足りないもの 求めるもの

「死者蘇生の魔法があれば良かったのに……」


 拳を握りしめるスザクに、アマテラスはゆるりと首を振った。


「そのような術があったとて、行使できぬであろうよ。黄泉路に向かった魂を引き戻すのは、神にも許されぬ所業ゆえ」


 未練を断ち切るように告げたアマテラスが続ける。


「それよりも、早急にこの場に渦巻く怨嗟をどうにかせねば」

「……急いで元凶を突き止めなければ、ですね」


 濡れた頬をぬぐって脇谷が立ち上がった。


「元凶って」

「パーツが足りません」


 怪訝そうなスザクをさえぎる脇谷の声は、いつになくきっぱりとしている。

 

「ここにはけっこうな数の子どもがいました。集めてもらったパーツでは到底足りません」

「じゃあ、逃げ延びた子がいるんじゃないか! あの社に来た子みたいに!」

「いいえ」


 期待に目を輝かせたスザクとは裏腹に、脇谷の声は沈んでいた。


 ゆるく首を横に振りフードを深く被り直すのは、ひどく歪んでいるだろう表情を見せたくないため。


「集めてもらったパーツは、ほとんどが指でした」

「っ!」


 スザクとアマテラスが目を見開いた。

 青ざめたふたりを前に、脇谷はぼそぼそと続ける。


「できる限り広い範囲の気配をさぐりましたが、生きてる者の気配が掴めません。加えて先ほど見た血の量は、ひとりふたりぶんではおさまらない。なのに集められた身体のパーツは指ばかり、何人分もあるんです」

「……犯人は人であり、下手人が人の肉を持ち去ったと?」

「獣が襲ったならもっと大勢生き残っていいはずです」


 子どもたちはみな、力を合わせて生きていた。

 アマテラスとツクヨミからの加護の薄い町外れで生きるには、心無い大人から身を守るだけでなく野生の動物たちをも警戒していたはずだ。


「怨嗟を湧き起こすため人が故意にやったのだとすれば、この場に残る怨嗟の少なさも納得できるが……それすなわち怨嗟を悪用する者がおるということ。まずいな」


 ぎり、と唇を噛み締めたアマテラスが顔をあげる。


「急ぎ、社に戻る」

「ツクヨミさまに使いを出しますか?」


 身を翻したアマテラスの背を追って、脇谷がたずねる。

 「ああ」と頷きかけたアマテラスはしかし首を横に振った。


「いや、情報だけ渡したところであやつは今、動けまい。我とスザクとでこの場に残る怨嗟を祓う。そなた、先に行け。行ってツクヨミに力を貸し、あやつの知恵を借りよ」

「わかりました」


 アマテラスの指示に、脇谷は手にしていた子どもたちの亡き骸の残骸をスザクへと預ける。

 フードを目深にかぶり直し、視線を向けるのは遠くに見える社。


「全力で行きます」


 言って、脇谷は地を蹴った。


 ヒュ、と風がかすかに鳴ったときにはもう脇谷の姿はそこにない。


「消えた!?」


 スザクの驚く声をかすかに捕えながら、脇谷は空を駆ける。


 ―――速く、速く、もっと速く!


 景色が飛び去って行く。

 耳元で唸る風の音を聞きながら、脇谷は大屋根を駆け抜け社の最奥に飛び込んだ。


「ツクヨミさま!」

「来たか」


 締め切られた室内に少年姿のツクヨミはひとり、座っていた。

 怜悧な黒目を前に、脇谷は膝をつく。


「町はずれで子どもたちが惨殺されていました。ばらばらにされた遺体の量が残っていた指の数と合わず、また怨嗟の量も不釣り合いだとアマテラスさまが」

「ちっ」


 舌打ちをひとつ、ツクヨミは苛立たし気に銀髪をかきあげた。


「下手人は恐らく宮のなかにおる。お前が戻るすこし前に社の内で怨嗟の気配がしたからな。おそらく前宮と奥宮の境目あたりか。夜であれば我が剣の錆びにしてくれようものを」

「えっと、皆さんに見られなきゃいいんですよね?」


 腹立たし気にこぼすツクヨミに、脇谷は確認をひとつ。

 怪訝そうにしかめられたツクヨミの美貌には目もくれず、その身体を抱き上げた。


「忍び活動ならお任せください」

 

 言うがはやいか、天井板をずらして屋根裏へ。

 ツクヨミが文句を言う間もなく暗がりを駆け出した。


「屋根が大きいだけあって、屋根裏も広くて良いお社ですねえ」

「……曲者を走り回らせるために広いわけではないのだがな」


 機嫌よく走る脇谷に抱えられて、ツクヨミは大変不本意そうにつぶやく。抱えられていることが不本意なのか、脇谷が嬉々として屋根裏を利用していることが不本意なのか。


 やや気の抜けたふたりだったが、ちりりと肌を焦がす不穏な気配にその表情は緊張感を孕んだ。


「怨嗟が、膨れ上がっておる」

「ええ。こっちは繭を置いてある部屋のほうだ……」


 否が応にもにじむ嫌な予感に、ツクヨミも脇谷も言葉すくなになる。

 不穏な沈黙を駆けていた、そのとき。


「お前、なにを!」


 足下から聞こえたのはヒガの怒声。

 

「下りますっ」


 脇谷が短く告げて、天井板を外し飛び降りる。

 すると、そこは繭が安置された部屋だった。


 はじめに運び込んだ子どもを包む繭、リーチェを包む繭、そして治療のためだろうマシラを包み込んだ繭が並ぶ部屋のなか。


 静寂と陽光に満たされているはずの部屋に、ただようのは不穏さばかり。


 脇谷たちが飛び込んできたのにも気づかず、ヒガが怒鳴り声をあげる。


「お前、その手に持ってるもんは何だよ! なにするつもりだ!」


 対するは、ゆったりと構えた風魔だ。


 その背にちらつく黒いもやのような怨嗟は、目をこらさずとも見て取れた。


 怖気を呼び覚ます怨嗟をまといながらも穏やかな微笑すら浮かべた彼は、手のなかの鋭利なナイフをくるりと回す。


「ナイフですることなんて、決まっているだろう?」


 言いながら、何気ない動作で持ち上げられた手のなかにはナイフがある。

 鈍い光をまとった刃先が向かうのは、幼い子どもを守る繭。


「『切り刻む』んだよ」


 言葉が力を宿したと思った瞬間、ナイフの刃が怨嗟をまとう。


 どちゅ。


 ひどく鈍い音をたてて切り裂いたのは、繭だけでなく子どもの身体まで。

 意識のない身体は胸の真ん中を貫かれ、小さな口かららごぽ、と赤黒い血があふれ出す。


 瞬間、怒りが脇谷の足を動かした。


 ゆらぐように姿勢を前傾にし、ひと蹴りで風魔の眼前に迫る。

 無意識のうちに両手に握りしめていたクナイで喉笛を狙い。


「おっと」


 ギィン!

 漆黒の刃は風魔が手にするナイフに弾かれた。


「ちぃっ!」


 すかさず脇谷が飛び退った後に、影があった場所にトストスと刺さったのは柄のない細い刃物。


「あっは」


 笑ながら、風魔は切り裂いた子どもの胸に手を突き入れた。

 ごぼ、ごぼと溢れる血がひときわ大きなしぶきをあげ、真っ黒い怨嗟が噴きあがる。


「風魔、おまえぇぇぇえええ!『我に力を、蜻蛉き』」

「遅いよ『包丁』」


 絶叫とともに魔法を発動しようとしたヒガが言い終えるより先、風魔の呼び声に応えて包丁が中空に出現した。


「まずい、触れるなッ」


 ツクヨミの静止は、けれど遅かった。


 なんの変哲もない包丁は持つ者もいないのにひとりでに宙をすべり、目を見開いたヒガの額にずぶりと突き刺さる。

 

「あ……がっ……」


 刃がずっぷりと見えなくなるまで刺さった衝撃でのけぞる形になったヒガは、虚ろな声をあげてその場に倒れた。


 開きっぱなしのヒガの手のひらのうえで、凝りかけていた魔法の光がほどけて消える。


 どろりと流れた血をねだるように、風魔の足元から怨嗟が噴きあがり、事切れたヒガと子どもの身体を飲み込む。

 町はずれの子どもたちの足りないパーツも同じように飲み込まれたのだろうと思われた。


「ちっ、怨嗟を産んでは喰らっておる。趣味の悪い」

「……風魔さん。一応、たずねます。なぜ、こんなことを?」


 眉間にしわを寄せたツクヨミの悪態を背で聞きながら、脇谷は一歩踏み出す。


 止められなかった憤り、守れなかった悔しさ、相手への怒りを腹の底にねじふせて、脇谷は問う。


「君は誰だい? どうして僕の名前を知ってるのかな」

「一方的に存じ上げているだけで、自分はしがない影の者。それより、あなたは理由があってこのようなことをしているのですか」


 例えば、日本に帰りたくてたまらず力を得るために行動を起こしたのだとしたら。


 ―――許せない。許せはしないけれど事情があるのならば……。


「理由? 理由かあ。うーん、僕はさ人間が好きなんだよね」


 事情があるのならば、ただねじ伏せるというわけにもいかないだろう。

 理性を総動員した脇谷の問いかけに、風魔は首をかしげる。


 説明のための言葉を探しているのか、考えるそぶりを見せた風魔は、すぐに微笑みを浮かべて続けた。


「好きってね、いろんな形があるんだよ」


 答えながら、風魔はちいさくつぶやく。『はさみ、縫い針、包丁、コンパス』次々と中空に現れるものは、道具として使えば便利な物ばかり。

 けれど、笑顔を浮かべた彼の周囲に配置されるそれらは、どう見ても凶器にしか見えない。


「はじまりは、何だったかな。包丁だったかな?」


 言って、風魔は自身の横に浮かぶ包丁に手を伸ばした。鈍い銀の光が、油断なく脇谷を狙っている。


「うっかり怪我をしたのは、誰だったのかな。もう覚えていないけど。痛い、って指を握るその顔がきれいだな、って思ったんだ」


 うっとりと言う風魔の指の先で、愛おし気に撫でられる包丁の刃に赤い色がにじむ。


 じわりじわりと出現するその赤は、やがて雫となって滴った。

 地に落ちた赤色が、黒い染みになる。


「人間はさ、豊かな表情を持つからこそ美しいんだとは思わない?」


 風魔が触れたはさみの刃にも血がにじみ、鈍い銀色を染めていく。コンパスの針、縫い針の先、カッターの刃と、風魔が撫でるたびに宙に浮かぶ凶器が血をこぼす。


 過去に与えた痛みを思い出すかのように、血を滴らせる。


「僕はそれが見たかったんだ。はさみで指を切って痛みが走ったときの驚きの顔、縫い針を爪の間に刺してしまって痛みに歪んだ顔。そんな表情を見るのが、大好きなんだ」

「だから、殺したんですか」


 脇谷の押し殺した声に、風魔が「ふふ」と笑う。


「死んじゃっただけだよ」

「この世界だけじゃない。日本で、あの町で通り魔と騒がれるほど人を殺したのもあなたなんでしょう!?」


 こらえきれず叫んだ脇谷だったが風魔は笑顔を崩さないまま、肩をすくめる。


「だから死んじゃっただけなんだって」


 あくまで穏やかさを崩さない風魔。

 そこには反省も、後悔もありはしなかった。

 

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