3. 試合は突然きまるもの

「はぁ……」


「なに、欲求不満なわけ?キモ」


 ため息を吐けばたちまち罵声を浴びせられる場所が人生のくつろぎの場とは思えない。


 中学二年生の妹は反抗期真っ只中なのか、家の中で会えば睨みをきかせてこうして暴言を吐いて去っていく。


 同居していて会うなという方が難しいため、実際ほぼ毎日だ。


 前は「お兄ちゃん」と呼んで懐いていたのだが、ある時期を境に「クソ兄貴」に降格した。

 いつの時だったかは覚えていない。


 歯ブラシに歯磨き粉をつけて口に入れた。


 歯磨きをしながら昨日の出来事を思い出すと、ため息を吐きたくても今はできない。


 疎遠な関係にあるとはいえ、海斗と一時期付き合っていた人と一緒にいたことに妙な不安感を覚える。


 後ろめたさとも罪悪感とも違う違和感。


 それでいて隣に居ていいのかと思うほどに場違いなルックスに、劣等感を抱かざるを得なかった。


 いつの間に家を出たのか、紗良さらはもう居なかった。


 玄関に鍵をかけ、学校へと向かう。


「うぅ……さむっ」


 吹きつける風に向かって歩いていると、時折前髪を持ち上げておでこを晒しあげてくる。


 上を見上げれば雲ひとつない澄み切ったみ空色をしている。


 こんな寒い日に体育の授業があると、もうすでに一日が憂鬱な気持ちに犯される。




 自転車通学の人たちに抜かされながら校門を通り、上履きに履き替えると階段を上がって二階にある教室へと向かった。


 教室の後ろ扉を開け、自分の席へと向かう途中でクラスメイトと数人で会話していた海斗と目が合った。


 思わず高速で目を逸らし急いで自席にたどり着いた。


 僕の席は後ろから二番目の列の窓際。

 あと一歩後ろに行ければ特等席だったのだが、生憎とくじの運はどうしようもなかった。


 それでもクラス内のほぼ全体を見渡せるこの席はそこそこ良いと思っている。


 とは言っても、実際は見渡すことなどないので着席してからは窓の外をずっと眺めていた。


「おはよー、結衣」


 クラスのギャルの大田おおたさんがそう言ったとき、ゆっくりと顔を右に向けると教室に入ってきた桜ヶ丘さんの姿があった。


 まだ眠そうに目を擦りながら席につき、近寄ってきた大田さんと談笑している。


 桜ヶ丘さんがやって来たことで、クラスの男子は落ち着きがないようにザワザワし出した。


 かくいう僕も、二人の光景をまじまじと見てしまっていた自分に気づき、顔を左に向ける。


 葉が全て落ちきって真っ裸になってしまった哀れな木を眺めながら、朝のチャイムが鳴るのを待っていた。


 クラスで、というより学年で一二を争う可愛さの持ち主が同じクラスに居ていいのかという謎疑問は、度々うちの二組の男子たちが言っているのを耳にした。


 大田紅音あかね派と桜ヶ丘結衣派


 このふたつの派閥は、本人たちの知らないところであらそわれている。


 ただ、どっちが好みかというだけで。


 そんなくだらない事に参加する気は全くないが、全学年でどっちが人気があるのかは少し気になる。


「ねえ凪くん、ここの問題なんだけど……」


 体ごと僕の方に寄せてくる桜ヶ丘さんの肩が、僕の肩に触れた。


 放課後の図書室で、女子に触れただけで緊張して身体が硬直したなんて恥ずかしくて誰にも言えない。


「この公式だと解けないんだよね………って、どうしたの?」


「いや、こんな現実があっていいのかなって思ってただけ……」


 どっちが人気かなんて、どうでもいいんじゃないか。


 桜ヶ丘さんが聞いてきた問題は、つい昨日に僕が躓いたところだった。


 一から説明してやると、すんなりと理解してくれた。


「なんか……意外だ」


「え、何が」


「桜ヶ丘さんって、もっとバカだと思ってた」


 授業中にチラリと桜ヶ丘さんの方を見ると、いつも寝ているイメージしかないからだ。


 逆に考えると、あの状態でなんでここまでできているのかと疑問に思う。塾にでも入っているのだろうか。


「ふっふーん。こう見えて一年の学年末テストで学年12位だったんだから」


 顔をこちらに向けてドヤってきた。


「そういう凪くんはどうなのさ」


「え?」


 ペンを置いて体ごと横に向けてきた桜ヶ丘さんが真剣な顔で聞いてきた。


 決して悪い方ではないが、自分の成績を他人に見せびらかすのはあまり好きではない。


「い、言わない」


「あーー私に言わせといてズルい!!」


 体を揺さぶって言え言えとしつこく迫ってくる。

 白状させたい桜ヶ丘さんに対し、この状況に必死に耐え続ける僕。


 結果は僅差で僕が勝利した。


 観念した様子が全くない桜ヶ丘さんがこちらをずっと睨んでくる。


「な、なに………」


「中間テスト、私と凪くんで勝負しよ」


「勝負……?」


「そう。それで勝った方が負けた方に何か一つ命令できるの」


 まさかの罰ゲームありの勝負だ。


「命令って、なんでも?」


「何でも。あっ、その……えっと、常識の範囲内で……」


 恥ずかしそうに言う桜ヶ丘さんを見て、僕の言ったことがどういう事かを理解したら僕も恥ずかしくなってきた。


「逃げちゃダメだからね」


「わ、分かった」


 急遽決まった試合のためにも、今回の中間試験は頑張らなければいけなくなった。


 恥ずかしくなった感情を抑え、目の前の問題に再び向き合う。


 けれど横を見ると、いまだスイッチが入っていない桜ヶ丘さんがシャーペンを持ったままノートを見つめている。


 何を決心したのか、突然振り向き見つめてくる。


「あ、あの、その……………」


「……?」


 なにか言いたそうにしているが、ここは黙って待った方がいいのだろうか。


「えっと……………ライン、を、交換……しない……?」


 桜ヶ丘さんの真っ赤に染った顔に、ドキッとしてしまった。


「……………え?」

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