苦無 苦内 クナイ

 脇谷をにらみつける子どもの大きめの目の端には、ちょっぴり涙もにじんでいる。


「お、おいらが欲しいだと!? あんた、なんなんだ、どういうつもりだ!」

「へっ?」


 上ずった声で怒鳴られて脇谷は驚いた。

 後ずさりながら震えるその後ろで、幼児も顔を出して脇谷を責める。


「やっぱりこいつ、悪いやつだ! クナイのこと人買いに売っ払うつもりなんだぜ!」

「へえっ?」


 ―――おいらが欲しい? 人買いにクナイを売り払う? それはつまり、クナイは目の前のこの子の名前……?


 興奮から一転、頭が空っぽになった脇谷は、耳に入って来た情報をまとめて、考える。

 そして理解した瞬間、膝から崩れ落ちた。


「ああああぁぁぁ! そんなうまい話ないですよね! そうですよね、人名ですか、クナイさんでしたか! 残念だけどでもとっても素敵なお名前ですね、しばしば呼ばせていただいてもいいですかクナイさんっ」


 額に土がつくことにためらいなどなく、脇谷は謝罪をくちにしながらも欲望をほとばしらせていた。

 その勢いに、クナイは着物の胸元をかき合わせまた一歩、もう一歩と後ずさる。


「わ、わかった! 勘違いしてただけなんだな? わかったから、すこし落ち着いてよ!」


 顔を引きつらせたクナイに言われて、脇谷はきりりと顔を引き締める。

 崩れ落ちていた身体を起こして、土のうえに正座をした脇谷は姿勢を正してクナイに頭を下げた。


「取り乱して申し訳ないです」

「いや、まあ、なんかわかんないけど、落ち着いてくれたならそれで……」

「あなたの配下になりたいので、こちらお収めください!」


 ぴしりと頭を下げながら差し出した手のひらのうえには、銭貨の入った袋が乗っている。


 両手で捧げ持つそれが、脇谷の手のうえでちゃりと音を立てた。

 ごくり、とつばを飲み込んだ音は、誰のものだろう。


「それ、全部、銭貨なのか……?」


 恐る恐るたずねる幼児の声に脇谷は「はい」と即答する。


「自分、脇谷と申します! これは自分の全財産です。お詫びと、く、くく、クナイさんに自分のかしらになってもらうための支度金として受け取ってくださいっ」


 言って、脇谷はぎゅっと目をつぶった。


 ―――ドキドキする。こんなにドキドキするのはアルバイト先に忍者ルックの外国人集団が来たとき、当り障りのない返答をするために気を張ったとき以来かもっ。


 脇谷の脈は意外と感嘆に乱れる。

 大学のクラスメイトに服部さんが居たときにも胸が高鳴ったものだし、その服部さんに何気なく声をかけられたときでさえ、吐きそうな程度には緊張していたものだ。


 けれどこのドキドキはそんなものとは違う、と自信をもって言えた。


 今の脇谷の緊張の底には、期待があった。

 こんなにもワクワクするドキドキは本当に、ずいぶん久しぶりだった。


 いつか本当に忍者になれると信じていた幼少期の自分は、こんな気持ちだったのかもしれない、と遠い記憶を思い出す。


「いや、意味がわからないんだけど。とりあえずそれしまって、自分の寝床の準備しなよ。手伝ったげるからさ」

「えっ」


 思わぬ申し出に驚き、顔をあげた脇谷が見上げた先で、首をかしげて不思議そうにするクナイと目が合った。


「なに? はやくしないと、日が落ち始めたら早いからね。真っ暗になるから」

「俺もそろそろねぐらに帰る。ありがとな、クナイ」

「マシラに見つかるんじゃないよ。今日はなんかピリピリしてるみたいだったからさ」

「おう、明日まで隠れてるな! きっとすぐイライラも収まるだろうから」


 幼児が駆け去っていくと、クナイはきょろりとあたりを見回した。


「さて。どの板切れがマシだったかな。ほら、立って。自分の寝床は自分で用意するんだよ」


 正座したままの脇谷を見下ろし、仕方ないなと言わんばかりにクナイが笑う。

 幼さが残るのに頼り甲斐のあるその微笑みに、脇谷の胸は高鳴った。


「やっぱり、自分の頭に……」

「それは断る」


 ぷい、と背を向けたクナイを追って、脇谷は慌てて立ち上がる。


 ねぐらの材料を探す道すがら、脇谷はざわめきを捉えて顔をあげた。


「脇谷、どうした?」

「なんだかずいぶんと騒がしいな、と」

「え、なにも聞こえないけど」


 苦無が不思議そうに耳をすますのを見て、脇谷は「ええと」とつぶやいて細い身体を抱き上げた。


「わあっ!?」


 驚きの声をあげたときには、クナイは脇谷とともに民家の屋根のうえ。


「おっ、降ろせよ! なにする気だ!」


 顔を赤くして騒ぐクナイをよそに、脇谷は遠くに視線をやる。


「あ、ほら。あそこです」

「なんだって言うんだ」


 言われるがままにそちらを向いたクナイが見たのは、町の中央に近いあたり。埃っぽい通りを埋め尽くす人の姿だった。


「にぎわってる、にしても多いね。なんだろ。マシラじゃないよな……」

「気になるなら行ってみますか」


 クナイのつぶやきを受けて脇谷は足場の屋根をとんと蹴った。


「わっ」


 痩せているとはいえ、人ひとりを抱えたまま脇谷は家の屋根から屋根へ跳びうつる。


 道を歩いたならばしばらくかかっただろう道のりは、直線距離にしてみれば大したことはなかった。


「っと、これ以上近づくには下に降りなきゃですね」


 脇谷が足を止めたのは、人だかりにほど近い屋根の上。


 もはやざわめきは渦のようになり、忍者ほどの聴覚を持たないクナイの耳にもじゅうぶんに届いていた。


 なんの集まりなのか。

 不可解そうに眺めていたクナイの目が不意に見開かれる。


「あっ、あの子!」


 人垣のなか、剣を振り回すひどく小柄な影がある。


 ボロボロの布をまとう痩せた手足とくしゃくしゃの髪を見るに、遊び道具として剣を買い与えられるほど暮らしが豊かそうには見えない。


「……お知り合いですか?」

「マシラの縄張りの端っこに住んでる子なんだ。相手を見ずにスリをしたりする、危なっかしい子なんだけど」


 唇をかむクナイの横顔を見下ろして、脇谷はひとつ頷いた。


「もう少し、近づいてみましょう」

「え」


 クナイを抱えたまま脇谷がひょいと足を踏み出したのは、屋根の端のその向こう。


 支えるものを無くしたふたりの身体は当然、下へと落ちていく。


「……っ!」


 唐突な落下に驚いたクナイは声も出せず、脇谷にしがみついた。

 そのしぐさに、脇谷の心はにわかに浮き立つ。

 

 ―――これはもしかして姫さまを抱えて逃げる忍者の図では!? いえ、クナイさんは少年ですから姫などと言っては失礼でしょうけど。いやでもこの軽さ! この細さ! 名も無き忍者が姫をお守りします〜!


 失礼などと思いつつも、脇谷は無意識に腕のなかの細い身体を優しく包み込むように抱える。

 ひどく優しいその腕にクナイが赤面していることなど気づかないまま、難なく着地した脇谷はそのままスタスタと人垣に進んでいく。


「ちょ、おろして!」

「はい、仰せのままに」


 慌てたクナイに言われるがまま、脇谷は抱えた身体をするりとおろした。


 赤い顔にどことなく不満気な表情をのせたクナイをよそに、脇谷の興味はすでに人垣に向かっている。


 簡素な服を着たひとたちがまばらに行き交い、食糧を抱えて行き来するのどかな町。

 脇谷が時代劇で見たよりもさらに古風な暮らしがそこにある。


 いつもであれば穏やかな昼下がり、あるいは人々でにぎわうのだろうが、踏み固められただけの土の通りは緊迫した空気に支配されていた。


 足を止めた人びとの視線の先には、剣を振り回している子どもがいる。


「お前らばっかり、お前らばっかり!」


 小柄な身体の半分以上ある剣を抱えた子どもは、重そうな剣を振り回して叫んでいる。


 道行くひとたちはその子どもを遠巻きにして輪を作り、どうしたものかとざわめいていた。


「あの子どもはどうしたのだ」


 ―――おや、この声は。


 凛、とした問いかけの出所を脇谷は瞬時にさぐる。


「あ、アマテラスさま!」


 脇谷が気配を消しながら視線を向けた先には、陽光が降ってきたかのように眩い美しさを持つ美女、アマテラスが立っていた。

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