町外れ 人でなし
「アマテラスさま、お助けください! 急に浮浪児が暴れだして。わしらにも何が何やら……」
問われた町のひとが困惑気味に声をにごした頃合いを見計らって、脇谷は群衆に紛れて声を張る。
「ああー、一体どうしたんでしょうー! 急に叫びだしたかと思ったら、剣士の腰の剣を奪い取って暴れだすなんてー!」
「お、おい? 急にどうした? なんか声が変だぞ」
「ちょっとお静かに」
脇谷が口の前に指を立てると、クナイは不審そうにしながらも黙り込む。
ひどく細いため子どもに見えるけれど、振る舞いといい聞き分けのよさといい自分とそう変わらない年齢かもしれない、と脇谷は脳の片隅で思いつつ、耳をすませる。
―――他に有力な情報はありませんかね。
ざわめきのなか、脇谷の聴覚は数々の声を拾い上げ聞きわかることができていた。
意識をこらせば欲しい情報にピントが合うような感覚だ。
先ほど、声色を変えて発した言葉もそのようにして得た情報であった。
「剣士……? そなた、剣の持ち主か!」
いやに説明的なことばの主を探してあたりを見回したアマテラスは、脇谷を見つけるよりも先に立ち尽くす男に目をとめた。
そうと気づいた脇谷はクナイの手を取り、するすると人垣を抜けてアマテラスの近くに移動する。
―――見えた。あれが剣士さんですか。子どもに近寄りそこねてますね。
剣を振り回す子どものそばに立つ体格の良い男は、かけられた声に振り向いて、アマテラスの姿に「ああ」と安堵の息をこぼした。
「助かった! この町の神であらせられるか。子どもと思って油断をしておりましたら、何とまあ手癖の悪いこと。無理に取り返そうにもあのような幼児に怪我をさせるのも気が引けて、手を出しあぐねておったところです」
子どもが剣を滅茶苦茶に振り回すものだから男はどうしたものかと困っていたらしい。
救いを求める男の視線に、アマテラスは子どもをにらむように見据えてつぶやいた。
「怨嗟が絡みついておる」
―――怨嗟? 特殊スキルで見える何かですかね? えっと『心眼』とか……。
ふざけて胸の内で唱えた脇谷は、見えている景色が変わったことに驚き見を震わせた。
黒い霧のようなものが子どもの身に絡みついている。
いや、霧よりもはるかに高い粘度を持った暗い色の何かが、どろりと子どもに覆いかぶさるようにして蠢いていた。
「怨嗟……ですか。これはまた、ずいぶんとしつこそうですね」
脇谷が感心しているのとは少し離れた人混みのなか、アマテラスのそばにいるスザクたち四人もまた怨嗟を見ているのだろう。
口々に「なんだ、あの黒いもや」「えー、キモい!」「ヤベェやつか」「怨嗟、ね」と上がる声を脇谷の耳は捉えていた。
「見えるか。あの子どもに絡みつく黒いものが、そなたらの国から落ちてきた怨嗟よ。いたるところにばらまかれた故、悪影響が出るやもしれぬと思っておったが」
―――ナイス説明ですよ、アマテラスさま。日本から落ちてきたということは、ここと日本は繋がってるんでしょうかね。
アマテラスがスザクたちに説明するのを脇谷はこっそりと拝聴する。
見事に群衆に紛れる脇谷に、スザクたちは気がついた様子もない。
「うええ、うねうねしてるぅ。気持ち悪ーい!」
「おい、しがみつくな。何かあったとき動けねえだろう」
リーチェが怨嗟の気味悪さに顔をしかめながらヒガにしがみつく。
「あれに絡みつかれると、どうなるんだい?」
騒ぐリーチェとヒガに構わず、風魔が問いかけた。
「我もこれほど濃いものを目にするのは初めてゆえ、確かなことは言えんが。取り憑かれた者は理性をなくし、衝動のままに動くじゃろう」
「じゃあ、絡みつかれた人間が疲れて動かなくなるのを待つのは?」
風魔が重ねた問いに、アマテラスはゆるりと頭を横に振った。
「子どもの身体がもたんじゃろうな。このままでは、心の臓が止まるまで暴れまわるであろうし、心の臓が止まったとして、怨嗟に身体を奪われ黄泉にも向かえぬその魂は、さらなる怨嗟を生んで葦原の脅威となろう」
強い光を宿した眼で子どもを見据えたアマテラスの横顔は、どこか悲しそうだ。
そして、そんなアマテラスをスザクが黙って見ている。
―――感情をにじませる彼女の横顔を見つめるスザク氏、と。モノローグを入れるなら「俺があなたを救えたら良いのに……」とかでしょうか。
当人たちはそれぞれに様々な感情を抱いているのだろう。
それをはたから眺める脇谷は、青春ドラマを見ているような心地でふたりを視界に収めていた。
「だったら、神術で浄化とか」
スザクは何とかアマテラスの力になりたいのだろう。
苦し紛れのような提案に、けれど、アマテラスの眉間のしわは消えない。
「並の怨嗟であれば、陽に灼かれて散る。陽光で消えぬほどの怨嗟を祓うとなると、相応の用意が必要なのじゃ。子どもごと切るわけにもいかんし、夜まで待つには子どもの体力が持たぬしのう……」
「そんな! じゃあ、あの子はどうなるの!」
無情なひとことにリーチェが悲鳴じみた声をあげる。
風魔が「仕方ないよ、手のだしようがないんじゃあね」となだめるが、リーチェの目には涙がにじみはじめている。
(力があるのに、何もできないのか)
洲屋久はもどかしい気持ちで奥歯をかんだ。
その肩をアマテラスがやさしく叩く。
「あのまま暴れさせておけば今に町の者が怪我をするじゃろう。兎にも角にも、子どもの意識を奪って連れ帰るほか無かろうな。社に戻りよう考えれば、そなたらに力になってもらうことも見つかるやもしれん」
―――それではあの子どもには寝てもらいましょー。
脇谷が懐に手を差し込めば、待っていましたとばかりに何かがてのひらに転がり込む。
するりと抜き出した脇谷の手のなかの丸薬を見て、クナイが不思議そうに瞬いた。
「なんだい、それ。石ころ?」
「いえいえ。こちらはこうしてですね」
ヒュッ、と放たれた丸薬を視認できる者がいただろうか。
集まる人々の隙間を縫った丸薬は、過たず子どもの元へ。
狙い澄ましたかのように、剣を振り上げた無防備な瞬間の額にぶつかりパチンと割れた。
途端。
「ああ! あ? あぁ……」
子どもの喚き立てる声は途切れ、華奢な足がふらりとよろめく。
剣を取り落としたかと思えば、小さな身体はパタリと地に伏した。
「剣を遠ざけよ! 子は捕縛じゃ。無闇と傷つけぬよう、心せい!」
民衆がどよめくなか、アマテラスの声が飛んだ。
素早く動いた幾人かが子どもを縄で縛りあげる。
そこへ向けて大股で向かうアマテラスたち一行を追うようにして、牛車が人垣を割って進む。
ゆったりと通り過ぎていく牛車に脇谷は目を輝かせた。
「わあ〜。車の下に張り付きたい!」
「いや、危ないからね? やっちゃだめだよ?」
クナイが止めなければ意味もなく車体の下に滑り込んでいただろう。
脇谷としては「いるはずの無い場所に忍んで見張りの目をかいくぐり屋敷に侵入する忍者」ごっこをしたいところであったが、ここまで連れてきたクナイをひとり放って趣味に興じるのはさすがにはばかられた。
「……はい。やめておきます」
今は。という言葉を胸のなかでつぶやきながら、脇谷は遠ざかる牛車に背を向ける。
集まっていた人々も事態が落ち着いたと見るや、ばらばらと散っていく。
そんななか、クナイは立ち止まったまま不安そうに牛車を見つめている。
「気になりますか」
「うん……いや、アマテラスさまに任せるのが一番だってわかってはいるんだ。けど……」
言葉をにごしたクナイは、何かを振り切るようにまぶたを閉じた。
「ううん。行こう」
「はい」
歩き出したクナイに続いて脇谷も人ごみにするりと溶け込んだ。
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