怜悧な美貌 平常な忍者

 目の前の美少年がツクヨミ。

 そう聞かされて、脇谷は首をひねる。


「……声、もうちょっと渋くなかったです?」

「いや、そういうことじゃなくない?」


 脇谷の気の抜ける発言に、クナイが思わずツッコミをいれた。

 けれど当のツクヨミは我関せず、とばかりに窓の外を見ている。


 ガラスなど無い格子窓の向こうでは、太陽が山の端に呑まれて姿を消していた。

 昼の名残は大気に残るわずかなぬくもりと、空をほのかに照らす残光のみ。


 間もなくそれすらも消え失せて、闇があたりを包み込んだとき。


 ぼう、とツクヨミを名乗る少年の輪郭がぶれる。


 淡く光りを放つ少年の形がぼやけて震えだし、変化は瞬く間に起きた。


 脇谷より頭ひとつぶんほど低い位置にあったツクヨミの背丈が、脇谷を追い抜く。

 ぐんと伸びた背丈に合わせて長い銀髪はさらに長く艶やかに、冷ややかな眦はますます怜悧さを増して夜闇を切り裂く。


「成長、した……?」

「否。あるべき姿を取り戻したまでのこと」


 クナイのつぶやきを否定する声は、まさしく脇谷の記憶にある月光のごとき冷たさだ。


「あ、目がお月さま」


 鋭い眼差しが黒から月色に変わっているのに気が付いて、脇谷は思わず声をあげた。

 すると、冷えた月光がにんまりと弧を描いて脇谷を射抜く。


「然なり」


 ―――あ、なんかわかんないけどまずいこと言った感じです……?


 ぞわ、と粟立った背筋に脇谷が思うけれど、時すでに遅し。


「我が身は月の神の力を宿しておる。ゆえに夜闇が訪れねば真の姿とはなれんのだ。これは宮のなかでもごく少数しか知らぬ秘事ゆえ、漏らすなよ」


 ―――ええー、だったら言わないでくださいよぉ。


 とはさすがに言えず、脇谷は疲れた顔で相槌を打つ。


「夜に月が昇るみたいな、そういうことですか。じゃあ、アマテラスさまは今頃」


 月が昇ったなら日は沈む。当然の理を何がなく口にすれば、ツクヨミの唇がにんまりと笑みを形作る。


「童の姿に戻っていよう。あれは太陽の神の力を宿すゆえな。我らは互いが互いを補う、半端な神よ。これこそ秘事。我と我が半身しか知らぬ、みそかごとである」

「ええー、だったらいわないでくださいよぉ」

 

 二度目はこらえきれなかった脇谷を放置して、青年姿のツクヨミが長い銀髪をかきあげる。


 明かりの灯らない室内には深い闇が沈んでいたが、ツクヨミ自身の発する月光じみた淡い明かりで不自由はない。

 

「それよりも、それ。そこに隠しておる力の塊はなにか」


 尊大な喋り方が異様に似合う。

 下っ端願望のある脇谷は流れるように向けられた話に乗った。


「あ、はい。これですね」


 かけっぱなしだった隠れ身の術を解けば、脇谷の左右に繭がひとつずつ姿を現す。


 繭に結び付けていた縄は運搬用だ。ちょちょいと結び目を突いてほどくと、脇谷はいそいそと服のなかにしまう。


 色んな結び方ができるのって忍者っぽくない? と身につけた技術が役に立って、脇谷は内心ほくほくだ。


「持ってきてたんだ……」


 呆れたようなクナイの視線を感じて、脇谷は照れる。


「はい。術をかけて見えなくしてただけで、ずっと持ってました」


 正確には縄で引きずって歩いていたのだが、そこは黙っておく。


 ―――繭に傷もないようですし。


 さて、この繭にどんな用事だろうか、と銀髪の君に脇谷が目を向ければ、突如として現れた二つの繭にほんのりと頬を引きつらせる姿が見えた。


「これは……どうしてこうなった」


 ―――うーん、頭が痛そうな顔ってやつですね。もっと無表情な方かと思ったんですけど、けっこう表情豊かですね〜。


 凍てついた美貌を乱している張本人が自覚なくのほほんとしているのを、クナイが肘で突いた。


「兄ちゃん、兄ちゃん聞かれてるよ」


 わき腹への刺激に脇谷は「あ、はい」と我に返る。

 呆れたような視線がふたつ注がれているなか、意にも介さず口を開く、


「そうでした。ええと、廃墟群での事件の話は知ってます? ひとつはその被害者で、もうひとつはそれを見てショック……衝撃? 精神的負荷? を受けたええと、自分の仲間、ですかね」

「仲間、って?」


 リーチェのことをなんと称したものか、と悩んでことばを選べば、そこに引っかかったのはクナイだ。


 そこでようやく脇谷は、クナイに自分のことを何も話していないと気がついた。


 ―――あれやこれや聞かれないからクナイさんのそばは居心地が良かったんですね。


 遅まきながら気がついて、脇谷はほっこりする。

 と同時に、何をどこまで話したものか、と悩んだのだけれど。


「その話は我には不要だ。状況の説明を続けよ」

 

 悩む脇谷をツクヨミがさえぎった。

 

 脇谷の背中をつついて、クナイが「いいよ。おいらはあとで教えてもらうから、言うこと聞いときなよ」とささやく。


 ―――やさしいなあ。


 クナイのやさしさにありがたく感じながら、脇谷は頭を整理する。


「あー、じゃあ廃墟群での話ですね。遺体の周りに黒いもやがあって、それが付近の子どもに取り憑いた、っていうんですかね。取り憑かれた子どものほうはすぐに逃げてしまって。自分はひとまず繭を持って社に来たんですけど、アマテラスさまお忙しいみたいなのでツクヨミさまに指示をもらおうかなあ、と」


 忍んできたわけです。

 締め括った脇谷の横で、クナイがぎゅっと拳をにぎる。


「マシラ、見たこともないような顔してどこかへ行ったんだ。あいつを止めなきゃ……」


 うなるようなクナイの声に、ツクヨミは月光の瞳を伏せた。


「怨嗟に憑かれたか……」

「でもアマテラスさまは、まだ理性が残ってるかも、とも言ってました」

「ふむ」


 ツクヨミはひとつ頷き、深い闇色の瞳が静かに脇谷を射抜く。


「理性でその場は逃れたとして、いまごろその童は怨嗟により増幅した恨み辛みに我を忘れておるはず。恨む相手を殺させるな、傷つけさせるな。さらなる怨嗟をその童に食らわせれば、もう戻れぬ」


 涼やかな声で語られるには、あまりにも重い響きだった。


 ぎり、とこぶしをにぎったクナイが何かを耐えるように食いしばった歯のすき間から声を漏らす。


「マシラが恨むとしたら、金持ちたち。それと国卒だ」

「なら、要人警護ってことですかね。一か所に集まってもらうと楽なんですけど、ツクヨミさまの権限で召集かけられます?」


 どこにいるかもわからない対象を守るのは難易度が高すぎる、と話を振れば、引結ばれた唇の端がひくつく。


 偉いひとの操縦は脇谷のような下っ端にはできない。偉いひとに頼むべきだと思ったのだが、相手を間違えただろうか、と脇谷は内心で首をかしげた。


 ―――でも、アマテラスさまが表に出てこられない時間帯なら、ツクヨミさま以上に権力持ってるえらいひとを知らないんですよね〜。


 そんなことを思いながら返事を待っていれば、ツクヨミが深く深くため息をつく。


「神をも恐れぬというべきか……いいだろう、異界の者。ツクヨミの名において、その願い叶えてやろう」

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