夜遊び ごっこ遊び

 社のぐるりを守る厳重な見張りの頭のうえをひとっ飛び。


 木の葉のように社を去ると、脇谷はそのまま町を目指す。


 衣擦れの音もさせず動かしていた足を止めたのは、町のどまんなかに位置するどこぞの富豪のものらしき家の屋根のうえ。


「んん、ちょうど良い立ち具合の屋根ですねえ」


 社ほどではないにしろ立派な屋根に立ち、脇谷は深呼吸をひとつ。

 パーカーの懐に手を入れて、取りだしたのはひとふさの髪の束。


「わお、まばゆいっ」


 月光に照らされた髪束は輝きを増し、月もかくやと言わんばかりにきらめいた。


 その髪束とは言わずもがな、ツクヨミの髪である。


「ツクヨミさまの力が宿った髪束。こちらの髪束に加えて本日、使用するのはこちらのクナイ」


 誰に向けてか言いながら、脇谷が反対の手で取りだしたのは一本のクナイだ。

 日本で暮らしていたおりには憧れ焦がれた逸品である。


 そしてこちらの世界に来てからも欲していたクナイ。

 そのクナイは、なんのことはない。


 暗器が欲しいなあ、と願いながら懐を漁れば、脇谷の手のなかに転がり込んでいた。


 まばゆいほどの月光を受けてなお、黒光りすらしない漆黒の暗器は脇谷の手にひどくしっくりと馴染んでいる。


 ―――手に入れる喜びとか、今日まで憧れ続けた思いが消し飛ばされたことによる情緒への影響とか、いろいろと思うところはありますけどね。


 あまりにもあっさりと手に入ってしまった脇谷は複雑な気持ちであったが、感傷にひたっている時間はない。


「このクナイに、こちらの髪の毛を結びつけまして……」


 極上の絹糸もかなわぬほどの美々しい髪の束を、脇谷は惜し気もなく漆黒のクナイに巻き付けていく。

 すると、髪束が溶けたのか暗器が吸ったのか。


 髪の毛の束がほろりと姿を消して、残ったのは銀光をまとうクナイだけ。


「んんー、合体成功、かな?」


 つぶやいて、脇谷はクナイを眼前に構える。

 す、と閉じたまぶたをゆるく開けた脇谷の暗い目が月光を宿す。


「忍法、『月下照覧げっかしょうらん』」


 ささやくような声が告げた途端、大気がぴん、と張りつめた。

 

 それはささやかな変化。

 深い夜に息づく誰もが、瞬きの間に忘れ去ってしまうほどの違和感。


 けれど脇谷の内には、確かな手ごたえが広がっていた。


 ―――うああ、きてます、感じます! 月光の及ぶこの地上すべてが、手に取るように見てとれますよ……!


 月の神であるツクヨミの力に脇谷の気配察知を組み合わせた、月下照覧。


 ふたつの力が合わさった結果、脇谷の察知の範囲が月光の降り注ぐあらゆるものへと広がる神術へと進化していた。


 ちなみに命名は脇谷が本能に従って適当につぶやいただけだ。


 ―――うう、これは……情報が膨大すぎて……きっつ……!


 強大な神の力をはらむ術は、それだけ負荷も大きい。

 流れ込んでくる情報のあまりの膨大さに脇谷の脳が悲鳴を上げ、鼻血がたらりと伝い落ちてくる。


 ―――どこです、マシラ。白髪の子。庇護を受けずとも生きていける、しなやかで強い、けれど危うい子。どこですか、どこにいるんですか……!


 鼻血をぬぐう余裕もなく、脇谷は流れ込む情報のなかから必要なものをどうにか拾い上げようと、マシラのことだけを考える。

 血管が切れるほど頭に血がのぼり、脇谷の手足は冷え切っていく。食いしばった歯がぎちぎちと音を立てて軋むなか。


「見つけた」


 つぶやきと同時、見開かれた脇谷の目が月の色に光る。


 闇のなかに銀の光を残し、飛び出した脇谷が向かうのは町の外れ。クナイたちの住む一角。


 月の光に照らし出された荒れた地に、脇谷が音もなく降り立った。


「おかえりなさい、マシラさん」

「うう、あぁ……」


 場違いな呼びかけに、マシラが白髪を乱して振り返る。


 血走った目、にじむ怨嗟。

 間違いなく正気を失くした彼は脇谷を、生きている人間を目にして唇を吊り上げた。


 そこにあるのは獲物を見つけた歓喜。

 おぞましい笑みを形作るマシラの顔をまじまじと見て、けれど脇谷はにっこり笑う。


「良かった。まだ誰も傷つけてないみたいですね」

「うああああ!」


 飛びかかってくるマシラをひらりと避けて、脇谷は人の気配のしないほうへひょいと飛ぶ。


 追いかけるマシラを振り切ってしまわないように。

 かといって、迫るマシラに自身を、人を傷つけさせないように。


 ひょいひょいと飛び退る姿はまるで鬼ごっこを楽しむ童子のように、脇谷は笑う。


「さあマシラさん、朝までいっしょに遊びましょう!」 


 ※※※


 夜が明ける。

 静かな闇が白みはじめたころ、脇谷は社へと帰り着いた。


 ―――んー、ツクヨミさまはもうお子さまになってお休みしてますかね? アマテラスさまにまで姿を見られては、忍者感が薄れてしまうんですけど。


 さて、どこへ行こうか。大屋根の上で悩んだ脇谷は、ふと見知った人物の気配をとらえて屋根から飛ぶ。


「クナイさん」

「……マシラと、戦ったの?」


 脇谷を迎えたのはクナイだった。

 社で貸し与えられた衣服からは酒の匂いが香る。


 社に集められた男たちはしっかりと酒を飲み、盛り上がったのだろう。

 今ごろは広間でいびきをかいて寝ているにちがいない。


 けれどひと晩じゅう給仕をしていたクナイは、マシラのことが気にかかって眠れなかったのだろう。


 目の下に濃いくまを作ったクナイに、脇谷はゆるりと首を振る。


「いいえ、鬼ごっこをしてました」

「鬼、ごっこ……?」


 きょとんと瞬くクナイの前に脇谷は膝をつく。

 笑顔で彼女を見上げたのは、安心させるため。


 フードを深くかぶってはいても、真下から見上げる脇谷の顔はクナイには見えただろう。


「戦ってません。今回の任務はマシラさんをに誰も傷つけさせないことでしたから。ひたすら走って隠れて、夜通し遊んでました」

「夜通し、遊んで……?」

「はい、それを可能にする忍術は、やっぱり最高です!」


 脇谷は昨夜を思い出してうっとりする。


 忍者の瞬発力を活かした鬼ごっこ。

 路地を駆け屋根に飛び上がり、あるいは土中に身を潜め。

 

 あるときは影分身を作り出してマシラを惑わせ、あるときは変わり身の術でマシラを苛立たせた。


 付かず離れずの距離を保って走らせ続けたマシラの限界がやってくるのと、空が白み始めたのは同じころ。


「マシラさんは疲れて気を失ってしまったので、連れてきました」

「え、どこに」


 にこ、と笑った脇谷は空を指差した。

 目を凝らせば、うっすらと青みがかってきた空のはるか高みに何やらちいさな点がある。


「凧にくくりつけて、飛ばしてます。怨嗟は太陽の光に弱いらしいので、一番に朝日を浴びられるように、と思いまして」


 はあ、とクナイの口からもれたのは呆れと感嘆、どちらのため息か。


「ほんと、あんた意味わかんないね」


 疲れたように笑ったクナイの身体から、力が抜ける。


 倒れかけた身体を脇谷は素早く抱き留めた。

 

「なんか気が抜けたら、眠くなっちゃったよ」


 脇谷の腕のなかでつぶやいたクナイは、すでになかば夢のなかにいるのだろう。

 預けられた体から、瞬く間に力が抜けていくのを感じ取って脇谷はクナイを抱き上げた。

 もちろん、ロマンあふれるお姫さま抱っこだ。


「では、部屋まで運びましょうかね。……この忍者と姫さまの構図で記念写真を撮りたいな……いや、忍者は記録に残るような行動は慎むべしっ」


 夜通しはしゃいだ脇谷は、浮かれる心を滅却する。


 ―――まだ任務は終わってませんからね。暗がりに帰るまでが任務です。


 胸の内で自身に言い聞かせながら、脇谷はクナイを抱えて歩き出した。

 

 ひと眠りして、アマテラスとツクヨミにマシラのことを相談して。


 ―――それできっと一件落着、いよいよ落ち着いたら忍者屋敷を建てるのも良いですね。町外れの子どもたちを雇ってマイ御殿を組み上げて……。


 穏やかな日々がやってくる。

 そのはずだったのだが。

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