忍び忍んで ひとりゆく

 まばたきの間に天井の大穴が塞がったことに驚きながらも、脇谷はほっとしていた。


 太陽の光がさえぎられたことで、天井裏の暗がりが闇を濃くしたのだ。そこに隠れる脇谷には素直にありがたい。


「その神術というのは誰にでも使用できるもの、なのかな」


 眼下でひとりの青年が言うのを聞いて、脇谷は耳をそばだてた。

 さきほど大学院生だと告げていた青年だ。


 ―――忍者仲間さんだ。


 彼を勝手に仲間と認識した脇谷は、浮き立つ心をおさえて彼の言葉を静かに待つ。


「芦原に住む多くの者は使えん。神の御力を借り受けるには、その身にいくらかでも神の血を引いておらねばな」


 アマテラスの回答に、脇谷は首をかしげたい気持ちになった。


 ―――神の血を引いてなければ使えないのなら、俺たちにも使えないのでは。


 身じろげば気づかれそうなのでやらなかったが、床に立ってアマテラスと対峙する彼らは素直に首をかしげている。


「神の血……俺の親はふつうの人間のはずなんだけど」

「あたしの家も」

「ああ、俺もだ」

「そうだねえ。僕も、心当たりはないよ」


 スザクと呼ばれた青年を筆頭に、全員がくちぐちに言う。脇谷もまた、うんうんと心のなかでうなづいた。


 部屋に集まる全員の視線を集めたアマテラスは、ふむ、とあごをなでて何を考えたのだろう。


「あー……そうよな。そなたらの国ではそうであったろう」


 言いづらそうにしながらも彼女は続ける。


「だがなあ、その、なんだ。そなたらは生まれ変わったのよ」


 ―――あ、いっぺん死んだからか。


 脇谷がひとり納得しているのをよそに、眼下の面々は目を見開いた。


「は?」


 と苛立ったような声をあげて眉間にしわを寄せたのは、ヒガと名乗った男だ。


「……え」


 ちいさくこぼした少女、リーチェは目とくちを丸くして何度も瞬きをくり返している。

 スザクは声もなく驚いているようで、大学院生の青年は腕組みをしてアマテラスをじっと見つめた。


 死んだ覚えがあるのに生きてここにいるのは、生まれ変わったからなのだ。


 ―――そういえばスカイダイビングの寸前に妙な声を聞きましたね。混ざったやらなにやら、あれが神の声でしょうか。


 脇谷が最期の記憶をたどっているあいだ、眼下の面々は黙りこくっていた。


 反応をしようにも、あまりに情報が少なすぎるせいだろう。

 大学院生の青年の視線に促されるようにして、アマテラスが「我もすべてを把握しているわけではないが」と前置きをしてから続ける。


「そなたらは生まれ育った国より落ちて、生まれ変わったのじゃ。他国での出来事ゆえ、理由まで我にはわからん。そこはそれこそ神の領域よ」


 申し訳なさそうにしながらもアマテラスはことばを止めない。


「落ちた理由は多くの怨嗟が生まれたことのようじゃ。そなたらの国では支えきれんほどの、枝分かれした界を貫くほどの怨嗟がな」


 怨嗟、と聞いて脇谷の頭に浮かんだのは、刃物を持った男の足元に待っていた煤のようなもの。

 噴出して、脇谷の身を壊した黒い影。思い出しただけで背筋がぴりぴりしてくる。


「怨嗟によってできた界の穴は、そなたらの国とこの葦原を一時的につないだ。その穴はすぐさま天つ神によって塞がれたが、落ちて来てしもうたそなたらを還すことはかなわなんだ。それどころか!」


 急に、アマテラスが語気を強めた。

 身を乗り出したアマテラスは、いちばん近くにいたスザクに食って掛かる。


「怨嗟は葦原を穢し、さらには黄泉にまで穴をあけてしもうた! おかげで葦原の周辺は、いつどこで黄泉の国の者が沸いて出るかわからんのじゃ。落ちて来たそなたらは居合わせた神の力を食らって、己の身を再構築しおるから国を守る神力も薄れてしもうたし、もう無茶苦茶じゃ! ゆ・え・に! 」


 ずずいっ、とアマテラスがさらに顔をスザクに寄せた。


 眉を吊り上げてなお、彼女は美しい。

 美醜に疎い脇谷でさえ、純粋にきれいだと思うほどには美しい。


 そんな美女の整った顔を寄せられて、スザクはのけぞり顔を真っ赤にしている。

 彼自身も相当に整った見目をしているのに、その反応はまるで異性慣れしていない少年のそれだ。


「そなたらが身に宿した神の力を使って、黄泉の国の者を何とかするのじゃ!」


 スザクの動揺など気づかずに、アマテラスは高らかに述べた。

 その勢いに呑まれたのか、スザクが壊れた人形のように首をがくがくさせて何度も頷いている。


「魔法で世界を救うなんて、ゲームみたい!」


 リーチェがのんきな声をあげて目を輝かせる横で、ヒガが片眉をあげながら低くうなる。


「意味わかんねえ。あんたの言ってること、まったく意味わかんねえ」

「うん、僕も彼と同じ意見だよ。仮に僕らがその、神術? を使えたとして、あなたたちのほうが慣れているだろうし安全なんじゃないかな。あえて僕らが動く必要性はどこにあるんだろう」


 おっとりとした口調ながらも、大学院生の彼はずばずばと言う。

 その笑っていない瞳に射抜かれたせいか、うっとたじろいだアマテラスだったが、彼女もおとなしくは引き下がらない。


「そなたらにも利点はある! 黄泉の国の者を何とかしてくれるならば、葦原での衣食住は保証する!」


 なるほど、脇谷をはじめここにいる面々は、この葦原というらしい土地になんの縁もない。

 今いる屋敷を放り出されれば今日を過ごす場所の見当もつかない身としては、その申し出はありがたいものだ。


 ヒガも脇谷と同じように思ったのか、眉間のしわをやや緩める。けれど。


「ふうん?」


 大学院生の彼は、それでは満足しなかったらしい。

 他にはないのか、と言わんばかりの顔で先を促す視線を受けて、アマテラスは「ぐうっ」と妙な声をもらす。


「支度金もやろう! 身を守るものや戦うための鉄器の調達もできよう。余ったぶんは黄泉の国の者と戦う以外の時は、その金で好きにしてくれて構わん!」

「うーん……」


 大学院生が、やけを起こしたかのように吠えたアマテラスを見つめて、数秒。音もなく唇を動かして、彼はにっこりと微笑んだ。


「詳細はすこしずつ詰めていくとして。ひとまず、あなたのところに身を置かせてもらうよ」

「そうか!」


 ぱっと明るくなったアマテラスの顔は晴れ晴れとして、まばゆいほど。

 間近で直視したスザクがまた「うっ」とうめいて顔を赤くしている。やはり、彼は見た目にそぐわず童貞臭い。純情なのだろうか。


 けれどアマテラスは話がまとまったことがうれしいのか、やはりスザクの反応には目もくれずにこにこしながら手を打ち鳴らした。


 かすかな衣擦れの音の後、するりと開かれた木戸の向こうには平伏したひとがひとり。


「そなたらも成ったばかりの身に馴染まねばならんからな。細かい話はあとにして、ひとまずはそれぞれの室に案内させよう。そこの者についていくがいい」

「お部屋、ひとりひとつもらえるの?」


 うれしげな声をあげたのはリーチェだ。素直な喜びを向けられて、アマテラスはにこりと目を細める。


「おうとも。そなたのように愛らしい女子を男子どもと同衾させるわけにもいかん」

「俺らにだって選ぶ権利はあるんだが」

「ははは」


 和んだ部屋の空気を見下ろしながら、脇谷は先ほどの大学院生の唇の動きを思い返していた。


 読唇術など脇谷は身に着けていない。

 身に着けたいと思ったこともあったが、習得方法がよくわからず身に着けられなかった。


 けれど、この葦原で目を覚ましてからは、やけに身体が軽く、ひとの気配もわかるし遠い物音も拾える。恐らく神と混ざったためだろう。


 そして、未知の力を手に入れた脇谷は、音のない唇の動きを読むことができた。


「好きにして、いいんだね」


 大学院生の口は確かにそう動いていた。


 ―――そういえばあの方、結局お名前も名乗ってませんね。


 大学院生の彼がやけに気にかかりながらも、脇谷は部屋を出て行った一行を追って屋根裏を移動していくのだった。

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