記録3 現実
神聖マルガリア王国と、ガーエルン帝国が交わる国境。
二つの国の境目に当たるその場所が、今回の戦争における前線となっていた。
私がそんな前線にある、一つの村を訪れたのは。ストモルイ邸での一件が片付いてから、一か月後ことだった。
悪魔祓いは兵士や戦士ではないものの。神聖魔術の使い手として、救護や補助に駆り出されることがあるというのは知っていた。
今回は拠点としていた村が敵の襲撃を受けて壊滅したため、その後処理と拠点の移動を手伝って欲しいとのことだった。
「戦争というものが、どういうものか―――その目で見てみるのが、一番でしょう」
リインに任務内容を伝えた、ドゥーガル司祭がそう言っていたその言葉を。リインは同僚の悪魔祓いと共に、馬車から降り立った瞬間即座に痛感していた。
散乱した瓦礫の山に、肉が焼ける臭い。近くには下半身の吹き飛ばされた少年の遺体が転がっており。爆音と悲鳴が、絶え間なく響いている。
辺りを覆いつくす煙と煤煙に、まともに息をすることもできない。遠くからは負傷兵の呻き声が聞こえてきて、生々しい怪我の臭いが、他の悪臭に混じって漂ってくる。
「う、おえぇ……」
「マニュ」
背後に顔を向けると、共に訪れたエマニュエルが嘔吐していた。私は無言で、彼に近づくと背中を叩く。
「厳しいことを言うかもしれないが、吐いてる暇はない。マニュは負傷者たちの方を頼む」
「はい……」
目を背けたくなるような、悲痛な光景。それでも自分は、向き合わなければならない。
口を布で覆って、私は腰に下げた鞘から剣杖を抜くと、命じられた「仕事」に取り掛かることにした。
手始めに、近くに転がっていた少年の上半身に剣杖を向け、神聖魔術の祈りを唱える。効果によって、死体が霧散すると。今度は強力な神聖魔術によって、瓦礫を粉砕し確認作業を行っていく。
今回任された仕事は、壊滅した拠点の後始末であり。死体を処理して、瓦礫を片付け、もしマルガリア軍に関するものが出て来た場合は、それを処分する。
「おい、マルガリアの兵がいたぞ!」
背後からそんな声がして、リインは振り向いた。今日はいつもの制服ではなく、マルガリア軍の軍服を着ているため、ガーエルンの兵士たちに敵だと認識されたのだろう。
すぐに振り向いて、剣杖を振り抜きながら詠唱をする。剣の先から直線的な閃光が迸ったかと思うと、ガーエルンの兵が手に持った銃の引き金を引く前に、彼らの体を吹っ飛ばす。
「がはっ、こ、こいつ……」
死にこそしてはいないが、重傷を負って倒れ込んだガーエルンの兵士たちから銃を奪い、使えないように破壊する。
「神聖魔術……てめえ、教会の犬だな」
銃を鉄くずに変えた直後、背後から吐き捨てるような声が聞こえて、私は振り向いた。動揺はしていないはずだが、微かに呼吸が上がる。
「神の名のもとに人殺しってか。くくく、マルガリアらしいな」
「……黙れ」
兵士の傷を踏みつけると、彼は呻き黙り込んだ。私はそんな兵士に背を向けて、微かに呼吸が早まるのを感じつつも、再び作業に戻る。自分たちと入れ替わりで拠点の移動を開始したマルガリアの部隊は、今頃新しい拠点へとたどり着けただろうか。
時折襲ってくる兵士たちに対処しながら、私は瓦礫と死体とマルガリア軍の物資の残骸を片付けていった。単なる携帯食品の包装紙でも、敵にとっては十分すぎる情報になってしまうのが恐ろしいことだ。
日が暮れるころには、村全体をぐるりと回り終えて。砕けた瓦礫の山の前で剣杖を下ろして、煤汚れた顔に浮かんだ汗を拭うと、私はやっと息を吐き出した。
喉がカラカラだが、撤退用の馬車が来るまでまだもう少し時間がある。その間に見落としが無いか、もう一度確認しておこう。
そう思い、私が歩き出そうとしたところだった。
「あの……」
背後から呼びかける声が聞こえて、私は素早く剣杖を握り直し振り向く。
だが、そこに立っていたのは、ガーエルンの兵士ではなく、一人の少女だった。頭と腕に包帯を巻き、右腕の手首から先が無い彼女は、私のことを見上げると擦れた声で言った。
「おねえさん……教会のひと?」
「あ、ああ……」
微かに動揺を滲ませながらも私が頷くと、少女は安堵したように頷いた。
「よかった……実は、わたしのおにいちゃんが大変なの。お願いです、お兄ちゃんを助けてください」
「……そうか」
その言葉を、肯定と取ったのだろう。少女は微かに微笑んで、私に背を向けて歩き出す。
少し迷って、私は少女の後をついていくことにした。まさかこの村にまだ、生存者がいたとは思わなかった。
後始末の一つとして、「生存者の処分」がある。村に元居た住人や、負傷して動けない兵士から、情報が漏れることの無いよう。きっちりしっかりと、「片付ける」のだ。
かつてのあの人ほどではないにせよ、一級悪魔祓いとして今まである程度手を汚して来た自負もあるし、今日も何人もの兵士を「撃退」した。
しかしそれでも、傷ついた村の住人を殺すということに、私は微かな抵抗を感じていた。これはきっと、自分が未熟であるせいだ。あの人なら、自分が誰よりも慕い、誰よりも憎むあの男なら、きっと微塵も躊躇することはなかったのだろう。
「おねえさん」
少女の声が聞こえて。私ははっと立ち止まった。いつの間にか、村の外れに来ていて。積み重ねられた瓦礫の山の陰に、小さな防空壕があるのが分かった。
「こっち」
そう言って、少女は防空壕の中に入る。相変わらず迷いを感じながらも、私も少女に続いて中へと踏み込んだ。
入った瞬間、強烈な腐臭と血の臭いが漂ってくる。防空壕の中には、負傷した人間が何人も詰め込まれていて。何人かはすでに息絶えており、蛆が湧いて腐敗が始まっている。
少女はそんな負傷者の中の一人に駆け寄ると、私のことを手招きした。
「おにいちゃん、助けが来たよ」
私が近寄ると、彼女の兄の姿が露わになった。片足が吹き飛び、片目はぐちゃぐちゃに潰れて。腹部にバック利と開いた傷は糸で雑に縫い合わせられており、そこから溢れる汁と血を、蛆や蚋が這い啜っている。
「おにいちゃん、おにいちゃん」
呼びかけて縋る少女に、私はなんと言っていいか分からなかった。少女の兄はもう明らかに手遅れで。治療を施すよりも、このまま一思いに殺してしまった方がずっといいだろう。
「おねえちゃん、おにいちゃんを―――」
汚れた頬に、涙をこぼしながら。少女は立ち尽くす私に向かって、懇願するように言った。
「おにいちゃんを、助けて」
その時のことだった。背後で大きな爆発音がしたのは。
私はすぐさま剣杖を握り、背後を振り向く。それとほぼ同時に、防空壕の入り口から、銃を持ったガーエルンの兵士が踏み込んできた。
「こんなところに隠れていやがったのか!」
軍服を着た私に気付いて、ガーエルンの兵士が銃口を向けると同時に。
構えた剣杖の刃を向け、私は素早く詠唱を行う。直後、私の眼前に大きな光の防壁が現れ、兵士の放った弾丸がそこに突き刺さった。
「お返しだ!」
さらに追加で詠唱を決め、張った防壁を光の矢に変化させ、兵士の腹を真っ直ぐ貫く。彼が死に際に放った弾丸が、私の頬をかすめるものの。兵士は直後力尽き、その場に倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
頬の傷から流れる血が、口を覆う布に吸い取られていくのを感じながら。私は荒い息を吐き出した。
「おねえちゃん……」
背後から、少女の呼ぶ声がして。私は剣杖を収めて振り向いた。振り向くとそこには、嬉しそうに微笑む少女の顔があった。
「護ってくれて、ありがとう」
「……ああ」
私は少女に頷いて見せる。その時の顔はきっと、とても悲しそうな表情を浮かべていたことだろう。
それから数分後。私が防空壕内の「処分」を終えて外に出ると。向こうから、げっそりとした表情のエマニュエルが駆け寄って来た。
「リイン……」
「マニュ、そっちはどうだったか」
「無事、終わりましたよ、なんとか……」
「そうか……私の方も、片付いた」
薄汚い顔を突き合わせて、私たちが言葉を交わしていると。村の出入り口から、馬車の駆動音が聞こえてくる。
「どうやら、迎えがきたようだな」
「そうですね」
それからもう、何も言うことはなく、私たちは無言で、迎えの馬車の元に向かった。
迎えは二台のぼろ馬車で、私たちが近づくと、中から一人の男が降りて来た。自分たちと同じく軍服を着ているものの、首から大きな十字架を下げた男の姿を見た私たちは、同時に目を見張って言った。
「ドゥーガル司祭殿……」
「父さん……」
「リイン、エマニュエル。今日は良くやってくれましたね」
労いの言葉を投げかけたドゥーガル司祭は、息子であるエマニュエルに視線を向ける。
「馬車の中に水と食料があります。帰りはゆっくりと休むといいでしょう」
「……はい!」
嬉しそうに頷いて、エマニュエルは他の悪魔祓いと共に、ぼろ馬車の中に乗り込んだ。
「……リイン」
エマニュエルたちの姿が完全に見えなくなると。司祭は私の方に振り向き、鋭い視線を投げかけてくる。
「戦場は、どうでしたか」
「……」
「これが現実です。そして負けたら、この現実がマルガリア全土に広がるんです」
「……」
「そうならないためにも。アルバストゥルの力が、あなたの力が必要なんです」
私の脳内に、助けを求めた少女と、彼女の兄である瀕死の少年の姿が蘇る。
もし、自分がアルバストゥルを憑依し、「蒼の聖女」となったのならば。彼女たちを助けられた、いやそもそも彼女たちのような者は生まれなかった―――。
「少し……もう少しだけ、時間をください」
「時間、ですか」
「心の整理を、つけたいんです。お願いします、司祭様」
私が頭を下げると、ドゥーガル司祭は静かに頷いて見せた。
「分かりました。しかしこうしている間にも、刻一刻と時が過ぎていることは忘れずに」
分かっている。こうしている間にも、最前線ではマルガリア軍の兵士が死に続けて。戦況は刻一刻と悪化しているのだ。
だが。決断をする前に、どうしても会っておきたい、話しておきたい人間がいる。
ドゥーガル司祭が馬車に乗り込んだのを確かめてから、私は黄昏に染まった空を見上げ、小さく彼の名を呟いた。
「シェーマス……」
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