第23話 裏切り者の仔猫は始末

「……クランヌが学校へ転校して来ることはこれで防げた。桃未知さんを守ることもできた。でも、一ノ瀬さんと市ヶ谷君を守れなかった……」


 足元に転がるクランヌの頭部と目を合わせた瞬間、霧斗はたった今、歓喜に小躍りしてしまった自身の行動を責め苛む想いに駆られた。


「はぁ……あたしも……怖かったよぉ……」


 その一方で力無く、その場にポニーテールの少女がへたり込む。


 気付けばその手には黒いスタンガンが握りしめられたままだった。


「あたし……もっと早くこれを使えていれば……きっとミカルンのこと、助けられたはずなのに……それに市ヶ谷君のことだって、きっと……」


 晴夏の流す大粒の涙が、黒く無機質なスタンガンの装置を濡らす。


「すべては私の責任です。あなた方の大切な友人達を犠牲にしてしまったのは、きちんと部下の管理が出来ず、私が上司として無能だったせいです……にゃん……」


 罪の意識に苛まれる少年と少女に、これまた己の不甲斐なさに身を縮めた仔猫の女が頭を下げる。


「スキニング・キャット! 君は敵なのにどうして! どうしてボクや桃未知さんを助けたりしたんだ? それにどうしてクランヌを攻撃したのさ? だってクランヌは君の味方だろっ? おかしいじゃないかっ! 一体、どうしてだよっ?」


 霧斗はキャットを責めるつもりはなかった。


 ただ、巻き戻る前の世界では、学校で教師や生徒達を皆殺しにしたクランヌを責める気配が、キャットの態度からは微塵も感じられなかった。


 それなのに、今回は何故……?


「おかしいですか? 大義なき殺人は私の美学に反する。ただ、それだけですよ。にゃん……」


 キャットは霧斗の疑問に一言、そう答えると、傍らに立つギロチンの少女に向き直り、続けた。


「……マドモアゼル・ギロチーヌ。貴女のおかげでクランヌの暴走を完全に止めることが出来ました。まあ、暴走だけでなく、その息の根も止めることになってしまいましたが、貴女には感謝しないとなりませんね。にゃん……」


 そう言ってキャットは穏やかな笑みをギロチンの少女に投げかけ、その猫の手をスッと差し出した。


「まあっ。猫女さんの手は、ぷにぷにして触り心地がいいわぁーっ!」


 ギロチーヌは差し出された掌の肉球を撫でまわしながら、無邪気に微笑み返した。


「猫さんがこうしてアタシに握手をしてくれるってことは、アタシ達、もうお友達になったっていうことかしらーっ?」


「いいえ。あくまでも我々、ラ・トルテュール一族が貴女の命を狙うことに何の変りもありません。しかし、私は正々堂々と自分の美学を貫き、貴女の首を貰いたいだけ。大義なき姑息な殺戮に訴え、貴女の首を手中に収めるなど愚の骨頂です。ですので、日を改めてその首を頂戴しに伺います。にゃん!」


 屈託のない笑みを浮かべるギロチーヌに対し、キャットは冷たい微笑で返すも、その釣り目がちな青い瞳に敬意の色を浮かべていた。


「なんだか、スキニング・キャットって、意外とイイ奴かもしれないな……まあ、おそろしく不器用というか、融通の利かない面もありそうだけどさ。ギロチーヌちゃんの命を狙うなら、今が絶好のチャンスだろうに、気付かないのかな……」


 握手をする二人の少女を遠巻きに見つめながら、霧斗は律儀に挨拶を交わし合う敵と味方の関係に微笑ましさを感じた。


「「「きゃあああぁぁーっ……」」」


 その時であった。


 突然、複数の少女達の悲鳴が聞こえた。


「カ、カラフル・プーペっ……?」


 すかさず霧斗が観客席にその目を向ける。


「い、居ないっ……?」


 裸身のまま観客席に縛り付けられていた筈の、五人のアイドルの姿が見当たらない。


 そこには解かれた縄と、色とりどりのレオタードの散乱する、無人の椅子が並べられていただけだった。


「伊乃地君……助けて……」


 続けて桃未知晴夏の助けを求める声が聞こえた。


「桃未知さん……?」


 霧斗が晴夏にその目を向ける。


「桃未知さんも居ないっ……?」


 霧斗の傍らで、床にへたり込んでいた筈の晴夏の姿も見当たらない。


「上ですよッ! にゃん!」


 キャットが天井を指差す。


「うわあああーっ? な、何だあれえぇぇーっ?」


 霧斗がすかさずステージ会場内の天井を見上げる。


 するとそこには、宙吊りにされた五人の裸体のアイドル達の姿と、もう一人、ブラジャーを晒した桃未知晴夏の姿があった。


「きゃんんんっ……こんな宙吊りプレイ、心の準備さえしたくなーいっ!」


「爺いいいっ……わたくしはこんな破廉恥な姿で宙吊りに……ああ、許して……」


「私を五秒以上宙吊りにするとはあああっ! 今すぐ降ろせぇーっ……」


「いやあぁぁっ……危険なお乳だけじゃなくて、危険な三角地帯まで見えちゃうかもーっ」


「ウェェーンっ! ももたんウルトラ辛たんっ! たんたんたんたん炭酸シュワワワァーっ……」


 レオタードが完全に脱げ落ち、揺れる乳房を露わに晒し、パンツ一枚のみを着けるという、あられもない姿の五人のアイドル達が宙吊りになり泣き叫ぶ。


「伊乃地君ごめんね。あたし、掴まっちゃった……二人で生きて帰りたかったのに……」


 そしてアイドル達とともに、白のブラジャーを晒した晴夏が涙を浮かべ宙に吊られていた。


「どういうことっ? スキニング・キャットっ? き、君の仕業かいっ? 大義なき殺人は美学に反するとかなんとか言っていたのにっ!」


「いいえ。これは私の仕業などではありません。人間の女達を無意味に宙に吊りあげたところで、私には何の得もありませんし。にゃん……」


 疑いの目を向ける霧斗に、キャットが凛として答える。


「きゃあーっ? む、虫いいいーっ! いやあーっ!」


 すると、ギロチーヌが唐突に、天井の宙吊りの少女達を見て怯えだした。


「いやあぁぁーっ! アタシは虫は大の苦手なんだからぁーっ……」


 頭を抱えて、その場にしゃがみ込むギロチーヌ。


「何を言うんだよっ? 虫なんてどこにも居ないさ、ギロチーヌちゃ……」


 怯えるギロチーヌに、霧斗が天井を注意深く見つめる。


「うわあっ? 虫だ!」


 よく見れば、宙吊りの少女達のその背後に、一つの大きな黒い影が潜んでいた。


「ンマっ! 薄暗い舞台の照明に同化したかと思っておりましたのに、見つかってしまったざーますかー」


 金髪のロングの髪の女性の顔が天井に浮かび上がる。


 黒いボンテージの服に身を包んだ長身の女性。


 見た目に二十代前半くらいだろうか。


 一見すれば、普通の人間のようだが、その胴体からは、まるで蜘蛛のような八本もの脚が生えていた。


 その一本一本の脚の先端が、それぞれに少女達の背中を突き刺しているように見える。


 そして、空中に吊りあげられたように見える少女達の真下には、網の目のような蜘蛛の巣が張りめぐらされていた。


 少女達は透明な糸で出来た蜘蛛の巣の上に乗せられ、金髪の蜘蛛女にその背中を突き刺されている格好であった。


「貴女は『スペインの蜘蛛アレニエ・デスパーニュ』! 貴女がどうしてここにッ? にゃん!」


 キャットが、天井に浮かぶ蜘蛛のような姿の金髪の女性を見るなり、叫ぶ。


「ンマンマンマンマっ! 裏切り者のスキニング・キャット! お前が疾うに用無しになっている事実、知らないなんて能天気なオツムで可哀想ざーますねー。カルナージュ様曰く、お前はクビ。ギロチン女の首を取る筈のお前が、自分自身の首を取られるだなんて、なんとも皮肉なことでござーますわね!」


 スペインの蜘蛛、と呼ばれた金髪の女が、眼下のキャットを蔑むように笑う。


「な、なんですって? この私がクビ? にゃん……」


 キャットが蜘蛛女の言葉に狼狽えたその時、突然バチッという音が鳴り、ステージ中央に設置されたスクリーンが明るく灯り出した。


『スキニングさんっ? 貴女、上司の癖に部下のクランヌさんを無残にも死に追いやって、よくもおめおめと平気な顔をしていられますわね!』


 スクリーンに大写しに映る、黄金の王冠を被った女性。


 深紅のドレスを身に纏い、ブロンドの長い髪を靡かせている。


 その背後には黄金の玉座が据えられ、女は玉座に浅く腰掛けながらも、身を乗り出すように画面に向かっていた。


 切れ長の赤い瞳で真っ直ぐにキャットを見据えた女が、大粒の涙を零し、画面に訴えかける。


『妾の愛する、大事な大事なクランヌさんを死なせるなんて、あんまりですわ、スキニングさん……それにクランヌさんを助けんが為、妾がせっかく催眠状態にして操った人間の殿方達をも一人残らずノックアウトしてしまうとは、一体どういうことですの……』


「カ、カルナージュ様! にゃん!」


 まるで溺愛する恋人を失ったかのように嘆き悲しむ画面の中の女に、キャットが慌てて跪く。


「だ、誰だ、この映像の女はっ? スキニング・キャットの親玉っ? こいつがあの観客達を操っていたっていうのかっ……?」


 突如ステージのスクリーンに大写しになった、まるで女王のような気品のある風格の女性に、霧斗は怖気づいた。


「お言葉ですが、クランヌはギロチン女の暗殺もそっちのけに、無関係の人間の女達を殺すことに夢中で……」


『お黙りなさい! 約束通り、失態を犯した貴女には永遠の責苦に切り裂かれて貰いますわ! 出でよ! 永久に咲く真紅の薔薇ラ・ローズ・ルージュ・エテルネル!』


 キャットが物申すのも聞かず、画面の女が深紅のドレスの胸元に一輪の赤い薔薇を咲かせる。


『永遠にその身を切り裂かれ、苦しむがいい! この裏切り者めがっ!』


 赤い切れ長の瞳を吊り上げた女が、胸の一輪の薔薇を引き抜き、画面の外へ向け投げつける。


「にゃあんっ! 私の胸の中に薔薇がっ? 吸い込まれて……にゃん……」


 スクリーンから飛び出した赤い薔薇が、キャットの燕尾服の胸元へと吸い込まれていく。


「がふっ……」


 キャットが唐突に淡いピンクの唇から、真っ赤な鮮血を溢す。


「スキニング・キャットおおおーっ!」


 霧斗が叫ぶのも束の間、


「にぃやあああああああぁぁぁぁぁぁーんっ……」


 キャットの燕尾服の内側から、その生地を突き破るように、無数の真紅の薔薇の蕾が一斉に顔を出す。


「にぃぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁーっ!」


 猫耳の生える頭部から、エナメルの革靴を履いた足の爪先に至るまで、キャットの全身の肉を突き破るようにして、薔薇の蕾から一枚一枚の美しい花弁が開かれていく。


「ギ、ギロチーヌちゃんっ! キャットがっ! スキニング・キャットがあーっ……」


 眼前でその肉を引き裂かれるキャットに慌て、霧斗がギロチンの少女を呼ぶと、


「いやあーっ! 虫いーっ! 虫いーっ!」


 そこには、泣きじゃくりながら頭を抱え屈み込むギロチーヌの姿があった。


「何やってるんだよ、ギロチーヌちゃん! 泣いている暇なんてないよっ! キャットが! スキニング・キャットが死んじゃいそうなんだっ……」


「まああーっ? 仔猫さんがーっ?」


 必死にその腕を引く霧斗に、ギロチーヌが立ち上がる。


「猫女さぁーんっ……」


 ギロチーヌが駆け寄った時には、その全身を血飛沫に染め、無数の薔薇の花弁に肉を突き破られた瀕死のキャットが、かろうじて立ち尽くしていた。


「ふっ……私は甘すぎたようですね……美学に反せずに生き……悔いはありません……しいて言うなら……貴女の首も取りたかった……ですがね……にゃん……」


 大量の血を口から溢れさせ、キャットが蒼ざめた釣り目でギロチーヌを見据える。


「ダメえっ! 死なないでっ! 死んじゃダメよーっ……アタシの首を取るんでしょうっ? 死んじゃったら、首、取れないじゃないっ……」


 泣きじゃくったギロチーヌが、瀕死のキャットを抱きかかえる。


「そうですね……それだけが唯一の……心残り……ですね……にゃ……ん……」


 蒼ざめた瞳に、優しげな笑みを湛え、スキニング・キャットがその目を閉じた。


 その瞬間、キャットの身体が肉片となり、ギロチーヌの腕の中でバラバラと崩れ落ちていった。


「ね、猫女さあああぁぁぁーんっ……」


「うわあああああっ! スキニング・キャットおおおーっ……」


 ギロチーヌと霧斗が嘆き悲しむその側で、崩れ落ちたキャットの肉片が突如眼前に出現した魔法陣の文様へと吸い込まれていった。


『ほほほ。可愛い可愛いスキニングさんの死肉再生の儀式は、我が城で執り行いましょう……』


 スクリーンの中の玉座の女がそう言って冷たく微笑むと、肉片を全て吸い尽くした魔法陣が消えた。


「お前えええーっ! よくもスキニング・キャットをーっ!」


「ギロチン変化! 斬首執行デカピタスィョン! 猫女さんの仇、討たせてもらうわよーっ!」


 憤る霧斗とともに、ギロチーヌがギロチンの刃を解き放つ。


 シュルルルルッ、と空気を切りスライドするギロチンの刃が、ステージ中央のスクリーンに向け飛んでいく。


『まあ。何と物騒なこと! 妾は御暇すると致しましょう。後は頼みましたよ、スペインの蜘蛛さん!』


 玉座の女がスクリーンに向かうギロチンの刃に驚き、画面の中から上目遣いに呼び掛ける。


「ンマっ! 合点承知ざます!」


 天井から甲高い女の声が応えると、プツッという音とともに、画面の中の女が消え、スクリーンが暗くなった。


 ガキンッ!


 完全に灯りの消えたスクリーンを、ギロチンの刃が真っ二つに切り裂く。


「まあっ! 画面が消えちゃったわぁーっ……」


「くそうっ、逃げられたっ……あの女王みたいな女が、ラ・トルテュール一族とか言うやつの親玉だ絶対っ……」


 ギロチーヌと霧斗が肩を落とし、消沈の息を吐く。


 すると、二人に落胆する暇を与えまいとするかのように、その頭上から、甲高い女の声が響いた。


「ンマンマンマンマっ! あたくしのこと、お忘れになっては困りますざーますね。今から空中ブランコすぺしゃるイリージョンをお目に掛けるでざーますよ!」


 天井に浮かぶ金髪の蜘蛛女が、これ見よがしに叫ぶ。


「さあさあ、ここに張りめぐらしましたる、この蜘蛛の巣。このうら若き乙女達の肉体を支える安全網が、突如消えてしまったら、一体どうなるざーますかっ?」


 八本の脚のうち、五人のアイドルの少女と、桃未知晴夏との背中を突き刺していない、残り二本の脚がトントントンッと空中に張りめぐらされた蜘蛛の巣を蹴散らしていく。


 パラリと剥がれ落ちるようにして霧散する蜘蛛の巣が天井から一掃されると、そこには透明な糸の支えを失い、文字通り宙吊りになった六人の少女達の姿があった。


「きゃあああぁぁぁぁーっ……こ、心の準備もないままにいいいいーっ……痛いいいいいーっ……」


「爺じいいじいいいいいいいーっ……わたくしの背中があああーっ……もげてしまいますううううーっ……」


「ぎゃあああぁぁぁーっ! こ、これは、五秒以上の痛みどころじゃないいいーっ……うぎいいいぃぃぃっ……」


「きききき危険なああああっ……痛みがああああアアアアーっ……あぎいいいいいーっ……」


「ウェェェーっ……ももたんのおおおぉぉぉーっ……背中がちぎれるうううううーっ……」


 五人のアイドル達が空中でブランブランとその裸体を揺らしながら、激痛にその身をよじらせる。


「い、伊乃地くうううううううーんっ……ひぎいいいいいいっ……」


 桃未知晴夏も苦悶に耐えきれない表情でその身を揺らしながら、霧斗の名を呼んだ。


「桃未知さあああーんっ……」


 霧斗が憧れのクラスメイトの名を一心不乱に叫ぶ。


「ギ、ギロチーヌちゃんっ! あの蜘蛛女を今すぐ斬首執行してくれよっ……」


 焦燥の霧斗が傍らのギロチーヌに嗾けると、


「いゃあああーっ! 虫いいいーっ! 虫いいいーっ!」


 と、まるで条件反射のように頭を抱えて泣きじゃくるギロチンの少女の姿がそこにはあった。


「おいっ……こんな時にしっかりしてくれよっ! ギロチーヌちゃん……」


「いゃあああーっ……虫は無視できないくらいにキライなのおおおーっ……」


 霧斗が無理やりその身を起こさせようとすればする程、ギロチーヌはますます頑なに頭を抱え込み、石のように動かなくなってしまうのだった。


「ンマンマンマっ! あたくしスペインの蜘蛛の八本の脚の爪先はそれぞれ四つの鉤爪に分かれ、肉を挟み込んで引っ張るだけで、これ程までの痛みを人間に与えるざーます! そして蜘蛛の巣を払いのけたことで、文字通り宙吊りになったこのメスどもは自分自身の体重の重みで挟んだ肉をますます千切られていくざーます!」


 天井に優雅に浮かぶ金髪の蜘蛛女が恍惚の表情で得意げに語る。


「デモデモデモっ! 口で説明したところでオツムの弱い坊ちゃん嬢ちゃんには到底お分かり頂けないざーますね? 丁度イイことに、あたくしの脚が二本空いているざーますので、坊ちゃん嬢ちゃんにもその肉をもって実体験してご覧あそばすのがよござーます!」


 蜘蛛女はそう言うと、少女達を突き刺していない、残りの二本の脚をまるで釣竿を海に投げるかのようにブウンと放り投げた。


 スルスルスルと伸び続ける蜘蛛の脚が、地上の霧斗とギロチーヌに目がけ突き進む。


「うわあっ? この脚はどうなってるんだっ?」

 

 天井から一直線に迫り来る蜘蛛の脚に霧斗が驚愕する。


 その節が黄色と黒の横縞に彩られた脚の先端、鉤爪のように鋭く湾曲した四本の爪。


 よく見れば二股に分かれた二組の鉤爪が向かい合う形で対になっている。


 その鋭利な四つの鉤爪が一直線に降下しながら霧斗に牙を剥く。


「ギロチーヌちゃんっ! 逃げるんだあああーっ……」 


 咄嗟に背を向け、霧斗がギロチーヌの腕を引く。


「いゃあああぁぁぁーっ! 虫の脚が追って来るうううーっ……」 


 霧斗に腕を引かれ、ギロチーヌが喚きながら駆け出す。


 ブスリッ!


 蜘蛛の鋭い四つ爪がギロチーヌの背中を突き刺した。


「きゃあああぁぁぁーっ……」 


 悲鳴とともにギロチーヌの肢体が宙に浮く。


「ギロチーヌちゃんっ!」 


 霧斗が振り返れば、スルスルと天井へと引っ込んでいく蜘蛛の脚にギロチーヌが持ち上げられていた。


「この蜘蛛女あああーっ!」


 遥か頭上に遠のいていくギロチーヌと蜘蛛の爪を、霧斗が追わんと跳び上がった時、


「うわあああぁぁーッ……」    

             

 グサリ、と霧斗の胸を新たな四つ爪が突き刺し、その肉を抉った。


「ぐはっ……この蜘蛛野郎っ……ぎいぃぃっ……」


 肋骨を鷲掴む鉤爪が、霧斗の身を宙へと吸い上げる。


「ンマンマンマっ! レディに向かって野郎呼ばわりは頂けないでざーますね! まったく、教養の無い坊ちゃんは言葉遣いからして失格点ざーます!」


 ギロチーヌと霧斗を天井へと引き寄せた蜘蛛女は、ニヤリと口角を上げて笑うと、続けて高らかに宣言した。


「デハデハデハっ。あたくしのイスパニア仕込みの華麗なる空中の舞、名付けて『スパイダーの夕餉』をご覧くださいませ!」


 金髪の蜘蛛女がボンテージに包まれた尻を左右に振り始める。


 シュパパパアーッ!


 振られた尻から勢いよく糸が噴射され、蜘蛛女の肢体が前進する。


「「「きゃあああぁぁぁーっ……」」」


 ジェット噴射のような糸の勢いに空中を飛ぶ蜘蛛の脚が、八人の少年少女の肢体を揺らす。


「そーれ、空中三回転っ!」


 糸に吊られた蜘蛛女が空中でクルクルクルンと大きく弧を描き、宙返り。


「「「ぎああああああぁぁぁぁァァァァァーッ……」」」


 ブチブチブチッ、と肉の千切れる音が空中に次々に響き渡る。


「も、桃未知さぁーんっ! か、カラフル・プーペえええーっ!」


 背中の肉を鉤爪に喰い千切られた六人の少女達。


 その肩甲骨と背骨を剥き出した背中を無残に晒しながら、少女達が遥か下方のステージへと落下していく。


「ンマンマンマっ! あたくしが空中回転したことで、あのお嬢さん達の背中の骨を掴んでいた鉤爪が外れてしまったざーますね! 鉤爪にお肉をブチブチ喰い千切られて可哀想ざーます……」


 蜘蛛女は空中をスイスイと泳ぐように優雅に浮遊しながら、眼下の光景に冷たい笑みを零した。


「伊乃地君……あたし……一緒に……生きて……帰りたかった……」


 桃未知晴夏は落ちていくその身に渾身の力を振り絞り、一言呟いた。


「桃未知さあああああんっ……」


 霧斗の絶叫が落ちる晴夏を追いかけるかのように響いた時、十七歳の少女はその聡明な瞳を地上に激しく打ちつけて、息絶えた。


「心の……準備が……がはあッ……」


「爺いいい……お先です……ぐえっ……」


「五秒……以上……ぎあぁッ……」


「危険……信号……ぶはあッ……」


「ももたん……辛た……ぶべぼっ……」


 晴夏の息絶えたのとほぼ同時に、裸身のままの五人のアイドル達もステージ上に激しくその身を打ちつけ、絶命した。


「ンマンマンマっ! 皆さん個性溢れる最期の一言とともにお亡くなりになられたざーますね……つい今しがたまで鉤爪に突き刺されていた可愛いお嬢さん方がこんなにもあっけなく死に誘われてしまうとは、人間の一生とは何とも儚くも虚しいものざーますね……」


 肉の飛び散る地上の惨劇に、空中の蜘蛛女が切ない涙を流す。


「お前があっ! お前があの子達を殺したんだろうがあっ……」


 その胸を突き刺されながらも、霧斗は湧き起こる激情の怒りにその身を震わせ、叫んだ。


「ンマっ。野蛮な怒鳴り声が、ガラス細工のような、あたくしのハートにダメージを与えるざーます! お嬢さん達の死を哀しむ暇もお与えくださらないとは、何と勝手な坊ちゃんざーますこと!」


 蜘蛛女が、キッと怒りを込めた眼差しを霧斗に向ける。


「よござーます! 残ったお二人さんにはもっと激しくも芸術的な、ウルトラ空中アクロバットをご覧頂くざーます!」


 シュパパパパアアアーッ!


 蜘蛛女の尻から噴出される糸がグルグルと弧を描くと、蜘蛛女の肢体がギュルギュルと空中で錐揉み回転を始めた。


「うわあっあっあっあーっ……こっ……これはっ……ヤバいっ……死ぬっ……」


 急下降する蜘蛛女の回転する肢体が、突き出た脚を激しく揺らす。


 ガクガクと振り回される霧斗の肋骨に、鉤爪の容赦の無い鋭い圧が加わっていく。


 ビキビキと自らの骨に亀裂の入る音を、霧斗は聞いた気がした。


「ギロチーヌちゃん……大丈夫か……」


 錐揉みにより、蜘蛛の脚と脚とが激しくぶつかり合う最中、霧斗は自らの背中にギロチーヌの身体がぶつかった気がした。


「虫いいいいっ……いゃあぁぁぁーっ……虫いいいいっ……いゃあぁぁぁーっ……」


 霧斗の囁きに反応したのは、恐怖に顔を青ざめ、放心状態のギロチーヌであった。


「そんな……背中を突き刺されてまでも……虫への恐怖が優先するのか……?」


 霧斗は戦慄した。


 最後の頼みの綱であるギロチンの少女が、今や廃人のように恍惚とした放心状態のなか、蜘蛛の脚にその背中を突き刺され空中で揺れている。


「これじゃ……全てが終わりじゃないか……」


 空中で激しく揺さぶられながらも、霧斗は独り、呟いた。


 そうだ、終わりだ。


 何もかも。


 クランヌを仕留めることは、出来た。


 でも、一ノ瀬美香流は死に、ギロチーヌに親切にしてくれたゴスロリショップの店員は死に、市ヶ谷竹呂宇も、竹呂宇が夢中になる五人のアイドルの少女達も死んだ。


 そして、またしても想う相手を助けることが、出来なかった。


 桃未知晴夏は、生きて帰る希望を胸に、渾身の叫びとともに、地獄へと叩きつけられた。


 ステージに落ちていくとともに十七年の短き生涯を、聡明な瞳とともに潰えさせた。


 さらに、敵とはいえ、命を狙う相手と掌を重ねたスキニング・キャットの壮絶な最期が、この後に暗躍するであろう拷問怪人の一味の、敵も味方も区別なく無差別に殺戮する不穏な未来を暗示する。


「ごめんね、ギロチーヌちゃんっ……」


 ぶつかり合う蜘蛛の脚と脚とが、霧斗の肢体にギロチンの少女の胸を突き付けていた。


 ムギュギュウッと豊満な胸を掴む指先が、ギロチンの少女の意識を呼び戻す。


「いゃあぁぁぁーっ? 虫と野獣に囚われた美少女なんて、この世に二人と居ないわよーっ!」


 カッと眼を見開いた亜麻色の髪の少女の指先が、ギロチンの刃に変化した時、


「ぎぃえええぇぇぇぇっ……」


 決意の炎に満ちた少年の瞳が、ステージの上に舞い落ちた。


「ンマンマンマあっ? 何たる死のイリュージョンざますっ!」


「うえぇぇーんっ。また、やっちゃったぁーっ……」


 驚きと哀しみ、二つの叫びが宙に掻き消えていく。


 いいんだ。


 全て、やり直そう。


 憎むべき敵を倒したところで、喜びも哀しみも分かち合う仲間を守ることが出来なければ、意味は無い。


 共に泣き、共に笑い、共に怒り、共に喜ぶ。


 そんな仲間の笑顔を守りたい。


 その為ならば、ボクは何度でもやり直すんだ。


 転がる少年の首の、決意に満ちたその瞳が、そう言いたげに空中を舞うギロチーヌを見つめていた。

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