暗闇 誰何 ムネアツ展開ッ

 そっぽを向くクナイを前に、脇谷は必死で言葉をつむぐ。


「えーと抱っこはですね。ここの屋根裏が広いとはいえ、脇に抱えていたら柱にぶつけかねないので。あと、屈むときとかに腕に抱えてたほうがバランスもとりやすいかと」


 ―――やっぱりお姫さま扱いはダメでしたか。そうですよね、難しいお年頃ですよね。かわいいよりかっこいいに憧れるお年頃の少年ですし。いやしかし……。


 反省しつつ、脇谷は言い訳を重ねる。


「クナイさんがいくらか見えてるなら手をつないでも良いかとも思ったのですが、全く見えてないのだったらそれでは不便かなあと。勝手ながら抱え上げさせていただいた次第でしてら」

「…………わかった」


 長めの沈黙を挟んでから、クナイはうなるように返事をした。したが、あまりにすんなりと与えられたせいで何に対する返事なのか脇谷にはわからない。


「えっと、わかったとは?」

「だっ! ……抱っこだよ」


 大声を出しかけたクナイは、寸前で気が付いたのだろう。

 小声ながらも妙に勢いのある返答を寄こしてぐっと身体を強張らせる。


 ―――あ、やっぱり視界ゼロと見てよろしい感じなんですね。


 脇谷は納得してこっくり頷いた。


「じゃあ、失礼して」


 そっとわきの下に手を入れて抱え上げた身体は、改めて意識を負ければ想像していたよりも軽い。

 脇谷の能力が軒並み上昇しているせいなのか、浮浪児ゆえに発育が悪いせいなのか。

 きっと、両方なのだろう。


 暗がりでよく見えないが、抱えたクナイの身体はがちがちに固まっていた。

 それでは疲れてしまうだろうと思ったけれど、抱っこされる側のアドバイスなど脇谷にはできない。


「楽にしててください。落とすつもりはないので」


 それだけ伝えて、脇谷は屋根裏を駆けだした。

 今の脇谷の脚なら、板張りの屋根であっても音を立てずに走ることが可能だ。


 葦原で目覚めたときから履いている足袋めいた履物も、消音に有効らしくとても便利だ。


「ひゃっ」

「舌をかまないようにしてくださいね」


 ささやいた脇谷の首元に、クナイがぎゅうっとしがみついた。


 現状を客観視した脇谷は、はっとする。


 黒装束をまとった男の腕に抱えられた小柄な人物が、怯えたようにすがりついている。


 ―――これはまさに、敵に捕らわれていた姫君を奪還する忍者の図っ!


 脇谷の気分は一瞬で沸点を突破した。


「急ぎましょう」


 そんな必要もないのに、天井板を蹴る脇谷の脚に力がこもり速度はいや増す。


「ッ!!?」


 さっきよりも必死にしがみついてくるクナイは、脇谷の脳内ではもうすっかり敵に怯えているお姫さまだ。


 少年相手に失礼〜などと思っていた気持ちはどこかに消し飛んでいた。

 そして脇谷は名もない忍び。


「安心してください。必ず成し遂げますゆえ!」


 ノリノリでささやいた脇谷は、フードの下の眼をきらきら輝かせながらも意識をしっかりと足下の空間に向けて気配を探る。


 ―――見張り、一人、二人、三人。室内、五人。歩いてくる人の気配……。


 陽がすっかり落ちた社のなかでは、動き回る気配が少なくて探りやすい。


 屋根裏が広いのはいいことだ、とご機嫌で跳びまわっていた脇谷は、奥宮にほど近いあたりでふと妙な気配を探りあてて脚を止めた。


「なにか、少しぴりぴりするものが……」


 言いかけて、自分の首にしがみつくクナイに気が付いた。


 クナイはできる限りの力で脇谷をつかんだまま身体を強張らせている。

ちょうどよく、天井板に開いた節穴からオレンジの光が射しているものだから、脇谷はおとなしくなったクナイの顔をのぞきこんだ。


 涙眼だ。


 いや、泣く寸前の子どもの顔だ。しかも青ざめ過ぎて、顔が白い。


 その顔を見て、脇谷はようやくクナイの立場に立って振り返ってみた。


 右も左もわからない真っ暗闇のなか、出会って間もない信用できるかもわからない不審な男に抱えられて、尋常ではない速度で跳びまわられた。

 しかもその間、怪しい黒装束姿の男はにやついているときたら……。


 ―――怖い。それは怖いですよ。


 クナイの心中を察した脇谷は、慌ててクナイを下ろした。


 けれど天井板についたクナイの脚は自身の重みを支えきれず、床に座り込んでしまう。


「ああっ! こ、怖かったですよね!? すみません、調子に乗りました! ほんとにもう、自分なんかが調子に乗ってすみません、すみません!」


 へたり込んだクナイの前に正座をして、脇谷は必死で頭を下げた。


(調子に乗りすぎたっ)


 心からの謝罪なのに小声でしかできない。


「ん」


 脇谷が土下座の体勢でしょげ返っていると、それまで黙り込んでいたクナイが短く声をこぼす。


(真面目にやらないならもう帰れと言われてしまうかもしれない)


 恐る恐る顔をあげた脇谷は、クナイを視界に映してきょとんと眼を丸くした。


 天井板のうえに座り込んだクナイは、脇谷の顔も見たくないのかそっぽを向いている。これは想定内だ。

 けれど、どうしてその両腕は脇谷に向かって伸ばされているのか。


 クナイの手が拳を握っているのなら、理解できたかもしれない。調子に乗った自覚のある脇谷は、頬を差し出す心の準備を終えていた。


 けれど、クナイの手は拳を握るどころか、指先までが脇谷に向かって伸ばされているのはどういうことなのか。


「???」


 土下座から顔をあげそのまま首を傾げた脇谷に、クナイはちらりと視線を寄こして言った。


「早く。あんたが抱っこしてくれたほうが早いんだから、連れてって」


 クナイは突き放すように、けれど「ん」と伸ばした手をさらに伸ばす。

 それはまるで、町中で見かけた幼児が親に抱っこをせがむような……。


「はいっ、ただいま!」


 意図を理解した瞬間、脇谷は勢いよく小声で返事をしてクナイを抱えた。


 そっぽを向くクナイの頬に赤みが戻っていることを確かめて、脇谷はこっそりと息をつく。


「ええと、それでは人の気配のない場所に運びますね。すこし進んだ先に妙な気配を感じるので、ちょっと地上に降りて自分が偵察してこようかと」


 事前にお知らせ、と反省を生かした脇谷に、クナイはすこし考えて首を横に振った。


「……いや、おいらも降りる。あんたが守ってくれるんだろ」

「あ、はい。えっと、がんばります」


 大きな眼に見上げられて、脇谷は返事をしながらそろりと視線を逸らす。

 クナイの眼はあまりにまっすぐ信頼を寄こしていて、なぜだか脇谷の胸をどきりと弾ませた。


「ええと、では、行きますね」

「うん」


 頷いたクナイを腕に抱えて、脇谷は気配を探りながらいくらか移動した。


 そしてふと足を止めると、天井板を外してそっと室内をのぞく。

 真っ暗な部屋には誰もいない。気配を察知するだけでなく目でも確認して、脇谷はクナイを抱えたまま室内に飛び降りた。

 もちろん、音など立てない。その腕からそろりと降りたクナイは、暗い部屋を見渡してささやく。


「ねえ、誰もいないよ」

「あ、隣の部屋です。でも、そっちには何人かひとがいるようで……」


 言いながら脇谷は壁に走り寄り、耳を押し当てた。


「向こうの部屋からひとが出て行きました。いや、でも妙な気配がひとつ……」


 しますね、と続けようとした脇谷は、ひたりと間近で聞こえた足音に凍り付いた。

 


「? どうし―――」

「誰だ」


 涼やかな声が刺すように壁の向こうから聞こえた。

 瞬間、脇谷はクナイを抱えて飛び退っていた。


 部屋の端から端まで一足飛びに下がった脇谷は、クナイを背後に隠し壁をにらみつけた。


 いや、正確には壁から生えた刀をにらみつけていた。


 壁から突き出る細く長い刀身は、三日月のように鋭く冷え冷えとした光をまとってそこにある。

 だが、幸いなことに刀の持ち主の姿は見えない。ということは、向こうからも脇谷たちの姿が見えていないということだ。


 ―――このまま屋根裏に戻って逃げるか。


 刀から目をそらさないまま脇谷が思案したとき、背後でクナイが身じろぐ気配がした。


「……!」


 とっさにクナイのくちを手で覆って、飛び出そうとしていた声を閉じ込める。

 青ざめたクナイが見上げてくるのに緩く首を振りながら、脇谷は逃走をあきらめた。


 声こそあげなかったけれど、脇谷が察知したクナイの動きはおそらく壁の向こうの相手にも伝わっているだろう。


 ―――会話が通じる相手だと良いんですが。


 祈るように願いながら、脇谷は「こほん」と咳払いをひとつ。飛び出している刀の持ち主に話しかけた。


「あー、自分はあれです。アマテラスさまのとこに別の国から落ちてきた人たちがおいるんですけど、そのうちのひとりです」


 壁の向こうの気配がアマテラスとは異なることに気づいた脇谷は、あえて彼女の名を出した。


 離れたところでは彼女の気配だと思ったのだが、じっくり探るとどうにも違う。


 人違いをするなどまだまだ修行不足だな、と思いながら脇谷は相手の気配を探る。そもそも修行などしたことがないというのは、この際置いておく。


 アマテラスに近い強さを持つ気配。けれど彼女のような明るく強い存在感ではなく、静かにそこに佇む強さが感じられる。


 沈黙がひたひたと精神をいたぶること、しばし。

 隣室の空気がわずかにそよぐ。


「アマテラスの話では落人四人に部屋を与えてあると聞いたが」


 冷ややかな声に、見えないはずの冷ややかな視線まで感じるようで脇谷は居心地悪さに苦笑いをこぼした。


「あー……その。幻の五人目とでも言いましょうか……」


 苦しい返答は「ふん」と軽くあしらわれる。


「このような夜更けに忍び入ってくるとは、やましいところがあるのか」

「忍び入るっ!」


 氷のような声で告げられた素敵ワードに思わずキュンとした脇谷は、喜びのあまり我を忘れて隣室に飛び込みかけた。

 が、腕のなかにいるクナイの青い顔を見て踏みとどまる。


 ―――そうだ、今はひとりじゃない。忍び活動の目的を忘れるな。


 自身に言い聞かせて、脇谷は注意を配りながら慎重にくちを開く。


「あーっと。やましいというか、自分ちょっと人見知りが激しくてですね」

「…………」


 壁の向こうからの沈黙が、ものすごく何かを言いたそうだ。

 ついでに、腕のなかのクナイからも呆れたような視線が向けられるのがわかって脇谷は動揺する。


 ―――どうしてですか。非常に正直な心のうちを打ち明けたのにっ。


 これは自分が悪いのか。もっと胸のうちを吐露すべきなのか。できるならこのまま町で忍者をしていたいのに。


 脇谷がぐるぐると考えている間に、壁の向こうの人物が小さく息を吐いた。


「……アマテラスが言っておった、力は感じたのに人数が足らんとはお主のことか。前宮に用意した部屋から支度金が失せたと報告を受けたゆえ、手癖の悪い者が落ちてきたのかと思うておったが」

「あ、その節はありがとうございました! あの銭貨のおかげで目立たない服も買えましたし」


 勝手に持って行った金に関しては、脇谷も気にしていたのだ。

 アマテラスにお礼が言えるものならば言っておきたいという気持ちと、面倒に巻き込まれるのは嫌だという気持ちがせめぎ合っていたので、少しほっとする。


「ああ、伝えておこう。だが」


 涼やかな声がぴり、と冷たさを増す。


 腕のなかのクナイが身体を固くしたのがわかって、脇谷はいつでも屋根裏に飛んで戻れるよう、脚に力を込めた。


「ならば、なにゆえこのような時刻に戻って参った。何が目的か」


 ぴり、と空気が張りつめる。


 いまだ壁から突き出たままの刃が、今にもこちらに向かってくるような錯覚を覚えながら脇谷はあえて明るく言った。


「さっきも言いましたけど自分、人前が苦手でして。あんな大勢に囲まれるの恥ずかしいなあ、とつい隠れてしまって。それで町をぶらぶらしていたんです」

「……ほう?」

「そしたら、何か町中で騒ぎが起きて、アマテラスさまが町の子を連れてくのが見えて。どーしたのかなー、と思って来ちゃったと言いますか」


 嘘ではない。嘘ではないが、事実のすべてを語ったわけでもない。


 ―――これでどうにか納得してくれないものですかね。納得せずとも、取るに足らない者として自分に興味を失くしてくれれば……。


 脇谷は願いを込めて返答を待った。

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