砕けた命 新たな形
―――砕けてしもうた。
―――穴があいてしもうた。
ささやくような音が聞こえる。
―――まだ潰えておらんのか。
感情のひろえない声は、誰のものなのか。
たくさんのひとがささやいているような、それとも打ち寄せる波を聞き間違えたような、あいまいで捉えにくい声だ。
ゲームのチュートリアルにぴったりの声だな、なんて思ったところで、脇谷は自分の身体を知覚した。
―――形を得るか。
―――混ざってしもうた。
打ち寄せる声もさっきよりはっきりと聞こえてくる。ゆるゆると開けられるまぶたもあるのがわかる。
光だ。
うっすら開けた脇谷の目に映るのは、いくつかの光。どこかでごろごろと鳴るのは雷だろうか。
―――なにを望む。神を喰ろうてなにに成る。
問いかけに、脇谷がぼんやりと思い浮かべたのはひとつの願い。
「にんじゃに、なりたかった」
目のまえで舞った赤い色が、脇谷の記憶にこびりついていた。
「どんなぴんちのときもだれかをまもれるにんじゃに……」
突然の凶行に足がすくみ、動けない自分が情けなかった。
ずっと、ずっと思い描いてきた忍者とは程遠い無様な自分の姿が、悲しかった。
「最強の忍者に、なりたかった!」
願ったのか、叫んだのか。
脇谷にはわからないけれど、ただ耳元で雷が激しく鳴るのが聞こえた。
―――成った。
感嘆するようにこぼれた声とともに、脇谷は落ちた。
びりびりと空気を震わせる落雷に驚きながら目を開いた脇谷は、視界に入った光景にもっと目を丸くした。
「え、物理的に落ちてるんですが?」
青々と晴れた空のなか、落下する脇谷を先導するように、雷が地上へと突き刺さるのが見える。
脇谷はその閃光のなかに自分以外の人々の影を見つけて瞬く。
瞬く余裕があることに気づいて、驚いた。
―――このままいけば先に落ちてるあの方々と、落下地点で鉢合わせ……雷の落ちた先にはなにやら強い相手がいるように感じられますし。
「ここはひとつ、身を隠して様子を見ましょう」
つぶやいて、脇谷はくるりと身をまるめた。
抵抗の減った身体がぐんと加速し、先を行く人影たちに追いついていく。
そして雷の落ちた先。大きな屋敷の屋根を通過した時点で脇谷はくるりと身を翻し、焼け壊れた屋根裏のすき間へと滑り込む。
遅れてどんっと響いた鈍い音は、人影たちが落下した音だろう。
屋敷のなかにいた人びとが焦げた床板の下を覗き込むのを、脇谷はさらに上から見下ろした。
「いたたたた……」
「んもーう、なんなのー?」
「いってえなあ」
口々に言いながら身体を起こすのは赤い髪の青年、ピンク髪の少女、黒髪の青年の三人だ。
やや遠巻きに彼らを見守る屋敷のひとの群れから、するすると前へ出たのはひとりの女性。
腰を越えるほど長い艶やかな黒髪は陽光を受けてキラキラと眩しいほどに輝き、ちょっとキツめの顔立ちはその輝きに負けないほどに整っている。
すこしあごをそらして腰に手を当てたポーズがよく似合う、女神さまみたいなひとだ。
和風の豪華な衣装を着こなす迫力美人を見上げた赤髪の青年が、思わずと言った風につぶやいた。
「うわ、すっごい美人……」
素直で飾らない勝算に、美人の顔がすこし緩む。
「む、素直な若者よの。そなた、名は?」
しゃべり方も偉そうで、けれどとても似合っていて、青年は聞かれるままにくちを開いた。
「洲屋久です」
「え!もしかして、スザクさん?」
不意に聞こえたのは、少女の明るい声。
洲屋久と名乗った青年は弾かれたように少女を振り向いた。
違和感に、脇谷はひっそりと目を細める。
―――彼はスヤクと名乗り、彼女はスザクと呼びましたよね。けれど反応は早かった。ということは、スザクは彼にとって呼ばれなれている名前、でしょうか。
屋根裏から推察する脇谷をよそに、屋敷のなかでは話が展開していく。
「ええと、きみは……?」
戸惑い気味に振り向いたスザクの視線の先には、ピンク色の髪をした少女と浅黒い肌をした男性。
ふたりを見るスザクの視線に戸惑いの色が濃いことを脇谷は見てとった。おそらく、知らない顔なのだろう。
「あたし、リーチェ! ゲームでは聖魔法使いだったよ!」
ぴょこんと跳ねながら告げられた名前は、脇谷が雑踏で凶行を目にする前に聞いたもの。
―――あのときぶつかった少女ですか。しかし、彼女は黒髪だったはず。しかも通り魔に胸を刺されて……。
記憶を辿る脇谷だが、眼下ではリーチェが元気いっぱいにピンクの髪を弾ませている。
死んだと思っていた脇谷がなぜか生き返り、こうして屋根裏に潜んでいるのだ。少女もまた生き返ったのだろう、と脇谷は納得する。
「比嘉だ。槍騎兵(ランサー)してた」
大柄な男性が低い声で言う。
色黒で頼り甲斐のありそうな男性はスザクや脇谷よりやや年上だろうか。
雑踏でリーチェを諌めていたのは彼だ。見た目通り、面倒見の良い兄貴分なのかもしれはい。
「それじゃ、そっちのひとは……」
スザクがヒガのその向こうに立つ、もうひとりの男性に目を向ける。
脇谷もまた気になっていた人物だ。
―――落下と同時に暗がりに溶け込むような、かといって見咎められても不自然でない程度の位置に移動していましたね。声をかけられる前までの眼光の鋭さといい、もしや、あの方も忍者志望なのでは……?
ワクワクドキドキ。
期待に胸を膨らませる脇谷をよそに、そのひとはゆるく首をかしげた。
「残念ながら僕はただの学生だよ。大学院生」
ひとの良さそうな笑顔を浮かべた男性は、スザクたちと同じゲームをしていたわけではないらしい。
リーチェ、ヒガそしてスザクに目を向けた彼は、不思議そうにあたりを見回した。
「きみたちは、ここがどこかわかる?」
言われて周囲に視線をやる彼らがいるのは、板張りの広い部屋だ。
火のついた棒がところどころに立つばかりで飾り気のない部屋に、スザクたち四人と派手な美人。他にもいたはずの屋敷の人々は、密やかに廊下へとさがって姿が見えない。
割れた床板の下にいるスザクは美人を見上げて、ぽかんと目を見開いた。
「え……なにこれ」
天井があるべき場所に開いた大穴を見上げる彼の瞳に、青々とした空が映る。
壊れた屋根の穴の淵にあたる部分は黒く焦げ、煙をあげている場所もある。そこから、明るい日差しが降り注いでいる。
雷で焼けたのだろう。
焼け焦げは床にもあった。スザクの足元にも、リーチェやヒガ、大学院生だという男性の足元にも。
それぞれが屋根の大穴と焼け落ちた床板に目をやり戸惑っていると、派手な美人が「ふむ」と細い顎に指を添えた。
「そなたら、事情が飲み込めておらんようだな?」
凛とした声に惹きつけられるように面々が視線を向けるなか、美人は「どこから説明したものか……」とあごに手をやる。
「そうよな、まずは名乗ろう。我はアマテラス。葦原を治める神の末裔じゃ」
「神の……末裔?」
あまりに堂々とした名乗りに脇谷は、そういう設定のコスプレイヤーさんかな? と思いもしたが、たぶんそうではないと彼のなかに残る死の記憶が告げていた。
「ふむ、そこからか? そうじゃの……」
すこし首をかしげたアマテラスは、切れ長の目を伏せてぶつぶつとつぶやきだした。
音は聞き取れるけれど、意味はわからない。
―――九字護身法ではないですし、真言でもないですね。けれど何となくどこかで耳にしたことがあるような……。
脇谷が忍者に占領され気味な記憶をさらっているうちに、アマテラスが「……恐み恐みも白す」と締めくくった。
―――そうだ、祝詞です。アニメで聞いたことあるやつ!
そう思った瞬間、天に向けられたアマテラスの手のひらがぼうっと光を帯びた。
「きゃあっ⁉︎」
リーチェの悲鳴が先か、アマテラスの手のひらが強く光を放つのが先か。
カメラのフラッシュよりも強く、青白いほどの光が広い部屋を埋め尽くす。
まるで雷のような光に視界を焼かれ、脇谷がとっさに腕で顔をおおったときにはすでに光はおさまっていた。
「なに、今の……」
恐々とつぶやく声に腕を退け覗き込むと、眼下には変わらず姿勢良く立つアマテラス。
けれど、その顔は薄暗い部屋のなかではっきりとは見えない。彼女の大きな眼に炎の赤が宿ってゆらゆらと光るだけだ。
「あれ、急に暗くなった?」
驚きの声をあげたリーチェがあたりを見回す。
「さっきの光で目がくらんだのだか?」
言って、瞬きを繰り返すヒガの後ろではスザクが震えた声を上げる。
「天井が……」
スザクの声に顔をあげた彼らは、一斉に目を見開いた。
「穴が、ふさがってる!」
リーチェの興奮したような叫びに続いて、ちいさな笑い声が耳をくすぐる。
楽しげな笑い声をこぼしていたのは、アマテラスだった。
「くふふっ。抱き上げられた野兎のような顔をしてからに。神術を目にするのははじめてか?」
「神術……いまの、ぴかっと光って屋根をなおしたのが、神術なのか?」
抜け切らない驚きに包まれたまま問うスザクに、アマテラスはにぃっと笑ってうなずいた。
「そうとも。この葦原に御坐す神々の御力、神力をお借りするのが神術よ。そなたらにも、使えるはずじゃ」
「……へ?」
間抜けな声を聞きながら、脇谷は屋根裏でひとり拳をにぎる。
―――もしや神術で忍術が再現できるのでは!? これはまさか、忍者になる夢が叶うのでは!
異世界転移からの魔法使える設定キタコレー! と騒ぐリーチェを筆頭ににぎわう地上をよそに、脇谷は密やかにぐふふと笑うのだった。
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