第11話 ゴミ捨て場と絶海の孤島

「無いっ! どこにも無いぞっ?」


 家の門のすぐ向かいの町内会のゴミ捨て場。


 霧斗が必死に積み上げられたゴミ袋を開け、その中身を確認する。


 しかし、開いたゴミ袋の中には、食料品の包装紙や、切れ切れになった書類の屑、穴の開いた靴下などなど、近所の家の生活ゴミしか見当たらない。


「ギロチーヌちゃん、本当にこのゴミ捨て場に捨てたの……?」


 辺り一面にゴミをぶちまけながら、霧斗が背後に立つゴスロリのドレスの少女に訊ねる。


「あれえー。おかしいわねー? アタシ確かにココに捨てといたのにぃー?」


 ギロチーヌはそう言いながら散乱するゴミの中から、ひと際目立つピンクの花柄のゴミ袋を取り出した。


「コレよー、このカワイイ花柄の袋に入れて捨てたのよー」


 そう言ってピンクのビニール袋に印刷された花の模様をしげしげと眺めつつも、ギロチーヌが怪訝な表情で首を傾げる。


「変ねえ? この袋、こんなにペッタンコだったかしら……?」


 手にしたピンクのビニール袋はヘナヘナに萎んだ状態で、中には何も入っていないのではないかと思える程に軽かった。


「まあっ! 袋に穴が開いているわっ? アタシが捨てた時には穴なんて開いていなかったのにぃーっ!」


 ギロチーヌが袋の裏側を見ると、その表面には破られたような大きな穴がポッカリと開いていた。


「空っぽ! 空っぽよーっ! 袋の中身が無くなってるわぁーっ!」


 手にした袋をブンブンと振ってみたり、穴の開いた袋の内側を、それこそ穴の開く程に凝視したりしながら、ギロチーヌが喚く。


「ええっ? じゃあ、もしかして近所の野良犬か何かが袋を喰い破って、変態シスターの死体を咥えて持って行っちゃったのかなあっ……」


 霧斗はその額に冷や汗がダラダラと流れ落ちていくのを感じた。


「もし、シスターの死体が誰かに見つかりでもしたら、大変なことになるぞ……」


 霧斗は気が気ではなかった。


 ギロチンの少女を誘拐したことで、拷問博物展での未曽有の大殺戮を未然に防ぐことは出来た。


 しかし、そうは言っても、あの修道女のバラバラ死体が誰かの目にでも触れてしまえば、無慈悲な殺戮を繰り返す拷問怪人の存在が明るみに出るだけではなく、ひいてはギロチンの少女の存在も世間に知れ渡ってしまうことになるだろう。


 元はマリー・アントワネットの首を刎ねた歴史あるギロチンの装置とはいえ、今、自分の目の前に居るのは、紛れもなく純粋な心を持った一人の少女だ。


 それも己の特殊な在り方に葛藤し、泣き、笑い、怒り、傷つき、そして、喜ぶ。


 そんな、ごく一般的な女の子と何一つ変わることのない、どこにでも居るような、ごくごく普通の感じやすい年頃の少女なのだ。


 もしもギロチーヌのその特殊な在り方が世間に知れ渡ってしまえば、同年代の女の子達と同じように喜怒哀楽を感じられる、ごくごく普通の少女でいられることさえ到底できなくなってしまうに違いない。


「ボクに守ってあげられるのかな……」


 霧斗は、傍らでピンクのビニール袋を手に、首を傾げたままの亜麻色の髪の少女の姿を目に、自身の力の弱さを嘆くのだった。


「ねえ、霧斗、ギロちゃん! ご飯できたわよ!」


 その時、伊乃地家の玄関ドアが突然開かれ、中から霧斗の母親の玉恵が顔を覗かせた。


「ギ、ギロちゃんって……母さん、急にどうしたのっ?」


 霧斗が驚きつつも、家の玄関を振り返る。


「うふふ。昨日の夜は、わたしも頭に血が上っちゃったけどね。よーく考えたら、あんたが外人の女の子を家に連れて来るだなんて、百年に一度あるかないかの奇跡だものねえ。だから、わたしもギロちゃんを歓迎してあげることにしたのよ!」


 嬉しそうにエプロンの裾を手で引きながら、玉恵が霧斗に笑いかける。


「ひゃ、百年に一度あるかないかって、酷いよなあ。どこまでボクがモテないと思ってるんだよ、母さんはさあ……」


 霧斗は、嬉々とした母親の態度に不満の眼差しで返すのだった。


「まあ! 日本のプチ・デジュネ朝食!」


 ギロチーヌは飛び上がらんばかりに喜び、玉恵の傍に駆け寄ると、その手を強く握りしめた。


「東洋の神秘の島国ジャポンの朝食は、腐った大豆や味噌のスープが出ると聞いたことがあるわっ! エキセントリックな朝食、アタシすごく楽しみですっ!」


 碧眼の瞳をキラキラと眩しく輝かせ、ギロチーヌが玉恵に好奇心溢れる眼差しを送る。


「腐った大豆って何だよ? 納豆のことか……?」


 霧斗は、はしゃぐギロチーヌの姿を苦笑しながら見つめた。


「そんなにも嬉しそうにしてもらえると、わたしも腕によりをかけて朝ご飯を作ったかいがあるわねえ。でも、我が家の味噌汁の味が、外人さんのギロちゃんのお口に合うかどうかちょっと心配だねえ……」


 玉恵は、亜麻色の髪のまるで人形のような西洋の少女に、腕を握られたうえに眩しい瞳で見つめられ、その内心ではえもいわれぬ程の喜びと恥ずかしさとを感じていた。


「……おや? ギロちゃん! あなた、そのお洋服、いったいどうしたの? よーく見ると、血塗れじゃないの! すぐにお洗濯しないとねえ! お着替えを用意するから、ご飯の前にシャワーを浴びてちょうだいね。さあ、中に入って、入って!」


 玉恵はギロチーヌが着ているゴスドレスが血に塗れていることに気付くと、慌てて家の玄関の中へと少女の背中を押しこんだ。


「オーッ! お洗濯なら、シャワーで洋服ごと洗っちゃえばいいじゃなーいっ!」


「まあ、ギロちゃん! あなた、なんて横着なこと言うの? 女の子がそんなに面倒くさがっちゃ、いけませんよっ!」


 大胆なのか、非常識なだけなのか、トンチンカンなことを言うギロチンの少女と、真面目にそれに受け答える玉恵の小言とが朝も早い伊乃地家の玄関先に響き渡る。


「まあ、ボクから見れば、どっちもどっち。二人ともなんだか似た者同士の親子みたいな会話にしか聞こえないなあ……」


 秋の太陽が優しく昇りゆく日曜の朝、霧斗は中年の母親とギロチンの西洋美女との騒がしいやりとりを耳に、朝食の待つ食卓へとその歩みを向けた。







 絶海の孤島とはまさにこういう島のことを言うのだろうか。


 船舶が自由に行き来する、大海の真っ只中にあるというのに、その周囲は暗澹とした深い霧に覆われ、腕利きの航海士といえども島の面影すら目視できそうにない。


 島の周囲は切り立つ崖で覆われており、船を着ける港のようなものさえ確認できない。


 島の周辺の海面からは幾つもの鋭く尖った岩が隆起しており、不用意にこの海域に迷い込んだ船が避けて通ることも難しそうだ。


 海面から隆起する岩にその船尾が少しでも掠ろうものなら、たちどころに浸水し、船は座礁どころか沈没してしまうだろう。


 それほどまでに刺々しい岩の集まるこの海面を、荒く波立たせる巨大な一つの影があった。


「グゥエッ! グゥエッ!」


 バサーッ、バサーッというような、ゆっくりとしたリズムの深い羽音をたてる一羽の巨大な鳥だ。


 その躯体は漆黒の輝きを放ち、まるで太古の翼竜のような姿をしていた。


 鋭く尖った嘴と、死んだ魚のような精気を欠いた冷たい目が少々アンバランスでもあった。


「ふっ。予定よりも早く到着するとは皮肉なものですね……」


 怪鳥の背に跨る燕尾服姿の少女が呟く。


「……この執事服を仕立屋に無理やり用意させるのに手間取ったというのに、拷問博物展襲撃が中止になったおかげで、まだこの明るさですよ……」


 新調したての燕尾服を身に纏ったショートの青髪の少女はそう言って、照りつける陽射しに目を向けるべく顔を上げた。


「む。一雨、来そうですね」


 頭上の太陽に暗雲が迫り来るのが見えた。


「急げッ! 拷問鳥ッ!」


 手にした猫鞭を怪鳥の背に一振りする。


「グゥエエエェェェェーッ!」


 拷問鳥と呼ばれた怪鳥は咆哮を上げ、一瞬、その身を仰け反らせると、慌ただしくその翼を羽ばたき始めた。


 雷鳴ともに降りだした滝のような雨の中、スキニング・キャットを乗せた拷問鳥は霧に浮かんだ島影へと消えていった。

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