第17話 女子トイレでの宴

「はぁ……ホントにお腹痛い……クラスの皆にさえ普段から緊張すんのに、転校生とか来たら、もぉーダメ。緊張しすぎて胃が張り裂けそう……」


 女子トイレに辿り着くなり、美香流は腹を押さえたまま、個室へと駆けこんだ。


 個室の内側からそのドアを閉めようとした時、突然、ドアの外から一本の足が挟み込まれた。


「待ちなっ!」


「ひいぃっ……?」


 恐怖に身を仰け反らせた美香流の目に映る、編上げのロングブーツ。


「ケッ! そんなに怯えねーでもいいじゃんかよーっ!」


 挟み込んだ足でバンッと勢いよくドアを蹴り上げ、ピンクと銀のストライプの髪の少女が個室内に割り込んでくる。


「あっ、あの、ど、どうして同じ個室に入って……? こ、ここは、わたしが用を足そうとして……」


「うっせーな! あたいがテメエをイカした玉だと気に入ったんだから、いいじゃねーかよ!」


 転校生・クランヌは、動揺する美香流の言葉を遮るように返事をしつつ個室のドアを閉め、内側から鍵を掛けた。


「へへへっ。こんな上玉にお目に掛かれるなんてよー、あたいも早起きした甲斐があるってもんだぜ……」


 クランヌは美香流の髪に触れ、掌でその頭部を撫でまわしながら、まるで品定めをするような目つきで言うのだった。


「じょ、上玉って……?」


 個室内に立ち尽くしたまま、震える美香流が問い返す。


「こういうことだぜ!」


 クランヌが美香流の髪を荒々しく掴み上げながら、その唇に自身の唇を重ねる。


「んんっ……」


 唐突に唇を奪われ、美香流は抵抗の声を上げることも出来ずにいた。


 転校生の舌が深く差し込まれ、美香流の舌に絡み付く。


「あぁんっ……」


 くちゅくちゅと互いの唾液の混ざり合う音が脳内に響くたびに、美香流は恍惚の喘ぎ声を漏らしていた。


 濃密な接吻が交わされるのと同時に、転校生の指先が美香流の胸のリボンを解いていく。


 はだけたワイシャツの隙間から差し込まれる転校生の掌が、美香流の胸を這う。


「あぁーんっ……」


 個室トイレに響き渡る、自らの喘ぎ声を耳にするうちに、美香流は身も心も転校生に任せきっていた。


 いつも人の輪に入れず、自分の身にも心にも見えない壁を作って、殻に閉じこもっていた、わたし。


 わたしはずっと独りぼっちだった。


 きっと、ずっとこうなんだ。


 いつまでも、人に心を許すことなく、その身をガチガチに緊張で強張らせながら、ずっと独りで過ごすんだと思っていた。


 でも、この転校生の子は、わたしを受け入れてくれる。


 この子は違う。


 クラスの他の女子達とも、ましてや男子達とも。


 この子だけは違う。


 わたし、この子になら、身も心も全てを捧げてもいい。


 わたしの身も心も、その全てを……。


 恍惚の喘ぎのなかに、その身の全てを、その心の全てを没入させながら、美香流は転校生への愛情を感じ始めていた。


「さっ、前戯はこれで終わりさ。いよいよ、その果実を頂くとすっかな!」


 美香流の耳元で転校生が囁いた。


 恍惚の微睡みのなかで、美香流がうっすらとその瞼を開く。


 ぼんやりとした視界の隅で、自らのブレザーの制服や、ワイシャツ、ブラジャーなどが個室の床に散乱しているのを捉える。


 気が付けば自分は上半身に何も纏っていなかった。


 しかし、荒っぽく床に衣服を投げ出されたことに怒りなど微塵も感じなかった。


 この子はこういうガサツな子なんだ。


 でも、こういう部分も含めて、この子の全部をわたしも受け止めてあげたい。


 この子が、こんなわたしを受け入れてくれたように、わたしもこの子の全てを受け止めるんだ。


 さあ、早く。


 早く、来て……。


 美香流がふたたび静かにその目を閉じると、転校生の手が荒っぽく美香流の両肩を押さえ込んだ。


 ドンと便座の上に尻もちを突かせられた美香流の膝の上に、転校生が跨った。


 はだけさせられた乳房が、転校生の胸の触れる感覚を伝える。


 自身の下半身に転校生の手が伸びる感触を待ちわびていると、ズリズリと転校生の身体が上へ上へと登っていく感触を覚えた。


 えっ? どういうことなの……?


 美香流が怪訝に思っていると、上へと登る転校生の身体が自らの乳房を越え、顎、唇、鼻、両目を越え、額をも越えて、ついには頭の上に転校生が跨る形となっていた。


「ケケケケッ! クランヌクラッシャー! ロックオン!」


 頭の上に跨る転校生が叫ぶ。


 くるりと身体の向きを変えた転校生が、ガシッと両脚で美香流の顎を挟み込む。


 ギチギチと顎を締め付ける転校生の下腿が、美香流の呼吸を圧迫する。


 編み上げのロングブーツのヒールが美香流の両頬に喰い込んでいく。


「ぐぅ……ぐるじぃ……やめ……やめてぇ……」


 絞り出すように声を上げるも、美香流の苦悶の叫びは、個室内に虚しく消えていくだけであった。


「バリバリバリバリーッ! クランヌ様の頭蓋骨粉砕の宴クランヌ・エクラザン・ラ・フェット! 始めるぜーっ!」


 美香流の顎を両脚で締め付けながら、その頭の上に跨るクランヌが左右の腕を水平に真っ直ぐと伸ばす。


 すると、ギリギリと音を立てながら、クランヌの上体部分がゆっくりと回転を始めた。


 回転するネジのように、頭のてっぺんから股間に至る迄の上体部分だけが回りだす。


 大腿骨の付け根から下、すなわちクランヌの太腿から足の爪先までの部分は回転せずに、固定されたまま美香流の顎を押さえ込んでいる。


 クランヌの上体部分がギリギリと回転をする毎に、その股間の部分が真上から美香流の頭を圧していく。


 回転するクランヌの股間にその頭を圧され、クランヌの両脚にその顎を固定され、上下から挟み込まれる形となって、美香流の頭蓋骨がゆっくりと圧迫をされていく。


「がっはっ……」


 美香流の脳に重い痛みが走る。


 自らの頭蓋骨がミシミシッと軋む音が、その真下にある脳へと直接響き渡る。


「やめ……やめて……やめてくださ……い……」


 耐え難い脳の痛みに、美香流が必死に懇願する。


 顎を押さえられているせいもあり、下顎にも強烈な痛みが走る。


 顎の痛みのせいで声を出すのも至難だ。


 目に溢れる涙が、視界をぼやけさせるが、どうもそれだけではないようだ。


 頭蓋骨へと加えられる圧迫が、眼球へも間接的な負担を強いているようだ。


「おね……がい……やめ……て……」


「へっへーん! これからが、あたいの本気モードさ!」 


 美香流の必死の懇願に、頭上から転校生の無邪気な返事が聞こえる。


「バリバリバリバリーッ! クランヌクラッシャー超高速回転モードっ! ぐるりんぱだーっ!」


 クランヌがそう叫ぶと、ギリギリと緩やかに回転していた上体が一気に加速、ギュイーンとドリルが回転するかのような鋭い回転音を立て高速回転を始めた。


 左右の腕を水平に伸ばしたまま高速回転をするクランヌのその姿は、独楽回しの独楽のようにも見える。


 しかし、そんな滑稽な姿に似つかわしくない事態が、そのすぐ真下では起こっていた。


「はひっ……」


 回転する上体の圧迫で、美香流の顎の骨が砕け散る。


 声にならない空気の漏れるような音を美香流がその声帯から発したかと思うと、血塗れの口から無残に折れた何本もの歯が飛び出してくる。


「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーッ」


 その直後、断末魔の咆哮のような、地の底からの叫びとともに、美香流の眼球が飛び出し、その頭部がへしゃげた。


「おっし! 一丁あがりっ! ごちそうさまでしたーっ!」


 回転を止めたクランヌが交差する両脚のホールドを解く。


 赤いチェックのスカートをヒラリと靡かせ、床に着地したクランヌは、上機嫌で個室の外へと飛び出した。


 便座の上にもたれかかり、はだけた乳房を垂れ落ちる鮮血に染める、頭部の潰れた美香流が独り個室に残された。







「二人とも遅いわね……」


 黒板の上の壁に据え付けられた時計をしきりに気にしながら、担任の華暮史絵は呟いた。


「そう言えばそうですねえ。もう、かれこれニ十分は経ちましたかね」


 黒板一面をミミズの這ったような解読不能な文字で埋め尽くし、志賀勉三太はチョークを持つ手を止めた。


 その時であった。


「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーッ」


 遥か遠くの方から響き渡ってくる獣の咆哮のような悲鳴。


 教室の外、廊下を突き進んだ、その先の方向から聞こえてくるように思える。


「なに? 今の声……」


 史絵がビクッとその身を震わせる。


「……トイレの方から聞こえてきたように感じるけど、何かあったのかしら……」


 史絵の動揺する声に、


「お、俺が見て来ましょうか……」


 と、勉三太が震え声で応える。


「いえ、女子トイレに男性の先生はちょっと……」


 史絵が勉三太の返答に躊躇する姿勢を見せると、


「ふーみんが行けよ!」


「そーよ! ふーみんが行きなさいよ!」


 と、クラスの男子生徒や女子生徒の声が挙がった。


「わ、私が……?」


 史絵がその丸い目を曇らせ、困惑気味に生徒達を見やる。


「だってさ、ふーみん、今日おかしいじゃん。いつもなら俺らが何か仕出かすとすぐ怒るのに、あの転校生には全然怒んないじゃんか!」


「そーよ! あの転校生、誰が見ても校則違反のオンパレードよ。髪も派手に染めてるし、上履き履かないでブーツで教室に来るし、授業中に寝るし。挙句の果てにはクラスメイトを恫喝するのよ? それなのに、ふーみん、ちっとも注意しないじゃない!」


 クラスの男子生徒も女子生徒も揃って、史絵の転校生への態度を責めたてる。


「そ、それは……ほら、今日から教育実習の志賀先生もおられることだし、担任の私があまり出しゃばってはまずいかしら、と思ったのよ……」


 その表情を強張らせて弁明をする担任の態度に、


「「「ふみえ! ふみえ! ふみえ!」」」


 と、クラス中から、ふみえコールが連発される。


「分かったわよ! 私が女子トイレに行って様子を見てくるから! あなた達はちゃんと授業を受けていなさいよ!」


 あまりにも壮絶な「ふみえコール」の嵐に、史絵が意を決して生徒達に告げる。


「じゃあ、志賀先生。すみませんけど、その間、授業の方、よろしくお願いします……」


 史絵は作り笑いで勉三太にそう言い残すと、不機嫌そうに廊下へと飛び出し、ピシャ! と勢いよく教室の扉を閉めた。


「ふーみんも大変だね。教育実習の先生に、転校生にと、いろいろ気を遣って。そう思わない? 伊乃地君?」


 霧斗の隣の席で桃未知晴夏が、担任を思いやる言葉を口にする。


「そ、そうだね。桃未知さんは優しいね。ふーみんの味方をするなんてさ……」


 霧斗は晴夏の問いかけに、半ばうわの空で答えた。


 さっきの悲鳴はもしかして……。


 嫌な予感が霧斗の胸をざわめかせる。


 アイアン・メイデンが起こした拷問博物展での血の惨劇を彷彿とさせるような悲鳴だったな……。


「伊乃地君、どうしたの? なんだか顔色が悪いよ?」


 晴夏が心配そうに霧斗の顔色を覗き込む。


「ううん、何でもないんだ。大丈夫だよ……」


 霧斗は、ざわめく胸の予感をひたすらに抑え込みつつ、晴夏に笑ってみせた。


 何事も起きないと、いいな……。


 霧斗は独り、自らの胸のなかでそう想った。


 その時、教壇とは反対の、教室の後方の扉が勢いよく開かれる音がした。


「やっべえっ! この学校、まるで迷路だな! あたい、廊下で迷っちまった!」


 担任の華暮史絵と入れ違うように、グレーのブレザーとチェックのスカートを血で染めた転校生が教室後方の扉から入って来た。






「ちっとも注意しないじゃないって、何よ……」


 廊下を小走りしながら華暮史絵はぼやいていた。


「私は確かに曲がったことが大嫌い。怒るときは本気で怒る担任よ。でも、あんな転校生に怒れる筈なんて、ないじゃない……」


 転校生が来るというのを知ったのは、昨日の夜、学園理事長からの電話でだった。


 教育実習生の実習が始まる初日で、ただでさえ何かと神経を遣わされるというのに、前日の夜に唐突に舞い込んできた転校生の転入話。


 理事長はこの私にどれだけ神経を遣わせる気なのかと内心、憤慨さえしたが、所詮、転校生は転校生、まだまだ十代半ばの子供なのだから、大袈裟に気を遣うこともない。


 適当にあしらって、この多忙な月曜日をなんとか乗り切ろうと思っていた。


 しかし、今朝になって約束の時間になっても転校生は職員室に現われない。


 ホームルームの途中でシビレを切らして、校門の前まで迎えに出てみれば、執事服に身を包んだ姉らしき女性と、我が校の制服に身を包んではいるものの、髪を派手に染めた少女が立っていた。


 髪を派手に染めた少女は、会った途端にいきなり自分を罵倒して、威圧してきたのだった。


「あんな怖い転校生に注意なんて、まっぴらよ……」


 この少女が転校生だと分かった途端、本能的な恐怖を感じた史絵は、クラスの秩序を重んじるよりも、自らの身の安全を優先したのだった。


「少なくとも私が担任である間は、面倒な事件なんて遠慮してもらいたいわ。今日もさっさと適当に仕事を片付けて、一日が早く無事に終わって欲しいだけ……」


 史絵がつい本音を漏らしながら廊下を進むうちに、女子トイレへと差し掛かった。


「あら、誰も居なさそうね……」


 史絵が女子トイレ内に足を踏み入れる。


 洗面台の鏡の前には人の姿は無い。


 見渡してみたところ、個室のドアはどれも開かれたままで、誰かが使用している気配も感じられない。


 それもそうだ、今はまだどのクラスも授業中なのだ。


 ふと、廊下の外でざわめく声が聞こえた。


 おそらく、他のクラスの教師達が先刻の悲鳴を聞きつけ、悲鳴の発せられた場所を特定しようと探し回っているのに違いない。


 面倒な事件には巻き込まれたくない、と史絵は頭では思いながらも、悲鳴の発生源がこの女子トイレであると直感的に悟っていた。


「一ノ瀬さーん? クランヌさーん? 二人ともまだお手洗いに居るのーっ?」


 考えてもみれば、普段、クラスでも孤立気味な女子生徒である一ノ瀬美香流と、気性の荒そうなあの転校生の二人が同じ女子トイレ内でその姿を晦ましたというのも、不思議な組み合わせだ。


「ねえ、一ノ瀬さんも、クランヌさんも、居ないなら居ないって、お返事してよー」


 個室のドアは全部開いているし、ここには誰も居ないのは分かりきっているのに、愚かな呼び掛けをしてしまう。


 これも、教師という職業柄、段取りを常に重視するという性格の故だ。


 何度も呼び掛けてみて、それでも反応が無くて、初めて「ここには居ませんでした」と報告出来るのだ。


 必要な段取りを形の上でこなしているのに過ぎない。


「あら? 鍵も閉めずに誰か入っているのね……?」


 呼び掛けながら、一つ一つの個室の中を覗き見た史絵は、一番奥にある個室の便座に腰掛ける人影に気付いた。


「……もしかして、一ノ瀬さんかな? ねえ、さっきの悲鳴はなんだったのかしら?」


 軽い気持ちで便座に腰掛ける人影に話し掛けたつもりだった。


 しかし、そこに居たのは、血に塗れた首無しのマネキンだった。


 胸を露わにした精巧なマネキン。


 形の良い乳房もそのまま忠実に再現されている。


 だが、よく見ると、ひしゃげた頭部のような物が首の上に乗っていた。


「マ、マネキン……?」


 史絵はブティックなどでよく目にする、展示用の首無しのマネキン人形である、トルソーを思い浮かべた。


「ど、どうして、こんなところにマネキンなんかが……?」


 訝しみながら、個室内の床に目を落とした瞬間、それがマネキンなどではないことが分かった。


 個室内の床は一面が血の海となり、その海の中を泳ぐかのように、潰れた眼球と、渦を巻いた蝸牛(かぎゅう)、砕けた歯や、骨の破片らしき物などが散乱していた。


「ひいいいっ……」


 短い呻き声を漏らして、史絵がそのままタイル張りの床に尻もちを突いた。


「きゃあぁぁっ……」


 史絵の身体が小刻みに震える。


 これは一ノ瀬美香流の死体に違いない。


 史絵の直感が告げる。


 血に塗れた下半身に穿いていた赤いチェックのスカートは間違いなく我が校の制服だ。


「ふっ。馬鹿な部下が先走ってしまったようですね……」


 その時、天井から、ややハスキーな若い女の声が聞こえた。


「だ、誰っ……?」


 史絵が恐怖に震えた目を天井に向ける。


 すると、青いショートの髪の燕尾服を着た少女が、女子トイレの天井に足の踵を付け、逆さまに立っていた。


「ひぃっ? あ、あなたは……?」


 史絵にはその少女に覚えがあった。


 朝、転校生を迎えた校門の前で会った、姉らしき人物。


「その節はどうも」


 そう言いながら、ヒラリと身を躱し、青髪の少女が床に着地する。


「あーあ。これは本当に酷いですね。大義なき殺人は私の美学に反します」


 そう嘆きながら、青髪の少女が便座にもたれ掛る死体をまるで検分するかのように眺めまわす。


「あああ、あなたが、そ、その子を殺したの……?」


 恐怖に言葉を詰まらせながら、史絵が青髪の少女に問う。


「いいえ。私の部下ですよ。本当に単細胞で衝動的過ぎて私も手を焼いています」


 青髪の少女は困惑した笑みを史絵に投げかけると、恭しくその頭を下げ、一礼した。


「担任の貴女にはご迷惑をお掛けしますが、どうかあの子をよろしくお願いします。今頃、貴女の大切な教え子達を皆殺しにしていなければ、いいのですが」


 頭を垂れる青髪の燕尾服の少女のその言葉に、史絵の脳裏に衝撃が走る。


「お、教え子達を皆殺しっ……?」


 焦点の合わない目で青髪の少女の姿を呆然と眺めたまま、史絵が呟く。


「そ、そんなこと、させてたまるものです……か……」


 気が付くと史絵は無我夢中で愛すべき教え子達の待つ教室へと走り出していた。


「ふふっ」


 血相を変えて走り出す史絵の背中を、スキニング・キャットは柔和な笑みで見送った。







「おっし! 上玉の果実も美味しく頂いたことだしよ! あたい、昼寝の二度寝の続きすっかーっ!」


 血塗れの制服を着たまま教室後方の扉から入って来た転校生・クランヌはそう言いながら、空席になっていた一ノ瀬美香流の席に座り込んだ。


「あ、やっべえーっ! 二度寝の続きだからよ、もはや二度寝じゃねえし! 三度寝かあーっ!」


 大声で独り納得するようにそう呟くと、クランヌはそのまま机に突っ伏し、イビキを掻き始めた。


「てっ、転校生の制服、すっげえ血が付いてたぞ……?」


「きゃあっ? い、一体、何の血なの? も、もしかして一ノ瀬さん……?」


 教室中の男子生徒や女子生徒達がざわめき出す。


「ねえ、伊乃地君。あの転校生、やっぱり変……」


 霧斗の隣の席で桃未知晴夏が不安げに囁く。


「も、桃未知さん、落ち着いて、ね、落ち着いて……」


 霧斗は意味も無く晴夏を宥めることしか出来ずにいた。


 これは、ひょっとすると、嫌な予感が的中するかもしれないぞ……。


 霧斗が心の中でそう思ったその時、教壇の志賀勉三太が口を開いた。


「くっ……訳の分からん血なんか付けやがって! どうせケチャップでも溢したんだろう?」


 勉三太が世界史の教科書を丸め、ツカツカと転校生の元へと歩み寄る。


「こらあっ! 起きろっ! このグータラ睡眠魔めっ!」


 叱責の叫びとともに、分厚い教科書が転校生の頭を直撃する。


「んがーっ? あたいの周りにお星さまが回っているうううーっ?」


 脳天を直撃した衝撃に、クランヌは目を回して、ふらふらとよろけた。


「フン! これで目が覚めたか! まったくこの能無し転校生め! お前のカラッポな頭に俺が有難く世界史の知識を詰め込んでやるんだから、心して聞けよ!」


 転校生の頭を叩いたことで気が済んだかのように、勉三太が踵を返して教壇へと向かう。


「テッメエエエーっ! よくもやりやがったなーっ!」


 タンッと床にロングブーツの踵を付け、クランヌが跳び上がる。

 

 ビヨヨョーンと足を広げ、空中を跳躍しながら、クランヌが教壇へ向かう勉三太の後頭部を追いかける。


 その姿は、まるで獲物に飛びかかる蛙のようだ。


「おおっ? 転校生が飛んだぞ!」


「いやーん。カエルみたいでキモーイ!」


 その光景に教室の生徒達が驚きの声を上げる。


「おわあっ! なんだねっ? どうして俺の頭の上なんかに乗るんだ? お前は肩車をされたいガキかっ!」


 クランヌが両脚を広げたまま、勉三太の頭の上に飛び乗った。


「うっせー、サル眼鏡! クランヌクラッシャー! ロックオン!」


 クランヌが両脚で勉三太の顎を挟み込む。


「うぐがあっ……な、何をする……」


 顎を挟まれ勉三太が悶える。


「ケケケッ! クランヌクラッシャー、いきなり超高速回転モードでバリバリバリバリーッ!」


 ギュイイイーンと音を立て、勉三太の上で両腕を左右に伸ばしたクランヌの上体が高速回転を始める。


 回転するクランヌの股間と、交差された両脚とに挟まれた勉三太の頭蓋骨が、急激に圧迫されていく。


「がひいっ……」


 ガシャンという骨董品の割れるような音を立て、勉三太の下顎が砕け散る。


 勉三太の口の中から血飛沫が飛び散る。


 その飛沫に乗って砕かれた歯が教室の床に散乱する。


「うおおおおおおおおおおおオオオォォォォォォォォーッ!」


 勉三太が魔物の叫びのような咆哮を上げる。


 その眼窩から飛び出した勉三太の眼球が、掛けている眼鏡のレンズを突き破る。


 ベチャッとまるで仮装のカボチャの仮面を押し潰すかのように瞬時に潰えた勉三太の頭蓋から、蝸牛などの聴覚器官が圧し出され、耳の穴や鼻の穴から黄色い液体が飛び散る。


「わあああぁぁぁーっ!」


「きゃああぁぁぁーっ!」


 クラス中の生徒の悲鳴が響き渡るなか、頭部の砕け散った志賀勉三太の肢体が教室の床に崩れ落ちていく。


「へっへーんっ! 寝起きに眼鏡ザル男ぶっ殺したらよー、めんどくせーから、ここに居るキャーキャーうるせえテメエらも全員ぶっ殺してやりたくなっちまったぜーっ!」


 倒れ込む勉三太の胴体から瞬時に跳躍しながら、クランヌが叫ぶ。


「きゃぁぁぁーっ、て、転校生は、さっ、殺人鬼よっ……伊乃地君、怖いよっ……」


 隣の席の桃未知晴夏が霧斗の肩にしがみ付く。


「も、桃未知さん、逃げよう! 今すぐ逃げるんだ!」


 自らの肩を掴む晴夏にそう言いながらも、霧斗自身もその足が震えてしまっていた。


 やっぱり、転校生は拷問道具の変化した怪人なんだ……。


 くそう、こんな時にギロチーヌちゃんさえ居てくれれば……。


 霧斗の脳裏に、クレープ店のベンチで寂しそうにしていたギロチーヌの顔が浮かぶ。


「ひいいいっ? ぼ、僕の頭の上にいいいっ……?」


 市ヶ谷竹呂宇が気付くと、その頭の上にはクランヌが跨っていた。


「うっせえニキビ面っ! テメエを皮切りにクラスのガキ共も全員皆殺しだーっ! クランヌ様の頭蓋骨粉砕の宴クランヌ・エクラザン・ラ・フェット! 第二幕の始まりだぜーっ!」


 そう叫びながら、クランヌが瞬時に両脚で竹呂宇の顎をロックオン、ギュイイイーンと高速回転を始める。


「い、市ヶ谷君ーっ!」


 霧斗が叫び、竹呂宇の身に触れようとするも、竹呂宇の頭蓋骨は既に潰えてしまっていた。


「あううううううううウウウウウウゥゥゥーッ!」


 獣のような咆哮を上げ、竹呂宇の肥えた肢体が崩れ落ちる。


「うわあああぁぁぁーっ!」


 潰えた竹呂宇の頭蓋から噴き出る黄色い体液を浴び、霧斗が叫ぶ。


「逃げろおおおーっ」


「きゃあぁぁーっ! 助けてぇぇぇーっ!」


 勉三太だけでなく、クラスメイトである市ヶ谷竹呂宇が犠牲になったことで、恐怖にただ呆然と立ち尽くしているのみであった生徒達も、自らの死をリアルに感じ取るようになった。


 次は自分が死ぬ番だ、と。


 教室の前と後ろの扉に生徒達が殺到する。


「逃がすかよっ! クランヌ・ヘリコプター超高速回転っ! ブルブルブルブルーン!」


 竹呂宇の胴体を離れたクランヌが左右に伸ばした両腕をヘリコプターのメインローターのように勢いよく回転させながら、宙を舞い、瞬時に教室の扉へと移動する。


「うぎゃあーっ!」


「ぎゃあぁぁーッ!」


 教壇側の扉になだれ込んだ男子生徒や女子生徒が次々にその頭蓋骨を粉砕されていく。


 バタバタと十数人の生徒の胴体が教壇側の扉に折り重なるように倒れ込む。


「くそっ! あっちの扉から何人か逃げやがったなあーっ?」


 教壇とは反対側、教室後方の扉からは残りの十数名にも及ぶ生徒が廊下へと逃げおおせた。


「テメエらも逃がさねえっ! このクランヌ様から逃げ切れると思うなよーっ! ブルブルブルブルーン!」


 両腕をヘリのローターのように超高速回転させたクランヌが廊下を逃げる生徒を追う。


「ぎぃやあぁーッ!」


「あひぃーッ!」


 廊下を逃げる男子生徒も女子生徒も次々にその頭蓋を粉砕され、倒れ込んでいく。


「桃未知さんっ? 大丈夫っ?」


 教室内に未だ留まっていた霧斗が、隣の席で震えながら机に蹲る少女に必死に声を掛ける。


「い、い、い、伊乃地君……あたし怖い……あたしも伊乃地君も殺されちゃうのよ……もう生きて家に帰れないのよ……」


 桃未知晴夏は震えながら顔を上げ、傍らに立つ霧斗に抱きついた。

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