2. 自惚れ
この時間になると毎回思う。
「このときの登場人物Aの心情にもっとも適切なものを選べ」
著者が好き勝手書いたストーリーの中でAが何を思うのか、そんなの分かるわけがないだろう。
授業が終わると同時にバッグに教科書を詰め込んでいく。
部活に行く者、帰宅する者たちで廊下は蔓延っている。
隙間すき間を掻い潜りたどり着いた先は図書室だ。
誰もいない図書室のドアを開け、迷うことなくミステリー小説コーナーへと行く。
人物や著者の心情を読み取ることは苦手だが、読書が嫌いなわけではない。
ミステリー小説はそれぞれの登場人物が何を考えているのか自ら考察しながら読み進めていくから面白い。
適切な心情を当てるのではない、コイツがどう思っているのかを想像しながら読むから面白いのだ。
思考に耽っていたために図書室の扉が開いた音に気がつかなかった。
「あっ、いたいた」
本棚の端から顔をぴょこんと出してきたのは桜ヶ丘さんだった。
「………何でここにいるんだ」
「え、ひどくない!?私もこの学校の生徒だよ」
大袈裟な反応を見せてきたことに少し驚いた。
「凪くん何処にいるのかな〜って探して回ってたんだよ?」
「左様ですか………」
何でわざわざ僕を探していたのかは聞かないでおくとしても、静寂な場である図書館にあるまじき異物が紛れ込んできたような気がした。
だからといって「どっか行ってくれ」なんて言えるはずもない。
そもそもこんな美女に対して陰キャの僕がどうこう指図できるほどピラミッドは崩れていない。
目を合わせることすら出来ないというのに。
目当ての本を手に取ると、逃げるように自習席へと座りバッグから学校公式の問題集を取り出した。
「あれ、その本読むんじゃないの?」
「これは……その、家で読むつもりのものだから」
嘘だ。本当は今ここで読みたくて仕方がない。
自分の気持ちを押し殺して試験の勉強をやり始める。
ちょうど二学期の中間試験が近かったことだし、家に帰ったらやるつもりでいたものだ。
「私も一緒にやっていい?」
「………好きにしろっ」
小さくボソッと放った一言は別に聞こえてなくてもよかった。
隣に座ってきた桜ヶ丘さんも同じようにして勉強する準備をしている。
それからは、二人しかいない図書室に静寂の空間が訪れた。
からかい半分に言ったものだとばかり思っていたが、そっと横を見るとしっかりと取り組んでいた。
「ん」
僕が見ていたことに気づいた桜ヶ丘さんが顔だけをこちらに向けて微笑んだ。
窓の外からは部活の掛け声が曇るように聞こえてくる。
しかしこの場ではシャーペンの芯が紙を擦り叩く音だけが響いている。
ふとした瞬間に気を抜くと、隣から甘い匂いが漂ってくる。
一問、また一問と解き進めていく中でそんな誘惑まぎれの香りさえ打ち消すように、次の問題へと進んでいく。
始めてからどれだけの時間が経っただろうか。
窓の外からは部活終了の合図を告げる監督の太い声が聞こえてきた。
設置されている時計を確認すると、短針はすでに真下を向いている。
集中すると瞬きを忘れてしまいがちになる。疲れきった目を力強く瞑り、軽く眼のストレッチをする。
隣を見てみると、ノートの上から腕を枕にするようにぐっすりと眠っている桜ヶ丘さんがいる。
寝音一つ立てずに寝ている彼女に若干申し訳なく思いつつも、時間が時間なために起こすしかない。
普段とは緩んだその顔にドキッとしつつも、控えめに彼女の肩を揺さぶる。
「桜ヶ丘さん、起きて」
「ん〜〜……どうしたの凪くぅん………」
寝言を言う桜ヶ丘さんだが、それでも起きる気配がない。
痺れを切らして少し強めに肩を揺さぶってやると、ようやく目を覚ましたのか身体が起き上がった。
「………ぁあ、え、えっと……え?!あ、あの!」
だんだんと覚醒してきた顔は徐々に赤らみ始めて、終いには真っ赤になった顔を両手で覆いだした。
「……?」
挙動不審な行動を取り始めた桜ヶ丘さんを不気味に思いつつも、僕は帰る支度をしていた。
窓の外は日が沈みきって真っ暗だ。
もう夏から遠ざかっているのだと思うと、また苦手な冬の季節がやってくることに寂しさを感じる。
今はもううろ覚えな小さい頃の夏休みの記憶が微かに思い浮かんだ。
こんだけ暗いと、流石に女子一人を一人で帰らせるのは男としてどうかと考えた。
「もう暗いし、家まで送ってくよ」
誰もいなくなったグラウンドを横目に校門を出ると、桜ヶ丘さんに方向を聞きながら夜道を歩いた。
図書室から終始顔を逸らされているわけだが、彼女が嫌と思うように、僕だって早く帰りたいさ。
このままでは桜ヶ丘さんの家の場所を合法的に知ることができてしまう。
それは桜ヶ丘さんにとっても、僕にとっても危ないことだ。
今のところ僕が利用している道と同じ道を辿っている。
この分かれ道を左に曲がれば僕の家だ。
「ここを……右」
ここでようやく外れた。
「ぐえっ」
右へ進もうと方向転換したところで、何故か突然バッグを掴まれて思わず変な声が出てしまった。
今のは絶対キモがられた。
「ど、どうしたの桜ヶ丘さん」
「ここでいいよ、送るの」
そう言われた瞬間、全てを察した。
「あっ、そ、そそそうだよね。じゃ、じゃあ」
「………うん」
ここで桜ヶ丘さんとは別れ、僕は自分の家へと歩いた。
やっぱり僕みたいな陰キャに家を知られたくはなかったのだ。
想像していたこととはいえ流石にショックを受ける。
しかし何もおかしなことではない。
一度同じ空間で隣り合わせで勉強したとはいえ、それは彼女にとっては何ら特別でもなんでもないこと。
じぶんの自惚れが過ぎただけのことだ。
今日あった事は、とりあえず忘れようと心に誓って玄関の扉を開けた。
「ただいまー」
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