弱々しいオットセイの鳴き声に似た声で返事した林は、最後の力を振り絞ってゴールの線を跨いだ。


 体育館を半分に切った片側では女子がストレッチをしている。

 ここで恥ずかしいところを見せてしまえば、女子に笑われものにされるだろう。


 今日の男共はいつにも増して体から熱気が溢れ出ている。


 計20人いる男子は4つのチームに分けられ、総当たり戦で行われる。


 どうやら女子もバスケをやるのか、今ちょうど試合が始まろうとしていた。


 一方のチームには桜ヶ丘さんの姿があった。


 そのためか、試合をしていないチームの男子たちはこぞって女子の試合に釘付けになっている。

 もちろん僕も例外ではない。


 ティップオフの合図で始まった試合は最初、相手チームのボールから始まった。


 キャッチしたのは女子バスケットボール部の一年エース 藤沢ふじさわこころだ。


 実を言うと、僕はこの人のプレイを過去に見たことがある。


 身長150センチほどと、バスケをやるには小さいと思える小柄な体格を逆に活かした俊敏なプレイがとても印象的な選手だ。


 素早いドリブルで素人の横をすり抜け、あっという間にフリースローラインまでたどり着いた。


「スキあり!」


 しかし相手側のガードの固さで一瞬足を止めた藤沢さんを見逃さボールを突いたのは、桜ヶ丘さんだった。


「なっ……!」


 バスケ部エースからボールを弾いたこの展開に、試合を傍観していた人たちは一気に盛り上がった。


 藤沢さんの手から離れたボールをすかさず奪った桜ヶ丘さんは、素人ながらに見事なドリブル操作でコート内を駆けた。


 この状況を予想していなかった敵チームは、てっきり藤沢さん一人で活躍してくれるものだと思っていたのか。


 突然敵チームがやって来たことで慌てふためく彼女らを差し置いて、桜ヶ丘さんはスリーポイントラインで足を止めた。


 その場でシュートの構えをとると、思い切り真上にジャンプした。


 手から放たれたボールは綺麗な弧を描き、最後はゴールに向かって一直線に落ちた。


 先制点が決まったことで周囲が湧いていた中、僕は彼女から目が離せなかった。


 今もまだ続く試合でコート内を走る桜ヶ丘さんを目で追いかける。


 実はバスケができたという事実か。

 目を惹くほど美しかった彼女のフォームか。


 シュートした時、桜ヶ丘さんは笑っていた。


 今を楽しんでいるような、嘘偽りない笑顔をしていた。


 自分を全開に出して笑えた時の感情は、いったいどれほど昂っているのだろうか。


 桜ヶ丘さんが得点を決めたことで、この試合に火がついた藤沢さんはこの後バスケ部の意地を見せた。


 桜ヶ丘さんもあの後、必死に粘り続けたが実力の差が明確となって試合終了時には20点の差を付けられた。





 体育着から制服に着替えて更衣室を出た。


 授業は少し早めに終わり、廊下からはまだ授業中のクラスが見える。


「よっ」


 後ろから声をかけてきたのは桜ヶ丘さんだ。


 着替えてすぐ出てきたのか、ブレザーは手に持ち、ワイシャツは少し乱れている。

 髪の毛もいつもより乱れており、顔にはまだ汗が見える。


 ワイシャツの第二ボタンまで開いていて、いつもより肌の露出が多い。


「……!」


 いつも以上に刺激が強く、とても目のやり場に困る。


「ん、どうしたの?」


「いや、……なんでもない」


 極力横を見ないようにして桜ヶ丘さんと廊下を歩く。


 廊下には僕たち以外に誰もいない。桜ヶ丘さんが僕といるところを見られでもしたら、被害を受けるのは彼女の方だ。


「凪くんさ、なんであの時シュート打たなかったの」


 あの時、というのはおそらく僕の試合中でのことを言っている。


 目立たないようコートの端っこで動いていたのだが、たまたまボールが僕に回ってきた時があった。


「あそこで投げちゃえば良かったのに」


「ぼ、僕はバスケできないから……」


 ちょうどスリーポイントラインにいたが、近くに山田がいたので即座にパスした。体育の授業で目立ちたくはない。


 横を歩く桜ヶ丘さんは何を考えているのか、無言で真剣な顔をしている。


 しばらく二人の間に会話はなく、教室から漏れる先生の声だけが廊下に響く。


 と、前から事務員さんが台車を引きながらこちらに向かってきているのが見えた。


 台車には大きいダンボールがいくつも積まれており、事務員さんの顔は隠れていて見えない。

 ということは当然、向こうからも僕たちは見えていない。


 いまだ考え事をしている桜ヶ丘さんは前方を認識できていないのか、廊下の端側に寄ろうとしない。


「危ないよ、桜ヶ丘さん」


 肩にそっと手を置いてやると、まだワイシャツはしっとりとしていた。


 自分に抱き寄せるようにして桜ヶ丘さんの肩を持ってきたとき、ほんの一瞬制汗剤の香りが漂った。


 すれ違いざまに事務員さんがやさしく頭を下げたので、同じようにして会釈した。


「……桜ヶ丘さん?」


 僕の顔を見ながらキョトンとした表情をしている。


「えっと……」


 肩から手を離し、一歩後退する。


「はっ………!あ、その、あ、ああありがと!」


 現実に引き戻されたようにハッとした後、一言お礼を言い放って廊下を走り去っていってしまった。

 あの速さがあればドリブルで藤沢さんにも勝てるんじゃないかと思える。


 途中、教室から出てきた他クラスの三島みしま先生に廊下を走るなと注意されている。


 この場でただ一人取り残され、彼女の奇行に惑わされながらも教室に戻ろうとした時、今さっき自分のやった行いを思い出して足が止まった。


「あれ…………?」


 桜ヶ丘さんのか、肩を、触った……のか?

 ……………僕が?


 何でそんなことをしたのか全く覚えてないあたり、無意識でやってしまったことなのだと思う。


「何やってんだ………!」


 突如やりどころのない羞恥を感じて、今すぐ死にたくなってきた。


 その場にうずくまり、今からでも過去をやり直したい気持ちでいっぱいになる。


「お、おいお前大丈夫か!?」


「あ、はい大丈夫です……」


 再び廊下に出てきた三島先生に心配されるも、立ち上がり何とか教室に戻っていった。

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