屋根のうえから 町をぶらり

 屋敷の屋根は広かった。


 大屋根と言うのだろうか。お寺や神社のように頂点から裾までの長い屋根が、大きな建物の横幅そのままに広がっているさまは、サッカー場のようだった。

 葺かれているのが瓦ではなくて木の皮であり、段差の少なさがなおさら屋根を平らに感じさせる。


 選手にしてみればこんな斜めなサッカー場は勘弁してほしいところだろうが、今の脇谷にとっては平地と変りなく歩き回れる広場のようなものだ。

 すたすたと歩いて屋根の棟へたどり着くと、考えごとをしながら棟沿いに進んで行く。


「んんー。どうしますかねえ。山にこもらないとなると旅人でも装ってぶらつくか、大道芸人にでもなってみるか……」


 ひとり呟いて空を見上げる脇谷の棟に、ふと郷愁がにじむ。

 日本での自分は死んでしまったとするならば、もう家族には会えないのだろうか。


 ―――忍者に傾倒してる不詳の息子を生暖かく見守ってくれる親兄弟なんて希少でしょうに、先立つ不孝ってやつですね。


 申し訳なさが湧いて、しょんぼり。

 けれど脇谷は「いやいや」と気持ちを切り替える。


「帰れないと決まったわけではないですし。神さまの力が生きてる世界なら、奇跡だって常識の一部の可能性もありますからね。あるいは忍術を極めればワンチャンあるかもしれませんし」


 つぶやいて自分を鼓舞する。脇谷は案外と楽観的な人間なのだ。


「というわけで忍者的行動をとりたいわけですが、お金を受け取ってしまいましたからねえ。ひとまずは町に居つく方向で考えますか」


 アマテラスが、いるのかもわからない五人目のために置いていった銭貨が脇谷の行動もちょっぴり作用する。


「ひとまず町ぶらといきましょうか」


 言って、脇谷は身体を屋根の斜面に向けてふらりと傾ける。


 以前ならよろめいて転んでいただろう前傾の姿勢で駆ける脚は速度を増す。大屋根を見上げているものがいたならば、風のように駆け下りていく黒づくめの脇谷の姿を鳥の影かなにかかと思っただろう。


 危なげなく屋根の端までたどり着いた脇谷は、ためらいなく屋根のふちを蹴った。


 音もなく鞠のようにぽぉんと跳ね上がった脇谷の身体は広い庭を跳び越えて、屋敷のぐるりを囲う高い塀の上へと舞い降りる。

 

「ん?」


 ふと、頭上を影が横切ったように感じた庭の見張りが空を見やったときには、すでにそこに脇谷の姿はない。


「なんだ、鳥か」

「はは。こんな広い庭を飛び越せる者など神がかった真似……」


 遠ざかる見張りの声を聞くともなしに聞きながら、塀を蹴った脇谷はひと気のない民家に降り立った。


 ―――本当に、神がかって便利な身体です。

 

 屋根を蹴る音もなく、着地をした音もしない。

 そうしようと思って動かせば、思うとおりに動く。本当に、便利な身体だと脇谷は他人事のように思う。


 自身の手足に向けていた視線を巡らせて、脇谷は誰にも見られていないことを確認した。

 さて降りようか、と思ってからふと背後を振り返る。


 平屋建ての家ばかりの町は空が広く、広々とした視界のなかにさっきまでいた屋敷が長々と横たわっている。


 神社のようだと思ってはいたが、離れてみると神殿だとか社だとか呼ぶのがふさわしいであろう立派な建物であったことがよくわかる。

 やや反りぎみの屋根の末端が大きく突き出ているのは、なんの意味があるのか脇谷は知らないが、月のない夜にでも立ちたくなる造りをしている。


「……服を変えたほうが良いですかね」


 ひとしきり社を眺めて自分の恰好を見下ろした脇谷は、つぶやいた。


 脇谷の身体を覆うのは、墨色の上下。

 いかにも忍者の服でござい、というよりはやや現代風にアレンジされているようだ。


 懐や太もものあたりには余裕があるが、それ以外は手足にぴっちりとくっついて身動きの邪魔をしない作りになっている。

 和装というわけではなく、ところどころジッパーや隠しポケットがあるあたり暗殺者と言われたほうがしっくりくる服装だ。


「頭巾じゃなくてフードなのも、普段使いしやすそうですが」


 実はここに至るまでかぶったままでいたフードは鼻まで隠れるようになっているが、ジッパーを鎖骨のあたりまで下げてしまえば、胸元に布地を余らせたふつうのパーカーにしか見えなかった。

 現代日本であればちょっと黒ずくめが過ぎる程度だろう。


 が、いかんせん古代の日本めいたこの町には不似合いだ。そしてあまりに黒い。


 先ほど、屋敷の大屋根から移動する際に見た町のひとたちの服装は、ほとんどが生成り色をしていた。

 アマテラスの豪奢な衣装は参考にしてはいけないだろうし、社で働くひとたちの服装も、たぶん上流階級のものだ。


「色の薄い服……せめて一枚羽織るものだけでも手に入れないと」


 脇谷の希望は、目立つことなく市井に紛れること。

 いまの恰好では、きっとそれはかなわない。

 それまでは、とパーカーのフードを被り直してジッパーを鼻まで上げる。

 

 衣装を変えるまでの間だけでも、これくらいの忍者みは残しておきたい。


「……ガラス張りじゃないうえに看板という概念がない時代ですか」


 意を決して人通りのあるほうの屋根へと移動した脇谷は、通りを目にした瞬間に心が折れそうになった。


「なるほど、わかりません」


 どれが店でどれが個人の家なのか、まったくわからない。


 土を踏み固めただけの通りの左右には、建物が並んでいる。

 そのどれもが木造で、屋根はかや葺きであったり社の大屋根のように木の皮で葺かれていたり、どこまでも茶色い。


 おかげでどの建物も同じに見えてしまううえに、それぞれこれといった目印のようなものも見当たらない。


 戸口が開かれている家に行って「ここお店屋さんですか?」と聞けばいいのかもしれないが、それはあまりにも忍者的ではないムーブだ。

 町人になじむ衣装を手に入れた後でならば喜んでするが、今の忍者ルックでやって良いことではない。脇谷の魂がそう叫んでいる。


「ううむ、ひとまず様子を見るべき、ですかね」


 考えた結果、脇谷はひとびとの様子を確認することにした。


 幸いにして屋敷の大屋根から降りた先は、並んだ建物の屋根のうえ。

 誰に見つかる心配もない。

 ここまでの行動のすべてを、脇谷は誰かの家の屋根のうえで行っていた。


「布を抱えてるひとはいませんか~」


 屋根のうえで膝を抱えて、行きかうひとたちをぼんやりと眺める。


 ひとびとの服装は、ひざ下丈の着物を腰の紐で縛っているものが一般的なようだ。

 着物のように合わせがあるが、和服というよりも歴史の教科書で見た神話の絵巻物のイメージに近い。


 着方がまったくわからないということは無さそうだ、と脇谷はこっそり安堵した。


 しばらく街を眺めていた脇谷は、意を決して屋根から降りる。

 屋根伝いに移動してできるだけひと気のない裏通りを探すと、音もなく着地した。


「はー、本当に身体が軽い。異世界すごい」


 屋根から飛び降りても膝に痛みも走らない身体に感動していると、ふと背中に視線を感じる。


 同時に、かすかな足音。

 うまく消しているが、しょせんは一般人にしては、というレベルだ。


「いひひ。一般人にしては、なんて。まるで忍者みたい!」


 つぶやきながらひょいと跳べば、さっきまで脇谷が居た場所を幼い子どもが駆け抜けていく。

 通り抜けざま、残したのはかすかな舌打ち。


 ついでに悪意がじわりと感じられて、脇谷は「いひ」と声をあげた。

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