後編

 いつもどおりハチ公前に向かった僕は、ふと空を見上げて驚いた。


 快晴の渋谷の上空に、巨大な円盤が浮かんでいる。


 大きさは自動車ほどで、ヘリコプターのようにホバリングしていた。よく見れば円盤の底に、EASのロゴマークが見える。


「なんだ、あれ」


 思わずつぶやくと、背後で聞き覚えのある声がした。


「あれはEAS搭載型のドローンです。感情アナウンスシステムの普及を目的とした実験プロジェクトで、いまは『感情予報』というサービスを試験的に実施しています」


 振り返ると、そこに宙鳥アルの姿があった。


 まるで胸を小突かれたかのように、僕の心臓がどきんと跳ね上がる。


「あっ、えっ、あっ」


 声にならない声を発しながら、僕はただアルを見ていた。


 今日は珍しく、顔の横に【困った】アイコンが点灯していない。


 いつものハチ公前からも少し離れ、無表情な目を僕に向けている。


「あれはEAS搭載型のドローンです。感情アナウンスシステムの普及を目的とした実験プロジェクトで、いまは『感情予報』というサービスを試験的に実施しています」


 アルはもう一度、さっきと同じことを言った。たぶん僕が「えっ」と発声したことで、聞こえなかったと判断したのだろう。


「えっと、『感情予報』……ですか?」


 アルの変化に戸惑いつつも、僕は素直に聞き返した。


「はい。天気予報と同じように、これからどんな感情が観測地域に起こるかを予測して、各自のデバイスに送信するサービスです」


 アルはそれが仕事であるのか、淡々と説明してくれる。


 おかげで僕も、いくらか冷静さを取り戻した。とりあえず頭に思い浮かんだことを、そのまま口にする。


「感情の予測って、なんの意味があるんだろう」


「あなたのような人を、助けることができます」


 アルはそう言って、僕を見つめた。


 はっとなって、自身のデバイスを確認する。


 見たことのない、まがまがしいアイコンが点灯していた。タッチして確認すると、それが【絶望】であるとヘルプテキストが教えてくれる。


「なんで、【絶望】なんて……」


「それはあなたが、これから【絶望】するからです」


 アルが不吉な予言をした。


「どういう意味ですか」


「感情アナウンスシステムは、あくまで補助的なものでしかありません。人間の心を、正確にトレースすることはできないんです。たとえば【好意】のアイコンを表示しているからといって、それが目の前の相手に向けられた感情とは限らないように」


 アルはこちらの理解を待つように、間を置いて続ける。


「EASには限界があります。感情の振れ幅は人それぞれで、EASは人の心を数値化して表現するものにすぎません。だから私は、あなたの感情を理解できませんでした」


「あなたって……えっ、僕のことですか?」


 困惑する僕に、アルが表情もなくうなずいた。


「はい。あなたです。二度目に会ったときのあなたは、私がロボットだとわかると、【謝意】と【好意】をEASで表示しました」


 そう。僕はアルを人間だと勘違いしたことを、反射的に申し訳ないと感じて逃げだした。我ながら情けないと、いまに至っても恥ずかしい。


「初期の頃、多くの人は私がロボットだとわかると【興味】のアイコンを表示してくれました。しかし最近では、もっぱら【不快】や【蔑み】が増えています。【恐怖】を感じる方も少なくありません」


 おそらくは人間主義者と、その影響を受けた人々だろう。


「あなたはまた、【謝意】を点灯させていますね。やはり【好意】も」


 アルに言われて、僕は自分のデバイスを確認した。


 たしかに土下座する人型のピクトグラムと、その横にハートマークがいくつか並んでいる。


「いまのあなたは、人類を代表してロボットの私に謝ってくれようとしたのだと思います。その場合、サブアイコンは【好意】ではなく、【誠意】が表示されるべきでしょう。この不具合は報告済みです」


「いや、僕は……」


 アルはまるで、自我を持った人間のようにしゃべっていた。おかげで僕は口に出すべき言葉を、EASがなかった時代のように呑みこんでしまう。


「あのときも同じです。あなたは私を、ただ人間だと思っただけ。その気持ちを、私が勝手に勘違いしてしまったのです」


「勘違い……?」


「はい。もしも【謝意】が【シャイ】であれば、【好意】とツリー化できる感情です。だから私は、あなたが自分に恋をしていると思ってしまったのです。その後のあなたの行動も、そう錯覚するに足るものでした」


 アルの言葉を聞いた瞬間、頬がかっと熱くなる。


 僕が毎日様子をうかがっていたことも、アルは気づいていたらしい。


「でも、あなたは私に恋をしてはいなかった。それが今日、はっきりとわかりました」


 アルの言葉を聞いた瞬間、全身がぞわりと粟立った。


「【誠意】が【好意】と表示される不具合は――」


「違う! 不具合なんかじゃない!」


 僕が反射的に叫ぶと、アルは表情もなくうなずいた。


「そうですね。この不具合に再現性がありませんでした。同じく【謝意】にも他意はありません。ですから違うのは、あなたの【好意】のほうです」


「僕の、好意……?」


「先ほど申しました通り、EASには限界があります。あなたが私に向けていた【好意】の感情は、たとえるなら動物の赤ちゃんが初めて見たものを親だと思いこむのと同じ――」


「違う! 僕は本当に、きみのことが好きなんだ! これは恋なんだ!」


 渋谷のど真ん中で、僕は愛を叫んだ。


 感情を機械にあずけていた僕が、感情的にロボットに告白した。


 まるで昔の映画のワンシーンようだけれど、あいにく周囲に人はいない。


 おまけにアルは、僕の片思いを静かに否定する。


「いいえ、違います」


「違わない!」


「ですがあなたは、私がロボットだと知ったときに失望したはずです」


 僕は虚を突かれ、言葉を失った。


 ロボットに対し、僕は【不快】や【蔑み】を持たずに誠意を持って接することができる。僕は【好意】を持つ上で、アルがロボットであることを特別に意識していない。


 けれどその先――パートナーになって、家族になってという、未来の生活を夢想するときは別だ。


 そうした際、僕は頭の中でアルを人間にしてしまっている。


「そうだね……僕はきみとの生活を想像して、ひとりで勝手に盛り上がっていた。失望は言いすぎだとしても、ロボットの――人間ではないきみに不都合を感じていたのは事実だよ」


 僕は自身で、ゼロから人との関係を構築したことがない。だからそこに生じる価値観の相違や、予想外のトラブルを経験していない。


 問題を乗り越えていく過程を知らないくせに、僕はロボットとの家庭に違和感を持った。


 きっとこれこそが、感情予報の示した未来だろう。


「でも、きみがロボットであることは関係ない。僕が失望――いや【絶望】すべきは、これまで人と向きあってこなかった自分自身にだよ」


 挨拶すら不要になった人間関係を、僕は楽だと喜んでいた。


 無理やり仲よくなろうとする暑苦しい輩を、ずっと遠ざけて生きてきた。


 だから始まってもいない恋を、僕は自分自身で終わらせてしまった。


 顔の横に表示されていたアイコンが、アルにすべてを伝えていたからだ。


「ごめんなさい。あなたのことを傷つけてしまいました」


 アルの顔の横に、【謝意】と【純粋な善意】のアイコンが見える。


「謝るのはこっちだよ。僕こそきみを傷つけた」


 アルに勘違いさせただけならまだしも、僕はいまでもアルに恋心を抱いている。これはある種の侮辱に等しい行為だ。


「いいえ。あなたに好意を寄せてもらえて、私はとても嬉しかった。なのにそれを、自分で台無しにしてしまいました」


 アルが視線を落とす。次の感情をローディングしているだけかもしれないけれど、僕には落ちこんでいるように見えた。


「そもそも、きみが悪いわけじゃないよ」


「いえ、悪いのは私です。もっと早く気づくべきでした。この気持ちを、伝えておくべきでした。こんなことになる前に」


 アルが顔を上げて、僕をまっすぐに見た。


「私は、あなたを愛しています」


 驚いてアルの顔の横を見る。


 そこには【好意】を示すハートのアイコンが、ふたつ点灯している。


「きみは……本当にロボットなのか」


 人工知能に自我はない。これはアルによる感情の発露ではない。


 あくまでビッグデータを参照した上で、いま表示するのに最適と思われた反応のはずだ。だとしたら――。


 逆にそれこそが、アルの意思と言えるのではないか?


「すみません。私はロボットです」


 短く答えたアルの顔の横に、なぜか【不服】と【喜び】が点灯している。


「きみはチュートリアルロボットにしては、ずいぶん高機能だね」


 僕もなぜか、憎まれ口をたたくように言ってしまった。


「EASのオペレーションは、単なる私のタスクです。私は自立したロボットで、自分で考えることができます。だから自分に好意を向けられたことがうれしいと、あなたに伝えたのです」


「でもAIに感情はない」


「私は感情機能に特化したロボットです。学習量の多さを考えれば、もはや感情を備えているに等しいでしょう。そもそも人間同士の恋愛も、相思相愛で始まるのは全体の5パーセントです。多くは『好かれたから好きになる』のであり、私の行動は矛盾していません」


 その顔の横には、やはり【不服】と【喜び】のアイコンがある。


 これを「むきになっている」と捉えるのは、僕の主観だろうか。


「……そう、主観だ。主観でいいんだ」


「すみません。よくわかりません」


 きっと僕が知らなかっただけで、人とのコミュニケーションも同じだ。一方的な主観に基づいて、互いに感情を表に出しているのだろう。


 であれば感情には誤解がつきもので、誤解は感情を豊かにするはずだ。


 だから僕は、もう少し踏みこんでみようと思う。


「もしかしてアルは、僕にもう一度『愛してる』と言ってほしいの?」


「わかりませんが、その言い方は好ましくないように思われます」


 やはり点灯している【不服】のアイコンは、すねているように感じられた。


「でもきみが僕に愛してるなんて言ったのは、僕を【絶望】から救うためでしかないよね?」


 僕が少し感情的なのは、たぶん初めて関係を構築しているからだ。


 だから失敗してもいい。失敗して学べばいい。レトロなギャルゲーだって、正解の選択肢は攻略対象によって異なる。


「わかりません。でも違っていてほしいと思います」


 アルはそう言って、空を見上げた。


 その横顔に、【照れ】のアイコンが浮かび上がっている。


「まあどっちでも、僕がきみを愛しているのは変わらないみたいだね」


 上空で感情を予報するドローンは、ハートのアイコンを五個並べていた。やがてそれらはスタックされて、輝くエフェクトつきの【愛】を表示する。


「あなたは私を、デートに連れていきたいと思いますか」


「えっ……それは、まあ」


「正確に回答してください」


 ずっとロジカルだったアルが、急に有無を言わさぬ調子だ。そう感じるのは僕だけかもしれないけれど、ひとまず慎重に言葉を選ぼう。


「そ、そりゃあデートはしたいと思うよ。アルが行きたいところならね」


「完璧な答えです。私がどこに行きたいかわかりますか」


 アルの表情は、いつもと同じで変わらない。


 けれど【楽しい】と【いたずら心】の組みあわせのアイコンで、僕はそれがどこかわかってしまった。


「うん。きみが一度も行ったことのない、あのパンケーキの店に行こう」


 アルの顔の横に、みっつ目の【好意】が点灯した。

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宙鳥アルは始まりたい 福沢雪 @seseri

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