白い子 黒い闇
「せ、『世界を巡る精霊よ。世界に満ちる精霊よ。あるべき姿に戻し給え、再度の勇気を与え給え。我が身に巡る力に依りて、我が願いを聞き届け給え。
繭にすがるようにしてスザクが唱えたのもまた、魔法なのだろう。
スザクを中心にして赤色のエフェクトが展開される。広がった光はリーチェの閉じこもる繭をすっぽりと包み込んだ。
術者の性質を表すようなやわらかい赤の光のなかで、けれど繭は頑なだった。
温もりさえ感じるほどの光に包まれてなお、繭は硬く閉じている。やがて、ほろほろと溶けて消えたのはスザクの魔法の光であった。
「どうして!」
がくぜんとした表情でスザクが叫ぶ。
「どうして解けない! 最上級の解呪の魔法なのに、なんで!」
『
スザクは続けて唱えるけれど、何度唱えても彼の手から生まれた光は繭を消せないまま。リーチェは、繭のなかで静かにうずくまっている。
「
「スザク」
繰り返し呪文を唱えるスザクを止めたのは、アマテラスだった。
「もう、やめよ」
静かな声に、スザクははじかれたように振り向く。
「だって、リーチェが! どうして、どうして俺の魔法で解けないんだ? 解呪の魔法なのに、魔法は発動してるのに!」
「神の力は創造の力。それだけ、リーチェの創造力が強かったのじゃろう」
落ち着き払った声で、けれど拳を固く握りしめながらアマテラスは続ける。
「それだけ怯えたのじゃ。我の想像力が足りておらなんだ。そなたらは平穏な国から来たのじゃな。ひとの死にこれほど耐性がないなどと、思いもよらなんだ」
ただでさえ白い指先に力がこもって、ますます白くなる。「すまぬ」とちいさくつぶやく声にスザクがくちを開くより早く。
(ちょっと失礼しますね)
緊迫した空気をぶち破って脇谷は声をあげた。
アマテラスの手がびくりと揺れたのは、脇谷の存在に気が付いていなかったせいだろう。
今もまだ、姿は隠したまま声だけの出演なので、彼女はいぶかし気にあたりに視線をやっている。
(さっきの光と大きな声で、あたりの浮浪児らが集まってきそうです。今はなんとかとどめてますけど)
「だ、誰だ?」
誰何の声をあげたのはスザクだった。
―――あ、うまいこと狙った相手の耳元にだけ聞こえるよう囁けてるみたいですね。
反応があったのはアマテラスとスザクだけ。それを見てとった脇谷は、術がうまくいっていることに気を良くして囁く。
(ツクヨミさまの協力者、とでも思っていただければ)
アマテラスがぴくり、と反応をする横で、スザクはなおもいぶかし気にあたりに視線をさ迷わせる。
しきりに周囲を見回すスザクと風魔の視線が絡む。
「あ、なにか―――」
聞こえませんか、そう問おうとしたのだろう、スザクの手をアマテラスの指がそっと叩いた。
ささやかな、けれど確かな合図にスザクはくちを閉じる。
静かに、とアマテラスの目が語っていた。
「まずいな。今の光と音でひとが集まってくるやもしれん。このあたりの住人がこの件に気づけば、騒動に乗じて怨嗟の連鎖が起きるやも」
風魔にも聞こえる声で告げたアマテラスに、スザクは黙って事態を見守ることにしたらしい。
ひと安心、と息をついた脇谷の耳に、アマテラスが忠告したようにざわめきのような言い争う音が届いた。ずいぶん遠いが、確実に近づいてきている。
(えっとー、ではそこの繭と、遺体も人目につかないところに運びます? あ、できれば遺体も繭で包んでもらったほうがいいかも)
謎の声に従うべきか否か。
迷うスザクにアマテラスがうなずく。
「スザクよ、緊急事態ゆえ遺体を回収して社で調べたい。繭で包んではもらえぬか」
アマテラスが謎の声について言及しない理由はわからないながらも、スザクは彼女を信じると決めたらしい。
―――実に主人公らしい良いムーブです。
しみじみと眺める脇谷の視線に気づかないまま、スザクは魔法の呪文を唱えはじめる。
「わかりました。『時を司る精霊よ。生命を司る精霊よ。流れをゆるめ給え、しばしの憩いを与え給え。我が身に巡る力に依りて、我が願いを聞き届け給え。
無残な遺体に魔法をかければ、見る間に濃紺にうっすら橙の混じる繭が廃墟のなかに転がった。
(では、ひとまず隠しちゃいますね。『隠れ身の術』)
脇谷がアマテラスとスザクに聞こえるように術の名称をささやいたのはあえて、だ。
唱えると同時、廃墟のなかの繭が消えた。後に残るのは、乾きかけた血だまりと怨嗟の黒いもやだけ。
まばたきをする間に、すぐそばにあったリーチェの繭も同時に隠してしまう。影に沈むように一瞬のことだったけれど、アマテラスは落ち着き払っていた。
「さて、繭は社に運んだ。スザクの繭で時を遅らせてあるから、あちらの調査は後程でいいだろう。リーチェのこともゆっくり、な」
突如として消えた繭を目にした風魔が何かを言うよりもはやく、アマテラスが告げる。前半は風魔に聞かせるために、後半はスザクに向けてだろう。
風魔に協力者の話をしない、その意味するところを考えて黙っていたスザクの耳に、ばたばたと騒がしい足音と誰かの声が届いた。
「クナイ、何か知ってんだろ! なんで邪魔すんだ!」
「知ったところでどうにもできないからだよ。あの人が行ってくれてるから……待って、ダメだ! マシラ!」
静止の声を振り切って廃墟の向こうに姿を現したのは、白髪の子どもだった。
廃墟で暮らすひとりなのだとひと目でわかる粗末な衣服を身に着けている。
ざんばら髪に痩せ細った身体をした子どもは、アマテラスたちに気が付き見開いた目を、即座に鋭く尖らせた。
か弱そうな容姿のなかで、瞳だけが浮いたように強い光を宿している。
「……あんたら、ここで何してる」
「そなた、ここいらに住む子じゃな。このあたりは危ない。皆を集めて我が社へ―――」
「そうやって、俺たちをさらっておもちゃにするんだろ。誰がわざわざ殺されに行くかよ!」
アマテラスのことばをさえぎって叫んだ子どもは、にらみつけていた目を大きく見開いた。
その視線の先にあるのは、大きな血だまりだ。
―――ああ、見せてはいけなかったのに。
脇谷の後悔はあまりに遅かった。
ぎり、と子どもの擦り切れた拳が握りしめられる。
「……殺したのか」
強い、強い怒りに彩られた目がアマテラスを射抜く。
あまりに強い感情のこもる目にスザクだけでなく脇谷もまた飲まれ、身動きを忘れていた、そのとき。
血だまりの周りにこびりついていた怨嗟が、マシラにどっと襲いかかる。
淀みの向こう、見えたのは目を見開いた子どものあどけない表情。
一瞬で黒い怨嗟に塗りつぶされたその顔がふたたび現れたときには、マシラの目は限界まで見開かれ、口の端は裂けそうなほど吊り上がっていた。
わずかに開かれた唇から漏れる黒いものは、呼気にまぎれた怨嗟だろうか。
そこにあどけなさなどかけらもない、それどころかマシラの顔に浮かぶのは人の見せる表情ではなかった。
「まずい!」
アマテラスの叫びではっとするも、もう遅い。
真っ赤な口で笑って見せた子どもが跳んだ。パサついた白髪が宙に舞う。
背中を曲げ、四つん這いで離れたところに着地したかと思えばマシラはげたげたと笑い声をあげながら遠ざかっていく。
ちいさな姿が消えた後には、黒い怨嗟が残像のように尾を引いていた。
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