陰る太陽 闇を待つ月

「マシラ、マシラ!?」


 白髪の少年を呼びながらクナイが駆け出す。


 ―――止めるべきか、あとを追うべきか。


 脇谷が逡巡したその間に、クナイの肩をつかんだのはアマテラスだった。


「追うな。そなたも怨嗟に呑まれたいか」

「でもっ、マシラが!」


 焦るクナイの肩を抱いて、アマテラスはことさらに静かな声で告げる。


「あの童、怨嗟に憑かれたとはいえ、昼日中から暴れる不利を察する程度には自我が残っているのやもしれぬ。やみくもに探したところで疲弊するばかり。万全の状態であの童を助けるためにも、一度、社に戻ろう」


 ―――クナイさん、自分もいっしょに社に向かいますから。


 脇谷がクナイだけに聞こえるようささやくと、細い肩がぴくりと震えてアマテラスに抗うのをやめた。


「……はい」


 がっくりとうなだれたクナイを加えた一行は、牛車に揺られて社へと戻って行く。

 がたがたと音を立てる車体の底に、ひとりの忍者を貼り付けたまま。


 ***


 社に着くころ、目を覚ましたヒガは状況を知って激高した。


「なんだってそんなことになってやがる!」


 門をくぐり牛車を降りるなり、彼はアマテラスに詰め寄る。


「落ち着け。腹を立ててどうにかなるならば、今ごろこのようなことにはなっておらん」

「落ち着いてなんざいられるかってんだ……!」


 なおも怒気を振りまくヒガにアマテラスはちいさく息をつき、白い手のひらで彼を制した。


「保護した童が怯える。誰か、この者を休ませてやってくれ」


 アマテラスが周囲に声をかけると、静かに控えていた社の人々がするりと動き出す。


「どうぞ、こちらへ」


 女性のひとりがクナイの手を取り、社のなかへと促した。

 クナイは状況を見て、ここにいるべきでないと判断したのだろう。ちいさく頷いて手を引かれるまま歩き出す。


 その背を追って牛車の底から這い出た脇谷は、衆目がアマテラスに集まっているのをいいことにするりと社のなかへ入り込む。


 ―――では、自分もクナイさんと行きますね。繭は運んでおきますから~。


 こっそりとアマテラスの耳にささやいて、脇谷は社の通路の暗がりへ。

 

 ヒガの怒声とそれを止めようとするスザクの声が聞こえるけれど、脇谷にはどうしようもない。


 ―――それよりも自分は、と。


「クナイさん」

「わあ!?」


 クナイが案内された部屋の天井からぶら下がる脇谷に、クナイが跳びあがって驚く。着替えようとしていたところなのだろう、乱れた服の胸元を掻き抱くようにしたクナイと脇谷の目があった。


 案内してきた女性がすでに部屋を去っていることはわかっていたが、脇谷は口の前に指を立てる。


「しー、ですよ」

「だったら驚かせないでよ」


 赤い顔をむくれさせながら服を着直すクナイに、脇谷は首をかしげた。


「着替えるのでは?」


 視線で示した先には真新しい服が畳まれている。

 みすぼらしい身なりのクナイに気をつかって、案内の女性が持ってきたのだろう。


 気にせずどうぞ、と促す脇谷に、クナイは再びかっと顔を赤くする。


「っ! あ、あっち向いてて!」

「はあ」


 ―――男同士、気にすることないのに。


 脇谷が首をかしげながらも従うと、すこしして衣擦れの音が聞こえ始めた。

 

「そうです、そうです。この後、自分はツクヨミさまのところに行こうと思ってるんですけど、クナイさんはここで待っていてもらって良いですか」


 ぼうっとしているのも何だし、と脇谷は天井からぶら下がったまま壁を見つめながら問いかける。

 しゅるり、肌と布とがこすれる音を挟んでクナイが答えた。


「ツクヨミさまって、あの怖そうな声のひとかあ。うーん」

「怖そうなのは否定しません。けど、たぶん悪い人じゃないんですよね。いや、敵に回したくないタイプって言いますか」


 壁から突き出た刀と、月光のように冷ややかな声を思い出しながら脇谷が遠い目をしていると。

 しゅっ。音を立てて帯を巻いたクナイが「ん、いいよ」と告げた。


 ―――着替え終わりましたか。


「え?」


 部屋の中央に立つ少女を目にして、脇谷は天井からぼとりと落ちた。


 鮮やかな朱色に染められた着物を淡い黄色の帯で締めた、華奢な少女だ。

 頬を赤くし、恥じらうように伏せた目が床に落ちている脇谷をちらりと見る。


「く、クナイさん?」

「……なにさ」


 戸惑う脇谷に返す声は間違いなくクナイのもの。

 そして、まじまじと見てみればあまりにもしっくりくる女物の着物。


 混乱のさなかにある脇谷は、混乱したままの頭で声を絞り出す。


「じょ、女性だったんです、ね?」


 その一言を発する間に、脇谷の脳裏にはクナイと出会ってからの己の言動が蘇っていた。

 

 初対面で「クナイ欲しい」発言をしたこと。

 出会って間もなく金を払うから家に泊めてほしいとお願いしたこと。

 少年だとばかり思って何度も気軽に抱き上げていたこと。


 思い出すたび、フードの下で脇谷の顔は青くなっていく。


 ―――んんんっ、ギルティッ!


 即座に発動したのは土下座だ。

 大声で「申し訳ありませんでした」と叫びたいところを、社のなかだからと胸のなかで叫ぶにとどめる。


 ―――端から端までアウトだ。情状酌量の余地がない。


 見れば見るほど少女姿のクナイはしっくりきて、なるほど痩せた少年かと思われた華奢さは少女のものと言われて納得しかない。


 ―――なんで気づかないかなあ、自分は!

 脇谷が間抜けすぎる自身に憤っていると。


「あんなところで過ごすのに女だってバレないほうがいいからね」


 クナイは弁護するようにくすりと笑った。

 

 ―――ギルティだけど、断罪はされない?


 その笑顔に脇谷がちょっぴりだけ希望を覚えて伏せていた顔をあげるが。


「まあ、さすがに抱き上げられたときには気づかれたかと思ったけどね!」


 続く言葉で脇谷は再び、床に這いつくばった。


「申し訳ありませんでしたー!」

「いいよ。その代わり、おいらもいっしょに連れてって。そのツクヨミさまのところへ」


 ***


 そうして夕暮れの近づく社のなか、脇谷はクナイを連れて天井裏へと忍び込んだ。


「ねえ、なんで天井裏から行くの? ふつうにアマテラスさまに頼んで案内のひとを呼んでもらえばいいのに」

「いえいえ。こういうのは表立ってしないほうが良いのです、浪漫ですから」


 きりりと答える脇谷に、クナイが首をかしげたとき。


「っ!」


 脇谷はクナイを抱き上げて飛び退った。

 さっきまで彼の足があったあたりに突き出ている鋭利な刃先が、天井裏の暗闇でぎらりと光る。


「何奴!」


 屋根裏へと飛んだ鋭い声に、脇谷の胸がキュンと高鳴った。


「はい、曲者ですぅぅぅ!」


 大喜びで返事をしてしまう脇谷に、抱えたクナイが腕のなかであたふたする。


「いやっ、それ応えちゃだめなやつ! っていうか、床下の方もいきなり攻撃したら危ないでしょ!?」

「問答無用。怪しいやつめ、姿を見せよ!」

「はい、喜んでー!」


 クナイがまっとうな指摘をし突っ込みを入れているが、足下の部屋の誰かは完全に無視。

 脇谷は大変魅力的な呼びかけにまんまとつられて、うっかり天井板を外して即座に部屋に着地してしまった。


 降り立ったのは、子どもを包む繭の置かれた部屋。

 音もなく着地してようやく、脇谷は自分のやらかしたことに気が付いた。


「こ、巧妙な罠にはめられたー!」

「いや、罠でもなんでもないと思うけど……」


 がっくりと膝をついた脇谷に、クナイの冷たいことばが追い打ちをかける。


 ―――そんな、さっきのテンプレ的やり取りのどこが罠じゃないんだ!


 素敵な応酬を思い出し、脇谷はうなだれながらも笑いが浮かぶのを止められない。


「ふむ、お前が姿を見せぬ落ち人か」


 自分の世界を楽しむ脇谷をよそに、天井に刃物を突き立てた人物は静かに言った。


 ―――そういえば誰かいたんでした。


 声につられて顔をあげた脇谷の前には銀髪の少年が立っている。


 クナイやマシラと同じくらいの年のころだろうか。

 真っ白い衣装に長い銀髪、夜の闇よりなお暗い瞳をした少年が脇谷たちを見据えていた。


 ―――んん? この冷ややかな視線、記憶にあるような?


 脇谷の本能がそう告げたのがわかったわけでもないだろう。少年は鋭い眼光で脇谷を射抜き、言った。


「わからぬか、ツクヨミだ」

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