太陽の姫 惨劇の朝
朝日が町を照らしマシラの怨嗟は祓われ、繭もほどけてめでたしめでたし、とはならなかった。
「起きろ!」
部屋に駆け込んでくる慌ただしい足音で脇谷はすでに目覚めていたが、どん、と天井板を貫いた刃先が追い打ちをかける。
「な、何事です?」
慌てて屋根裏から室内に飛び降りた脇谷を迎えたのは、豪奢な長髪を乱したアマテラスだった。
室内で寝ていたクナイもまた、驚いて飛び起きている。
「ツクヨミの言っていたのはそなたか……」
アマテラスは、全身黒装束フードもしっかり被って顔の見えない脇谷をまじまじと見つめてうなるように言う。
―――あ、そういえばこれが初対面ですね。ごあいさつすべきかな?
「ゆっくり話を聞きたいところではあるが、今は時間が惜しい。着いてまいれ」
脇谷の思考を呼んだわけでもあるまいに、アマテラスはきびきびと告げて身を翻した。
クナイと脇谷は顔を見合わせ、その背を追う。
正確には、クナイがアマテラスの背を追って部屋を出て、脇谷は天井板を外して屋根裏伝いに二人を追った。
登り始めた太陽に温められた社はしんと静まり返り、回廊にも誰もいない。
付き人も着けぬままアマテラスは足早に進んで行く。
「あの、アマテラスさま。いったいどのようなご用事で」
「人死にだ」
クナイの問いかけに返ったのは、短い答え。
「え、マシラは兄ちゃんが捕まえてきたのに……」
「黒装束の者が届けた子どもは問題ない。朝日に焼かれて怨嗟もずいぶんと薄れておったからの、社の一室に寝かしておる」
「じゃあ……?」
問いを重ねようとクナイが口を開いたとき、アマテラスが回廊を曲がると同時、脇谷は隠れるのも忘れて屋根裏を飛び出した。
「兄ちゃん!?」
驚くクナイをよそに、脇谷が飛びついたのは庭に寝かされた人影。
力なく倒れているのは、脇谷から金を掏ろうとしていたあの幼い子どもだった。
「お前、どうしたの、その傷は!」
小さな身体の大部分を赤く染めた子どもにクナイが驚き、裸足のまま庭に飛び降りる。
「あ……クナイ……」
よわよわしい声とともに、子どもの視線がうろりと宙をさまよう。手を持ち上げようとしたのか、かすかに動いた指先をクナイが包み込んだ。
「どうして、こんな……!」
「先ほど、この者が駆けこんできたのだ。傷だらけの身体にも関わらず、皆を助けてくれと声をあげて。尋常のことではないと判断して、人払いをしておる」
アマテラスはたまたまその声を聞きつけて、子どもを招き入れたのだろう。
でなければ、薄汚れた子どもが宮のなかに入れるわけはない。
「みんな、みんなって、まさか……」
一方、クナイはアマテラスの言葉に声を失っていた。
血まみれの子どもに動揺したうえ、もたらされた情報が彼女の精神を揺さぶる。
「アマテラスさん! 大急ぎ、って一体……」
そこへ駆けつけたのはスザクだった。
「スザク! そなた、身を癒やす術が使えたな?」
「! はい、すぐに展開します!」
皆まで聞かずとも、血まみれの子どもの姿が視界に入ったのだろう。
身軽に回廊から飛び降りたスザクは子どものとなりに膝をつく。
『生命(いのち)を司る聖霊よ。肉体を司る精霊よ。温もりを留め給え、安らぎを与え給え、慈悲の雨を降らせた前。我が身に巡る力に依りて、我が願いを聞き届け給え。
スザクからほとばしった光が宙を走る。
周囲一帯を包み込んだ光は、瞬きの間にやさしい雨となって降り出した。
光の雨が触れた箇所から、子どもの傷が消えていく。
―――回復魔法ですか。便利なものですねえ。
脇谷は美しい魔法のエフェクトをしみじみと眺める。
雨は音もなくさらさらと降り注ぐ。
きらめく雨がやむころには、傷はすっかりと無くなっていた。
「ああ、良かった……!」
喜びに涙を浮かべるクナイの腕のなかで、子どもはおだやかな寝息を立てている。
血を失ったせいでやや顔色は青白いものの、危機は脱しただろう。
「見事なものよ」
アマテラスの感嘆の声に同意しつつも、脇谷は声をあげた。
「それで、町はずれのほうはどんな状況でしょう?」
「わからぬ。使いをやって事態を悪化させるわけにもいくまい。我らが向かうため急ぎ、牛車を用意させておるが」
「では、飛びますか『大凧』」
さらっと言った脇谷が唱えれば、謎の白煙とともに大きな凧が三つ、宙に浮かぶ。縄でつながれた三つの凧に貼られた紙は、昼日中でも目立たぬよう空色だ。
ぽかんとみあげるアマテラスとスザクをくるりと縄でくくりつけて、脇谷自身は大凧にしがみつく。
「クナイさんは待っていてください! その子とマシラのこと、頼みます」
「ああ、兄ちゃんも気を付けて!」
見送りの言葉にうなずいて返し、脇谷は空を見上げた。
「ではでは、本来であれば夜の空中散歩と行きたいところですが、それはまた今度」
「え、これってまさか」
「なんじゃ、なぜ我は縛り付けられておる?」
スザクとアマテラスの声には答えずに、脇谷が「飛べ」と一言。
脇谷を乗せた凧は風もないのにぐんと空へ浮き上がる。
アマテラスとスザクが縛り付けられている凧もまた、つながる縄で引かれてぐんぐんと舞い上がっていく。
「おおお、下ろせ! ほどけぬぞ、この縄!」
「ああ……地上が遠くに……というかこの凧、ほんとに人を乗せて飛べるんだ……」
アマテラスの悲鳴とスザクのぼやきをよそに、脇谷はご機嫌で凧を操る。
おかしな集団はクナイに見送られ、町はずれへと飛び去って行った。
***
町の最奥に位置する社から町の外れまで、空を飛べば瞬く間だ。
それも神術なる神秘を用いた忍術で呼び出された凧ならば、速さも精度も反則級。
「下りますよ~」
のんきな脇谷の声ひとつで、凧はみるみる地上へ近づいて行く。
「はやいはやいはやいひぃやあぁぁぁ!」
「あは、異世界でジェットコースター気分、味わえるなんて、ははは」
落下しているのでは、と思えるほどのその速度にアマテラスは悲鳴をあげ、スザクは半ば意識を飛ばしていたが。
「む」
「なんだ、この感じ」
いよいよ大地が近づくと、大気を濁す臭気にふたりは表情を改めた。
脇谷もまた、フードの下で眉をひそめる。
さわやかな陽光すらも打ち消す臭気は、大地を塗りつぶす赤黒い液体から漂っていた。
脇谷は赤い色を踏まないよう、注意して凧を地上に下ろす。
「なんてひどい……!」
「むぅ、これは、思っていた以上の……」
地面に降り立ったスザクは、あまりの事態に口を抑えて震えだす。アマテラスもまた、冷静さを失ってはいないがその顔は青ざめている。
大地に散らばるのは血ばかりではなかった。
「ああ……」
脇谷はしゃがみこみ、血に濡れた肉片を拾い上げる。
手のひらにおさまるちいさな指は、子どものもの。
けれどもはや、どの子のものかわからない。
指、腕、あるいは脚。
数えきれないほどの人体のパーツがそこかしこの血だまりにばらばらと落ちている。
クナイのあとをついて歩けば、そこここのがれきの影からひょこりと顔を出していた子どもたちの姿はどこにもない。
人の息遣いが消えた町はずれはひどく静かで、ひどく寂しい。
寂しさに涙があふれるのか。悲しさに涙がこぼれるのか。
もはや自身の感情さえもよくわからないまま、脇谷は散らばる肉片を拾い集めていた。
―――こんなことをしても、こぼれた命はもう拾えないのに。
わかっていて、手を止められない。
わかっていても、涙が止まらない。
「……『すべてをこの手に
ささやくようにスザクが唱えたのは、ひどく簡素な呪文。
やわらかな赤色の光があたり一帯に広がり、スザクの手のひらに収束する。
「たぶん、残らず集められたはずです」
苦しげに言うスザクの言葉どおり、視界を染めていた赤色は瞬く間に消え、散らばっていた肉片はかけらひとつ見当たらない。
魔法でありったけを集めたのだろう。
全てかき集めたというのに、子どもたちの残骸はひと抱え程の球体に収まる程度しかなかった。
―――クナイさんになんて伝えましょう。
スザクの両手で収まってしまった肉片を前に、脇谷は呆然とそんなことを考えていた。
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