忍者転生〜主人公系転生者を隠れ蓑に忍んで参ります!〜

exa(疋田あたる)

命の終わり 物語のはじまり


 雑踏のなか、群衆に埋もれて歩くと気持ちが落ち着く。


 ―――はぁ、忍者になりたい。暗がりにひそんでいたい。


 夕暮れの町を背を丸めて歩く脇谷は、ふとビルのガラスに映る自分に目をやった。


 中肉中背というにはいささか薄っぺらい身体、高身長でもなければ低身長でもない平均的な背丈をしているはずだけれど、猫背のせいで行きかうひとたちに埋没している。


 たとえば今ここで脇谷が周囲の会話に耳をそばだてて、ビルの谷間に姿を消したとして、誰も気にも留めないし記憶にも残らない程度の普通加減。


 ―――実に忍者向きじゃないですか。


 本当は頭巾に黒装束で町の影から影へと移動したいところだけれど。それをすればむしろ目立つと知っているから、せめてもと伸ばしぎみの前髪をおろしてみる。


 ―――悪目立ちは自分の望むところじゃないですし。


 大学では浮かないように愛想笑い。

 バイト先ではほどよく話を合わせつつ、自分のことはふんわりとしか語らない。


 暮らしのなかで忍者ごっこをして楽しむのが、脇谷の子どもの頃からの密かな楽しみなのだ。


 今もまた、頭巾の代わりにフードを深く被ってしまいたい気持ちを押し殺して、脇谷は状況に合わせた役になりきる。


 ―――自分は大学帰りの学生。ちょっと疲れてるけど、帰りに寄り道しながら帰る気楽で取るに足りない通行人……と見せかけて、実は前を歩く管理職っぽいおじさんの秘密をさぐる密命を受けてる忍者なんです!


 内心はにこにこ、外面は無表情に歩いていると。


「あ、ねえ!」


 近くで聞こえた明るい声とともに、脇谷の腕に軽い衝撃が走る。

 

「あっ、ごめんなさい!」

「いえ……」


 ちらりと目をむけて緩く頭をさげれば、ぶつかってきた少女がしまった! と言う顔をしているのが見えた。

 中学生だろうか、小柄な子だ。艶やかな黒髪にぽん、と手を置いたのは彼女より少し年上だろう青年だ。


「リーチェ、はしゃぎすぎだ。すこし落ち着け」

「ううっ、ごめんなさい~。はじめてのオフ会だと思うとそわそわしちゃって」


 周囲に気を配れなくて何が忍者だ、任務失敗だ! と胸の内で反省会を開く脇谷の背に、さきほどの少女と誰かの会話が届いた。


 何気なく振り返って見たリーチェと呼ばれた少女の周りには、高校生くらいから明らかに成人済まで入り混じった男女が立っている。

 五、六人で道の端に寄って楽し気だ。


 ―――オフ会。オンラインゲームかなんかの集まりかですかね。


 そう見当をつけた脇谷のなかに、彼女らに対する尊敬の念がじわりと湧く。

 性別も思想も簡単に偽れるネットの世界から離れて、現実の自分をさらす勇気が脇谷にはまぶしかった。

 脇谷の忍者好きを知っているのは家族だけ。正体を隠して忍んでいるのは忍者としては正しいのかもしれないけれど、時には誰かと忍者トークで盛り上がりたいときもある。


 前髪に手をやって、すこしでも目元にかかるようにくしゃりと乱す。と取るに足りない通行人だったはずなのに、不意に個として浮き上がらせられると気持ちが乱れる。


「この間の通り魔もまだ捕まってないんだから。知らないひとに―――」


 細切れに聞こえる彼女たちの会話に、脇谷は意識してわずかに背筋を伸ばした。


 ―――通りすがりにひとを刺しそうな顔だと思われたりしたら……よくない、それはよくないです。


 当り障りのない顔を心がけて、再びあてもなく寄り道をしようと脚を進めた、そのとき。


「っきゃああああ!」


 耳をつんざくような悲鳴が聞こえたのは、脇谷の後方から。続いて、たくさんのひとのどよめきと驚きの声が耳に届く。


「あいつ、なんだ……?」

「え、あれ、刃物?」

「本物?え、違うよね?」


 水がしみるように、混乱がひとびとの間に広がっていく。けれど脇谷の居る場所からは人の波に阻まれて、何が起きているのかわからない。


 ―――はやく離れたほうが良さそう……。


 そう考えながらも悲鳴に背を向けるのはためらわれて脇谷が行動に迷っているあいだに、悲鳴の波はすぐそばまで押し寄せていた。


「本物だ!血が!」

「刺されたぞ、救急車!」

「逃げろ、はやく逃げろっ」

「どいて、いやあ!こっち来る!」


 焦りと恐怖に塗れた声が上がったかと思うと、人ごみがざあっと二つに割れた。

 その中央に立つのは、両手に刃物を持ったひとりの男。うつむいているせいで、表情はうかがえない。


「えっ、と、通り魔?」


 男と脇谷のあいだに立つ、先ほどぶつかってきた少女たちの一団から声がもれた。ざわめきのなか、妙に鮮明に響いたひとことは、うつむいた男にも届いたのだろうか。


 ぴくりと肩を揺らした男が持ち上げた刃先から、赤黒い雫が落ちる。


 ―――あ、血。


 脇谷は直感的にそう思って、男の後ろに倒れ伏す誰かの姿に気が付いた。


 味気ない地面にうつ伏せに倒れた誰かの身体の下に、じわじわ広がる黒い水たまり。

 救護しようとしているのだろう、駆け寄って膝をついたひとびとのくちが動いているのは見えるのに、なんと言っているのか聞き取れない。


 刃物を持った男も、倒れたひとにはすでに興味がないのだろうか。

 ゆらりと脚を進めたかと思うとすべるように駆け出して、血濡れの刃物でリーチェと呼ばれていた少女を綯いだ。


 悲鳴すら上がらないまま、ぱっと宙に血が舞った。

 その非現実的な光景に、脇谷は呼吸をするのも忘れて目を見開く。


「通り魔、通り魔どこだ」


 ぐらりと傾いだ少女の身体に馬乗りになった男が腕を振り上げる。


「なあ、通り魔、通り魔どこだよ」


 左右の手に握った刃物を交互に振り下ろしながら、男は淡々とつぶやき続ける。


「通り魔どこなんだよ。なあ、なア」


 通り魔はどこだ、と通り魔本人が問いかけ続ける混沌。


 血しぶきが飛び散り、混乱に雁字搦めにされて誰もが動けないでいるなか。


「お、お前、やめろ!」


 人垣をかき分けて少女に駆け寄った少年が叫び声をあげた。腰が引けて顔は青ざめているが、震える声と怯えた瞳は男から逸らされない。


 ただ、目の前の光景を呆然と見つめていた脇谷も、少年の声ではっと我に返った。


「危ないっ」


 叫んで全力で駆け出すけれど、伸ばした手はわずかに届かない。


 ゆるりと顔をあげた男が何気なく突き出した刃物が、少年の腹に刺さるのが見えた。

 眼を見開く少年の顔。

 男は無感動に少年を見て、ふらりと立ち上がる。

 間近でのぞいたその瞳はひどく昏くて、脇谷の背中が総毛立つ。


 一歩、男が踏みだした。その足元に、ちりちりと煤のような黒い影が舞う。


「通リ魔ァ、ドォコォォ」


 男ののどが耳障りな絶叫をあげると同時に、アスファルトに落ちた煤から黒い影が湧き上がる。


「通ォリマアアアァァァ!」


 黒い影に貫かれたひとたちが、血を噴きこぼし次々に地に沈んでいく。

 どさりと倒れるはずの地面はすでに黒い影に染まっていて、血と肉片は落ちるべき地を見つけられずに影に沈んでいく。


「なん、なんだ、これ……」


 つぶやきに答えを得るよりも先に、脇谷の意識は途切れていた。

 真っ赤に染まった視界のなか、宙を舞う自分の下半身を見たような気が、した。

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