支度金であり 弔いの金でもあり

 


「あたりを散策するのはありかな?」


 積極的に動き回るつもりなのは、風魔だ。

 地理把握のためにさっそく出かけるのだろうか。


 ―――さすが忍者の家系(希望)の方!


  脇谷は感心すると同時に、自分のこれからにも思いを馳せる。


 ―――自分もここであらかたの話が聞けたなら、市井を見なければですね。


 感心とともに固く決意する。市井に紛れることこそ忍びの勤めと脇谷は勝手に自負しているのだ。


「構わん。不案内であろうから、ひとをつけよう。そこもと、頼めるか」

「は」


 問いかけたアマテラスに短く答えたのは、先頭に立ってみんなを案内していた者だ。


 ―――その返事の仕方かっこいい! 自分も理想の仕える相手が見つかったら使おう。


 脇谷は心のメモに書き込んだ。

 なにせ脇谷が目指すのは忍者のなかでも下っ端の、市井に紛れているタイプ。普段は農民をしていて有事の際にするりと姿を消し暗躍するなど、想像するだけで胸が躍って仕方ない。


「では、風魔にはこれを渡しておこう」


 アマテラスの声に続いて、じゃら、とちいさな音が天井裏まで届いた。金属がこすれる音だ。


「これは?」

「銭貨よ。うろつけばほしいものなり見つかろう。衣食住とは別に支度したものゆえ、遠慮のう受け取れ」


(銭貨……お金ですか。移住者への見舞金みたいなものですかね?)


「そう。だったら、ありがたくいただいていくよ。じゃあね」


 風魔は素直に受け取ると、案内役の者を連れて廊下を歩いて行った。

 彼はおっとりした話し方をするわりに、行動はさばさばしている。

 そのあたりも脇谷的に好感度が高かった。


 ―――これで夜闇にまぎれて暗躍していたら最高なんですけど。


 屋根裏でにやけていた脇谷は、立ち去った案内役と入れ違いで新たな人物が廊下に控えていることに気が付いた。

 ごくごく小さな物音ではあったが、脇谷の耳はその人物の衣擦れをはっきりととらえていた。


 ―――案内役が去った直後に別の案内人が来るのはどういう仕組みなのでしょう。彼らだけに通じるやり取りの方法があるのかな。暗号でもあるのでしょうか。うう~ん、なんとも忍者めいててわくわくしますっ。


「して、そなたらはどうする」


 足元から聞こえた声に、脇谷はうっかりこぼれかけたよだれをそっとぬぐう。


 不要な音など立ててはアマテラスあたりに「曲者!」と仕留められかねない。

 脇谷としては生涯で一度は言われてみたい言葉であり、一度はやってみたいシチュエーションであったが、まだ時期尚早だろうと居住まいを正す。


 実際には身動ぎひとつしていないけれど。


「俺は庭を見てえ。この建物も、すげえ造りしてるからな。せっかくだから見学させてくれ」

「おお、構わんぞ。葦原自慢の社ゆえな。前宮のなかであればいくらでも見て回るがいい。迷わんように、案内を連れていけ」


 うれしげな声で応えるアマテラスに、ヒガが「いや」と待ったをかける。


「静かにゆっくり見て回りたいんだが」

「ならば、問われるまで黙しているように」


 アマテラスの声かけに、案内の者が黙ったまま動いた物音を脇谷の耳が拾う。正座して頭を下げたのだろう、と当りを付けた。


「社には不用意に立ち入ってはならん場所もあってな。すまんが、案内はつけてもらいたい」

「そういうことなら従おう」


 ヒガはごねることもなく受け入れた。脇谷の心は「立ち入ってはならん場所……隠し部屋とかですかね!」と浮き立っている。


「うむ。おすすめは二色の庭じゃ。銭貨は部屋に置いておくゆえ、ゆるりとしてくるがいい」

「いってらっしゃい」


 案内人の静かな足音と、ヒガの重たい足音が遠ざかっていく。


「さて、リーチェにはあとで渡すとして。スザクにも渡しておこうかの」


 ちゃり、ちゃりと音を立てる袋がふたつ。

 音の大きさから、風魔に手渡されたものと同額が入っているのだろうと脇谷は推測する。


「あの、助かります」


 申し訳なさそうなスザクの声を聞きながら、脇谷はそろそろ自分も動こうかと考えていた。

 その足の下で会話は続く。


「構わん。そなたらには働いてもらうのだしな。ところで、リーチェはこれからひと眠りするとして、スザクよ。そなたはどうする」

「あ……俺も、すこし部屋で休みます」


 迷うような、遠慮するような声でスザクが言う。

 ぎち、と聞こえたかすかな音は、彼の持つ袋に入った銭貨が握られてこすれ合う音だろうか。


「あの、お休みなさい」

「ああ、ゆるりと過ごせ」


 スザクも与えられた部屋へと入って行った。


 廊下に残されたのはアマテラスひとり。


 それではいよいよ自分も出かけよう、と脇谷が身じろいだとき。


「黄泉へ行くにしろ支度金は入り用であろう。空き部屋に置いておくかの」


 アマテラスがそうつぶやいたのは、ひとりごとなのか。


 脇谷は動きをとめ、呼吸すらも止めて彼女の行動を見守った。

 

 銭貨の入った袋を手にしたアマテラスの足音は、リーチェとヒガの部屋に挟まれた空き部屋に入っていく。

 部屋のなかがどうなっているのか脇谷からは確認できないが、銭貨が固いものとぶつかる音が聞こえた。

 棚か、机にでも袋を置いたのだろうと想像する。


 アマテラスの移動にやや遅れて部屋の天井裏に忍び込んだ脇谷は、彼女の息遣いにまで気を配り、待った。


「……落雷は五つ。成り損なった者がいたのか否か、しかとはわからんが……」


 かすかなつぶやきを残して、アマテラスは部屋を出て行く。


 彼女が部屋を出るとかたん、とかすかな音を立てて木戸が閉まった。


 太陽のような圧倒的な存在感が遠ざかるのを待って、脇谷は部屋のなかに降り立った。


「……バレて、ますかねえ」


 確証はない。

 さきほどのつぶやきの通り、落ちて葦原で形を得られなかった誰かに対するアマテラスの慈愛がもたらした行動なのかもしれない。


 けれど、風魔の名を聞いて物音を立てたときにも彼女は脇谷のほうをちらとも向かなかった。

 それどころか、物音を気にしたスザクたちの意識をそらすような発言さえあった。


「ありがたく、使わせてもらいます」


 しばし悩んで、脇谷は銭貨の入った袋を手に取った。


 額に押し当てるようにして感謝の気持ちを胸に抱く。

 届かないことはわかっていた。


 直接伝えられるときが来るのか、それすら脇谷にはわからない。


 ―――俺は成り損ない、なんでしょうかね。


 脇谷は自嘲する。


 異世界で美女のお願い事を叶える役割は、スザクたちに任せてしまった。


 忍者になりたい脇谷としては姿を隠して、できることならこのまま市井に埋もれてしまいたい。

 それでも。


「ひととしては多分、できる範囲でひとの世に、葦原の役に立ちたい、ですね」


 ちいさくこぼして床を蹴る。

 ひと呼吸の間に屋根裏に戻り、そこから屋根のうえへ。


 ぐるりを見回した脇谷は遠くに見える険しい山に目を止めた。


 ―――町から遠く、深い山に入って世捨て人風の忍者をするというのもまた捨てがたいですけど。


 そう考えたのは数秒。

 ひとつ頭をふった脇谷は、眼下に広がる町へと視線を移して屋根を蹴った。

 足音を立てない彼が残したのは、懐の袋の中身がこすれるかすかな音だけ。


 ―――ひとまず、この屋敷の近くの町を見てまわりましょう。そうしましょう。

 

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