底なしの欲望 あふれる絶望
「良い? 僕はあくまでひとの色んな表情が見たかっただけなんだ。ただ、結果として何人かが死んでしまったわけだけど。大きく報道されはじめたことは厄介だったね」
まったく困ってしまう、と言わんばかりの風魔の口調に、ツクヨミは不快感を隠しもしない。
「狂っておる」
「失礼だな、これが僕にとってのフツウだよ」
さらりとかわす風魔を苛立たし気に睨み、ツクヨミは意識を脇谷に向けた。
「あれ以上、ひとを殺め怨嗟を生み出されても厄介だ。我は人払いの呪いをかけるゆえ、そなた」
「ええ、止めます」
間髪入れず答えた脇谷に、風魔が笑う。
「ふふ。君自身をいたぶったところで効果は薄そうだね。だったら、こういうのはどうかな?」
中空に浮かぶ数多の刃物で脇谷を、というよりその背後のツクヨミを狙い定めながら、風魔の握る血と怨嗟にまみれたナイフが向かう先はマシラを包む繭。
―――マシラの命を奪う気か!
身構え、ツクヨミを庇うべきかと逡巡した脇谷を前に、風魔のナイフが攻撃したのは繭の表面だけ。
ぷつん、と繭が割られた瞬間、風のように動いた脇谷はマシラをさらった。
素早く後転し、腕のなかの無傷の子どもを見下ろした脇谷がほっとしたその時。
マシラの目がカッと見開かれ、口が裂ける勢いで脇谷に食らいつかんとする。
「マシラさんっ!?」
「おのれ、怨嗟を流し込みおった!」
ツクヨミの声に脇谷が風魔を見れば、青年はにっこりと人の良い笑みを浮かべていた。
「さあ、君はどう出る?」
「っがあぁぁぁぁああぁああ!」
腕のなかから飛び出したマシラは、正気を失くしているのだろう。
喉が張り裂けんばかりの声をあげ、四肢で床を叩いて獣のようにとびかかって来る。
脇谷の背後にはツクヨミ。
人払いの呪いをかけようとする彼は昼間ゆえ力が思うようにふるえないのだろう。額に汗をにじませながら呪文を唱えている。
―――退けない。ですが、マシラさんを傷つけたくはない。
脇谷の逡巡を見て取った風魔が嬉しそうに笑う。けれど。
「『忍法、影縫い』ッ」
指で印を組んで漆黒の針を放つ。
マシラの足元に落ちる影を針で床に縫い留めれば、吠える子どもは身動きが取れない。
「おや、つまらない。でも良いの? その子、自分で自分を痛めつけてるよ」
くす、と笑った風魔の指摘どおり、マシラは影を縛られてなお暴れようと身をよじる。
無理に引きはがそうとしているせいだろう。
痩せた身体がぎちぎちと嫌な音をたて、節々から血がにじみはじめている。
今にも自身の骨を砕いてしまいそうだ。
「ぐぅ、うがあっ!」
「そこな童は怨嗟に正気を奪われておる! このままでは自我が浸食されて呑まれてしまうぞ。せめて、気を静めさせられぬか」
呪いを組み上げる合間に叫んだツクヨミの声に、脇谷は考えた。
―――気を静める。精神的な問題ってことですよね。ということは。
「マシラさん、ちょっと待っていてくださいね。『忍法、幻術』」
ぱん、と脇谷の両手が打ち鳴らされ、けれどそれだけ。
傍目には何も変わらない状況に、風魔が首をかしげた。
そのとき。
影縫いを解かれたマシラの身体が床にすとんと座り込む。
そのまま身体を横たえた少年は穏やかな表情のまま、目を閉じていた。
「何をしたの?」
風魔に問われて脇谷はにこ、と口元だけで笑う。
「ですから、幻術です。マシラさんにだけ見える幸せな幻ですね」
「……成った!」
ツクヨミの声と同時、あたりの空気がピンと澄んだ。
昼日中の温さは相変わらず感じられないが、まとわりつくような不快感は薄れていた。
「夢へといざなったか。幸福は怨嗟をはじく、悪くない」
ツクヨミの声に、脇谷は「良かった」と胸をなでおろし、風魔はつまらなげに口角を下げた。
「なんだ、つまらないなあ。せっかくその子と君の色んな表情を見ようと思ってたのに、台無しじゃないか。それに夢オチって嫌いなんだよね、僕」
むくれながら、風魔が手をかけたのはリーチェの繭だ。
振り下ろされたナイフはあまりに無造作で、脇谷が反応する暇もない。
気づいた瞬間、脇谷は凶行を止めようと飛び出しかけた。
けれどそれよりはやく、繭がナイフを弾く。
「おや?」
切り裂かれると思われた繭は、むしろ怨嗟をまとうナイフのほうを欠けさせたらしい。
歪になった刃先をしげしげと眺めて、風魔が感心したように眉をあげる。
「ずいぶんと硬いな。かわいそうに。相当、この世界が合わなかったんだろうね、この子は」
かわいそう、と言いながらも風魔の顔に浮かぶのは苛立ちだ。
「壊せないなら溶かしてしまえばいいんだ」
柔和な表情をかなぐり捨てた風魔の足元から怨嗟がどぼりと湧き上がる。
溢れた怨嗟が繭ごとリーチェを飲み込むのを見て、脇谷は咄嗟にマシラとツクヨミを両脇に抱えて飛び退った。
「庭に出よ! 陽光のもとでならば多少は怨嗟が弱まろう」
「承知っ」
ツクヨミの声に従い、脇谷はさらに後退する。
風魔から目を離さないまま廊下を越えて庭に転がり出たとき。
「何事か、ツクヨミ!」
「アマテラス! 遅いぞ」
アマテラスを背負ったスザクが飛び込んできた。
「無事ですか、忍者のひと!」
「あ! はーい! 忍者のひとですー!」
険しい顔をしたスザクからのうれしい呼称に、脇谷は思わずうきうきで答えてしまう。
場違いな明るい返事に、スザクは面食らったようだった。
「えっと。いまって、どういう」
スザクが問いかけようとしたとき、脇谷の視界の端で風魔がにたりとくちの端を吊り上げる。
『切り裂け、大太刀!』
『忍法、身代わりの術』
ふたつの声が重なって空気を震わせる。
とっさに身構えたスザクの身体に突如、中空に生まれた刃が迫る。
彼は逃げるよりもアマテラスの身を案じたのだろう。
背なかを向けて逃げることはせず、アマテラスを庇う形で自身に迫る刃を真正面から見つめていた。
「スザクっ!」
アマテラスの悲鳴を聞きながら、スザクの首と胴が分たれた。
かと思いきや、鋭利な切り口から宙を舞ったのは血ではなく、木のクズ。
そして覚悟を決めていたスザクの足元にごろんと転がるのは。
「丸太……?」
そう、刃が切り裂いたのは珍妙な丸太だった。
「はい! 丸太です!」
妙に生き生きとした脇谷が熱い視線を向ける丸太は、長さ一メートルほど。
太さはアマテラスの胴体ほどもあるだろうか。
見事な丸太が両断されてごろんごろんと地面に転がっていた。
よく見れば、それぞれの丸太には何やら墨書きされた紙が貼られている。
「『あまてらす』、『すざく』……?」
不思議そうに紙を読み上げたスザクは、ふと気がついた。
「あ、身代わりだ」
「そうです! 忍法、身代わりの術っ」
うまくいったとうっきうきの脇谷がうなずくと、なるほど、これが自分たちの身代わりになって切られたのか、と納得したのだろう。
スザクの顔がにわかに引きつり、青ざめた。
「それってつまり、俺たちがこうなってたかもしれないっていう……」
丸太が両断されるほど、刃には明らかな殺意が込められている。
それを自身に向けた相手へと、スザクは視線をやった。
「風魔さん、どうして……」
「あーあ。おとなしく切られていれば、そんな疑問も恐怖も感じずに済んだのに。まあいいや」
おどけたように言った風魔が見せたのはにこやかな表情。
「わけもわからずいたぶられる君の顔を楽しむ予定だったけれど、計画を変更しよう。ねえスザクくん」
やさしい声がねっとりと絡みつくようにスザクを呼んだ。
不快感に眉を寄せたスザクを見つめて、風魔はうれしそうに告げる。
「君はこの世界に来てよかったと思ってるだろう? ゲームの世界のように整った容姿を手に入れて、迷いや葛藤はあったかもしれない。でも、それを乗り越えて成長できる喜びを得られたのだとしたら、それは僕のおかげなんだよ」
「それは、どういうことだ」
警戒しながらもたずねずにいられなかったスザクの背後でアマテラスが「耳をかすな!」と叫ぶが、遅い。
「この世界に落ちて来られたのは、僕がたくさん殺したおかげなんだよ。通り魔なんて格好悪い名前で呼ばれたのは不本意だけどね」
「風魔さんが……通り魔……?」
ぼうぜんとつぶやいたスザクは、記憶を疑うように頭を抱える。
「そんな、そんな風魔さんが通り魔だなんて……じゃあ、あのひとは!? あのとき、風魔さんを刺したあのひとは誰なんだ!」
「ああ、やっぱり僕はあいつに刺されたんだ」
スザクの切羽詰まった様子とは裏腹に、風魔は納得がいったかのようにうなずいた。
それだけではない。思い出を振り返るような、懐かし気な顔さえして見せる。
「僕が死なせてしまった子の恋人だよ。本当は彼女との思い出話を聞かせてあげながら切り刻もうと思っていたんだけど、通り魔だなんて言われて身動きが取れなくてね。彼が僕を狙ってやってきたとき、あんまりにも憎悪にまみれた良い顔をしていたものだから、うっかり見とれて刺されてしまったんだよね」
うっとりと中空をながめる風魔の目には、殺された誰かの最期が見えているのだろうか。
「彼には感謝しなきゃなあ。ちょうどやり直ししたかったし、こんなすてきな力のある世界に落としてくれてありがとう、って。僕も君も。ね?」
くすくすと笑う風魔の目に映るスザクは、驚愕と絶望に彩られたひどい顔色をしている。
「ほら、もっと絶望してよ」
スザクはあまりの衝撃に心が追い付かないのか、やさしく促す風魔の声にも反応しない。
それが不満だったのだろ。風魔が「む」と口をとがらせる。
「味方だと思ってた相手に裏切られただけでどん底なわけないだろ? 君はそんな底の浅い男じゃないはずだよ。うーん、どうしたらもっと絶望してくれるかな? ヒガくんを殺しちゃったって言えばいいのかなあ?」
「ヒガさん……? そん、な……」
スザクがうめくようにつぶやいたとき。
スパンッ、と手裏剣が怨嗟を切り裂き、風魔の頬に傷をつける。
「あなた、もう黙ってください」
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