隠れ家 あばら家 夢の家

 細い背を追って走るほどに、周囲の家々はみすぼらしさを増していく。


 元より、木と土と石で作られた質素な家ばかりではあったが、それでも家の体を成していた。


 それが町はずれに向かうにつれ壁にひびが走り、屋根が落ちかけた家が目立つようになった。

 さらに進めば、閑散とした通りにぽつりぽつりと見えるのは、家の残骸のようなものばかり。


 脇谷が大人びた子どもに連れられて足を止めたのは、そんな残骸のひとつ。

 三方を壁に囲まれた廃墟だった。壁が一か所崩れていて、屋根はない。


「……あばら家で悪いけど、マシラが諦めるまでだからさ」


 立ち尽くした脇谷の手をそっと離して言いかけた子どもは、振り向いてぎょっとしたように目を見開いた。

 振り向いた先の脇谷が、フードのすき間からでもわかるほどに目を輝かせていたのだ。


 脇谷自身、自分の目が輝いているのは自覚していた。していたが、止められるものではない。


 ふらりと勝手に進む脚に任せて脇谷が脚を踏み入れた廃墟は、壁の残る一画に廃材が積まれている。


 よく見るとなかが空洞になっているのは、おそらく子どもがそこを寝床にしているのだろう。

 雨の当たらない片隅には、わらも積まれている。


「隠れ家だ……」


 上ずった声がこぼれたのにも気づかず、脇谷はふらふらと廃墟のなかを歩き回る。


「ちょっと、ねえ?」

「すごい……完璧だ……完璧な、忍者の下っ端の隠れ家だ!」


 感動に打ち震える脇谷の頭のなかには、市井に紛れる末端の忍者が浮浪者として住まうねぐらが思い描かれていた。


 ほこりっぽく、雨風もろくに防げない家とも呼べない寝床で寝起きする末端忍者。


 ぶらりと起きだしたそいつは擦り切れた衣服も薄汚れた顔も気にせず、町のなかでむしろを敷いて物乞いをする。

 たまに恵まれる食べ物にかぶりつくみすぼらしいそいつは、そうして町中の情報を集めるのだ。

 野良犬と大差ない物乞いに気を配る者などそうそういない。

 町人同士の何気ない立ち話や、ひそひそと交わされる噂話、そういったものを集めに集めた末端忍者は、いつかその情報が役に立つ日のために、やせ細りながらも最低限身体を鍛え、あかぎれた手指をこさえながらじっと潜み続けるのだ……。


 という、脇谷の妄想だ。


「浪漫だ……」


 目を閉じた脇谷は、自分の妄想に浸って感動する。


 ゆっくりまぶたを開けば、そこには自分の思い描いていた末端忍者のねぐらが広がっていた。


 いや、広がるというほどのものではない。

 世をはばかりながら、そこにあった。

 その慎ましさがまた、脇谷の心を揺さぶってたまらない。

 忍者の下っ端にこそふさわしい、たいへん質素な寝床だ。


 つまり、脇谷にとってはドリームハウス。


「あのっ! 自分をここに泊めてもらえませんか!」


 脇谷は固まる子どもに詰め寄りそう叫んでいた。

 無意識の行動だった。


「は?」

「あ、いやもちろんお代はお支払いします! ええと、こちらの宿の値段を知らないからどうしたらいいかな……」


 銭貨の入った袋を取りだした脇谷に子どもは絶句していたがすぐに深いため息を吐いた。


「……あんた、常識知らずの金持ちかい? おいらたちみたいな浮浪児に銭貨を見せたらどうなるか、考えないのか。そのうえこんなあばら家に泊まろうなんて、寝首をかいてくれって言ってるようなもんだぞ」


 ゆるゆると首を横に振るが、それで諦めるような脇谷ではない。

 生来、忍者が関わると気持ちが緩むが、この葦原に来てからはかんたんに箍が外れるようになってしまった。


「寝首をかく! そのシチュエーション最高です! 隠れ家で休んでる忍者のところに寝首を掻きに来る幼き暗殺者! そ、それってオプション価格ですよね、おいくらですか。これで足りますか!?」


 興奮して袋ごと銭貨を押し付ける脇谷に、相手はいよいよドン引きしたらしい。

 後ずさりながら顔を引きつらせている。


 脇谷の親兄弟もしばしばこのような反応を見せていたことを思えば、ただ懐かしさだけが脇谷の胸をよぎる。


「あー、あんたが何言ってるかよくわからないけど。落ち着いてくれないか。あと、その子を下ろしてやっとくれよ」

「あー、そうでしたそうでした」


 言われて、ようやく幼児を抱えていたことを思い出した。

 抱えたまま銭貨を手に詰め寄っていたらしい。


 うめき声ひとつ上げずにいた幼児は、どうしてか腕のなかで固まっている。


 よいしょ、と下ろした途端、幼児は這うように駆けて細い体を盾にして隠れてしまった。


「こ、こんなやばいのだなんて思わなかった……」


 ぷるぷると震えながら顔をのぞかせた幼児は、脇谷と目が合うと「ひっ!もうあんたなんか狙わねえよ!悪かったよ!」と背中に引っ込んだ。


 手荒な真似も恐ろしい思いもさせた覚えもない脇谷は首をかしげて幼児に告げる。


「コワクナイヨー。自分、平凡で無害で無個性な通りすがりのひとデスヨー」

「いや、そんな不審な恰好でそれ言っても怖いから。やめてやって」


 呆れたように諭されて、脇谷はしゅんとするでもなく黙った。


 フードを目深にかぶり、鼻まで布で隠した姿が客観的に見て不審であろうことはわかっていたからだ。

 しかし、その振る舞いこそが幼児を怯えさせているとは気が付かない。


 ―――泊めてもらえないなら、せめて構造をよく見て自分で作るときの参考にさせてもらいましょう。


 脇谷の脳裏には、道中、いくつも見かけた空き家が浮かんでいた。


 ―――空き家の購入や貸し出しはされているのでしょうか。管理はどこがしているのでしょう。ゆくゆくはお金を貯めて自分だけの忍者屋敷を作るというのも悪くありません!


 無人の空き家を自分好みにリフォームするのも楽しいに違いない、と未来を夢見て胸をはずませる。


「……あんた、ほんと変なやつだね」


 うきうきと廃墟を眺めて回る脇谷に子どもが言う。首をかしげる脇谷を眺めて、子どもは頭をがしがし掻いた。


「わかったよ。こんなとこで良ければ、寝ていきなよ。言っとくけど本当になにもないからね」

「えっ」


 驚きと喜びが脇谷の胸に広がる。

 無意識につかんだ銭貨の袋を差し出しながら、脇谷は小柄な相手の前に膝をつく。


 しかし発言をするより前、華奢な手のひらが脇谷の顔の前にぴしりと立てられた。


「銭貨はしまって。代わりに、あんたの名前を教えておくれよ。それが宿代だよ」

「えっ、クナイ! こんなやつ泊めるのか!」


 幼児があげた声に、脇谷は衝撃を受けた。

―――クナイ!


 クナイと言えば忍者の代表的な道具のひとつだ。


 武器としても使えるが、穴を掘ったり土壁を壊す際にも使える素敵な道具。

 ほかにも持ち手の後ろの輪になった部分に縄をつけて投げれば高所に登るときにも便利であり、縄を張るときのくさびがわりにもなる万能さ。

 成人するまでには一本持っておきたい代物だと、脇谷は常々思っていた。

 日本でない国に来てしまった以上、夢は夢のまま終わるのかと思っていたが。


 ―――そのクナイが、ここにある!?


 脇谷のテンションは打ち上げ花火のクライマックス並みに盛り上がった。

 高ぶる感情のまま、自身の上昇した身体能力も忘れて一瞬で子どもに詰め寄る。


「クナイ! ここはクナイの存在する世界ですか! 素晴らしいです、コングラッチレーションズです! 表記するなら苦無派ですか? 苦内派ですか!? 俺はどちらも捨てがたいと思いつつカタカナで読みやすさと親しみを推していきたい派です! というわけで、できれば大きいクナイと小さいクナイとどちらも欲しいのですけど!」


 興奮のままにまくしたてた脇谷へ、返ってきたのは睨みつける視線だった。

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