その音が重なるとき
誰かと歩くという行為が苦手だ。
別に集団行動にトラウマがあるとか昔いじめられていたとか、そういった明確な原因があるわけではなくて、ただなんとなくそう感じるというだけのことなのだけれど。
例えば中学二年生の修学旅行、班行動をするときに上手く歩幅を合わせられなかったことだったり。歩くのが速かったから周りに合わせようとした。そしたら今度は遅すぎてしまう。かといって自分本位に歩けば迷惑をかけるとわかっていた。あのときの不自然な歩き方は思い返すたびに顔を手で覆いたくなる。
例えば体育祭の行進だったり。リズムに合わせて足を動かすだけ。ただそれだけなのに、上手く周りと合わせることができなかった。結局旗を持つ係に立候補して事なきを得たけれど、今年の体育祭はどうなるやら。
そんな思考を遮るように春の暖かな風が吹く。実際にはそんな穏やかな表現の風ではなくて、びゅうっと強く吹き付けるようなものだった。桜の木から次々と花びらが舞い、ひらひらと地面に落ちていく。
「春一番かな?」
隣を歩く彼女はそう言った。
そう、私が誰かと歩くということが苦手だと思うときは、例えば友人と二人で歩いているときだったり。
「確かにそんな感じね。目に桜が入ってくるかと思ったわ」
「バッグとか服にめちゃくちゃ付いちゃうよ。本当に邪魔だよね!」
「そう? 確かに邪魔だけど、綺麗だなって思わない?」
「実害が出た時点で私的にはアウトなのです」
彼女の一つにまとめた黒髪に桜が落ちる。それは髪の毛から肩に流れると、そのまま風に運ばれていった。スカートに付いた花びらをパンパンと払う仕草を見せている彼女と知り合ったのは、高校に入学した日。ちょうど去年の今頃だっただろう。上手く教室で周囲と馴染めずにいる私に話しかけてくれたのが彼女、七海奈々だ。
「あ、今日例の新譜、出るらしいよ!」
「本当?」
歩くペースも桜に対する感性も合わない私たちだけれど、それでも友人として過ごしているのはわけがあって、それは一重に音楽の趣味が一致するからであった。
「いつも通り学校のパソコン使っちゃう?」
「一応ダメなことなんだから、そうやって表立って言わないこと」
「はいはーい」
明るく少しいい加減で人に好かれるタイプの彼女と違って、私は暗く真面目、奈々曰く「超堅物」な性格をしているらしい。自分でも多少自覚はあるが、人から言われると中々受け入れがたいものがある。
「でもそんなこと言ってさ、今日の放課後、CDショップは行くんでしょ?」
「……もちろんよ」
けれど奈々にニカっと笑いかけられると、そんな風に言われることも別にいいかなと思えてしまう。彼女の笑顔には変な力があるのだった。
〇
奈々が言っていたように、本来は登下校中の寄り道というのは推奨されていない。そんな厳しい風潮には私たちが通っている高校が格式高い場所であるということが大いに関係している。カラオケやらゲームセンターやら、そういった場所に行かないようにして無用なトラブルを防ぐための処置だ。高校生にもなって、と思うかもしれないが、世の中には私たちの想像を遥かに下回る人というのが存在する。念には念を、ということなのだろう。
「そんなの守る人がいるわけないんだけどね」
「そういうものでしょう」
クラスでは真面目な生徒、で通っている私すら守っていない取り決めに、何の意味があろうかという話だ。ファミレスであったりコンビニであったり、至るところで自分と同じ制服を見かける。それでも何か問題を起こしたというような話は聞かないあたり、うちの学校に通う生徒は根がそこまで悪くないのだろうなと思う。
「学校のパソコン、空いてるかなぁ?」
「私たち以外に私用であそこのパソコンを使う人はいないと思うわ」
生徒会室には一台のノートパソコンが置いてある。一刻も早く曲を聴きたい、なんて理由でわざわざそのパソコンを使うのは私たちくらいのものだろう。
「生徒会に変な人とかいないの? こう、カチャカチャッターン! みたいな人とかさ」
「いないこともないけれど……その擬音はどういうことかしら」
「会ってみたいな。紹介してくれない?」
「機会があればね」
そんな話をしながら歩いていると、目的のCDショップが見えてくる。
「最近さ、音楽も配信ばっかりでなんかつまんないよね。実物があるからこそのよさがあるのに」
不満げに頬を膨らませる奈々に、思わずため息が漏れる。
「あなたではなく、私が買うのだけどね」
「前は私だったじゃん」
「そうだったかしら。折半したような覚えがあるわ」
それにCDではなく生で音を聴いた方がいいという層もいるだろう。人の好みに一概に優劣は付けられないものだ。
「まあまあ、そんなことはいいじゃん。早く学校戻って入れようよ」
こっちなんて見ずにタッタッタと駆けていく。そんな彼女を見て、私は思わず目を細める。私はあそこまで奔放に生きられない。まだ夕日と形容するほど赤く染まっていない太陽を見て、まあいいかと気持ちを切り替えた。
〇
「毎度思うけど綾香ってタイピング速いよね~。さっき言ってたカチャカチャッターン! ってほどじゃないけどさ」
「だからその面妖な擬音はなんなのよ」
買ってきたCDをケースから取り出す。ジャケットの写真は正直よくわからない。中を聴いた後なら意味がわかるのかもしれない。CDを入れて音楽データを読み込ませる。そのファイル名を整理して、私のウォークマンと奈々のスマートフォンへと移す。簡単な作業なのだから奈々にもできる作業なのだが、CD購入の件とは違い、ここで私が作業を担当するのには理由がある。
コンコン、というノック音とともに扉が開け放たれる。入ってきたのは生徒会担当の先生だった。私と奈々を見て、変な表情を作る。眉を下げて困ったような顔かと思いきや、その口元は少し緩んでいて。どういう意図の表情なのかいまいちわからない。
「七海はまた花里に絡んでいるのか」
呆れたように言う先生に対して、奈々は「え~?」と言いながら反論する。
「違いますよ~、花里さんが手伝って欲しいって言うから来てるんですー」
「その割には花里だけが仕事をしているように見えるが」
「花里さんの傍にいるっていうお仕事なんですよ。ね、綾香?」
「ええ。それに先ほどまではきちんと手伝ってもらっていましたから」
私がそう言うと、先生は顎に手を当ててこちらを見てくる。パソコンは誰かが来たときのために、すぐに生徒会の仕事画面へと切り替えられるようにしてある。特に怪しまれる要素はない。
「まあ花里が言うならそうかぁ。作業はいいけど、遅くなり過ぎないようにしろよ」
「はーい」
「わかりました。ありがとうございます」
先生は手をひらと振りながら生徒会室を後にする。
私が作業を担当する理由というのは至極単純で、奈々が生徒会のパソコンを使っていると言い訳がしづらいからなのだった。
「バレなかったね」
「もしバレていてもあの先生なら特に何も言わないでしょうね。正直助かるわ」
CD音源をスマホに入れ終わり、奈々に手渡す。「ありがとー」と気持ちの籠っているんだか籠っていないんだかわからない声音で言われる。それに対して私は「どういたしまして」と形式上の返答をした。
CDショップと学校の往復、既に日は沈みかけており、生徒会室に真っ赤な光が差し込んでいる。カタカタと風で揺れる窓、その施錠をしてノートパソコンを仕舞う。
「帰りましょうか」
帰り支度が終わった後、奈々に声をかけると彼女は楽しそうに返事をした。
私と奈々は電車通学で、だから自然と同じ時間に帰ることが多かった。ほぼ毎日、一年近く隣を歩いているにも関わらず、私と奈々の歩くペースは全然揃わない。もちろんそれは私の変な性質に起因しているのだろう。人と歩くことが苦手という性質。自分で言ってみても正直よくわからない。おそらく他の人にとっても同様で、相談してもただ足並み揃えて歩けばいいだけだと言われるのがオチだ。
「……一緒に聴く?」
イヤホンを片方差し出すと、奈々は「聴く聴く!」と奪い取るようにしてそれを左耳に着ける。大した音もしない道、聞こえるのは激しくかき鳴らされるギターの音、それを確かに支える圧倒的な技量のベース、どこかの誰かに向かって訴えるようなシャウト。
私と、彼女の足音。
不意にその二つが重なる。
歩くペース、音楽の趣味、生き方のテンポ。それは人によって様々で、それが重なり合うときなんて、今みたいに瞬間的にしか存在しないのだろう。
だからきっと、そんな瞬間を増やすために人は努力するのだと思う。嫌いなものを好きと言ってみたり、合わない歩幅を合わせてみたり。
「綾香、何かいつもと歩くペース違くない?」
「気のせいよ」
音が重なるその瞬間を踏み外さないように、私はゆっくりと一歩、一歩と歩みを進める。
性格も考え方も合わない私たちだけれど、妙なことに音楽の趣味だけは合うみたいだから。もう一つくらい、合わせてみたっていいだろう。
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