クナイ片手に潜入、潜入っ

 闇に紛れながらも抑えきれないわくわくを胸に、脇谷は侵入経路を考える。


 正門にはかがり火が明々と焚かれ、弓を背負い剣を携えた屈強な男たちが数メートルおきに立っている。


 脇谷が脱出した際は昼間であったため、見張りの数も少なかったのだろう。いや、はしゃぎすぎて目に入っていなかった可能性もある。


 ―――自分ひとりならイチかバチかで、見張りがよそ見した瞬間を狙って駆け抜けるチャレンジもありなんですけど。


 脇谷はすぐそばでぐったりと座り込んでいるクナイに目をやった。

 ひとりでなら突撃できるところが、守るべき人を連れていることで難易度が上がる。現状は忍者に憧れる脇谷からすれば、むしろありがたい状況であった。


「社の裏手に回りましょうか。あちらは山ですし、警備の眼もかいくぐりやすいかも」

「でも、あの山はひとの領域じゃないから……」


 弱々しいながらも首を横に振るクナイに、脇谷はふむ、と頷く。


 ひとの領域ではないというのがどういうことかはわからないが、気安く足を踏み入れるべきではないのだろう。


「では、かがり火をどうにかしますか」


 つぶやいて、脇谷はかがり火に目をやった。


 やや強い風は松明の明かりを躍らせて、火の粉が宙を舞っている。

 脇谷ひとりでも潜める暗がりがあれば、近づいて松明を消せるのだが。


(あるいは、突風が吹いて火を消すか。どう、と叩きつけるような突風で砂ぼこりのひとつも起きれば。『風遁の術』なんてね)


 ちょうど良いところに立つかがり火のひとつを見つめた脇谷が、自身がすり抜けるための状況を脳裏に思い描いた、そのとき。


「おおっ」

「うお!」


 どうっと吹き抜けた風に、見張りの男たちから野太い声があがった。


 同時に、火がかき消されあたりはふっと薄闇に包まれる。


 それは、脇谷が思い描いた光景そのものだった。

 驚くよりもはやく、脇谷は咄嗟にクナイの身体を小脇に抱え、地を蹴った。


「おおい、そっちの火をくれ。今宵はいやに風が強い」

「これだけ吹けば火も消えるというもの。とはいえ、見張りが火を絶やしたと知れれば懲罰ものよ。上役に見つかる前に早う早う」


 ばたばたと他所の松明の火をもらいに走る見張りたちの背後を這うような姿勢ですり抜けて、クナイ脇谷は正門の際にたどり着く。


 宙に身を躍らせる前に脇谷が意識を門の向こう側に向ければ、少し離れたところに立つひとの気配を探りだせた。


 とん、と地を蹴り飛び上がった先で見下ろせば、門の内側の見張りはちょうどこちらに背を向けている。

 おあつらえ向きによく茂った植え込みを見つけた脇谷は、音もなく木の葉の影へと転がり込んだ。


 しゃがみこんだ植え込みのすぐそばを見張りが歩いていく。

 ざ、ざと土に草履が擦れる音を鳴らしながら足音が遠ざかっていった。


「……あんた、何なんだよ」


 脇谷が息を殺してあたりの気配を探っていると、これまで黙り込んでいたクナイがささやく。


 ぷるぷると震えるクナイの目じりには、またしても涙がにじんでいる。


 静かにしていてくれて協力的で助かるなあ、と脇谷は思っていたのだが、どうやら固まって声も出なかっただけらしい。


 ―――悪いことしちゃいましたね。


 脇谷は反省し、しおらしく答えた。

 

「自分はしがない忍者志望の一般人です」


 申し訳なさを込めて頭をさげると、クナイは「はああぁ!?」となぜか怒りを見せた。


「そんなわけないでしょ! 一般のひとが社の塀を飛び越えられるわけ―――」

「ちょっと失礼しますっ」


 早口で断って脇谷はクナイを抱えて地を蹴った。

 宙を舞い、音もなく降りたのは社の大屋根の上だ。


「んん? 何か聞こえた気がしたが、気のせいか……?」


 足下からあたりを見回す見張りの男のつぶやきが聞こえる。

 男がしきりにうろついているのは、さっきまで脇谷たちが潜んでいた植え込みのそばだ。


 しばらくうろうろと植え込みの周りを歩き塀を見上げたりをくり返していた男は、首をひねって「ねずみでもいたかな」と巡回に戻って行った。


「……ふう。素晴らしいドキドキ感ですね」

「ぷはっ! はぁ、はぁ、はぁっ」


 なんという素晴らしい忍者的体験だろう、と幸せに身を震わせる脇谷の横で、くちをふさいでいた手を引きはがしたクナイが必死で空気を取り込んでいる。


「あ、すみません。あのまましゃべっていたら勘づかれそうだと思って咄嗟に」

「……もういいよ。それで、ここからどうするんだい。屋根のうえに牢屋があるわけじゃないでしょ」


 息を整えたクナイに促されて脇谷はにっこり目を細める。


「はい。いよいよお待ちかねの潜入です。わくわくしますねっ」

 

 ※※※


 広い大屋根を駆けるのはやはり気持ちが良い。


 けれど、脇谷が真に心を落ち着けられたのは屋根裏に入り込んだときだった。


 ―――闇は忍者の心のふるさと、ってやつですかね!


 社の大屋根の屋根裏に入り込んだ脇谷は、強張った身体をほぐすクナイの横で暗がりの心地良さを堪能する。


 夜目が効くようになった脇谷の目を持ってしても、わずかな光も差し込まない屋根裏ではクナイの顔もおぼろげにしか見えない。

 それが、とても落ち着くのだ。


「さて。ここからはいよいよ、探りながら進むことになりますが。どうします? 片っ端から回るには広すぎますし」

「そうは言っても、どこでもうろうろするわけにいかないでしょ。まずはおいらたちの身の安全をいちばんに考えて、見て回れそうなところを探しながら……」


 くちを尖らせるクナイに、そういえば普通は気配などわからないのだったと脇谷は思い至る。


「あー、見回りのひとも見張りのひともこの付近にはいませんよ。さすがに大声は出せませんけど、うろついたくらいで聞き咎められることはないはずです」

「……あんた、気が小さいのか肝が据わってるのかよくわからないね」

「そうです? ただの小心者の忍者志望ですけど」


 首をかしげた脇谷が見えたのか、見えなかったのか。黙り込んだクナイに、脇谷はここからのプランをいくつか提案することにした。


「この社の構造はまだ理解できてないのですが、奥に行くほど重要な場所がありそうですね」

「あんたがそう言うならそうなんだろうけど、一応聞いておくね。なんでわかるの」


 濃い闇に包まれてはっきりとは見えないが、クナイの声にはなんとも言えない呆れがにじんでいる。


「奥に行くほど建物内のひとの気配が減るわりに、建物の外の見張りは変わらず各所にいるようなので。クナイさんなら、大事なものはどこに置きます?」

「おいらなら自分の懐だけど」


 気配? と呟きながらも、大切なものは自分で守る、とくちにしたクナイは続ける。


「ここは神さまに連なる方を祀ってる場所だからね。奥宮には入れないだろうね、あそこは清浄な場所だって言われているから」


 どこか暗いクナイの声は、自分を含めた浮浪児たちが清浄なものではないと世間に評されているとわかっているのだろう。


 ―――かなりデリケートな問題、というやつですね。下手ななぐさめは逆効果、と。


 脇谷は、今はただ得られた情報をまとめよう、と決めた。


「んん。では、一番奥にはいないとして。手前の社」

「前宮ね」

「前宮って言うんですね。前宮のなかを回ってみましょうか。こちらだけでも結構な広さですけど、夜明けまでに回り切れないことはないでしょうし」

「ああ」


 幸いなことに、社の屋根裏は多少身を屈めればじゅうぶんに歩き回れるだけの高さがある。


 這いつくばって匍匐前進しつつ節穴から部屋の様子をうかがうというシチュエーションにもなかなかにそそられる脇谷だが、今日はお預けだ。


 まずは手近な部屋から見て回ろう、と歩き出した脇谷は、すぐに立ち止まることになった。


 振りむいた脇谷のパーカーの裾が引っ張られている。引っ張っているのは持ちろん、クナイだ。


「どうしたんですか、行かないのです?」

「……見えない」


 端的な返事の意味がつかめず脇谷がきょとんと首をかしげれば、クナイは非常に不服そうな声で「まわり、見えないって言ってんの!」と唸るように応えた。


「それは気が付きませんでした。ええと手をつなげばいいですか?」


 脇谷は聞いてみるがクナイの反応がない。


(気が利かないと、怒ってしまったのでしょうか)


 暗さのせいで表情がわからないことがもどかしい。


「クナイさん? ええと、じゃあ抱っこします?」

「なっ! なんで抱っこなんて話になるんだ!」


 急に声を大きくしたクナイに、脇谷は慌てて「しー! もうちょっと声を落として」となだめた。


 素早く床に耳をつけて板下の後に耳をすませてみるも、社は変わらずしんと静まり返っている。


 ―――せ、セーフ! そこまで離れてない箇所に気配があるけど、動いてないってことは気づかれてないってことですよね? セーフ!

 

 脇谷は腹の底から安堵の息を吐いた。 

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