和気あいあい ひとり屋根の裏
広くてがらんとした部屋を出ると、長い廊下が続いていた。
幅は大人がじゅうぶんすれ違える程度に広く、ずっと向こうまで全部板張り。
―――時代劇に出てくるお城の廊下みたいだ!
お城の廊下の屋根に潜むという、夢に見たシチュエーションに脇谷はワクワクが止まらない。
そんな脇谷をよそに、一行は長い廊下を進んでいく。
廊下の右側は部屋が並んでいるけれど、どれも扉がしまっていてなかの様子は伺えない。
廊下の左側には広い中庭がある。
庭の真ん中には川も流れているようで、庭というよりも庭園と呼ぶべき規模だ。
―――素敵な石灯籠。あそこに火が灯されるとしたら、あの草陰がちょうど影になって忍ぶのにぴったりですね。いや、あちらの岩の後ろで腹這いになって、巡回にきた者をやり過ごすのも忍者っぽい!
あちらを見てワクワク。こちらを見てワクワク。
どこもかしこも忍び向きだ、と脇谷は浮かれっぱなし。
ガラスも何も無い縁側の開口部をしみじみと眺めては「どこからでも入り放題。お好みで縁の下もどうぞ」などと浮かれている。
―――修学旅行で行ったお寺の縁の下に潜ろうとしたら叱られてしまいましたけど、今度はきっと見つからずに潜ってみせますよ!
脇谷が天井裏で密かに決意するその下で、はしゃいだ声があがる。
「わあ、すてきなお庭! きゃあっ」
「足元をよく確認しろ、リーチェ」
リーチェが身を乗り出して落っこちそうになっているのを、ヒガが襟首をつかんで廊下に戻す。
ゲームのなかでもよくあった光景なのか、ふたりを見るスザクの視線は微笑ましげなものだ。
「君たちのそれって本名なの?」
場の雰囲気が和んだころ、大学院生だと言った彼が声をかけた。
きょとんとした顔のリーチェとスザクは顔を見合わせ、答えたのはスザクだった。
「ええと、俺たちオンラインゲームでパーティ組んでて。リーチェっていうのはそこで呼んでたキャラネームです」
「そうそう。スザクさんと、ヒガさんもそう、なのかな?」
頷いたリーチェに見上げられて、ヒガが「いや」とつぶやくように答える。
「俺はそもそも名字が比嘉だからな。ゲーム内ではカタカナ表記にしてただけだ」
「あ、俺も名字をもじっただけだから、スザクって呼んでもらえれば」
ヒガに続いてスザクが言えば、大学院生は「そう」とうなずいた。
「なら、僕は風魔って呼んでくれればいいよ」
にこりと笑顔で放たれた言葉の威力たるや。
思わず飛び上がった脇谷はごつん、と天井裏に頭をぶつけて無言でもだえる。
―――いやだって風磨って! 風磨って!! ええー! えええー! サイン、握手!? 弟子入り志願すべきです!!?
「今、何か音がしなかった?」
聞こえた声は風磨のもの。
胸の内で盛大にはしゃいでいた脇谷は、ぴたりと息を止めた。
天井板の隙間から覗けば、スザクたちがそろってあたりを見回している。
うっかり立てた物音がしっかり聞かれていたのだと知って、脇谷はどんよりと俯いた。
―――失格です。忍者志望失格です。己の心も制御できないようでは、風磨の名を持つ方に弟子入りするなど言語道断!
見つかりでもしたならばこの命ここまでよ、とばかりに脇谷が身を固くしたとき。
「どこぞの部屋に控えておる者が身じろいだのであろ。大事ない」
あたりを見回すスザクたちにアマテラスが言って、彼らは納得したらしかった。
脇谷は今度こそバレないように、気取られないように気をつけながらほっと息を吐く。
「ええと、そうそう。僕の名前ね、よく言われるから先に伝えておくけど、本名だからね。それと忍者の家系でもなんでもないから」
「えー、そうなの? ミステリアスな雰囲気だから、アリだと思うけどなあ」
―――全面同意。肯定しかない。
にこにこ笑うリーチェとあいまいにほほえむ風魔を見ていると、ヒガがふとリーチェの頭に視線を落とした。
「それにしても、リーチェ。お前の頭のカラーリング、ゲームといっしょだな」
「ふえ?」
きょとん、としたリーチェの肩まである髪の毛をつまんで、ヒガが彼女の目の前に引っ張って見せる。
「さっき街で会ったときはふつうに黒髪だったのに、今はどピンクだ。眼も」
「えっ! ほんとだ! ええ? 眼の色も変わってる?」
驚くリーチェに、彼女の顔をまじまじと見つめた風魔がこっくりうなずいた。
「うん、髪の毛と同じピンク色だね。染めてるのかと思ってたんだけど、違うの?」
「ちがう、ちがう! あたしの学校染めるの禁止だし、お母さんもお父さんもまだ早いって染めさせてくれないもん!」
胸の前でぶんぶんと手を振るリーチェにみんなして首をかしげていると、アマテラスが「ふーむ」とうなる。
「おそらくだが、葦原に落ちる前に己が望んだ姿に成ったのであろうな。その髪色に愛着があったのではないか?」
アマテラスの問いかけに、リーチェは何かを思い出そうとするように視線をさまよわせてから、うなずいた。
「望んだ……かはわからないけど、ゲームで使ってたキャラの色だから気に入ってるよ」
「それなら、容姿もゲームのキャラクターそのものになっているのかな」
風魔がくちにした疑問に答えたのは、リーチェではなくヒガだった。
リーチェの顔をじっと見つめたヒガは首を横に振る。
「いや、色だけだな。顔とか身長とかは、オフ会で会ったリーチェのもんだ」
「ヒガさんは全部まるっとそのままだよね。背が高いのも、顔がこわいのもそのまんま!」
くすくす笑うリーチェの精神は未知の合金ででもできているのか。「ああ?」と眉間にしわを寄せるヒガを怖がる様子もなく、にこにこと見上げている。
「ふむ。周囲からはわからんだけで、実際には変わっている箇所もあるやもしれん。部屋に案内する前に、鏡をのぞいてみようかの」
アマテラスさんが言うと、黙って待っていた案内役のひとが「は」と短く返事をしてまた歩き出す。
後に続いた一行はいくつかの部屋を通りすぎた後、ひとつの部屋の前で足を止めた。
するりするり。膝をついた案内役が音もなく戸をすべらせる。
開かれた戸の横にひざをついたそのひとは、役目を果たすと同時に息を潜めた。途端に薄くなった気配に、脇谷は「やだ、あの方も忍者っぽい〜!」と胸を弾ませる。
「ほれ、入ってみい。灯台のそばに鏡があろう?」
アマテラスに言われるまま部屋のなかに進んだ彼らの姿を揺れる炎が照らし出す。
「うわ、これ、銅鏡……?」
灯台のそばにひざをついたアマテラスが布をめくって見せたのは、大きな丸い鏡だった。
それも、歴史の教科書に載っていたような文様の刻まれた立派なやつ。
「えー? 形は似てるけど、色がちがうんじゃないかなあ。あれって緑色じゃなかった? これ、新品の十円玉みたいだよ」
スザクの後ろからひょこりと顔を出して鏡をのぞいたリーチェが言うと、近づいてきた風魔が首を横に振る。
「銅は時間が経つと色が変わるんだよ。たぶん、きみが見たのは古くなった銅の鏡だろう。緑青といってね、銅は青緑に錆びるんだよ」
「へえ! さすが風魔さん、物知り!」
「リーチェ、お前がちゃんと授業聞いてねえだけじゃないのか」
「ヒガさんひどーい!」
きゃあきゃあと盛り上がる声を聞きながら、脇谷は銅鏡に見入るスザクを観察していた。
丁寧に磨き上げられた銅は、灯台の火を受けてきらりと輝く。
その鏡面に映る男が緑色の眼でスザクを見返していた。
炎に照らされたせいだけでなく赤く見える髪に伸ばされるスザクの手は、かすかに震えている。
「これ、俺……?」
呆然と髪に手をやる彼の前、鏡のなかの男もまた赤い髪を指に絡めている。
「あ、スザクさんもやっぱり見た目変わってた? その配色、ゲームのキャラそのまんまだもんね」
「う、うん。色と、あと身長も、すこし伸びてるみたい。さっきから視界が高い気がしてたたんだけど」
無邪気なリーチェのことばにうなずいたスザクはあいまいに微笑んだけれど、その視線は鏡に吸い寄せられている。
「ん?」
―――やばいです!
ふと、鏡越しのスザクと目があって脇谷は慌てて暗がりにずり下がる。
誰かと目が合った気がしたスザクが振り返ったのだろう。
さまよう視線を感じたけれど、脇谷は「うずら隠れの術、うずら隠れの術!」と胸の内でとなえて顔を伏せたまま身じろぎもしない。
「気のせいか」
小さなつぶやきと同時、視線が逸れたのを感じて脇谷は胸を撫で下ろした。
屋根裏に人がいるなどとは思ってもいない一行は、鏡をのぞいて賑やかだ。
「僕はとくに代わりないみたいだねえ」
「俺もだな。何なら、もうちょい筋肉ついてくれても良かったんだが」
風魔とヒガが自分の顔や身体を鏡に映してうなずいたり、ぼやいたりしている。
風魔の整った容貌も、ヒガのたくましい身体も自前のものだったらしい。
―――見た目が良いなら諜報に有利そうです。筋肉はつけすぎるとよろしくないですけど、でもヒガさんくらいあれば自分の体重を指先だけで支えられるのかなあ。
「身の丈が変わっていては、馴染むまで時間がかかろうが。これからはそれがそなたらの身ゆえ、慣れてゆくほかないの」
アマテラスは言って、ばさりと身を翻す。
長い黒髪が艶やかに炎の赤を跳ね返した。
「では、改めて部屋に案内しようかの」
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