悲劇 そして 悲嘆

 肝を冷やした夜が明けて、おだやかな一日を迎える。


「というわけにはいかないみたいですね……」


 ぼやいた脇谷の耳には、早朝のさわやかさをぶち壊す悲鳴が聞こえていた。


 ※※※


「すでに、怨嗟が湧き始めておるようじゃの。陽光で払えんほどとなると、放っておくわけにはいかん。被害者の状況も確認せねばならんしの」


 現場に向かいながらアマテラスが言うのを、脇谷は物陰にひそんで聞いていた。

 ちなみに物陰とは、アマテラスらが乗ってきた牛車の底である。


 ―――アマテラスさん、スザクさん、リーチェさんに風魔さん……おや、ヒガさんは


 生臭い血のにおいが満ちていたため、クナイにはマシラを捕まえていてもらうよう頼んで置いてきた。

 

「そういえば、このあたりに昨日の国卒はいないのかな」


 風魔の疑問に、アマテラスはどうにも気まずそうに眼を伏せる。


「……国卒が守るのは、町の人間だけでな。今回、被害にあったのは、その、このあたりに住む住民であってな……」


 歯切れの悪いアマテラスのことばにスザクとリーチェはあたりを見回し、表情をくもらせた。


 ―――無理もないですよね、人が住んでるようには見えないですし。


 脇谷が胸のうちで同意を示す。


 ここに人が住んでいる、と言われても信じ難いだろう。

 

 見える範囲にある家は屋根が崩れたものもあれば、壁に大きな穴が開いているものもある。

 かろうじて建っているようなものも多く、はっきり言えば、どれも廃墟にしか見えない。


 建ち並んでいるのはどれも似たようなあばら屋ばかりだった。そして、そこに住んでいるということは。


「つまり、被害者は町の人間として認められていないわけだね? だからあなたが自分で出向くわけだ」


 ずばりと言った風魔に、アマテラスは「ああ」と力なく答える。


 ―――さすが風磨さん! 物事を見抜くそのお力はやはり忍者としての素養なのでは!?


 ワクドキする脇谷をよそに、リーチェが驚きの声を上げた。


「ええっ、それってどゆこと? 町に住んでるのに、町のひとじゃないの? どーゆーこと?」


 驚くリーチェの純粋な問いに、迷いながらも口をひらいたのはスザクだ。


「たぶん、税金を納めていないだとか、市民権を持っていないとかじゃないかな。だから、町の真ん中に住めなくて、国卒に守ってもらうこともできなくて、こんな廃墟みたいなところでどうにか暮らしてるんじゃないか、って思うんだけど」


 ためらいがちに言ったスザクは、自分が口にした言葉が間違っていればいいとでも思っているのか。

 うかがうようにアマテラスに視線を向けるけれど、返ってきたのは肯定を意味するうなずきひとつ。


「そうじゃ。不甲斐ないことに、我が力が行き届かぬ者たちがおるのは事実じゃ。親を亡くした子や、税を治められぬ貧しい民が、こうして町はずれの家とも呼べぬ家に暮らしておる」


 眉間にしわを寄せたアマテラスは、神々しいまでの美しさと相まって誰をも従える指導者のように見える。

 けれど、彼女の内には苦悩が多いのだろう。


 ―――管理職の苦労、ってやつですねえ。


 脇谷は牛車の底に張り付いたまま、うんうんと頷く。


「この場所も我が領域と言うておるのじゃが、国卒たちは何かと理由をつけてはここいらの者を粗末に扱うのでな。どうにかせねばと思っておったが……」


 声を途切れさせたアマテラスにスザクはかけることばが見つからないのだろう。黙り込んでしまった。


 さすがのリーチェも、重たい話に気まずそうだ。


「義務を果たしていないなら、権利を得ることができないのは当然だよ。けどそうなると、誰が貴女まで報告をあげたのかってことが気になるけれど」


 そう言った風魔の声音は、いつもと変わらない。


 ―――ああっ! 冷静さがかっこいいです風磨さん! しかも鋭いっ。


 宮に、というよりツクヨミに報告した張本人である脇谷は、身バレを恐れるよりも先にときめきに胸を踊らせる。


 けれど彼の達観したような物言いが、リーチェには冷たく聞こえたのだろうか。


「そんな、そんな言い方しなくても!」


 リーチェが反論しようとして声を荒らげ、けれどことばに詰まる。

 風魔が言ったのは正論だ。うつむくスザクもわかっているのだろう。


 ―――わかるけれど、リーチェさんの気持ちも理解できて複雑、といったところですか。


 朝のさわやかなはずの空気は、固く張りつめてしまった。


 降り注ぐ朝日のぬくもりも、どうしてか遠く感じられるほど。


「国卒とこの廃墟群に住まうものについては、我らが問題ゆえ」


 誰もが黙り込んでしまった空気を溶かすように、アマテラスが苦笑しながらくちを開く。


「そなたらには怨嗟のほうを頼みたい。この地に住まう者のことは、我らが必ず救うと誓う」


 誰に向けて誓ったのだろう。

 静かな決意を秘めたアマテラスの声に、スザクは何も返せない。


 リーチェは神妙な顔で深くうなずき、風魔は軽く肩をすくめた。

 微妙な空気を置いて行こうとするかよように、ヒガを牛車に残したまま、四人は現場へと歩きだした。


「さあ、報告にあった場所はもうすぐ……」


 廃墟のひとつを曲がったアマテラスは声を途切れさせる。


 ―――ああ、見えたんですね。あの現場が。


 ひと足先に現場を見ている脇谷は、立ち尽くすアマテラスの気持ちがよくわかった。

 するりと牛車の底を這い出て、一行のすぐそばの瓦礫に身を潜める。


 アマテラスの肩越しに曲がり角の向こうをのぞいたスザクが息を呑む音が、脇谷の鼓膜を揺する。


「これは……」

「いやっ、なにあれ!」


 悲鳴をあげたルーチェが立ち止まった。

 四人が見つめる先には、赤い血だまりがある。


 屋根も壁も壊れ、柱だけが辛うじて残る廃墟の中央に倒れる人影。

 血の海にうつ伏せになったその人物の顔は見えないけれど、身体の小ささ細さから幼い子どもなのだろうと見てとれた。


「なんてことを」


 ふらふらと近寄りかけたスザクは、アマテラスに腕をつかまれ引きとめられる。


 呆然としたまま振り向いた彼をよそに、苦い顔をしたアマテラスは廃墟のあちらこちらに視線を向けている。


「よく見るんじゃ。怨嗟が渦巻いておる」


 言われるまま、スザクは目をこらしたのだろう。大きく見開かれた目に黒い影がちらつく。


 ―――渦巻く、そのとおりですね。


 脇谷もまた、現場に目を向けた。


 朝の光に白白と照らし出された凄惨な現場のあちらこちらに、確かに黒いもやがこびりついているのが見える。


「怨念に呑まれた者がここに居ったのじゃろう。去った後も目に見えるほど凝っておるとは……」

「じゃあ、これはその誰かが?」


 風魔の問いに、アマテラスが「……いや」とつぶやいたとき。


「いやっ! じゃあ、まだどこかにいるの? この近くにいるかもしれないの? こんな、こんな酷いことするひとがこの近くに!?」


 叫んで震えだしたリーチェを落ち着かせようと、スザクが彼女の肩に手を伸ばす。

 けれど彼の顔もまた蒼白になり、伸ばした指先はひどく震えている。


「やだやだやだぁ!」


 スザクの指が届くより早く、かぶりを振りながら叫ぶリーチェから光が噴き出した。


 光はあっという間にリーチェを包み込み、何かを形作っていく。


 ―――繭、ですね。あれは昨日、子どもを包み込んでいたもの……?


 光の繭から感じる力は脇谷が昨日、宮で触れたものとよく似ていた。

 

 ―――ならば安全なものなのかな?


 脇谷が静観している間にも繭はさらに大きくなり、強い光を放ちだす。


「まずい、力が暴走しておる!」

 

 叫んだアマテラスに肩を引かれてスザクが後ずさる。そのつま先を掠めて繭が収束をはじめた。


 繭の内側にあった石ころや瓦礫が、収束する光に引きずられるように繭の中央へと寄り集まっていく。


 ―――おお、これは……魔法かな?


 リーチェを中心に広がる光のエフェクトに、脇谷は目を瞬かせる。


「リーチェ!」


 スザクの声は、いやいやと頭を振りうずくまった彼女に届かない。


「くっ、発動中の魔法に触れられない仕様まで再現しなくても良いだろう!」


 めいっぱい腕を伸ばしたスザクが苛立ちまじり言葉を吐いた。


 ―――ああ、これはゲームの魔法を模してるんですね。


 脇谷も姿を隠したまま小石など投げてみるが、光の渦にかき消えて効果はない。


 見ていることしかできないスザクたちの目の前で、リーチェを包んだ繭はやがて沈黙した。

 あふれ出ていた光も収まっている。


 ―――魔法が完成した、ということでしょうね。


 繭の中央で膝を抱えたリーチェは、きつく目を閉じて身じろぎもしない。


「……ああ」


 光のエフェクトが消えてようやく踏み出せたスザクは、完成してしまった黄昏色の繭に拳を打ち付ける。


 けれど当然のようにリーチェからの反応はない。

 彼女は自らが発動させた魔法のなかに取り込まれてしまっていた。

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