なりたいものに なればいい
「じゃあ、なっちゃいましょう!」
「え?」
あえて明るく言って、脇谷は立ち上がる。
「風魔さんが言ってたの、事実だと思うんですよ。ここなら全部、やり直せる」
ちょっと癪ですがね、とつぶやいた声はスザクとアマテラスに聞こえただろうか。
「やり直し……」
「です。自分は忍者になりたい。ここならなれるから。スザクさんはどうします? 英雄? 勇者? それともいっしょに忍者、目指します?」
忍者、とくちにする声がほんの少しだけはずんでいるのに自分で気がついて、脇谷の心はウキウキとしてきた。
その気持ちが伝わったのか、あるいは提案を冗談だと思われたのか。
スザクもまた自然と笑っていた。
「はは。そうだなあ。英雄に、なりたいな。英雄でなくてもいいから、たくさんのひとが笑って過ごせる手伝いができたら、うれしいなあ」
周囲は怨嗟に沈み、自分たちもいつ呑まれるかわからない。
お先真っ暗どころか周囲も真っ暗で絶望的な状況だというのに、スザクはおだやかに笑って答えた。
「そうか。それは良い夢っ……!」
「アマテラスさん!?」
微笑んだアマテラスの顔が不意に歪み、身体が強張る。
ふらついた肩を支えるために伸ばしたスザクの手のなかで、アマテラスの肩がじわりと薄くなる。
「え!?」
「あらま」
驚いているあいだに、アマテラスの身体はじわじわ縮んでいく。
すらりとした手足はちんまりと短く。
切れ長の目はくりくりと丸く。
よく育った胸やくびれはだんだんと凹凸のない身体へと形を変えていく。
「陽が落ちてしもうたか。まずいな……」
ぶかぶかのアマテラスの装束に包まる少女の声はずいぶんと幼いが、その口調はアマテラスのものだ。
「あ、アマテラスさん?」
「あららららら。ここに来てますますピンチですね」
戸惑うスザクをよそに、脇谷はどうしたものかと頭をかく。
「説明する間が惜しい。もうじき我が神力は途切れる。飲まれるまえに、そなたらの力でどうにかここを切り抜けねばならん」
そう言うそばから少女の身体はさらに縮んでいく。
それに比例するように、三人を包んでいた淡い光の膜も小さくなっていく。
「そんな、どうしたら!」
『飛び苦無』
慌てるスザクをよそに、脇谷は術を行使する。
瞬きの間に両手に現れたのは、縄のついた小さな鉄器だ。
「ん、うん。よし」
二度、三度と握りを確認した脇谷は繭のうえで立ち上がる。
そして右手に握った鉄器をはるか上方に投げる。
続いて左側も。
「んー。ホームラン、ってとこですか?」
鉄器はどこまで飛んで行ったのか。
黒く淀む怨嗟のせいで見えないが、落ちてこない。
そして、鉄器についていた縄が怨嗟のなかに二本垂れさがっているあたり、どこかに刺さっているのだろう。
「はー、便利なもんですね。神力を使えば縄はいくらでも伸ばし放題」
「あの、もしかしてそれ……」
目の前に垂れた縄をぐいぐいと引っ張っている脇谷に、スザクが遠慮がちに声をかける。
「よくぞ聞いてくれました! 今からこちらを登ります!」
「この、先の見えない縄を……?」
スザクが顔を引きつらせ、アマテラスとふたり見上げている。
けれど、どれほど目を凝らしても縄の先は見えないだろう。脇谷の忍者な目をもってしても見てないのだから、無理もない。
「この場を満たす怨嗟を祓う術を自分は持ちません。だとしたら脱出以外に道はないでしょう」
「でも、いまそれ投げてから止まるまで、けっこうな時間かかったよね。それってつまり、それだけ遠くまで縄を登らなきゃいけないってことで……」
スザクの戸惑いももっともだ。
脇谷は張り切って縄に触れ、術を練る。
「任せてください。『縄梯子』!」
途端に、所在なく垂れるばかりだった二本の縄の間に等間隔で縄が形成されていく。
つまり、縄から梯子になったのだ。
「これを……」
「はい! 一度登ってみたかったんです! 縄梯子!」
答えて、脇谷はさっそく縄に手をかけた。
すると縄梯子が揺れる。なぜなら縄をぶら下げているだけだからだ。
下端が地面にでも固定されていればずいぶん違うんでしょうけど、と思いながらも縄に足をかけると、途端に大きく揺れる。
脇谷は揺れを感じながら忍術の本を思い出してワクワクしていた。
―――力を込めれば揺れる、力を入れなければ登れない。縄ばしごってなんて登りにくいんでしょう!
何度も読んだ本のいちページを思い返しながら登る縄梯子はなんて感慨深いのか、と脇谷は顔がゆるむのを止められない。
「あのー、どんな感じかなー?」
感動に浸る脇谷の足元から声がかかる。
遠慮がちにかけられたのはスザクの声だ。
―――いけない忘れてた。
うっかりはしゃぎすぎたことに気づいた脇谷が縄から手を離せば、当然身体は落下する。
「え! ちょっと!?」
「おおお、降ってきたぞ!」
騒ぐスザクとアマテラスのそばへ、脇谷は四肢をつけて着地した。
手足四点を地に着けて着地するのは、猫を真似た忍者の着地法だという。
―――動物からも無駄なく学びとる! さすがは忍者です。
今の脇谷の身体能力ならば必要ないが、そうしてみたい気分だったのだ。
繭のうえに着地した脇谷にスザクが目を丸くしながら恐々問いかけてくる。
「えっと、大丈夫そう?」
「はい。多少揺れるかもしれないですけど、いい感じです!」
「いい感じ……?」
脇谷がぐっと親指を立てて保証すれば、アマテラスがいぶかし気に首を傾げている。
その容姿はすっかり幼女と化していた。
クナイやマシラと並んでもさらに幼いだろう。
「じゃあ、登ろうか」
「うむ。すまん。その手だけでも治してやれれば良かったのじゃが」
アマテラスが申し訳なさそうに見やるスザクの右腕は、肘から先が欠けたままだ。
「ここでは神術の効きが悪いみたいだから、仕方ないですよ。治る当てがあるだけ良いです」
苦笑するスザクに、脇谷はすかさず忍具の名をいくつか唱える。
「『鈎爪』腕にくくりつけます? それとも『手甲鈎』?『打ち鈎』もいいかも」
「お主はどうしてそうほいほいと神術を……。この怨嗟のなかで、ようもそれほどはっきりと道具の姿形を思い浮かべられるものよな」
呆れたようなアマテラスの視線は、脇谷の手のひらに乗る忍具に向けられていた。
アマテラスもスザクも、怨嗟に塗れたこの空間では願う術の形をうまく定められないようだ。
それの意味するところを悟って、脇谷はいよいよにやける顔を抑えるのをやめた。
―――それってつまり、自分の忍者への愛の力がずば抜けてるってことですね!
「暇さえあれば忍者の本を眺めてましたからねえ」
しみじみと言いながら、脇谷は喜びにひたる。
自分の顔を描けと言われても描けない脇谷だが、忍具を描けと言われれば迷わず描ける程度には練習を重ねている。
―――報われる日が来るとは思ってませんでしたが。
そんな脇谷の手のうえに乗るあれこれを眺めていたスザクは、そのうちひとつを指差した。
「じゃあ、えっと、打ち鈎にしようかな?」
「んんっ! さすがスザクさん、お目が高い! こちらの打ち鈎は石垣や塀を登る際にも使われたと言われる、登器の一種でして。本来は左右の手に一本ずつ持つんですけど、今回は特別に、この縄でくくりつけまして……」
脇谷が神術で出した縄で打ち鈎を彼の右腕にくくりつければ、アッという間に素敵な打ち鈎スタイルの出来上がりだ。
「はあー、お兄さんお似合いですよ! 凛々しいお顔に武骨な鉄がベストマッチ! これだけ筋肉がしっかりしてたら、鎖帷子もきっとよく似合う―――」
「あ、それはまた今度で」
スザクのがっしりした体躯に似合う忍装束の色を考えていたら、本人から遮られてしまい、脇谷はくちをとがらせた。
―――もったいない、きっと似合うだろうに。
自分の趣味趣向を隠しもしない脇谷に、アマテラスが呆れたような声をあげる。
「そなたら、遊んでおる時間はないぞ。と、荷物にしかならん我が言うことでもないがな」
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