潜入 侵入 忍び込み

「ありがとうございます! 最高の服です!」


 ぼろ布を胸に抱いて声をはずませた脇谷に、マシラがじっとりと不満げな視線を向ける。


 脇谷が抱きしめているのはマシラから買ったばかりの古着だ。

 ぼろ布と呼んだほうがふさわしいほどくたびれ色あせた古着だが、脇谷の気分的にはこの町にしっくりなじめる新しい衣装である。


「はあ、今すぐ着たいのですけど……」

「夜なら黒いほうが目立たないでしょ」

「うう、紺色や濃い灰色さえ貴重だとは……」


 夜間の潜入ということで黒いフード姿のほうが見つかりにくいと、マシラから買いたてピカピカの古着に袖を通すのは後回しだ、とクナイが取り上げる。

 取り上げておいて、クナイはぺらっぺらの布地を見下ろし首をひねる。


「というかここまで着古したやつを買わなくても、少し待てば市が立つのに。しかもあんな高い銭貨払ってさあ」


 マシラがはじめに提示した金額からずいぶんと値切ってくれたクナイだが、それでもまだ値切りたりないらしい。脇谷が預けた古着に目を落としてぶつぶつ言っている。


「いーんだよ、銭を持ってるやつからは取れるだけふんだくるべきだ。お前がくち出さなきゃ、もっと値段吊り上げてやったのに」


 悔しそうなマシラを放って、クナイが脇谷に向き直る。


「マシラは極悪人じゃないけど、いいやつでもないからね。いざとなったらあんたを囮にして逃げるくらいのことは平気でするから、付き合い方には気を付けて」

「O・TO・RI……! それはまた甘美な響きですね!」


 うっかり喜んでしまった脇谷に苦い顔をしたクナイの後ろには、子どもたちが集まっていた。


 年齢も性別もさまざまな子どもたちは、全員がマシラのねぐらの周りに住む浮浪児だと言う。

 帰る場所を持たず、守ってくれる大人を持たない彼らは、群れをつくることでどうにか生き延びてきたのだろう。


 誰かが盗ってきた食糧で食いつなぎ、誰かが盗ってきた衣服で寒さをしのぐ。


 そうして命をつなぐ子どもたちの明日の糧になるのなら、少しぼったくられるくらい構わないと思ってしまうのは偽善だろうか、と考えて、それでも構わないと脇谷は言われるままに銭貨を渡した。


「おい、そろそろ陽が暮れるぞ」


 マシラの声に脇谷が振り向くと、クナイが古着を子どものひとりに預けて歩み寄ってくる。


「あんた、変にはしゃぐのはやめておくれよ。おいらはできるだけ危険なことはしたくないんだからね。ここにも戻ってこなきゃいけないし」


 子どもたちを引きつれてそう言うクナイは、まるでみんなの保護者のようだと脇谷は思う。

 本人もまだ幼さの残る子どもだというのに、脇谷まで保護されるほうに入っているようだったので、素直に「はい」とうなずいておく。


「じゃあ、チビたちの世話は任せたよ。無闇と殴っちゃダメだからね」

「へっ、こいつらがイライラさせなきゃ、俺だって殴らねえよ。クナイこそ、無茶すんなよ」

「自分を第一に、でしょ? わかってるよ。でなきゃ生き残れないんだから」


 気安く言い合うふたりを眺めて、脇谷は空を見上げた。


 太陽はすでに山の向こうに消えている。

 雲が多いようで、暗い空に星は見えない。

 雲が風に流れ、時折のぞく月が地上をうすぼんやりと照らしては、また雲に隠れて暗闇に戻るのをくり返していた。


 絶好の、とまではいかないが、良い忍び働き日和だ。


 闇が多いほど、隠れる場所は増える。


「それじゃあ、行きましょうか」


 ワクワクする気持ちを抑えきれずに、脇谷はクナイを小脇に抱えた。


「ひょわっ!?」

「おいっ、何してるッ!?」


 クナイが奇声をあげ、マシラが慌てるのをよそに地を蹴れば、視界が一気に開ける。


 屋根のうえは見晴らしがいい。

 吹き付ける風に向かって突き進むように脇谷が跳べば、腕のなかでクナイが身体を固くした。


「もうすこしゆっくりにします?」


 ひょいひょいと屋根を飛び移る途中で立ち止まり問えば、クナイは涙目で脇谷をにらむ。


「……急いで。連れてかれた先でどうしてるか、気になるから」


 震える声は明らかに無理をしているとわかる。


 折しも月明りがあたりを照らしてくれているおかげで、その目じりに涙がにじんでいるのを脇谷は見てしまった。


 手に入れたばかりの身体能力が楽しくて、配慮に欠いたらしい、とようやく気付く。


「びっくりさせてしまったみたいですね。ここからは歩いていきましょう」

「いいって言ってるでしょ! 急いで!」


 気を利かせたつもりの脇谷の発言に、クナイが吠えた。

 そっとそのくちに手のひらを当てて、足下の家の様子をうかがう。


「あまり騒ぐと、見つかります。……いや、でも見つかって『なにやつ!?』からの姿をかき消すだとか隠れてやり過ごすというのも忍者っぽいですね。あるいは鳴きまねをして『なんだ、猫か……』なんていうのも浪漫ですよね! えっ、どうしよう! やります? やっちゃいます?」


 ―――忍者スキルが身についてるということは、動物の鳴きまねもうまくなってるかも!


 ソワソワし始めた脇谷は、ふと冷たい視線に気が付いて動きを止めた。


 見れば、小脇に抱えたままのクナイがひどく白けた顔で脇谷を見つめていた。

 その目にはもうにじんだ涙の痕もない。


「遊ぶのはまた今度。今日は急いで社に行くの。わかった?」

「はい」


 言われるまま、脇谷は屋根を蹴る。

 蹴って。


「えっ」


 蹴って。


「わああっ」


 蹴って。


「……!」


 蹴るほどに速度を増していく脇谷の腕のなか、クナイの顔色はもはや土くれのごとし。

 

 社の正門で焚かれるかがり火を遠方に臨みながら家屋の暗がりに立ち止まるころには、クナイはひとりで立つこともままならないほどぐったりとしていた。


「急いでとは言ったけどあれより速くなるとかあり得ると思う? 思わないよね、おかしいもんね。はじめの速さもじゅうぶんおかしいのに、そこからもっと速くなるってどういうことなの。おかしい。どう考えてもおかしいよね」


 うつろな目をしたクナイがブツブツとつぶやく。

 そのとなりで脇谷は目を輝かせていた。


「わお! さすが、正門! 大きい。見張りがいる。火が焚かれてる! ぽい、ぽい。すごく、っぽい〜!」


 大はしゃぎする脇谷はもちろん小声で、物陰にとっぷりと沈み込んでいる。


 それはまさに、暗がりにひそむ忍者の図。


 見上げるほど背の高い門の先、暗い夜空に爆ぜた火の粉が宙をのぼっていく。


 月と星のほかに地上を照らすものがないためだろう。

 赤々と燃えるかがり人がまぶしく思えるほど、夜は暗かった。


 ―――絶好の忍者チャンスです!


 胸の内で狂喜乱舞する脇谷だった。

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