お披露目

 ごぉん、ごぉん、ごぉん。死神の足音のように響くその音は、相手に恐怖を味合わせるのに十分なものである。




『投手交代のお知らせをします。ピッチャー、北に代わって黒鵜座、黒鵜座一。背番号99』




 観客の声援を背に受けて一歩、また一歩とマウンドへと黒鵜座が歩いていく。ゆっくり地面を踏みしめるその様は、相手にゲームオーバーだという事を示すような、そんな不気味なものだった。投球練習に入る前に、キャッチャーの扇谷がブルペンまで上がってくる。グラブ越しに、二人は話し始めた。




「今日のどっかで、あの球使うぞ」




「えー、まじっすか」




「当たり前だ。どこかで使っておかないと鈍るだろう。何より実戦で使うために編み出した球だろ。だったら試合で投げないでどうすんだ」




「まぁそうっすけど……ちゃんと扇谷さん捕れます? そこが一番不安なんですけど」




「嘗めんなよお前」




「痛って! 別に叩くことないじゃないですか!」




「まぁそれだけ威勢があれば十分だな、じゃあやるぞ」




「分かってますってぇ……」




 扇谷に叩かれた背中がヒリヒリと痛む。そんなに強く叩かなくてもちゃんとやるときはやりますって、と心の中でぼやきながら黒鵜座はサインを見る。いきなりあの球かよ、まぁぶっつけ本番で投げるよりは100倍マシか。指先の握りに細心の注意を払う。こうだったっけ、まぁいいやとりあえず投げてみよ。力まず、いつも通り80~90%くらいの力で。




「フンっ」




 投げたボールは打者の少し手前でワンバウンドした。ありゃ、ちょっと意識しすぎたか。その後はストレートを2球、チェンジアップを1球投げこんだ。そしていよいよバッターが打席に立つ。アウェーであるがゆえに少ないが、レッズの応援歌が耳へと入り込んできた。レッズのファンは、非常に熱心である。昔は飲んだくれのおっさんが多かったせいか野次もよく聞こえたが、今は結構変わったらしい。なんでも女性ファンが増えたらしく、そういう野次は品がないからという理由で段々フェードアウトしたようである。




「フンフンフーン♪」




 黒鵜座は周りの声援などないかのように呑気に応援歌を口ずさむ。どっちかというと、応援歌で言えばレッズの方が格好いいと思う。これは完全に個人の見解だけれども。こんなことを言おうものならファンから袋叩きにされること間違いなしだな。そんなことを思いながら、体を伸ばして着々と準備を進める。




「プレイ!」




 高らかに告げる審判の声で、ようやくスイッチが入った。扇谷が出したサインを確認する。ストレートだ。ボールを握る右手を体で隠し初球を投じる。右打者の外角高めにストレートが突き刺さった。




「ストライ―ク!」




 球速は146km/h。現代のプロ野球界では珍しくとも何ともない球だが、黒鵜座にとっては上々の出来である。そもそも最速が148km/hという中でそれに近いの速さを安定して投げられるのは結構すごいことである。




(じゃあ、次はここだ)




(うぃっす)




 基本的に扇谷のサインに首を横に振ることは滅多にない。それほど球種がないというのも事実だが、それ以上に扇谷のリードを信じているからだ。コース、球種、投げ方などを決めるのは投手の独断ではない。キャッチャーのリードと共に積み重ねていくものだと黒鵜座は理解している。その決定権はハーフアンドハーフといったところか。




 2球目、今度は低めから浮き上がるようなストレートで空振りを奪い2ストライク。3球目もストレートだったがこれは打者がファウルで逃れカウント変わらず。4球目、タイミングを外すチェンジアップを詰まらせてサードへの平凡なゴロ。これをしっかりとさばいて一つ目のアウトを取った。




 1球投げるごとに歓声が上がる。これがもしプレッシャーに弱い投手ならばおどおどしていてもおかしくないだろうが、黒鵜座は別ベクトルの人間である。むしろ燃えていた。といっても野球でいう炎上ではなく、心がである。




(やっぱ楽しいな)




 マウンドとは打席に立つ打者からして少し高い場所にある。つまり本来は上から目線で投げるピッチングとなるわけだ。上から打者を見下すような支配的なピッチングは本人も、見ているファンにとっても爽快だ。この肌にひりつくような感じがたまらない。顔には出さないけれど黒鵜座は胸を躍らせていた。次の打者が左のバッターボックスに入る。




(よし、じゃあ次はここな)




(あの球のサイン、中々来ないな……)




 そんな事をぼんやり思いながら、黒鵜座は要求通りのボールを投げる。打者は分かりやすいぐらいにストレート狙い、それもバットを少し短めに持っている事から単打、最悪の場合内野安打で繋ぐこと目当てであることは、扇谷にとってはお見通しだ。




(なっ、思ったタイミングで来ねぇ!?)




 ストレートを意識させた上でのチェンジアップは非常に効果的である。速い球にタイミングを合わせる事にピントを合わせるために体が前のめりになるのだ。ただでさえ当てに行くことを重視しているのにそんな体勢ではまともに飛ぶはずもない。だが、バッターは祈るようにバットを頭に当てて目を閉じた。大丈夫だ、次こそストレートが来る。




(……なんて思ってんだろうな。そもそも勝負の世界で祈る事自体がナンセンスだっての)




 捕手のポジションからは打者の様子が良く見える。高揚も、困惑も、躊躇も、諦めも、慣れてくれば簡単に見えてくるものだ。だからバッテリーは今度もチェンジアップを選択した。予想通りバットの下で叩いたそのボールは、黒鵜座のグラブへ収まる。そのままファーストへと下から投げて2アウト。拍手とあと一人コールが球場に響き始める。




(つっても、問題はここからなんだよなぁ……)




『8番、キャッチャー小西。背番号29』




 何を隠そう、黒鵜座はこのバッターが一番苦手なのだ(第二回放送参照)。打率は高くないが、とにかく相性が悪い。あのこんにゃくのようなスイングを思い出しただけでうなされるレベルだ。とにもかくにも、この打者を攻略しなくては自分の先は無い。キャッチャーの扇谷も一度落ち着くようにジェスチャーをしている。




 膝を軽く曲げ、少し姿勢を下げて小西が打席に入る。初球、148km/hのストレートがファウルチップとなり1ストライク。続く2球目は大きく高めに外れて1ボールとなった。




(かーっ、やっぱやりづれ―――!)




 扇屋からボールを受け取りながら黒鵜座は今にも叫びたい気分であった。3球目はチェンジアップがワンバウンドして2ボール。そして4球目、直球を捉えた打球は惜しくも三塁線を切れるファールとなった。




(ひー、おっかねーわ。やっぱこの人どっかで入れ替わってるでしょ!?)




 ファールとはいえ、痛烈な当たりであることに変わりはない。冷や汗をぬぐう様に帽子を脱いだ。扇谷からのサインを待つ。……来た、あのサインだ。




(待ってました! いやマジで!)




 少し長い間をとる。実戦で使うのは初めてだから、ちょっとだけ緊張するな。ゆっくりと構えて右腕を振りかぶる。感覚を指先に集中させて、一投を投げ込んだ。




(ストレート……!!)




 当然打者の小西もバットを振りに行く。しかしボールはそこそこの速さを保ったまま、文字通り沈んだ。




(―――は?)




「ストライ―ク! バッターアウト!!」




 打者も、相手ベンチも、守る野手も、そして応援するファンも狐につままれたように口を開ける。それに知らない顔してバッテリーは口角を上げた。

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