恨み つらみ
「あハははッ! やってクレるね」
未だ炎に包まれたまま風魔は笑う。
どうっ、と燃え上がるように湧き上がった怨嗟が残る炎を呑み込んだ。
瞬く間にかき消された熱の向こうから姿を現したのは、火に包まれる前と変わらぬスザクたちを見据える風魔だった。
―――否、ひとをやめたみたいですね。
風魔の姿をじっくりと見た脇谷は、心のなかで意識を改める。
怨嗟に染まった瞳は白目の部分まで真っ黒くなっており、光を反射していない。
死人のように白い彼の肌とのコントラストが異様で、脇谷の背筋が勝手に粟立った。
「そっチガそノ気なラ、悠長なコトモシていラレないな」
風魔が言って、拳に力を込める。
地から噴き出した怨嗟をまともに浴びた風魔は、肌も衣服も境目がわからないほど黒く染まっていた。
笑みを浮かべたままの彼の白い顔だけが、怨嗟のなかで浮いて見える。
身体そのものが怨嗟となっているのだろうか。
怨嗟を浴びるほどに風魔の身体は異様に膨れ上がり、瞬く間に人の形を失くす。
それでも膨張は止まらず、いまだ怨嗟の波に揺蕩っていたリーチェの繭さえも身の内に取り込みはじめた。
「やめろ!」
スザクは手にした剣を振りかぶり、切りかかる。
剣が触れたそばから怨嗟はズパ、と切り裂さかれた。
けれど、あまりの手ごたえの無さにスザクは呆然と手元を見つめる。
「アハは! 勇者さマノ剣も、効かなイみタイだねエ!」
うれしそうな声とともに、切り裂かれた怨嗟がずるりと形を変えた。
手ごたえなどまるでなかったそれが、一瞬で鋭い刃物のように変わるのを目の当たりにしてスザクは頭が追い付かないのだろう。
「あ……」
固まったスザクのその身を怨嗟が貫くその前に、脇谷が鎖を投げてスザクを引き寄せる。
「ぼうっとしないでください!」
宙を舞ったスザクの身体はアマテラスの横へ。
腹に絡みつけていた鎖をざらんと落とし、風を切って風魔に向けて鎌を飛ばす。
「よっ、と」
どうやって操っているのか、脇谷自身にもよくわからない。
ただ、そう動くようにと命じるままに飛んだ鎌は風魔の身体に取り込まれる寸前のリーチェの繭をぐるりと囲うように動き、鎖を絡める。
ぐい、と引く手に力を込めたと同時、怨嗟が波のように襲い来た。
「危ない!」
切りはらっても無意味だと知らしめられたスザクが、脇谷を守ろうと剣の腹で怨嗟をはじく。
だが、はじかれた怨嗟はその場で水のように形を変えた。かと思えば剣を伝い落ちる途中で再び鋭い凶器と化して、スザクと脇谷を襲う。
『……恐み恐みも白す!』
間に合わない、と思ったそのとき。
響いたのはツクヨミの声だった。
瞬間、月光のようなきらめきがあたり一帯に広がり、怨嗟を包んでぱらりと散る。
草むらでじっと隠れているとばかり思われた彼は、密かに守護の神術を練り上げていたらしい。
「ええい、童子の姿では力が足りぬ! アマテラスよ、陽の神よ。呆ける暇があるなら加護のひとつも与えぬか!」
「すまぬっ! 『我が身に宿る神の御力をスザクに!』」
ツクヨミの叱咤に弾かれたように、アマテラスが自身の髪を切って投げる。
簡略的なものとはいえ、昼日中の陽光の神の力は相当なものなのだろう。
宙をすべったアマテラスの髪がスザクの剣に絡みついた途端、金の光を発した。
陽光のようにまばゆい黄金の光は、それだけで怨嗟を焼くのだろう。
こぼれた光に触れた怨嗟は、じゅうと音を立てて蒸発するように掻き消えた。
「怨嗟を払う呪いをかけた。昼は我が力の増すとか。一時は保つじゃろう」
「ありがとうございます!」
飛び出したスザクがアマテラスの力を得た剣を振るえば、触れた先から怨嗟がぶすぶすと黒煙を上げて消えていく。
その様を見ていた脇谷は、両手で鎖をつかんでリーチェの奪還に全力を注ぐ。
「我らも加勢するぞ!」
「力仕事は好かんのだが」
アマテラスとツクヨミも鎖の引き手に加わったのを見て、スザクは自分の役割を果たすべく柄を強く握りしめた。
「余計ナコトヲ」
「あんたの相手は俺だろう!」
うなる風魔の声はひどくひび割れ、もはやひとのものではない。
それでも彼の執念は生きているらしく、うなりに合わせて怨嗟が湧き上がり幾本もの腕のような形を作る。
ひとつひとつが鋭利な刃物のようになった腕が襲いかかるも、スザクはひるまない。
「はあっ!」
振り下ろした剣の軌道に添って怨嗟の腕は切り裂かれ、掻き消えた。
剣の通ったあとにきらめく残光はアマテラスの力だろう。
切り落とされた怨嗟は陽光の力を浴びて、形を保てないらしい。切られた端からぼろぼろと大気に消えていく。
崩れる自身の身体をどう思っているのか。
黒く染まった風魔の口元がにたりと笑うように歪められた。
「まずい、何か仕掛ける気です!」
脇谷が叫ぶが、わずかに遅い。
蠢く怨嗟のすべてが一斉にスザクへと向かう。
放り出された形になったリーチェの繭が、鎖に引かれて脇谷たちに飛び掛かる。
もはや形を成していない繭だが、救うべき相手が中にいるかもしれない。
そう思えば飛んでくる繭を避けるわけにもいかず、脇谷たちは身動きが取れない。
その隙を狙うかのように、怨嗟はスザクを取り込んだ。
「スザク!」
アマテラスが叫ぶなか、風魔はその身をくねらせて悶える。
人の形をしていたならば、異様に白い顔の頬を染めてうっとりと笑ったのだろうか。
けれど。
「『切り裂け、エッケザックス』!」
声とともに、陽光をまとった剣先が怨嗟の塊を裂いて飛び出した。
「おお! 無事であったか、スザク!」
「アマテラスさんのくれた光のおかげです!」
無事を喜び合うアマテラスとスザクの元へ、怨嗟の塊がどぼりと迫る。
「くっ!」
「まずい!」
『土遁の術』
どう、と迫る怨嗟がふたりを呑み込む前に、スザクとアマテラスの身を隠したのは土の壁。
波が引くように怨嗟が風魔の元へ戻ると、あとには目を丸くしたスザクたちが立っていた。
「油断大敵です。援護はしますけど、自分は怨嗟をはらえないので。気を付けてくださいね!」
叫んだ脇谷にスザクは「ありがとう!」と応えて地を蹴った。
真正面から斬りかかるスザクに対して、風魔がとった行動は捕食。
ずる、と地を這った怨嗟の塊が向かう先にはぼろぼろの繭。
「食ワセロ」
雑音めいた声が言って、繭を呑み込むのは一瞬のことだった。
「あ」
声を漏らしたのは誰だったのか。
一瞬の出来事に誰も反応できずにいるなか、繭を呑んだ怨嗟が咀嚼するようにもぞりと蠢いた。
「アア、チカラダ。ウマイナア」
怨嗟が風魔を形づくり、いやらしく笑ってみせたその顔が、不意に強張り、目を見開いた。
「ごぼっ」
咳き込んだ風魔のくちから黒いものがぶちまけられる。
否、もはや形などない怨嗟の塊からどぼりと溢れたのは、さらに色濃い怨嗟。
「ナン? ぅぐふ!」
戸惑う風魔の声だけを残し、不定形となった怨嗟の塊から黒い怨嗟が血のようにあふれて落ちる。
「な、なにが起きてるんだ?」
「……あれほどの濃い怨嗟であれば、主格を成す者がおるはずじゃ。フウマがそれとばかり思っていたが、どうやら違うようじゃの」
突然の事態に切りかかることもできず立ち尽くすスザクに、ささやいたのはアマテラスだ。
「主格?」
「怨嗟とは人びとの恨み辛み怒り悲しみの寄り集まったものであるのだが、あまりに強い想いは溶け込まず、意思を持って形を成すことがある。そのとき、主体となって怨嗟を動かすのが」
アマテラスのことばの終わりを待たず、怨嗟がずるずると蠢いては内へ内へと入り込んでいく。
「ハナ、せっ、はナセぇ……あっ、ガあぁっ」
風魔の絶叫を最後に、怨嗟はちいさくまとまり形を取り始めた。
腕、肩、身体、頭と順に現れたのは、若い男の姿をした怨嗟の塊。
「あ、町中で風魔さんを刺したひと」
脇谷のつぶやきが聞こえたのだろう。
スザクが「ああ」と納得した。
怨嗟で黒く染まり切ってはいるが、それは確かに日本で見た最後の記憶に残る姿。
通り魔だと思っていた、風魔の被害者のひとり。
『ぁあ、おま、え、おまぇがアザミをぉぉおおおお!』
がぱりと開いた男のくちから迸ったのは、呪わしい悲しみの声。
呼んだのは、誰かの名前だろうか。
男の叫びに呼応するように、淀んでいた怨嗟が一斉に持ち上がる。
噴き出した怨嗟は風魔が操っていたその比ではない。
視界を埋め尽くさんばかりの巨大な刃を幾本も形作り、風魔の声が途切れたあたりをしつように切り刻む。
傍目には黒く粘つく怨嗟が怨嗟の塊にぶつかって弾けているようにしか見えない。
「あやつは、殺しすぎたのだろうな」
ぽつりとつぶやいたアマテラスの声は、怨嗟のなかに開いた奈落に落ちていく。
いつの間にか、怨嗟の渦巻く中心に深く昏い穴が開いていた。
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