第15話 ガムの少女と、クレープと
「待ちなさい!」
シュルルルルッ。
キャットの鞭が先走るクランヌの身に纏わり付く。
「痛ェなっ! テメエ何すんだよっ?」
ギリギリと腰を締め付ける猫鞭に、クランヌが燕尾服の少女を睨み付ける。
「言った筈です。今回はあくまでも偵察が主です。貴女のように考え無しに力任せに突撃しても、あのギロチン女には到底勝てません。無残に首を刎ね落とされるのが関の山です」
キャットは手にする鞭の締め付けをより一層強めつつ、パンクの少女を睨み返した。
「私が一計を案じましょう。短気に焦って攻撃を仕掛けるよりも、ギロチン女の身近に溶け込み、周到に殺害の機会を狙える方法を思い付きました。我らの力を持ってすれば、あの女の身近に溶け込むなど容易いことです」
そう言いながらも鞭の締め付けを一向に弱める気配の無い上司に、クランヌはふてくされ気味に頷いた。
「分かったぜ! んじゃ、あくまでも偵察な! あたい、アイツのツラをもっと近くで拝んでおきてーんだ! だいじょーぶ、アイツの間抜けヅラこの目に焼き付けたら、すぐ戻って来っからさ。だからさ、この鞭はずしてくんねーか」
「いいでしょう。ターゲットの顔を覚えたらすぐに離脱しなさい」
クランヌの申し出に対し、キャットは静かに頷くと、手にした鞭の締め付けを緩めた。
「ケッ! バーカ上司! このクランヌ様がおとなしく偵察なんざで我慢するワケねーだろーがっ!」
鞭の締め付けが緩んだ途端、クランヌはキャットに向かい舌を出して罵倒の言葉を浴びせると、ギロチーヌの居る方向に向かって唇を突き出した。
「ぺっ!」
クランヌが虚空に向かって唾を吐き出す。
すると空中に弧を描くようにして噛み尽くされたガムの塊が飛んでいった。
「きゃあーっ?」
ギロチーヌが突然、驚いたような叫び声を上げ、自らの髪に触れる。
「き、急にどうしたのギロチーヌちゃん?」
霧斗はわけも分からずにギロチーヌの顔を覗き込んだ。
「なんかねー、頭に飛んで来たっ! いやだー、虫かしらーっ? アタシは虫は大の苦手なのよねー」
試着中のゴシック・ロリータの黒のドレスを身に纏ったまま、ギロチーヌが自身の髪をまさぐり続ける。
「うわっ? これは酷いやっ! ギロチーヌちゃんの髪にガムがくっ付いてらあ!」
霧斗がギロチーヌの亜麻色の髪に粘り付くガムを見つけたその時、背後から小走りに駆け寄ってくる何者かの足音が聞こえた。
「ん? 誰か来る……?」
「えーっ? アタシの髪にガムが? いやーん! ガムってなかなか取れないのよねー」
足音に気付き霧斗が顔を上げるも、ギロチーヌはしゃがみ込み自身の髪に粘り付くガムを取ろうと必死だった。
「おっと! ごめんよー! あたいのガムがそっちまで飛んでいっちまってさー」
ピョン、とまるで蛙のように足を広げて跳躍する一人の少女の姿が、霧斗の目に映る。
「なんだ?」
霧斗が跳躍する少女を凝視する。
ガムを取ろうと必死のギロチーヌの髪を、少女が背後から跳び箱を跳ぶように跨ごうとしているようにも見えた。
「ギロチン変化! メタモルフォーゼ!」
その刹那、ギロチーヌの叫び声が聞こえたかと思うと、ガムを取ろうとする手が瞬時に鋭いギロチンの刃へと変化した。
「
頭の上で両腕を交差させたギロチーヌの刃が即座に後方へとスライドする。
「おわわわっ! 危ねえなぁーっ!」
後方へとスライドしたギロチンの刃が、飛び跳ねた少女のロングブーツの踵を切り落とした。
「あら? カワイイ女の子の声ねー?」
クルリと振り向くギロチーヌの表情が緩む。
「そうだぜ! あたいはこれでも可愛い女子のはしくれさー」
ピンクと銀のストライプのボブの髪を照れ気味に掻き毟りながら、パンクファッションの少女が苦笑いをする。
「だめじゃないかっ! ギロチーヌちゃんっ!」
霧斗が顔を真っ赤にして、いきなりギロチーヌを怒鳴り散らした。
「この子が一体何をしたって言うのさ? こんな普通の女の子にギロチンの刃なんか向けて、もし怪我でもしたらどうするんだよっ! さっきの駅の自動改札だってあんなに派手に壊しちゃって、駅員さんから必死で逃げるボクの身にもなってくれよっ! ギロチーヌちゃんは考え無しに所構わずギロチンを使い過ぎさっ!」
「ふぇぇん、そんなに怒んなくてもいいのにぃ……」
突然、物凄い剣幕で怒鳴る霧斗に、ギロチーヌは半ベソ気味になってしまう。
「うわあぁぁんっ……アタシ、背後に殺気を感じたのよーっ。それでついギロチン変化を……いいわよー。そんなに怒るなら、アタシ、当分ギロチン変化を封印するもん……」
半ベソから次第に大泣きへと移行するギロチーヌ。
その傍で霧斗はパンクの少女にひたすら頭を下げ続けた。
「急に驚かせちゃってごめんなさい。怖い想いをさせちゃってごめんなさい。怪我はありませんでしたか? なんならボクが今すぐ救急車を呼んで……いや、今すぐ一緒に病院へ……」
「あ、いや、その、なんだ、あたいはこの子の髪の毛に付いたガムを取ろうとしただけでさ……救急車とか病院とか、そーゆーの、あたいの正体がバレちまう……あ、いや、なんでもない……さ、さいならあっ!」
真剣な眼差しで謝り続け、すぐにでも少女を病院へと連れて行こうとする霧斗に、パンクの少女はしどろもどろに言い訳しつつ、そそくさとその場を立ち去った。
◇
「おーっ、危ねえ危ねえっ……まさかアイツのギロチンがあんなにも速えーとは思わなかったぜ……」
クランヌは物陰に隠れたままのスキニング・キャットの元へと戻ると、燕尾服の胸倉を掴み上げ、キャットに怒鳴り上げた。
「おいっ、バカ上司っ! あのギロチン女は忍者か? ジャパニーズ・シノビか、このやろうっ! なんであんなに速えーんだよ? あたい聞いてねーぞ!」
「ふっ。単細胞な貴女にも理解出来ましたか? あのギロチン女の恐ろしさを」
いきり立つクランヌに、キャットは涼しげに答える。
「わーったよ! あたい、あんたの一計とやらに乗ってやんよっ! こーなりゃ、確実にあのギロチン女を仕留めて痛えー目に遭わせてやんねーと、このクランヌ様の気が済まねえからさ!」
「ふん。口だけの部下の貴女とは所詮、ココの出来が違います。戦いの勝敗を最後に決めるのはココです」
燕尾服の襟元を掴み、ギャーギャー喚き立てるクランヌに、キャットは自らの側頭部を指差しながら冷たく微笑んだ。
「ケッ! どこまでもムカつく上司だな! ギロチン女を始末したら、テメエもぶっ殺してやんよ!」
クランヌは捨て台詞を吐くと、そのままスウウウ~ッと灰色の煙へと姿を変え、キャットの足元に置かれたショルダーバッグの中へとその姿を消した。
「ふふふ。そうなる前に私が貴女を始末しますよ。綺麗さっぱり後腐れなくね……」
バッグのフラップを閉じ、金具を嵌めながらキャットが呟く。
「……さて、早速、手続きに執りかかるとしましょうか」
キャットは静かにバッグのストラップをその肩に掛けると、冷ややかな笑みを試着室の方へと向け、店の出口へと歩き出した。
黒革のバッグのフラップに刻まれた黒猫の模様。
スキニング・キャットの浮かべた笑みと連動するかのように、バッグに描かれた黒猫もまた、冷ややかな笑みをその瞳に放つのだった。
◇
「あのう、お客様? 大丈夫ですか?」
黒のドレスの試着を勧めた店員が、ギロチーヌに声を掛ける。
「ふえぇん。大丈夫じゃないもん……」
試着のドレスを着て、しゃがみ込んだままのギロチーヌは、店員の近づく気配にその腕を元に戻していた。
「もうーっ! 髪の毛にガムが付いたり、大きな声で怒鳴られたり、アタシの心はボロボロだもんっ!」
その頬に涙の跡を残しつつ、ギロチーヌは霧斗の顔を睨み付けた。
「うわっ……ガムはボクのせいじゃないんだけどな……」
不機嫌な目で睨まれた霧斗が、この場をどう取り繕うべきか困っていると、
「よろしければどうぞ召し上がってくださいね」
と店員がギロチーヌの掌に小さなキャンディを乗せた。
「まあっ! イチゴのキャンディ? ありがとうっ! アタシ、甘い物大好きなのぉ!」
泣いたり睨んだり忙しかった少女が、掌に乗るピンク色の包み紙を目にした途端、溢れんばかりの笑顔になった。
「へえっ? ギロチーヌちゃん、甘い物好きなんだっ?」
しめた、と言わんばかりに霧斗は、自身が怒鳴ってしまったことの罪滅ぼしを思いつく。
「じゃあさ、スイーツ食べてから帰ろうよ! ご馳走するからさっ!」
霧斗は、母親からギロチーヌの洋服代にと手渡された一万円が、ゴスロリのドレスを買うのには足りなさ過ぎる金額であると諦めた時点で、あたかもそれが自分の小遣いであるかのような錯覚に陥ってしまっていた。
「スイーツご馳走してくれるの? やったーっ! 嬉しいーっ!」
飛び上がらんばかりに喜ぶギロチーヌ。
「ギロチーヌちゃんって小さい子供みたいに素直だなあ……」
泣いたカラスがなんとやらという諺ではないが、霧斗はギロチーヌの山の天気のように変わりやすい感情に、微笑ましさを感じた。
「じゃあーっ! さっそく行きましょーっ!」
ギロチーヌが喜び勇んで店の出口へと駆け出していく。
「ちょっと! 困ります! それはお店のドレスです!」
ショートボブの店員が、試着のドレスを着たままのギロチーヌを慌てて追いかける。
「いけね! ドレス買えないこと、ギロチーヌちゃんに言うの忘れてたっ……」
霧斗はビルの二階に位置する店のドアから、外付けの階段を駆け下りていく黒いドレスの二つの影を慌てて追いかけるのだった。
◇
「まあっ! ストロベリーのクレープの中にチーズケーキが入っているのねーっ!」
口の周りにクリームをベタベタに付けながら、ギロチーヌがクレープの生地を丸かじりする。
「うーんっ! ファンタスティック! トレビヤン! エクセラーント!」
目をつむり、舌で口の周りに付いたクリームを舐め回しながら、大袈裟な程にギロチーヌが唸り出す。
「うわっ……何言ってんだか分かんないし、ちょっと行儀も悪いなあ……」
霧斗は大袈裟にフランス語で唸り出すギロチーヌを横目に、バナナチョコクリームの包まれたクレープを静かに頬張った。
竹下通りの中程、ピンクの外観が若い女性の心をくすぐりそうな、オシャレで可愛い雰囲気のクレープの店。
店の前にベンチが置かれ、日曜の午後の竹下通りを行き交う人の流れを眺めながら、クレープを食べることができた。
「あら、パリジェンヌはみーんな、お行儀なんて知らないわよっ? お行儀なんて奥ゆかしい言葉は日本のおとなしーい男の子が使う言葉よーっ?」
ベンチで霧斗の左横に腰掛ける、緑の花柄のワンピース姿のギロチーヌは、そう言って急に「クンクン! クンクン!」と、ワンピースの袖の匂いを嗅ぎ始めた。
「まあっ? まだナットウの腐った大豆の匂いが消えていないわねー?」
微かに放たれる納豆臭さに顔をしかめるギロチーヌ。
「うーん。ストロベリーのフルーティーな香りがナットウの匂いを中和してくれるかと思ったのだけど、これはバナナチョコの出番がついに来たということかもだわっ!」
一人納得した様子のギロチーヌが、その傍でバナナチョコのクレープを頬張る少年の手から、クレープ生地を奪い取る。
「な、何するんだよっ? それ、ボクのバナナチョコじゃないかあっ!」
「うーんっ! デリシャス! ビューティフル! アリガトサーン!」
口の周りにチョコクリームをたくさん付けたギロチーヌが目を閉じながら唸り出す。
「お行儀なんて奥ゆかしい言葉は、日本のおとなしーい男の子が、バナナチョコをカワイイ女の子に食べられちゃう時に使う言葉なのよ、ムッシュー?」
悪気のない、満足そうな笑みを浮かべ、霧斗の顔を見つめるギロチーヌ。
「そんなに嬉しそうな顔で言われたら、怒るに怒れないよ、まったく……」
霧斗はその表情を和らげつつも、すこし憂鬱そうな色をその瞳に浮かべた。
「……あーあ、楽しい日曜もこのまま家に帰れば、もうお終いかあ……」
「メランコリックな溜め息吐いちゃって、どうしたのー?」
溜め息混じりに呟く霧斗に、口の周りのチョコを舐め回しつつギロチーヌが首を傾げる。
「うん? ああ、こうやってギロチーヌちゃんとデートした時間がとっても楽しかったのさ……明日になれば学校に行かなくちゃなんないし、また月曜が始まると思うとさ、なんか憂鬱なんだよね……」
「まあっ! それは、いけないわーっ!」
霧斗の気怠そうな様子に、ギロチーヌが唐突に霧斗の手を握りしめる。
「うわっ? いきなり手を握って、ど、どういう展開なの……?」
亜麻色の髪の西洋美女に突然その手を握られ、霧斗が途端に赤面する。
「そのガッコーとか言う場所に行くのが、そんなにアンニュイな気分になるのなら、アタシが一緒に行ってあげるっ!」
ギロチーヌは、いまだ舐め切れていないチョコクリームを口の周りにいくらか残したまま、霧斗に向かって微笑んだ。
「ええっ? ギロチーヌちゃんがボクの学校にいっ?」
天使のような笑顔で自分を励まそうとするギロチーヌに、霧斗は動揺のリアクションでしか返すことができない。
「いや、気持ちはすごい嬉しいんだけどさ、学校にまでギロチーヌちゃんに一緒に来てもらう訳にはいかないんだよ……」
残念そうな眼差しで亜麻色の髪の少女に返す霧斗。
一見、好意に応えられずに申し訳なさそうな雰囲気を装いながらも、内心ではギロチンの少女が学校に来ることに抵抗の気持ちが強かった。
門の前まで来て、おとなしく帰ってくれればいいけど、きっと校庭を覗いてみたいと言い出すかもしれない。
校庭に入れば、今度は校舎の中を見たい、教室の中を見てみたい、と言い始めるに違いない。
それに、万が一にも、ギロチン変化を何かの拍子にしてしまわないとも限らない。
不要なトラブルを避けるためにも、ギロチーヌちゃんには学校に一緒に来てもらうのはまずい。
絶対にまずい。
霧斗の胸中にはそんな想いが浮かび上がっていた。
「……ギロチーヌちゃんはボクの学校の正式な生徒じゃないだろう? 学校はさ、部外者立ち入り厳禁なんだ。だから一緒に来てもらうことはできないんだよ……」
いまだに手を固く握りしめたまま、黙って自分を見つめるギロチーヌに、霧斗は諭すような口調で静かに告げるのだった。
「タチイリゲンキン? ケスクセ?」
ギロチーヌが首を傾げながら、霧斗に微笑み返す。
「うわっ……これ本当に日本語分からなくて訊いているのかな……それとも、わざと分からないフリ?」
いつもは流暢に日本語をペラペラ話す癖に、都合の悪い時は急に日本語が分からないフリをされているのではないかとも思えてしまう。
「とにかくっ! ギロチーヌちゃんは学校に来ちゃダメなのさっ!」
「ふえぇーんっ! アタシもガッコーとかいう所に行きたいーっ!」
強い口調でキッパリと断る霧斗に、ギロチーヌはまたしても大泣きしてしまう。
「ねーねー、見てみろよーう。あんなダサい男が、外人の女の子を泣かせてんぞううう?」
「ほんと! 日本男児のカザカミにも置けないカンジっ! ああいう男が日本のイメージを悪くするんだよねーっ!」
クレープ店の前を通りがかったカップルが、ベンチで泣くギロチーヌと、困り顔の霧斗の姿を見て囃し立てる。
ペアルックのピンクの縞々のシャツを着た二人だった。
「ぼくちんだったら、愛しいミーたんにあんな酷いマネしないみょーん!」
「まあ、タっくん、やさしいいいいっ! もー、日本男児のカガミ過ぎるううううーっ!」
お坊ちゃんカットのまるで相撲取りのような体型をした「タっくん」が、ちょんまげのように前髪を縛り、これまたまるで相撲取りのような体型の「ミーたん」と向き合ってお互いに突っ張りをし合う。
「うわっ……なんか誤解されてるだけなのに、こんなに大袈裟に注目されるなんて……」
霧斗が冷や汗にその額を濡らす。
タっくんとミーたんの突っ張りパフォーマンスのせいで、周囲の人々が一斉にこちらへと視線を向けたのだ。
「帰ろう。ギロチーヌちゃん……」
霧斗がギロチーヌの腕を引き、立ち上がる。
「うん。お母さんが夕ご飯を作って待っているかもしれないわねっ……」
ギロチーヌは、そそくさと立ち上がりながらも、まだ涙の乾かぬ碧眼の瞳をタッくんとミーたんの方に向けた。
「とても幸せそうなカップルだわあっ……」
クスッと微笑ましげに目尻を和らげるギロチンの少女の瞳に、清らかな涙の雫がキラリと光った。
秋の日曜日の夕方。
若いカップルの楽しげな声を背に、霧斗とギロチーヌは沈みかけた夕陽を追いかけるかのようにして原宿の駅へと向かうのだった。
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