月光冷ややかに 忍者密やかに


 脇谷の願いはむなしく、一刀両断にされた。


 いや、一刀両断にされたのは、脇谷たちと隣室の誰かを隔てる壁だ。


 生えていた刀がすっと引かれた一瞬後、壁の角から角まで斜めに切り下ろす刃が走ったかと思うと、だんっと重たい一撃が加えられ壁はあえなく倒れて落ちた。


「……は」


 思わず塞ぐ手が外れたクナイのくちから、吐息とともに漏らした声が静まり返った部屋に響く。


 ―――わあ、壁って切れるんだ。


 驚きのあまり、脇谷は妙な感心を抱いていた。


 どうっと床に倒れた壁を踏みつけて、姿を現したのは月光のような男だった。


 腰まである長髪は銀色の光をまとい、涼やかな目元は夜空の月のように冴え冴えとしている。

 まとう気配はアマテラスによく似ているけれど、それは力の強さだけのことだと脇谷はようやく気が付いた。


 男の右手に握られた刀が、ぬらりと冷たく光る。


「ほう? 姿の見えぬ者がふたりおったとは、聞いておらんがなあ?」


 言いながら、浮かべる笑みでさえ冷えている。

 その視線に触れたクナイが震えているのに気がついて、脇谷はクナイを背後に隠した。


 その様子を見ていた銀髪の男は、ふむとあごに手をやった。


「……見たところ、小さいほうは暮らしにゆとりのある者ではなさそうだな。我らの手元に居れば、心行くまでとはいかんが多少の裕福な暮らしは保証するぞ」


 ―――クナイさんまで取り込もうとしてる……落ちてきた人に町で暮らされるとなにか不都合があるんでしょうか。


 脇谷は考えを巡らせるが、表情の乏しい男の顔からは何も読み取れない。

 その右手に握られたままの刀を思えば下手な答えも返せない。


「その者が気に入ったのであれば、共に前宮の部屋で住めるように口添えしてやろう。他の者たちと会いたくないというなら、部屋を移すこともできる」


 こくり、クナイが唾を飲み込むのを感じながら、脇谷はへらりと笑ってみせる。


「お気遣いはありがたいんですが、自分は市井に紛れるのが大好きなのでこの子たちのところのほうが落ち着きます。あ、でも君たちの暮らしはもうちょっと何とかしたほうがいいのかな。だったら、自分が君らのねぐらを買い取るから、何か子どもでもできる仕事を紹介してもらうとか……」


 それが最善なのでは? と脇谷はくちからこぼれた出まかせに思いを馳せる。


 ―――自分は市井に紛れる忍者ごっこが続行できるし、子どもたちはもう盗みを働かなくて済むようになれば、何もかもが丸く収まるわけですし。あとは、このおっかないひとをどう納得させるかですけど。


 すてきな忍者暮らしを想像して目をきらきらさせる脇谷に、男は面白そうな顔をした。


 はじめて表情らしい表情が浮かんだ顔は、見た目だけであればアマテラスによく似ていると脇谷は気が付いた。血縁者なのかもしれない。


 その顔を見て、脇谷はもらってしまった銭貨のことを思い出した。

 ねぐらを買い取ろうにも、自分の持つ金はもらいものだった。


 金だけもらってとんずらするのは、さすがに良心が傷む。


「とはいえ支度金はいただきましたので、ええと、怨嗟をどうにかするのは、自分も微力ながらがんばります」

「ほう? 町に住み、有事の際のみ働く、と?」

「はい。その、だめ、ですかね?」


 脇谷自身、ずいぶんと虫のいい話をしている自覚はあった。

 けれど、一度死んでいる脇谷には怖いものなどない。


 ―――いや、嘘。この人めちゃめちゃ怖いです。切れ長の眼を細めて見つめてくる銀髪イケメンとか怖すぎです。できれば今すぐ残っている銭貨を置いて「ごめんなさいー!」って叫びながら逃げたいところですけど、ここで逃げかえったら忍び込んできた目的が達成されないですし。


 息の詰まる沈黙に耐えていると、イケメンの唇の端がくっと上向いた。


 笑っている。

 にやりという擬音がぴったりの悪い顔で笑っている。


「いいだろう。そなたの存在は内密にしてやろう。その代わり、我が駒として働け」

「え。嫌です」


 あからさまな悪役的発言に思わず反射で拒否した脇谷は「しまった」とくちを閉じるけれど、もう遅い。

 怜悧な眉が不愉快そうにきゅっと寄る。


「ほう? 我が駒として働くのを断るか。アマテラスと対を成す神力を誇るこのツクヨミの誘いを」


 断れると思っているのか、という副音声が脇谷には聞こえた。

 言われていないけれど、絶対に言った。


 脇谷はうっかりホールドアップして、ぷるぷると首を横に振る。


「あ、今のはもののはずみで、つい! お手伝いできることについてはがんばりますけど、自分はフリーの忍者でいたいので……」

「忍者? 忍ぶ者、隠れ動く駒、見えざる刃か」


 ふむ、とあごに手を当てた銀髪のイケメンは「いいだろう」と頷き、右手に握ったままでいた長刀から手を離した。


 途端、硬質な銀の輝きは薄闇にほろりと消えて、跡形もない。


 驚く脇谷の背後で「神術の剣……」とつぶやくクナイの声がした。


 ―――なるほど、神術とやらは武器も作れるわけですか。


 脇谷は脳内にメモをする。


「面白い。ならば、今しばらく好きに動くが良い」


 すい、と身を翻した男は、肩越しに振り向き冷たい暗闇のような瞳で脇谷を射抜く。


「だが、我らを裏切ってみろ。跡形もなく消し去ってくれる」

「っ……は、はい」


 びくりと固まった身体をどうにか動かし返事をすれば、男は満足気に笑って立ち去って行く。

 去り際、ついでのように手の平をこちらに向けたかと思えば低い声で祝詞をつぶやき、瞬く間に倒れていた壁が元に戻っていた。


「すごい……」


 あっけに取られたクナイの声で、脇谷はようやく身体に残る威圧感から解放され息をついた。


「こ……っわかったー! 何ですか、あれ。なんですかあのひと! ひと? いや、アマテラスさまに近い何か? 何かわかりませんけど! 怖かった! あんなのの下で働くなんてごめんです寿命が一瞬でマイナス値間違いなし!」


「……いや、あの申し出を断るあんたもなかなかだと思うけど。そんなことより、せっかく見逃されたんだ。今のうちに」


 遅れてやってきた恐怖にぷるぷる震える脇谷を呆れた目で見たクナイは、早々に頭を切り替えたらしい。


「そうでした。ええと、こっちだと思います」

 

 廊下と室内の気配を探って、脇谷は銀髪イケメンが去った部屋の戸を開けた。


 開いた戸の奥に月明りがするりと入り込む。青白い光に照らされた部屋の真ん中あたりに、それはあった。


 濃い青色をした大きな繭のような塊。半透明の膜のそのなかに、うっすらと見えるのは目を閉じて眠るちいさな子ども。


「あ……」


 声をもらして、クナイが駆けだした。


 膜に触れて、その感触に驚いたのかびくりと引っ込めた手を、恐る恐るもう一度伸ばす。


 やわらかく、けれど外部のものを拒む繭に阻まれたクナイの手に、ぐっと力がこもる。


「その膜で、守ってるみたいですね。ええと、リーチェさんだったかな。桃色の髪のひとの気配が少し感じられます。怨嗟の動きを鈍らせる膜、なのかな。呼吸も落ち着いてますよ」

「うん……」


 声をかけてもクナイの視線は繭のなかの子どもから逸らされない。立てられた爪ががり、とにぶく繭の表面をすべる。


 脇谷もそっと繭に触れてみた。


 硬くもない、柔らかくもない。温度もない繭はただ触れた手の平を拒んで、そこにある。

 押しても反応はなく、中にいる子どもが気になってそれ以上の手出しはできない。


「自分にはどうしていいかわからないので……マシラさんのねぐらに置くよりも、アマテラスさまの元にいるほうが、安全でしょう」


 申し訳なさに脇谷がぼそぼそとつぶやけば、クナイからの反応はずいぶん遅れて返ってきた。


「……そう、だね」


 言いながらも、クナイは離れがたそうに繭を撫でている。


 可能な限りここに居させてあげたい、と思う脇谷の耳が、近づいてくる足音を拾った。

 遠い、が、確実にこちらに向かっている。


「誰かきます。行きましょう」


 クナイの名残惜しさを引きちぎるように、脇谷は返事を待たずにその身を抱えた。

 自分たちの入ってきた引き戸を閉めた脇谷は、細くて軽い身体を抱えて屋根裏に消える。


 それだけで、もう部屋のなかにはひとの居た痕跡など何も残らない。


 ただ、夕暮れの消え去るときのような寂しい色をした繭がひとつ、あるばかり。


 あっという間に大屋根のうえまで駆けた脇谷は、ふと地上の暗がりに人影を見つけて脚を止めた。


 ―――風魔さん?


 社を囲う高い塀のそばの暗がりにいるのは、忘れようがない、すてきな名前の持ち主だ。


 現れた位置から考えるに、先ほどの足音の主は風魔であったらしい。


 けれど、彼はこんなに冷たい表情をしていただろうか、と脇谷は彼を見つめる。

 社で見かけたときには、人好きのするやわらかな笑みを浮かべていたように記憶していた。


 見知っているひとの見たことのない表情に脇谷が疑問を抱いているうちに、風魔がちいさくつぶやいた。


「ナイフを、この手に」


 かすかな声は、本人の耳にも届かないほどだろう。


 忍者レベルの上がった脇谷が唇の動きからその言葉を拾って首をかしげたとき。


 風魔の手に小さなナイフが生じた。手品のように、瞬きもしていないのに気づいたら手のひらに硬く光る刃が乗っていた。


「おお、あれも神術?」


 思わず声を漏らした脇谷に、風魔がふと顔をあげる。


 その目に捕えられるより速く、クナイを抱えた脇谷は屋根を蹴っていた。

 宙を舞い、音もなく着地した脇谷は、そのままねぐらを目指して静かに夜を駆けて行った。

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